大岡川遡行 (1)
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大岡川遡行 (1)
- 新田は江戸時代前期から -
2年前、
ここで、妙正寺川歩きをしたメンバで、
今回は、横浜市の
「大岡川」を歩こうということになった。
河口(かこう)から歩きはじめて
源流、できることなら
最初の一滴に辿り着くまで。
まさに大岡川遡行。
全行程でも、15km程度のルートなので、
カメラ片手に、
のんびり一日かけて歩くのには
ぴったりのうれしいコースだ。
いいコースを選んでくれた友人に感謝。
今回も写真の整理を兼ねて
再度行程を思い返してみたい。
5月の日曜日の朝、
「河口から」と言うなら
「やっぱり海からでしょ」ということで
「みなとみらい」の海にメンバが集まった。
雲は多いが、
長距離歩くことを考えると、
これくらい曇ってくれているほうが
かえって助かる。
強い日差しは、日焼け対策だけでも
面倒なことが多いので。
休日の、朝の風が気持ちいい。
時間も早いので、まだ観光客は少ないが、
ジョギングしているランナーには
数多くすれ違った。
海沿いのいいコースだ。
ちょっと歩き始めたところで、
こんなものが目に留まった。
「ドック用排水ポンプ・カバー」
第一号、第二号
ドック用排水ポンプ・カバー
1896年アレン社製(イギリス)。
修理を重ねながら
約85年間にわたってドックの
排水機能を担ってきた。
2000年に国の重要文化財に指定。
との説明書きが添えてある。
船渠(せんきょ)とは
船舶を建造または修繕するために
入れる構造物、ドック。
のこと。
「渠」という字は、「暗渠(あんきょ)」
での利用くらいしか思い浮かばないが、
改めて調べてみると、
「人工の水路。掘り割り。みぞ」を
意味する漢字らしい。そのままだ。
それにしても修理を重ねながらとはいえ
85年も使われていたとは。
ポンプに限らず、
昔のものはほんとうに長生きだ。
以前、80年以上も使われている
電車車両の話も聞いたことがある。
あれほど消耗の激しそうなものでも、だ。
最近見る、あのいかにも軽そうな
アルミの車両はいったい何年くらい
使えるのだろう。
ポンプカバーの近くには、
大きなスクリューのようなものが
横たわっていた。
これはいったい何だろう?
螺旋杭(らせんぐい:スクリューパイル)
というらしい。
近くの説明書きから要点のみを
ピックアップすると・・・。
横浜港の第一期築港工事で
1894年に完成。
鉄桟橋は海底にねじり込まれた
505本の鋳鉄製の杭で支えられていた。
イギリス製で直径は約30cm、
長さは約16-20m
耐荷力を増すために
先端にスクリュー(螺旋沓(くつ))
がつけられていた。
1899年から始まった第二期工事では、
鋼製194本(直径17cm,長さ20m)が、
関東大震災後、復旧工事のなかでは
鋼製579本(直径18cm,長さ20m)が
新たに使われている。
説明書きにあった図の一部も
添えよう。下図の黄色い部分、
桟橋の杭として
使われていたもので、
先端が螺旋(らせん)状になっている。
1923年、関東大震災で大きな被害。
螺旋杭は
1994年に海中から掘り出された。
23年も前に
海中から掘り出されたものらしい。
ここ30年ほどで
大きく変わった「みなとみらい地区」。
旧施設の再利用も
新施設の内容も
人の動線を考慮した全体の配置も
どれもよく考えられており、
特徴ある景観を作り出している。
北仲橋に到着。
ここが事実上大岡川の河口。
親柱部には「大岡川」と
大きく刻まれている。
すぐ横には、
「二級河川大岡川」の
詳しい周辺地図もある。
いよいよ川に沿っての遡行開始だ。
ふと見ると川沿いではなく
川のど真ん中を立ったままの姿勢で
気持ちよさそうに遡っていく
小集団があった。
スタンドアップパドル(SUP)と呼ばれる
立ち漕ぎボート。
静かな川面を行くのにはいいが、
波のような起伏には、いったいどの程度
耐えられるものなのだろう?
振り返って見るとみなとみらい地区の
全景が見える。
このあたりからこの景色ともお別れだ。
前方には、国道16号の大江橋と、
JR根岸線の鉄橋が重なって見える。
JRの鉄橋をくぐると、上流に向かって
右手に野毛、左手に吉田町と
夜は賑やかな
繁華街の中を抜けて流れている。
それにしても野毛側の川沿い、
小さなスナックの密集度がすごい。
夜、カメラを持ってもう一度来たい感じ。
お店のサインに灯がともると
それなりに雰囲気はありそうだけれど。
もう少し進むと
左手は、福富町、長者町と
呼ばれるあたりになるが、
こちらのほうは、
風俗店の密集度が高い。
歩いていて驚いたのは、日曜日の朝、
まだ9時頃なのに営業しているお店が
結構あること。
開店のサインもキラキラと光っているし、
店の前を掃除したり、
水を撒いたりしている人もいる。
日曜日の朝、
いったいどんな客を狙っての開店なのだろう?
長者橋まで来た。
長者橋のすぐ横には
こんな宝くじ売り場が。
「長者橋」
確かにここに作らないテはない。
ただ、地名はバッチリだとしても、
この外観では、どうも
あまり当たるような気がしない。
近くには、
「吉田新田関連案内図」があった。
江戸の材木商人吉田勘兵衛
(よしだかんべえ)<1611-1686>が
中心となって埋め立て、
吉田新田と呼ばれるようになりました。
年代を見れば分かる通り、
江戸時代といっても、
明治が迫った幕末ではなく、前期だ。
勘兵衛の功績を称えて新田名を
吉田新田と改称し、
吉田に苗字帯刀を許したのは
徳川家綱だったという。
第4代将軍だ。
私の浅い歴史感では、横浜と聞くと、
すぐに「幕末・開国後」を
イメージしてしまうのだが、
言うまでもなくその前にも
長い長い歴史があるわけだ。
河口では水色の根岸線と交わったが、
このあたりでは、
赤色の京浜急行線と並行して流れている。
途中、「川の駅」があった。
「道の駅」ならよく知っているが、
「川の駅」は初めてだ。
「川の駅 大岡川桜桟橋」
河口で追い抜かれた立ち漕ぎボード
スタンドアップパドル(SUP)の方々は
どうもこの駅まで来たようだ。
まだ河口から2km程度しか来ていない。
次回からはもう少しスピードアップして
書いていくこととしよう。
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