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2017年4月

2017年4月30日 (日)

「中世の声と文字」

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「中世の声と文字」

- 学問から宗教へ -

 

遺跡や書物は、歴史を考えるときの
大事な資料や証拠となるが、
残念ながらそこに「音」は残っていない。

文字や楽譜は残っていても音はない。

 吉松隆 著
 調性で読み解くクラシック
   ヤマハミュージックメディア

にもこんな記述があった。

世界中のあらゆる時代あらゆる地域で、
「音楽」はそれぞれの形で
豊饒な文化を築いている。

ただし、残念ながら音楽は
化石や古文書のように
発掘されることはない
ので、
音そのものは想像するしかない。

それはもちろん
「声」についても同じこと。

 

その、当時の「声」を
親鸞の手紙と
琵琶法師によって語り継がれた
「平家物語」を題材に
考えてみようという

 大隅和雄 著
 中世の声と文字
 親鸞の手紙と『平家物語』
 シリーズ <本と日本史> 3
   集英社新書

を読んだ。
(以下水色部本からの引用)

もともと親鸞についても
平家物語についても、
中高の教科書以上の知識がないので
知らないこと満載で、その内容は
興味深い話の連続だったのだが、
途中から

なお、『平家物語』の引用には、
注をつけることにして、
敢(あ)えて現代語訳は省いた
中世の人々が
琵琶法師の声で聞いた文章の律動を、
そのままのかたちで味わって頂きたい。

という著者の意図のもと、
現代語訳がなくなってしまったのは、
古文オンチの私にとっては辛かった。

「文章の律動」を味わう余裕がない。

そういう意味では、読み終えても
本の趣旨というか、
肝心な部分が味わえていない
後(うしろ)めたさが残る。

とはいえ、浅い読者は浅いなりに
発見や考えさせられることもあったので、
きょうは、その一部を紹介したい。

 

まずは親鸞との語り合いと手紙の話から。

親鸞が東国にいて、門前たちと語り合い、
念仏道場でともに
念仏を唱えていたときには、
親鸞の信心と数えは、
親鸞の立ち居振る舞いを通じても、
自然に伝わっていった


しかし、その親鸞が東国を去った後、
残された人々は、
念仏を唱えて語り合うだけでは心もとなく、
心に浮かんでくる疑問に、
決着を付けることが
できないと思うようになった。

 そこで、門弟たちは、
手紙を書いて教えを乞う
ようになった。

距離が手紙を生んだわけだが、
手紙には距離を埋める以外の
大きな作用があった。

親鸞の返信を受け取った門弟は、
その手紙を道場の人々に見せ、
声を上げて読み聞かせ、
字のかける門弟の中には、
書写して
信心の拠り所とする
者も少なくなかった。

親鸞の手紙は現在43通が知られていて、
その中で11通は、真蹟とされている。

750年前の手紙が、
もとのまま11通も残っている
というのは
驚くべきことであるが、
それらの手紙は、親鸞の最晩年のもので、
京都に帰った60代前半にも
文通はあったに違いないが、
手紙は残っていない。

750年も前の手紙が11通も残っている、
という事実には確かに驚くが、
ここでの印象的なシーンは、
「声を上げて読み聞かせ」と
「書写して信心の拠り所」の部分。

手紙が、
個人対個人のやり取りに留まっていない。

東国の門弟たちは、
親鸞の手紙を大切にして、
写本を作って回読し、道場で
読み上げることもあったと思われる。

そうした中で、
手紙を集めた本が教典として
用いられることになった。

信心に関する質問に対して、
親しみ深く語りかけるような親鸞の返事は、
質問を的確に、深く理解した上で、
易しいことばで綴(つづ)られていたから、
消息集は門弟たちにとって、
かけがえのない教典となった


門弟たちは消息集を読んで、
師の面影を偲(しの)び、
師の声を聞くかのようなことばを
反芻するようになったのである。

親鸞との手紙が、
親鸞の教えの広がりに
独特な力をもっていく。

手紙を中心にした変化、だ。

 消息集が教典になったことは、
先進的な外来文化として伝来した仏教が
「漢訳仏典の学問」から、
信心を中核とする「宗教」に変じた
ことを、
何よりも的確に表わしていると思われる。

 突飛な比較と考えられるかも知れないが、
『新約聖書』は
27の資料からなっているが、
四部の福音書と
「使徒行伝」「ヨハネの黙示録」
の六篇の他は、
21通の手紙が収められており、
資料の数からいえば、
全体の4分の3は手紙である

キリスト教の教義の中核もまた、
手紙で述べられている
ということになる。

なるほど。
教典における「手紙」は
単なる表現の一形式として
採用されたものではなく、
「実績」に基づく
採用だったのかもしれない。

人々の心に届く、実手段として
大きな影響力を持ったという「実績」に。

特に識字率が高くなかった時代には、
「声を上げて読み聞かせ」るという
共有方法がその背景にあったことも
見逃せない。

「学問」から「宗教」に。

具体的な音は聞こえないけれど
確実に存在した「声」の存在が
「教典」に命を吹き込んでいるような
そんな気さえしてくる。

この本の話、もう少し続けたい。

 

 

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2017年4月23日 (日)

謎のお店の異空間

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謎のお店の異空間

- 一見さんお断り -

 

知人の厚意により、「一見さんお断り」の
紹介制のお店に連れて行ってもらった。

このお店、
「料理の写真を撮ることも、
 店が特定できるような紹介を
 ネットですることも遠慮してほしい」
とのことで、「食べログ」等の
飲食店案内サイトにも出ていない。

 

都内の某駅で待合せた。
私のグループは紹介者を含めて5名。
時間通りに全員揃った。

「さぁ、行きましょうか」
「はい」

とは言うものの、
どちらに歩けばいいのかわからない。
私を始め、初めての人は店の場所さえ
事前に調べようがなかったもので。

紹介者の背中を追う。

良い噂しか耳に入ってこない
私にとっては、まさに幻のお店ゆえ、
期待値の方は相当に高かったのだが、
気持ちの方のワクワク感に反し、
足取りがどこか「おそるおそる」
といった感じになってしまうのは、
なぜなのだろう。

駅前の繁華街を抜けて、
ひと気のない静かな道を歩く。

場所くらいは覚えてしまおう、
と思いながら歩いていたのだが、
考えてみると、私自身は某条件により
基本的に「紹介者」にはなれない。

つまり今後も、ひとりで来たり、
誰かを連れてきたりすることはない。

だったら謎のままでもいいかな、
という気がしてくる。
「場所もよくわからない」
のままにしておこう。

 

【全員一斉入店】

しばらく歩くと、
全く人通りのない道に面した
民家のような家の前で列が止まった。

「ここ?」と改めて見ると
看板も表札もなにもない家の軒の下に
杉玉だけが下がっている。
それが唯一の目印、という感じ。
そう、この店は日本酒のお店なのだ。

開店は夜7時半。

10分ほど早く着いた私たちは
道の脇に並んで開店を待った。

少しすると、別に2名と3名の組が来て、
合計10名が建物の前に並んだ。
男性6名、女性4名。
年齢層も幅広い。

ぴったり7時半。
板戸が開いて、和服姿の女将が出てきた。

紹介制ゆえ各グループに
最低ひとりは知人がいるせいか、
アイコンタクトでの
静かな挨拶はあるものの、
いちいち名前を聞いたり、
客から名乗ったりはしない。

導かれるまま、
靴を脱いで薄暗い店に入った。

 

【着席】

店内は小さく、真ん中に、
正方形の大きなテーブルが
ひとつあるだけ。

そのテーブルの三辺に、3人、4人、3人と
テーブルを囲むように座るよう促された。
各席には正座補助椅子と
膝掛けが用意されている。

空いた一辺の真ん中に女将が立ち、
ぐるりと客を見回しながら、暗い中、
着席に戸惑っている客に声をかけている。

ようやく全員が席についた。

さて、なにがどう始まるのか?

全員が座ったのを見届けると、女将は
テーブル中央に下がっていた
照明のスイッチを入れた。
3つの小さなダウンライトが
テーブルを照らす。
まぶしくはないが、
一瞬で幕が上がったようになる。

テーブルからの反射光で、
客の顔もぼんやり浮かび上がっている。

客同士もお互いを
ちょっと横目で気にしているが、
全体の雰囲気はまだまだ硬い。

各自の目の前には
5種類のタイプの違う盃が並べられていた。
もちろんどれも中身はカラ。
「切子」から「うすはり」まで、
色も形も違っていて区別しやすい。

 

【店のコンセプト】

最初に女将の丁寧な挨拶があった。

* ここでは料理と日本酒の組合せを
 じっくり味わって、楽しんでもらいたい。

* 日本酒は選んだ「ひとつの蔵」からのみ
 提供する。
 同じ蔵でも米や製法が違うと、
 どんなふうに味や香りが変わってくるのかを
 ぜひ体験してもらいたい。

* 残念ながら戦後、日本では
 日本酒がどんどん飲まれなくなっている。
 仕事帰りにビールを買って帰るように
 「日本酒を買って帰る」
 そんな習慣が広まることに
 少しでも貢献できたら、と思っている。

* 感想や質問はいつでもどうぞ遠慮なく。
 お客様の中には
 料理やお酒にものすごく詳しい人もいるし、
 逆に初心者、という方もいる。
 私がなんでも知っているわけではないので、
 質問があるときは、全員に聞こえるような
 大きな声でしてほしい。
 質問をきっかけに、お客様間での意外な
 コミュニケーションが始まる場合もある。
 そういうやりとりも大事にしたい。

店のコンセプトも趣旨もきわめて明快。
ヘンに偉ぶっても、高級ぶってもおらず、
fairに日本酒の美味しさを共有しましょう、
の精神が溢れていて気持ちがいい。

お店側は
女将と隣の調理場にいる女性の二人のみで
切り盛りしているとのこと。

 

【最初の一杯】

いよいよ、最初の一杯が登場。

ガラスの徳利に入ったお酒を
指定された色の盃に入れるよう案内された。

女将は両脇の人の盃に酌。
注がれた客は隣の人に酌。
2本の徳利がゆっくり客の間を回る。

全員の用意ができたころ
「では、最初のお酒。きいてみて下さい」

(「きき酒」は「利き酒」と書いたりするので
 この場合は「利く」と書くのかもしれないが、
 どうもしっくりこないので「ひらがな」で
 失礼させていただく)

色を見て、香りをかいで、味を確かめる。
視覚、嗅覚、味覚は動員するものの
聴覚は使わない。なのに「きく」。
改めて考えてみるとおもしろい表現だ。

一口目。
香りも味も透明感があってうまい。
料理を口にする前のまさに乾杯の一杯。

「今から、お料理をお出ししますが、
 食べる前と食べた後で、お酒の味が
 どんなふうに変化するのかも
 ぜひお楽しみ下さい」

「ウド、熟成牛タンのスープ」から
料理が始まった。

 

【マリアージュ】

酒も、料理に合わせて違ったものが
順番に登場するが、三種類目までは、
その正体が一切明かされず、
付加情報なしで、ただ香りと味だけを頼りに
その違いを楽しんでいく。

名称は不明でも、
各自、同じ盃に同じ酒が入っているので、
会話で迷うことも混乱することもない。

「切子の盃の酒は、香りはあまりないけれど
 マイルドな柔らかさがあっておいしい」
などと感想が飛び交う。

料理も一皿づつにサプライズがある。
女将の演出もうまく、
「写真を撮りたい」
の思いが何度こみあげてきたことか。

ワインならまさに「マリアージュ」と
呼ぶべき組合せを、
日本酒との組合せとしてはちょっと意外な
肉料理で繋いでいく。

牛、馬、鹿と肉を変え、
バルサミコ酢、ポン酢と酸味を変えて、
組合せも千変万化。

料理や酒の細かい蘊蓄を伝えることが
本報告の趣旨ではないので、
その細かい内容は端折りたいが、
やはり「知る」ということはおもしろい。

蔵が展開している、蔵の地下水、
仕込み水の水脈までを考慮した
「同じ水で作られた田んぼの米」に
限定した酒造りの話。

水に貫かれた栽培、醸造、瓶詰。
ワインの「ドメーヌ」に倣って、
ドメーヌ化と呼んでいるようだが、
この徹底した一貫性を表現する
いい日本語はないものだろうか。

 

【会話も味のうち】

女将は、もちろん給仕もするものの、
料理の演出、酒の詳細な解説、
客の会話のコントロールで
テーブルにつきっきり。

選んだ蔵の歴史や方針、特徴を
細かいことまでよく掴んでいるし、
どんな質問にも
ポンポンと歯切れよく答えてくれる。

客のほうも、
自己紹介をしたわけでもないのに、
会話の端々から少しずつキャラクタが
滲みでてくる。
年齢も性別も全く違うふたりが
「えっ、私もそのお酒大好きです」
と意気投合したり、
「これについては
 あの方に決めてもらいましょう」と
自然に役割分担ができたり、と
客の間の空気もどんどん緩んでくる。

最後8皿目のデザート
「酒粕のムースとヨーグルト、 
 塩漬けの桜と一緒に...」
まで、ほんとうにあっという間だった。

すべてが終了したあと、
「お酒の写真だけはOKです」
とのことで、ゆっくり「きき比べた」
 栃木県さくら市
 株式会社せんきん
の5種の日本酒の写真を一枚。

P4127075s

それにしても
「山田錦」や「雄町」ではなく
「亀ノ尾」の味が
あんなに印象的だったとは。
米の違いも新たな発見とともに
目一杯楽しめた夜だった。

2時間強、様々な情報を得たせいか、
いつのまにか「せんきん」は
私にとって、特別な蔵になってしまった。
こういうキッカケのある繋がりはいい。

夜10時前、名残惜しいもののお開きに。

女将に丁寧に見送られて、
一斉に入った客は、
一斉に帰ることになった。

最初に書いた通り、
外見は一切お店に見えないし、
営業時間中の人の出入りもゼロ。
これでは、断るまでもなく
「一見」では入りようがない。

日本酒のお店ながら
女将も言っていた通り、
お酒をガブガブと飲みたい人には
向いていない。

でも、
料理を、お酒を、
女将との会話を、客同士の会話を、
「へぇ」とか、「ほぉ」とか、
「ほんとだ!」とか、
「知らなかったなぁ」とか言いながら、
ゆっくり丁寧に楽しむ。

そういう時間や経験が
愛おしく思える方には最高のお店だ。

こういうお店が
もっともっと増えるといいのに、
と改めて思う。

もちろん料理も美味しかったけれど、
「料理の味」だけが
「料理店の価値」を決めるわけではない。

 

最後に記録を兼ねて
お酒と料理のメモだけ残しておきたい。

酒(蔵)
栃木県さくら市 株式会社せんきん

(n1) 仙禽一聲(せんきんいっせい)
    35%まで磨き上げた山田錦
(n2) モダン仙禽   無垢
(n3) モダン仙禽   雄町
(n4) モダン仙禽   亀ノ尾
(n5) クラシカル仙禽 亀ノ尾 

料理
(d1) ウド、熟成タンのスープ
(d2) 牛ホホ肉の日本酒煮込み
      里芋のマッシュポテト
      柚子胡椒ソース
(d3) 内モモ肉のローストビーフ
      桃ベースのソース
      わさび
(d4) 牛のハツ刺し ダシ醤油
   馬肉の漬け寿司
   ホルモン(ミノ)の軍艦
(d5) 鹿肉のロースト 
      バルサミコ酢ソース
(d6) 牛肩肉のホイル焼き 
      えのき茸とポン酢
(d7) 稲庭中華ソバ 
      鰹とコブの出汁
      肉味噌には生姜と豆板醤
(d8) 酒粕のムース 
   ヨーグルト 塩漬けの桜

 

誘ってくれたTさん、どうもありがとう。

 

 

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2017年4月16日 (日)

宮ザワザワ賢治

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宮ザワザワ賢治

- 擬態語の音とイメージ -

 

ロジャー・パルバース著
「英語で読み解く賢治の世界」
岩波ジュニア新書

を読んでいたら、
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節
「オロオロアルキ」の英訳の解説に
こんな部分があった。
(以下、水色部、本からの引用)

オロオロアルキ(he plods about)

オロオロ,ドシドシ,
ザワザワというように,
日本の「擬音語・擬態語」(オノマトピア)は,
音を繰り返すものが多い
です.

「オロオロ」のようなオノマトピアを使って
この詩を見事に書き上げた賢治を,
ぼくは「宮ザワザワ賢治」と名づけたいです.

 もちろん英語にも,
ticktock
   ([時計などの]カチカチという音])
hanky-panky
   (いんちき,ごまかし,
    いかがわしいこと)
namby-pamby
   (男らしくない,なよなよした)
dilly-dally
   ([決心がつかず]ぐずぐずする,
    心がぐらぐらする)
といった音を繰り返すオノマトピアが
少なからずあります.

しかし,英語においては,
ラテン語源の多音節の単語ではなく,
アングロサクソン語源の1音節の単語が
オノマトピアとして使われることが
はるかに多い
のです.

 plodはまさにそんな単語の1つです.

この語は,
「慎重に.苦労して,ゆっくり前に進む」
(to go forward slowly
 with effort or difficulty)
という意味があります.

plodderは,
「こつこつ働く人 地味な努力家」

(someone who persists, little by little,
 through effort and will power)です.
「がんばり屋」がいちばん近いと思います

「オロオロ」を直訳すれば,
to be flustered
  (このflusterもオノマトピアです)か,
to be at a loss for what to do
  (ぼうっとする,茫然自失する)
ぐらいになるかもしれません.

ここでは,to plodにaboutを付けて.
「目的もなく(aimlessly),オロオロ歩く」
という感じを出しました。

plod、
意味を知ったうえで
イメージしようと思っても、
音だけで「オロオロ」をイメージするのは
やはり私の英語力のレベルではむずかしい。

そういえば、パルバースさんご自身が
ラジオで宮沢賢治の詩と擬態語について
話をしていた記憶がある。
ちょっとPCの中を探してみよう。

発見! 2009年の録音だ。

関連するところをちょっと聞いてみたい。

(以下、薄緑色部
 2009年5月17日
 NHK「ラジオ深夜便」
の録音から。
 文字は要点のみ)

(擬態語は)
むしろ英語の方が多いのではないかと。

ただね、その同じような形をとらない。
つまり、ザワザワとかね、
音が繰り返されるような単語って
たくさんありますけれど英語にも、
もちろん日本語ほどの、百分の一くらいです。

ただ、
ひとつの単語の中に入っているのが多いンです。
それが全く擬態語だということです
ね。

たとえば

「とぼとぼと」 hobble
「よろよろと」 wobble

hobble,
wobble,
plodよりも擬態語っぽいが、
それでもまだまだむずかしい。

 

もう少し見てみよう。

賢治の「注文の多い料理店」の一節、
一文に擬態語が四つも出てくる箇所がある。

日本語はこれ。
風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、
 木の葉はかさかさ、
 木はごとんごとんと鳴りました


パルバースさんは以下のように訳している。
どれも一単語による擬態語とのこと。

「どうと」「ざわざわ」「かさかさ」
「ごとんごとんと」に注目して、
ご本人の英語による朗読を聞いてみてほしい。

The wind bellowed
The grass swished
The leaves rustled
And the trees rumbled low.

繰り返し聞くと、少し見えてきた...かな?

もちろん日本語の擬態語だって、
「かさかさ」のように
繰り返すものばかりではない。

「ぽっかり」とか
「ふんわり」とか
「こっそり」とか
「きょとんと」とか。

でも、どれも聞いた瞬間
「ふわっと」イメージが浮かぶ。

いったい、いつ、
どうやって身につけた感覚なのだろう。

どう考えても
「rustle」よりも「かさかさ」のほうが
木の葉の音をうまく表現しているように
思えてしまうのだが。

言葉が身につく、というのは
不思議なことだ。

逆に言うと、英語の音による感覚が
いかに身についていないか、を痛感する
エピソードのひとつでもあるけれど。

 

 

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2017年4月 9日 (日)

深谷の煉瓦(レンガ)

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深谷の煉瓦(レンガ)

- 東京駅から迎賓館まで -

 

埼玉県深谷市というと、
深谷ネギというネギが有名だが、
ここは明治の大実業家
「渋沢栄一」の出身地でもある。

第一国立銀行(現みずほ銀行)や地方銀行、
東京瓦斯(ガス)や王子製紙、
帝国ホテルやキリンビール、
一橋大学、同志社大学、日本女子大学校
東京海上火災保険や東京証券取引所、
などなど
渋沢栄一が設立に関わった企業や学校は
多種多様でその数、実に500以上。

まさに「日本資本主義の父」
と呼ばれるにふさわしい輝かしい実績。

どの会社も組織も、その後の発展と
日本社会への影響度、貢献度を思うと、
一生の間にこれほど多様な仕事が
できるものだろうかと、
にわかには信じられないほどだ。

そんな渋沢が
設立に関わった会社のひとつに
日本煉瓦製造株式会社」がある。
1887年(明治20年)に設立。

明治になって、急速に増え始めた
欧米に倣った近代建造物のための
赤レンガを製造、販売していた。

会社は2006年に廃業してしまうが、
レンガを焼いていた窯(かま)は、
重要文化財として今でも深谷に残っている。

実際に窯を見に行ってみた。

【ホフマン輪窯(わがま)】
ドイツ人ホフマンが考案した
煉瓦の連続焼成が可能な輪窯(わがま)。

Fukaya2_2

明治40年の建造で、
長さ56.5m、幅20m、高さ3.3mの
煉瓦造り。
陸上のトラックのような形状の
輪になっており、一周約120メートル。

見学は無料だが、
丁寧にも説明員がついてくれる。

Fukaya1

ヘルメットを被り、
窯の中に入って説明を聞くことができる。

Fukaya3

今は仕切りはないが、
内部を18の部屋に分け、
窯詰め・予熱・焼成・冷却・窯出しの
工程を順次行いながら移動し、
およそ半月かけて窯を一周したとのこと。

燃料の石炭は、粉にして上の穴から
15分おきに投入していたらしいが、
実際に窯に入ると、
その穴を下から見上げることができる。

Fukaya4

生産能力は月産65万個。
1968年(昭和43年)まで
約60年間煉瓦を焼き続けた。

木造平屋の会社の旧事務所も
輪窯と一緒に
国の重要文化財となっているが、
内部は今は史料館となっている。

Fukaya5

あんな大きな窯が、
最盛期には6基もあったらしい。

Fukaya6

各窯建屋の内部はこんな感じ。
一番下に窯。
煙突の途中にあるハの字にご注目。
窯の上にあった建屋の屋根の跡。

Fukaya7

この屋根の跡は今も煙突に残る。
あの高さにまで建屋があったわけだ。

Fukaya8

さて、この大規模な工場で作られた煉瓦は、
いったいどこに使われていたのか。

史料館で100円で購入した
「深谷の煉瓦物語」という小冊子から
代表的な建造物を紹介したい。

(1) 東京駅 丸ノ内本屋
明治41年に着工し、大正3年に完成。
辰野金吾の設計による
国内最大級の煉瓦建築。
深谷の煉瓦が約833万個使われた。

(2) 旧信越本線碓氷第三橋梁
  (碓氷峠鉄道施設〉
横川~軽井沢間の碓氷峠鉄道敷設工事は
明治24年に開始。
けわしい峠を縫う11.2km余りの区間には
26ものトンネルと18の橋が必要で
そのほとんどが煉瓦で作られた。
使った煉瓦1800万個
500人以上の尊い犠牲を出しながら
明治26年初めに開通。

(3) 法務省旧本館 明治28年完成
(4) 日本銀行本店本館 明治23-29年
(5) 表慶館 明治41年完成
(6) 旧横浜正金銀行本店本館
  明治37年完成
  (現・神奈川県立歴史博物館)
(7) 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
  明治41年

(1)-(6)はすべて重要文化財、
(7)は国宝。

(4)-(7)は、外見だけを見ると
石造建築のように見えるが、
実はいすれも深谷の煉瓦を使って建設され、
表面に石材を張って仕上げたものらしい。

鉄筋コンクリート建築に
とって代わられるまで、
本格的な西洋建築の多くは
煉瓦造だったとのこと。

建築・建造物に限らないが、
開国後、短期間でよくここまで
新技術・新文化を取り込んだものだ。

欧米列強に追いつこうとしていた
日本の勢いを、強く強く実感できる。

 

 

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2017年4月 2日 (日)

生きることは「出会うこと」

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生きることは「出会うこと」

- 寺山修司さんの言葉 -

 

4月、
進学、就職を始め門出の季節だ。

 

以前、米国ボストンで
ステューディオ(Studio)と呼ばれる
ワンルームタイプの部屋を借りて、
6月から10月までを過ごしたことがある。

ハーバード大学や
マサチューセッツ工科大学(MIT)など
多くの名門校をかかえる
学園都市ボストンだけでなく、
9月が新学年となる米国では、
8月後半になると
Back to School Saleと呼ばれる
新学期前のセールを
町のあちこちで見かけるようになる。

そして9月、
長い夏休みも終わり、
一斉に新学年が始まる。

一斉に始まるのだが、ボストンでは
新学年が始まった途端に
ドンドン寒くなっていく。
10月になると息が白くなる日もある。

新しいことが始まったのに
ドンドン寒くなっていく。
これはどうもよくない。
「寒かったり」
「雲が多くて暗かったり」の日々が続くと
どうも気分が上向きにならない。

逆に、日本では、新学年開始以降
ドンドン暖かくなっていく。
日本の「4月始まり」っていいものだなぁ、
と改めて思った記憶がある。

地域によって時期の前後があるとは言え、
4月5月は、満開の桜が
始まりの季節を祝ってくれる所も多いし。

 

さて4月、
「若い人に送る」と言うとジジくさいが、
歳をとっても、
なぜかこの季節になると思い出す
ある言葉がある。

寺山修司さんが
「ぼくが狼だった頃」に書いていた言葉。

生きることは「出会うこと」です。
それをおそれて一体何が
はじまるというのでしょう、


旅をしてみる、
新しい歌をおぼえてみる、
ちょっと風変わりなドレスを着てみる、
気に入った男の子とキスしてみる、
寝てみる、失恋もしてみる、
詩を書いてみる-

一つ一つを大げさに考えすぎず、
しかし一つ一つを
粗末にしすぎないことです

若い人に出会いを推奨する言葉は
いろいろな形で耳にするが、
この言葉が特に気に入っているのは、
最後の一行。

「一つ一つを大げさに考えすぎず、
 しかし一つ一つを
 粗末にしすぎないことです」

春、
「人」でも「モノ」でも「コト」でも
いろいろな出会いがあることだろう。
「大げさに考えすぎず」
でも、どれも「粗末にしすぎない」、
そんな姿勢で臨みたい。

生きることは出会うこと。
新年度、
いい出会いがありますように。

 

 

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