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2017年2月19日 (日)

言葉の由来を愛おしむ

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言葉の由来を愛おしむ

- 道の「み」はいったい何? -

 

ベストセラー
「日本の大和言葉を美しく話す」
東邦出版


の著者、高橋こうじさんの新刊

「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版

が書店に並んでいる。

副題には
「語源が伝える日本人の心」
とあるが、
「語源」を中心とした学術書ではない。

もちろん語源に関する蘊蓄は満載だが、
そういった情報自体がメインではなく、
言葉の由来を考えながら、
言葉を生み、語り継いできた日本人の心に
思いを馳せてみようという、
ある意味言葉に関する
エッセイ集とも言える内容になっている。

「へぇ」と同時に
「この言葉って、
 もしかしたら**かも?」といった
疑問や関心が心に浮かぶようになれば、
それまでなにげなく使っていた言葉が
急に「愛おしく」なってくるものだ。

そんな中から、いくつか紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「しおり」

 しおりとは、
読みかけの本をいったん閉じるときに
「ここまで読んだ」
という目印として、はさむ紙片

でも、遠足などで主催者が皆に配る、
日程や注意事項などを記した
数ページの冊子もしおりと呼びます。

たしかにどちらも「しおり」だし
どちらもよく使う言葉だ。

指しているものは全く違うのに、
同じ言葉
。さてどうしてだろう?

辞書で「しおり」を引くと、
まず書いてあったのが

「山や森を進む際に、
 迷わぬための目印として
 通った道の木の枝などを
 折っておくこと」

という説明です。古くは、
そうやって自分で道しるべを作ることを

枝(し)折(お)る

と言い、
その名詞形が「しおり」なのです。

なるほど、
「迷わぬための目印」
が「枝折る」だったわけだ。

このキーワードがあれば、
一見関係なさそうな
最初の二者が結びつく。

 だから、大昔の人にとって
「しおり」とは何だったかを説明せよ、
という課題を出されたならば、

あとで迷わぬよう自分でつける印

という答えも正解であり、

山などを歩く際に手引きとなるもの

という答えも正解。

前者が本のしおりで、
後者が冊子のしおりになったようだ。

 

「日なた」

 日本語には「なた」という
接尾語があります。

 突然「なた」と言われても
困惑なさるでしょうが、
たとえば「かなた」。

漢字で書くなら「彼方」で、
「か」は「遠く」、
「なた」は「方向」という意味です。

同じ「なた」の前に
「そ」がつくと「そなた」、
「あ」がつくと「あなた」、
「ど」がつくと「どなた」。

私たちにとっては
どれも人についての代名詞ですが、
もともとは
「そちらのほう」
「あちらのほう」
「どちらのほう」という意味で、
時代が下るとともに、
人を指す代名詞に変化したと言われています。

時代劇では、
「こちらにいる人」を指す
こなた」という言葉も耳にする。

そんなふうに「なた」という語は、
私たちが情報をやりとりする際の
最も基本的な要素である
方向」や「人間」を指す代名詞を作る、
重要な接尾語です。

 ところが、
方向でも人間でもないのに、
この「なた」を
お尻にくっつけている言葉が一つ。

それが「日なた」です。

「日のあるほう」だから「日なた」。

理屈はその通りですが、
「かなた」や「どなた」のような
代名詞とはまったく性質の異なる、
具体的な状況についての言葉です。

こんな単語はほかにありません。

 なぜ、「日」だけに
こんな特別待遇が与えられたのでしょう。

むつかしいことはわからないが、
今の季節に聞かれれば、
自然に答えられる気がする。

本文ではこんな言葉を使っていた。

 電燈も暖房器具もなかった時代の
「日なた」は、
私たちが思う以上に幸せな場所、
天の恵みを感じる場所
だったのでしょう。

 

「道」

 大きな辞書で「道」を引くと、
意外な説明が記されています。

もともとは
 『ち』のみで道という意味
」。

そして「家路」「山路」といった言葉が
証拠として挙げられています。

これらの単語は、道を意味する「ち」と
「家」「山」という語が合わさったもの、
というのです。

では、「みち」の「み」は
いったいナンなのだろう?


下を読まず、しばしお考えあれ。

 

では、「みち」の「み」は何かというと
「敬意を表す接頭語」です。

すなわち、尊い人や神仏の心を
みこころ」、
その象徴である旗を
みはた」と呼ぶように、
「ち」に「み」をつけて「みち」。

つまり、大昔の人々にとって、
自分たちが歩く筋状の土地は
「ち」だったけれど、
敬意を払って「みち」と呼んでいた
というのです。

私たちの祖先が、
道に敬意を払う理由?

詳しい説明は本文にゆずるが、
でも、そこにある道に、
そこに存在している道に
思わず敬意を払いたくなるような、
ありがたみに感謝を禁じ得ない情景は
大昔の日本に思いを巡らせなくても、
つい最近のニュース映像ででも
何度も目にしている気がする。


私たちも大事な人や神仏との
「縁」を話題にするときは、
必ず「ご」をつけて
「ありがたいご縁
「嬉しいご縁
などと言いますが、
昔の人々にとって「みち」は
そういう言葉だったのです。

「ようやく物資が
 届けられるようになりました」
のコメントと共に映るときの道。

通るものは時代と共に変わっても、
道が果たす役割への敬意は、
よぉく考えると今でも生きている。

 

 

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