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2017年2月

2017年2月26日 (日)

「むら」と「まち」

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「むら」と「まち」

- 語源から見る違い -

 

前回に引続き、

高橋こうじ 著
「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版


から、読んでいて
思わず付箋を貼ってしまった部分を
もう少し紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「むら」

「むら」はもともと、
さまざまなものが
「自然に集まる様子」を指す言葉で、
それを表す動詞が「むらがる」です。

むらがって湧きあがる雲は「むら雲」で、
欲望や怒りなどが心の中で
むらがっている状態は「むらむら」。

そして「人家がむらがるところ」も
むら」と呼ばれるようになった
と考えられます。

動物の集まりを指す「むれ」も
兄弟のような言葉。

すべての核にあるのは
集まる」ことです。

ただ、雲も、落ち葉も、
自然に集まるときは
「整列して集まる」
なんていうことは決してない。
自然界での「集り」は、
けっこう不均質なものだ。

物理の授業のような言葉を使うなら、
空間における散らばり方に偏りが生じて
「密」な部分と「粗」の部分が
生まれるだけです。

昔の人が「むら」と呼んだのは、
そういう集まり方なのです。

したがって「むら」という言葉は、
濃さなどが「均一でない」
という意味も持ちます。

むらっ気」「仕事にむらがある
などというときの「むら」です。

なるほど、「むらがる」にも
「均質」な感じはない。

 

では、「むら」と対になる
「まち」のほうは
どんなことに由来する言葉なのだろう?

「まち」

「まち」という言葉は、もともと
「区切られた一区画」を意味しました。

区切るのは人間であり、そこには、
土地を均等に分ける、あるいは、
使いやすい形状にする、
という意思が働くので、
多くの場合、区画の形は四角形。

その結果「四角く区分された場所」が
「まち」
と呼ばれるようになりました。

最近はあまり耳にしませんが、
区画した田んぼも「まち」であり、
全国に「まちだ」や「たまち」
という地名があるのはこのためです。

「まち田」「田まち」か。

 人の住居に目を向けるなら、
大昔の人家は自然に集まって
「むら」を作っていたけれど、
やがて有力な支配者が現れると、
人々を自分の館の周りに集め、
区画した土地に住まわせるようになって、
ここから現在の
「まち」が生まれたわけです。

ちなみに、一つ一つの区画の違いに
注目する言葉が「まちまち」。

衣服やバッグなどの「まち」も、
四角い当て布のことで、
語源は同じらしい。

最初の「むら」と「まち」を
並べてみるとおもしろい。

つまり、
むら」は自然の一部である
人間が作る自然な「密」の状態であり、

まち」は理性を持つ人間だけが
作ることのできる合理的な「区画」です。

「村」と「町」。
自治体としての「村」や「町」しか知らず、
人口の差くらいしか
イメージできなかったころに比べると、
ずいぶん違った角度から
その違いが見えてくる気がする。

 

 

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2017年2月19日 (日)

言葉の由来を愛おしむ

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言葉の由来を愛おしむ

- 道の「み」はいったい何? -

 

ベストセラー
「日本の大和言葉を美しく話す」
東邦出版


の著者、高橋こうじさんの新刊

「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版

が書店に並んでいる。

副題には
「語源が伝える日本人の心」
とあるが、
「語源」を中心とした学術書ではない。

もちろん語源に関する蘊蓄は満載だが、
そういった情報自体がメインではなく、
言葉の由来を考えながら、
言葉を生み、語り継いできた日本人の心に
思いを馳せてみようという、
ある意味言葉に関する
エッセイ集とも言える内容になっている。

「へぇ」と同時に
「この言葉って、
 もしかしたら**かも?」といった
疑問や関心が心に浮かぶようになれば、
それまでなにげなく使っていた言葉が
急に「愛おしく」なってくるものだ。

そんな中から、いくつか紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「しおり」

 しおりとは、
読みかけの本をいったん閉じるときに
「ここまで読んだ」
という目印として、はさむ紙片

でも、遠足などで主催者が皆に配る、
日程や注意事項などを記した
数ページの冊子もしおりと呼びます。

たしかにどちらも「しおり」だし
どちらもよく使う言葉だ。

指しているものは全く違うのに、
同じ言葉
。さてどうしてだろう?

辞書で「しおり」を引くと、
まず書いてあったのが

「山や森を進む際に、
 迷わぬための目印として
 通った道の木の枝などを
 折っておくこと」

という説明です。古くは、
そうやって自分で道しるべを作ることを

枝(し)折(お)る

と言い、
その名詞形が「しおり」なのです。

なるほど、
「迷わぬための目印」
が「枝折る」だったわけだ。

このキーワードがあれば、
一見関係なさそうな
最初の二者が結びつく。

 だから、大昔の人にとって
「しおり」とは何だったかを説明せよ、
という課題を出されたならば、

あとで迷わぬよう自分でつける印

という答えも正解であり、

山などを歩く際に手引きとなるもの

という答えも正解。

前者が本のしおりで、
後者が冊子のしおりになったようだ。

 

「日なた」

 日本語には「なた」という
接尾語があります。

 突然「なた」と言われても
困惑なさるでしょうが、
たとえば「かなた」。

漢字で書くなら「彼方」で、
「か」は「遠く」、
「なた」は「方向」という意味です。

同じ「なた」の前に
「そ」がつくと「そなた」、
「あ」がつくと「あなた」、
「ど」がつくと「どなた」。

私たちにとっては
どれも人についての代名詞ですが、
もともとは
「そちらのほう」
「あちらのほう」
「どちらのほう」という意味で、
時代が下るとともに、
人を指す代名詞に変化したと言われています。

時代劇では、
「こちらにいる人」を指す
こなた」という言葉も耳にする。

そんなふうに「なた」という語は、
私たちが情報をやりとりする際の
最も基本的な要素である
方向」や「人間」を指す代名詞を作る、
重要な接尾語です。

 ところが、
方向でも人間でもないのに、
この「なた」を
お尻にくっつけている言葉が一つ。

それが「日なた」です。

「日のあるほう」だから「日なた」。

理屈はその通りですが、
「かなた」や「どなた」のような
代名詞とはまったく性質の異なる、
具体的な状況についての言葉です。

こんな単語はほかにありません。

 なぜ、「日」だけに
こんな特別待遇が与えられたのでしょう。

むつかしいことはわからないが、
今の季節に聞かれれば、
自然に答えられる気がする。

本文ではこんな言葉を使っていた。

 電燈も暖房器具もなかった時代の
「日なた」は、
私たちが思う以上に幸せな場所、
天の恵みを感じる場所
だったのでしょう。

 

「道」

 大きな辞書で「道」を引くと、
意外な説明が記されています。

もともとは
 『ち』のみで道という意味
」。

そして「家路」「山路」といった言葉が
証拠として挙げられています。

これらの単語は、道を意味する「ち」と
「家」「山」という語が合わさったもの、
というのです。

では、「みち」の「み」は
いったいナンなのだろう?


下を読まず、しばしお考えあれ。

 

では、「みち」の「み」は何かというと
「敬意を表す接頭語」です。

すなわち、尊い人や神仏の心を
みこころ」、
その象徴である旗を
みはた」と呼ぶように、
「ち」に「み」をつけて「みち」。

つまり、大昔の人々にとって、
自分たちが歩く筋状の土地は
「ち」だったけれど、
敬意を払って「みち」と呼んでいた
というのです。

私たちの祖先が、
道に敬意を払う理由?

詳しい説明は本文にゆずるが、
でも、そこにある道に、
そこに存在している道に
思わず敬意を払いたくなるような、
ありがたみに感謝を禁じ得ない情景は
大昔の日本に思いを巡らせなくても、
つい最近のニュース映像ででも
何度も目にしている気がする。


私たちも大事な人や神仏との
「縁」を話題にするときは、
必ず「ご」をつけて
「ありがたいご縁
「嬉しいご縁
などと言いますが、
昔の人々にとって「みち」は
そういう言葉だったのです。

「ようやく物資が
 届けられるようになりました」
のコメントと共に映るときの道。

通るものは時代と共に変わっても、
道が果たす役割への敬意は、
よぉく考えると今でも生きている。

 

 

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2017年2月12日 (日)

NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」

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NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」

- 肉体の芸術ってつらいね -

 

NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」
~時代錯誤冬幽霊~
(じだいあやまってふゆのゆうれい)
を観てきた。

1702_ashiato

主演は、同じNODA・MAPの作品
「透明人間の蒸気」の演技を観て以来、
私の中では別格扱いになっている
一番楽しみな女優・宮沢りえさん。

他にも、妻夫木聡さん、古田新太さん、
鈴木杏さん、池谷のぶえさん、
佐藤隆太さん、中村扇雀さんら、
ワクワクする役者さんがいっぱい。

NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」
でも書いた通り、
事前情報の流出に
いつもは厳しい野田さんが、
今回の公演については、自ら自筆の文章で、
こんなメッセージを発信している。
(以下水色部、公演パンフレットの
 野田さん自筆部分からの引用)

舞台は江戸時代です。
作品は、中村勘三郎へのオマージュです。

彼から、最後の病床で
「俺が治ったら、この姿
 (医療器具でかんじからめの彼の姿)を
 舞台にしてよ」と言われた。

それを、彼の遺言とも思っていないし、
彼は冗談半分のつもりだったように
思うのだけれども、ずっと気になっていた。

今年の十二月五日で、
彼が逝ってから、四年になります。

「あの姿」を書こうとは思わないけれども、
彼の葬式の時に、
坂東三津五郎が弔事で語ったコトバ、

「肉体の芸術ってつらいね、
 死んだら何も残らないんだものな」


が私の脳裏に残り続けています。

同じ歌舞伎の世界で生きる
三津五郎さんのコトバだからこそ
力がある。

その三津五郎も、
後を追うように他界してしまいました。
あれから

肉体を使う芸術、
 残ることのない形態の芸術


について、いつか書いてみたいと
思い続けていました。

もちろん作品の中に、
勘三郎や三津五郎が
出てくるわけではありませんが、

「肉体の芸術にささげた彼ら」のそばに、
わずかな間ですが、
いることができた人間として、
その「思い」を
作品にしてみようと思っています。

劇場の情報誌
「芸劇BUZZ」vol.18 2017にも
インタビュー記事が出ていて
三津五郎さんのコトバについて聞かれ
野田さんは、
以下のようなコメントをしている。

「なるほど、上手いこと言うな」と。
自分は書くという仕事があるから
まだ残るけれど、
彼らはそういう仕事なんだなあと
改めて感じました。

 今は(舞台も)映像で残せますが、
それが余計にいやなんです


映像に上手く残せる人と
本当に上手い人はまったく違うんですよ。
そして、上手く残せることに
長けている人が上手いふうに
残るじゃないですか。

こっちがいくら

「そんなんじゃないよ、
 ビデオでは良く残っていないけど、
 この人のほうが全然すごいんだよ

と言っても、
当のすごい人が死んでしまっていたら、
そのままになってしまう。

「基本的に、映像は別物」
とよく言っている野田さんの映像感だ。

勘三郎の、こういう言い方は
誤解を生むかもしれないけれど、
下品なアドリブをビデオで撮っても
つまらないと思うんですよ。

落語家の先代の林家三平さんが
持っていたようなサービス精神に近い、
目の前にいる人たちの
空気を温めさえすれば、
まずはいいんだという迫力


芸術家ではなく
芸能人(げいのうびと)の精神を持っていて、
そこから発せられる言葉ですよね。

あれをビデオに撮って残してねと言っても、
その場に生まれた温かみ
-ばかばかしさも含めて-や
客席とのやり取りの空気は
映るはずがない


そういうことをはじめとして、
不満なんです。

その人たちが生でやったものが
映っていない映像が
本物だと思われることは・・・


「足跡姫」は
そういう話ではありませんけど、
舞台をやり続ける限りは
そのことは常に
言っていきたい
と思っています。

NODA・MAP 第18回公演「MIWA」にも書いたが、
野田さんの舞台を観ると、
「生」でこそ、の魅力が溢れていて、
「映像では残せない」を
ほんとうに実感できる。

なので、直接舞台を観た人には
野田さんの思いは
通じていると思うのだが。

 

で、「足跡姫」。
三、四代目出雲阿国が宮沢りえ。
彼女とその弟サルワカ(妻夫木聡)を
中心とする女歌舞伎一座の顛末と
由井正雪をからめた
江戸時代を舞台にした物語。

大岡越前戯の守忠相兵衛
(おおおかえっちぜんぎのかみ
 ただすけべえ)
なんていう
ふざけた名前の登場人物がいたり、

 あの一座は脱いでいるのではなくて、
 偶々(たまたま)はだけている、
 裸じゃない、ハダケです。

とか、

 そう思うと、あたし近頃、
 股に、手で、ブルーになっちゃう。
 『股に手でブルー!』

とか、例によって
台詞の言葉遊びも健在だ。

一方で、

 三、四代目出雲阿国:
  でも、声がなくなってからも、
  病の床で母さんは唇を動かした。

  母のコトバは、
  やがて母の音になった。

  母音という母の音
  おえあええ、あえっえいあ。
  それだけで喋っていた。

 サルワカ:
  母の音は、最後になんて言った?

 三、四代目出雲阿国:
  い、い、あ、い。

 サルワカ:
  い、い、あ、い?

 三、四代目出雲阿国:
  その母の音は子供の耳に入ると、
  子供の音、子音になって聞こえた


 サルワカ:
  姉さんの耳には、母の音は、
  どんな子供の音になって
  聞こえたんだ?

 三、四代目出雲阿国:
  い、い、あ、いは、
  『死、に、た、い』
  そう聞こえた。

それが弟のサルワカには
『生きたい』に聞こえた、
というエピソードなど、
深みのあるネタには
姉弟を実にうまく使っている。

最後、
芝居と幕、肉体と筋を絡めて、
サルワカの長台詞がみごとに
混乱した物語を締めている。

「その場に生まれた温かみ
 -ばかばかしさも含めて-」
を、ぜひ、生の舞台で。
お薦め。

 

 

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2017年2月 5日 (日)

オランダ政府からのメッセージ

(全体の目次はこちら


オランダ政府からのメッセージ

- America Firstなら -

 

すでに1700万回も再生されているから、
ご存知の方も多いと思うが、
オランダが作った
「歓迎、米トランプ大統領」のビデオが
あまりにもよくできているので、
記録も兼ねて、ここに紹介しておきたい。

オランダ語の最初のコメントも含めて
全編英語字幕付き。
<再生>したらそのまま読めるよう
サイズをちょっと大きめに。

字幕があっても英語はちょっと、
という方も心配ご無用。
映像だけでもぜひ一度ご覧あれ。
作りがいいので、日本語訳はなくても
メッセージは伝わるはず。

 

このビデオ、タイトルにも

 The Netherlands welcomes Trump
 in his own words

とあるように、まさに「自分の言葉」で
歓迎の意を表している3分半の作品だが、
自慢あり、皮肉あり、批判あり、で
ほんとうに楽しめる。

まずはともあれ作品をどうぞ。

最初から大袈裟かつ大まじめ。

 This is a message from
 the government of the Netherlands.

 これはオランダ政府からのメッセージです。

でもそのまじめさが、
すでにおかしさを予感させる。
いきなりトランプ口調だし。

(1) William of Orange
オランダ建国の歴史から話が始まるのは
いかにも欧州の国らしい。
80年も争った戦争相手のスペイン人のことを
さんざんひどく言っておきながら、

 They're all dead now by the way.

 今は全員死んでいるけれどね。

とサラリとかわしている。

(2) オランダ語
「オランダ語は欧州で最高の言語だ」を
オランダ自身が言うのはいいとしても、
total disaster(大失敗)だとか、
fake(偽物)だとか、
トランプ氏が使った言葉を、
デンマーク語やドイツ語に向けて
もう言いたい放題。

欧州内では互いの言語を
この程度のジョークでなら
言い合うことがあるのだろうか。

(3) Pony Park
最後の部分

 you can grab 'em by the pony

で笑い声が入っているのは、
この文そのものの意味ではなく、
大統領選挙期間中に暴露された
トランプ氏の超下品な会話

 Grab them by the p***y

をイメージさせるからだろう。

(4) Afsluitdijk(アフシュライトダイク)
  締め切り大堤防

オランダが世界に誇る世界最大の堤防を
メキシコとの壁にたとえてのこの話。

「月からも見える」大西洋を挟みながらも、

 from all the water from Mexico.

 メキシコからの
 すべての水から我々を守るために、

と、奔放なセリフのスケール感に
頭がついていかない。
実際、長さ32km、幅90m、もある
堤防としては本当に巨大なもののようだが。

(5) Lee Towers
「トランプ・タワー」と「リー・タワー」
Leeさんのほうは
1946年生まれのオランダの歌手。
YouTubeでちょっと聞いてみよう。

確かにいい声だ。

(6) ミニチュア・タウン
Madurodamという
ミニチュアタウンを紹介しておいて、

 The squares are so small

 広場はとっても狭いので

それを埋めるのに
たくさんの人は必要ないよ、と。

(7) Black Pete
12月、聖二コラウスの日に行われる
伝統行事らしい。

伝統行事ながら、
英語版のWikipediaによると、
ニコラウスの仲間Black Peteについての
黒い顔に赤い口紅といった化粧は、
近年オランダでも人種差別的な側面から
論争の対象にもなっているようだ。

(8) 足が不自由な政治家
これまた、
大統領選挙期間中に問題となった
トランプ氏の障碍者の真似を
皮肉ったもの。

選挙期間中に報道されていた
見るに堪えない
トランプ氏の真似映像を思い出すと、
Klijnsma氏の、穏やかな笑顔と
議場での毅然とした姿が、
対照的に気高く、美しく見える。

(9) 脱税システム
脱税の仕組みがあるよ、と言ったうえで、

 You should tell your sons
 to put all your...
 sorry, their businesses here.

 あなたの息子さんたちにあなたの
 失礼、彼らのビジネスをここに

とのわざとらしい言い間違いで、
「あなたの」を強く印象付けている。

(10) そして最後はコレ!
America Firstなら

 The Netherlands second?

やられた!という決め台詞。
噴出さずにはいられない。

 

それにしても、全編
It's great. It's true.
を繰り返しながら
トランプ氏の口調自体を
完全におちょくっている。

オランダのことを
ちゃんと紹介しながらも
笑いあり、批判ありで
メッセージ性もバッチリ。

しかも、
全体が安っぽい作りになっておらず、
仕上がりは極めて上質。


くやしいけれど、残念だけれど、
日本がほんとうに不得意な分野だと思う。

 

 

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