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2016年11月

2016年11月27日 (日)

44年目の「傘がない」

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44年目の「傘がない」

- 君に逢いたい切なさではなく -

 

2016年11月23日、
井上陽水の歌の世界を読み解く特別番組

『ミュージック ドキュメント 
 井上陽水×ロバート キャンベル
 「言の葉の海に漕ぎ出して」』


というラジオ番組をTOKYO FMで聴いた。

 

名曲「少年時代」の冒頭の歌詞

少年時代 
     作詞 井上陽水

夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれにさまよう
青空に残された私の心は夏模様
・・・

陽水さんは

「『風あざみ』ってあるのかなぁ、と思ったけれど、
 『オニアザミ』があるから
 『風あざみ』くらいあるだろう、と。

 まぁ、でも、もし なくたっていいや

そんな自覚まではあって、
この詩を作ったことを告白。

ところが、キャンベルさんがこの詩で指摘したのは

あざみは
 秋の季語ではなく、春の季語

の部分だったとか。

そんな二人のやりとりで番組は始まった。

 

療養期間がきっかけで、キャンベルさんは、
昔から聞いていた陽水さんの詩の英訳にトライ。
その際、気になった部分を
ご本人に確認してみようという、
訳者からすると贅沢な番組だ。

とは言え、
陽水さんの曲をご存知の方はよくわかると思うが、
彼の詩は、日本語でも意味不明な部分が多い。
簡単に英語にできるとは思えない。

しかも、英語にしようとすると、
主語や人称や時制がずいぶん気になるようだ。

質問するほうも、答えるほうも
「無粋(ぶすい)」という言葉を繰り返していたし、
明言を避けていたのはさすがだと思うが、
不明な部分は不明のまま、
たとえ間違っていても勝手に味わえばいい気がする。

 

そんな中、言葉の問題ではなく、
歌う際の感情移入に関して、陽水さんが
ちょっと興味深いことを言っていたので、
その部分だけ紹介したい。

まずは、1972年、今から44年前のヒット曲
「傘がない」をちょっと聴いてみよう。

傘がない 
     作詞・作曲 井上陽水


都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ君に逢いにいかなくちゃ
君の町に行かなくちゃ雨にぬれ
・・・

(声が若い! はともかく)
このあと曲の中では、
「行かなくちゃ君に逢いにいかなくちゃ」が
何度も何度も繰り返される。

さて、ご本人、この曲を
どんな思いで歌っているのだろう。

「逢いたい」ことへの強烈な思い。そして
それがすぐには実現できないことのもどかしさ?

ちょっと違うようだ。

 

いちばんね、歌ってて
自分で感情移入しやすい感じっていうのは、
その「傘がない」で言えば、
君に逢いたいンだ、逢いたいンだ、っていう
切なさよりも、
もうちょっとこう、そういう具体的な
「恋い焦がれて」
とかいうようなことではなくて

もうちょっと、
「いやぁ、人間として生まれるとこうなの?」
っていう大きな感じのほうが
感情移入しやすいンですよね。

うーーん、さすが陽水さん。
そんな思いを「傘がない」で表現していたなんて。
でも、言われてみるとわかる気もする。

「何を言いたいのかはわからないけれど、
 伝えたいことは伝わってくる」

古くから繰り返し聞いている曲と共に
そんな不思議な感じに包まれた瞬間だった。

 

 

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2016年11月20日 (日)

「人生、宇宙、すべての答え」

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「人生、宇宙、すべての答え」

- 映画「銀河ヒッチハイク・ガイド」 -

 

「宇宙」という言葉関連で
音楽に関するコレと、
小説に関するコレを書いたが、
映画についてもひとつ書いておきたい。

「宇宙」と聞くと最初に浮かぶ
「2001年宇宙の旅」についても
書きたいことはいろいろあるのだが、
今日紹介するのは、

「銀河ヒッチハイク・ガイド」

ガース・ジェニングス監督による
2005年の映画だ。

とにかく奇想天外なSFコメディで、
内容を要領よく紹介すること自体むつかしいのだが、
イギリス的な笑いが好きな人には絶対にお薦めだ。

(以下水色部、DVD版 日本語字幕から)

イルカは昔から地球の破滅を知っていた
彼らは人間に警告したが-
いつも誤解された

ボールを突くのはエサのためだと・・・

で映画は始まる。

イルカが宙返りやジャンプをしていたのは、
実は芸ではなく、
人間に対してある警告を発するためだった。

おろかな人間はそれを理解できず、
芸と勘違いしてえさをやっていた、
というのだ。

その後も、宇宙を舞台に
壮大なテーマが次々と飛び出すのだが、
どれもシュールな笑いをともなっていて
目が離せない。

 

例えば「拷問」のシーン。

縛り付けられて、
「下手な詩の朗読を聞かされる」が
この映画での「拷問」。
イギリス人には、
日本人以上にウケていることだろう。

 

そんな中、特に有名なのが、
ある「問い」とその「答え」。

究極の問い 

”生命 宇宙 そのすべて”

答えが知りたいのです
明快な答えが

問われたスーパーコンピュータ、
ディープ・ソートは750万年かけて計算し
答えを導きだす。

究極の問いに答えます

”生命 宇宙 そのすべて”の答え

それは・・・
”42”です

この部分、原文では
 the Answer to the Ultimate Question of
 Life, the Universe, and Everything
となっている。
「生命、宇宙、そして万物についての」
 究極の疑問への解答。

それがただの42?
いったいどういう意味なのだろう。

ちなみに、Googleに
「人生、宇宙、すべての答え」と問いかけてみよう。

スーパーコンピュータで750万年かかった計算を、
Googleならあっと言う間にしてくれる(!?)。

答えはもちろん・・。

さすがGoogle。よくわかっていらっしゃる。

 

痛烈な文明批判とパロディを交えて
話はテンポよく展開していく。

なんという発想力。なんという構成力。

宇宙にバイパスを作るのに地球が邪魔だの、
地球全体のバックアップだの、
話は大きいのに、笑いは細かいし、
とにかく突っ込みどころ満載。

キャラクタの着ぐるみの暖かさも
CGとは違って味があってすごくいい。

だれにでもお薦め、というわけではないが、
個人的には、繰り返し観て
見落としていた部分をいろいろ発見したくなる
傑作だと思っている。

ドタバタコメディとは違った
笑いながら頭が疲れる快感、を楽しめる一本だ。

 

 

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2016年11月13日 (日)

学ぶことの美しさと強さ

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学ぶことの美しさと強さ

- 「蒼穹の昴」の名シーン -

 

前々回、「宇宙」のことを少し紹介した。

『淮南子(えなんじ)』には
「往古来今これを宙といい、
 四方上下これを宇という」
とある。

つまり、
「宇」は空間を、
「宙」は時間を 意味しており、

宇宙ということばには、
空間と時間という
ふたつの概念が含まれている
、という話だった。

「宇宙」の文字を見て、
ある小説の一シーンを思い出した。

 

浅田次郎著「蒼穹の昴」講談社
(文庫版の第一巻と、単行本の上巻へのリンク)

「語ったものが物語になるのではない,
 ものを語るから物語なのだ」

と言っていたのは、
確か作家の池澤夏樹さんだったと思うが、
この小説、フィクションながら
まさにすでにあったものを語っているような
「これぞ物語!」と呼びたくなる傑作だ。

清末期の中国を舞台に
目の離せない物語が展開していく。

単行本で二段組上下巻、
その後文庫になっても4巻組という長編だが、
読み始めたら長さは全く感じない。

ほんとうにすばらしい小説だ。

もちろん、大きなテーマもおもしろいのだが、
小さなエピソードも光っている。

その中に、
「宇宙」が登場する印象深いエピソードがある。
今日はその部分を紹介したい。
(以下水色部、本からの引用)

 

謀反を企てた超エリート「王逸」は
失敗して囚われの身となっていた。

財産も地位もすべてを失い、
独房でただ処刑だけを待つ日々。

そんな絶望的な虜囚(りょしゅう)の
食事や身の回りの世話をしてくれたのは、
「小梅」という
耳の不自由な12,3歳の村娘だった。

 何日かに一度、小梅は
鍵束を持った老頭児の憲兵とともにやって来て、
房内の掃除をしてくれた。
日なたの匂いのする清潔な衣服に着替えさせ、
糞瓶も洗ってくれるのだった。

 与える物の何もないことが申しわけなくて
王逸は小さな掌を握った。

すると小梅は、
まったくもったいないというふうに
体を硬くするのだった。

 与える物があることに気付いたのは、
いつのことだったろう。

すべてを奪われた王逸には、
たったひとつだけ、
誰にも奪うことのできぬ財産があったのだ

科挙合格を目指して、
まさに死にもの狂いで勉強をしてきた日々。
自分には学問がある。

そう気づいた彼は、
小梅にこっそり文字や詩を教え始めるのだった。

 食事をおえると、
二人は檻を挟んで箸を一本ずつ分かち合う

「さあ、書いてごらん」

 ゆっくりと噛んで含めるように言うと、
小梅はカいっぱい肯いて箸を動かした。

湿った土に「可」「知」「礼」「也」と、
たどたどしい文字を書く。

・・・(略)

「よろしい。じゃあ、
 今までのおさらいを、しよう。
 いいかね、初めから、書いてごらん」

 聞き終らぬうちに小梅は、
食事のたびにひとつずつ覚えた
二十五字の簡単な文字を、
箸の先で書き始めた。

筆順を違(たが)えているものは多いが、
王逸はとがめたりはしない。

わずかな日々のうちに、
音を知らぬ少女は
正確な二十五の文字を覚えた

鉄格子を挟んでの、
土間をノートにした小さな小さな授業。

  土間に書きつらねた
最後の一行を箸の先で示して、
王逸はゆっくりと唇を動かした。

「意味は、わかるかね。

  よ じん な      べ なり
 『佳く仁を 作せ、礼を知る可き也 』」

小梅は何度も肯いた。
両手を胸にあてておそらく「仁」を表現し、
片膝を立てて「礼」を尽くすそぶりをした。

 どうしてわかるのだろう。

音もなく、文字も知らずに育った小梅は
「仁」を知っている。

 掌で土間の文字をあわただしく消すと、
小梅は小さな獣のようにうめきながら、
王逸の手にした箸を指さした。

続きをせがんでいる

学ぶことの楽しさとすばらしさに目覚めた小梅。
この二人の、
勉強のシーンの美しいこと、美しいこと。

学びたくてしょうがないという小梅の衝動が痛い。

あぁ、勉強するって、学ぶことって、
本来はこんなにすばらしいことなんだ、
と思わず声に出してしまいたくなるほど。

 

「可知礼也」を覚えた小梅が次に覚えるもの。
それが・・・

 初めて筆を執った子供は、
まず「上大人」に始まり、
「可知礼也」を以て終る二十五字の
単純な文字を習得する。

科挙のきわみに通じる文字の洪水の中に、
そうして舟を漕ぎ出して行く。

次に与えられる手本は、
四字二百五十句からなる「千字文」である。

子供らは長い時間をかけて、
ひとつの重複もないその壮大な韻文を覚える。

「天」と冒頭の一字を書いて、
王逸は少しためらった。

小梅に千字文を教えるだけの命は、
自分に残されてはいまい


 王逸と小梅は鉄格子を挟んで、
まるで手習いをする教師と生徒のように
膝を並べた。

 天地玄黄
   天は玄(くろ)く  地は黄いろ

 宇宙洪荒
   宇宙は洪(ひろ)く 荒(はて)しない


 小梅は目を輝かせて、
急に難しくなった文字を懸命に真似た。

王逸は、小梅の黒髪などを指しながら、
身振り、手振りで、
天地玄(黒)黄を必死で説明していく。

ところが・・・

 しかし- 
「宇宙」を説明することは
どうしてもできなかった

それは「空」でも「天」でもなかった。

自分たちを今、包摂する巨大な空間。
無限の概念。

身ぶり手ぶりで王逸がどう説明しようと、
小梅か考えつくものは、
広漠たる河北の大地でしかなかった。

 どうすればこの貧しい少女に
宇宙のありようを、曠野の地平の先に
豊饒な海や草原や都市のあることを、
悟らせることができるのだろう。

小梅は世界が、
泥濘(でいねい)と黄砂と氷とででき上がった、
不毛の大地でしかないと思いこんでいる。

 虚しい努力を繰り返しながら、
結局この娘は神の与え給うた
美しい自然のありようすら知らぬのだと
思いついたとき、王逸の胸は
やり場のない悲しみでいっぱいになった。

 

宇宙の説明はできなかったが、
王逸は最大限のメッセージを小梅に送った。

「対不起・・・すまない、小梅。
 この字はとても難しいんだ。
 君に、伝えることは、できない」

 小梅は悲しい瞳で、
意味不明の「宇宙」を見つめ続けていた。

・・・(略)

「わからなくてもいい。
 帰って、おさらいをしなさい。

 宇宙は洪(ひろ)く、荒(はて)しない。

 君は希望に満ちた宇宙の中に
 生きているんだ


 いいかね、小梅 - 」

 王逸は立ち上がって、両手を広げ、
大気を胸いっぱいに呼吸するそぶりをした


うちひしがれた小梅の肩を抱く。

夢。希望。永遠。
 君の不幸は、洪荒たる大宇宙の中の、
 ほんのささいな、
 とるに足らぬ悲しみにすぎない

 わかってくれ、小梅」

 小海は目に涙すらうかべて顎を横に振り、
声もなくうなだれて去って行った。

 天地玄黄 宇宙洪荒

 王逸はその夜、
祈るように千字文の冒頭の句を、
土間になぞり続けた。

 

充分な説明ができなったにもかかわらず、
翌日、小梅はこんな言葉を口にした。

牢の外に屈(かが)みこみ、
王逸を手招いて土に字を書く。

「宇宙」と、
おそらく読み方も知らぬ字を、
小梅は正確に書いてにこりと笑った。

「先生・・・我・知・道・了。
 あたし、これ、わかったよ

 荷物を鉄格子の中に押しこむと、
小梅は立ち上がって、
きのう王逸がそうしたように
両手を天に向かって上げ、
大気を胸いっぱいに呼吸するそぶりをした。

「全部のことね。ずうっと、ずうっと」


 王逸は肯いて、
まさしく宇宙の一点に立ち上がった
少女の体を見上げた。

小梅はまる一晩、
「宇宙」の文字を書き続けたに違いなかった。
表情は希望に溢れていた。

「そうだよ、小梅
 ・・・宇宙は広く果てしない。
 君は、無限の宇宙の中にいる」

「宇宙がわかった」と言った小梅は、
このあと、思ってもみなかったような、
とんでもない行動に出る。

・・・ここにいたら君は殺される」

(略)・・・をしたことが知れれば、
家族まで皆殺しになる。

いきり立つ兵士たちにとって、
農民の命など虫けらと同じだ。

賢い小梅がこの先、
自分と自分の家族にふりかかる
確実な運命を知らぬはずはなかった。

戸惑い、驚きながらも、
その行動を止めきれぬ王逸。

自分の命を、一族の命を賭して、
小梅は叫ぶ。

「宇・宙! あたしのもの! 
 ずうっと、ずうっと!」

 いま生れ落ちた赤児のように、
小梅ははろばろと瞳をめぐらせた。

小梅の行動により、
「独房でただ処刑だけを待つ日々」が
大きく動き出す。

浅田さんは、節の最後を
こんな疑問文で締めている。

少女が命とひきかえたもの、
それは何だろう -。

ところが、
そこまでを読んでいる読者のほうには、
「それは何か」が痛いほど伝わってくる。

命を賭けて、一族の命を賭けて
なぜ彼女がそんなことをしたのか、
美しい勉強のシーンと共に、
ぜひ原文で味わっていただきたい。

 

 

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2016年11月 6日 (日)

打席のピッチャーへ

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打席のピッチャーへ

- 球種に込められたメッセージ -

 

今年2016年のプロ野球・日本シリーズは
日本ハムの10年ぶりの日本一で終わった。

翌日の新聞には
 「41歳黒田 8球のメッセージ」
なる見出しでこんな記事があった。

A161030kuroda

(以下水色部、
 朝日新聞2016年10月30日の記事からの引用)

  投手と打者の「二刀流」を極めようとする
日本ハムの大谷翔平選手と、
現役引退を表明して臨んだ広島・黒田博樹投手。

22歳と41歳には、
言葉を交わさない野球のプレーを通しての
会話
があった。

「プレーを通しての会話」
どんな会話があったのだろう。


直接対戦したのは札幌ドームでの第3戦。

黒田が先発、大谷が3番・指名打者だった。

 3打席、計8球。二塁打2本を放った大谷には
安打よりうれしかったことがある。

ほぼ全球種、打席で見られた。
 間合いだったり、ボールの軌道だったり

 勉強になりました」。

2人だけの空間で繰り広げられた駆け引きを、
すがすがしい表情で振り返った。

黒田投手は、大谷選手に、
ほぼ全部の球種を披露していたのだ。

大リーグを目標に据える大谷選手にとって、
ドジャース、ヤンキースで
5年連続2桁勝利を挙げた黒田投手の球を
打席から見られる貴重なチャンス。

二度とない機会への期待に、大先輩は応え、
後輩はそのメッセージを受け取った。

いい話だ。

真剣勝負の中、
ピッチャー同士だからこそ伝わるメッセージ。

 

2010年5月15日の交流戦、
広島-日本ハム(マツダ)。

広島は当時22歳の前田健太(現ドジャース)、
日本ハムは同じく
23歳のダルビッシュ有(現レンジヤーズ)が
先発した。

セ・リーグの本拠で指名打者制はなく、
お互いが打席に立った。

ダルビッシュは当時、
「(前田が)どんな球を投げるのか
 興味があった。
 相手も僕の球を楽しみにしていたと思うので、
 ほとんど全部の球種を投げた
」と明かしている。

この日のことは
 「ダルからマエケンへ『10球』メッセージ」
なる見出しで、
高山通史記者が記事を書いている。
(以下薄緑色部、日刊スポーツの記事からの引用)

ダルビッシュは3歳年下、
同じ両リーグを代表する本格派右腕へ
「10球」のメッセージを送っていた。

試合後に
向こうも興味あると思うので、
 いろいろな球を投げた
」と明かした。

その試合で、打者の前田健とは3打席対戦。
通常、
右打者を攻める球種をほとんど選択したという。

日本No.1右腕と呼ばれる自分の手の内を見せ、
今後の成長へつなげてほしい-。

先輩としての粋な思いが込められていた。

もちろん打席に立つ前田選手も

「いつもは打ってやろうと思って
 打席に入るんですけれど、
 どんなボールを投げるのか
 見てみたいと思っていた
」。

とダルビッシュ投手が想像していた通り。

 

 黒田が投げた球種には、
大谷が今、投げていないものがある。

大リーグで主流の、
打者の手元でわずかに変化するツーシームや
カットボールだ。

「いつか必要になったときに、
 参考にできる軌道があるのとないのとでは違う。
 今後に生きてくれば」と大谷。

残像を頼りに、黒田の後を追う

「2人だけの空間で繰り広げられた駆け引き」が
大谷選手に確かな「残像」を残したのなら、
それらが将来生きてきたとき、一番うれしいのは、
大谷選手自身ではなく黒田選手なのかもしれない。

 

 

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