ソングライン
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ソングライン
- 歌は地図、大地は楽譜 -
2016年10月5日の朝日新聞夕刊。
池澤夏樹さんが
コラム「終わりと始まり」に
「アポリジニの芸術
人と土地をつなぐ神話」
なる文章を書いているが、
その中に、
「ソングライン」という言葉が出てくる。
(以下緑色部、記事からの引用)
生きてきた人たちがいる。
オーストラリアのアポリジニ(先住民)。
彼らは速い昔にあの大陸に渡り、
その後は地殻変動で他の地域から隔離されたまま、
延々と世代を重ねてきた。
雨が少ない土地なので農耕はむずかしい。
狩猟採集で生きることになるけれども、
密度が薄いので移動を続けなければ
充分な食料が得られない。
オーストラリアには馬やラクダやリャマのような
駄獣がいなかったので、
人は持てるだけのものを持って旅を続けた。
都市とも文明とも無縁な歴史。
その代わりにかどうか、
彼らはとても精緻で壮大な神話体系を作り上げた。
世界解釈としての神話である。
世界は遠い過去に創造されたのではなく、
人間の動きと共に今も創造されつつあり、
それは未来へも続く。
大事なのは人間と土地との絆だ。
すべての土地に固有の神話があって、
人間はいわばそれを鋤(す)き返しながら旅をする。
そのルートは歌で記憶されるから
ソングラインと呼ばれる。
「ソングライン」、歌の道、
なんとも惹きつけられる言葉だ。
この言葉を初めて知ったのは、
ブルース・チャトウィンが書いた、
「ソングライン」という本だった。
(今は、北田絵里子訳で復刊されているようだが、
以下水色部は、右側の芹沢真理子訳からの引用)
「ソングライン」
単語の訳は簡単だが、
そもそも歌の道とは何なのだろう?
迷路のような目に見えない道のことを知ったのは、
アルカディが教師になってからのことだった。
ヨーロッパ人はそれを"夢の道"
あるいは"ソングライン"と呼んだ。
アポリジニにとって、
それは"先祖の足跡"であり"法の道"であった。
アポリジニの天地創造の神話には
さまざまな伝説のトーテム
(未開の部族集団が
血縁関係が有る祖先として信仰する自然物、
あるいは記号。動植物が多い。)
が登場する。
彼らは旅の途中に出会ったあらゆるもの、
鳥やけものや植物や岩や温泉の名前を歌いながら、
そしてそうすることで
世界の存在を歌に歌いながら、
"夢の時代"、この大陸をさまよったのである。
その「ソングライン」を探しに行っている。
ソングラインとはいかなるものなのかを、
そしてそれがどのように機能しているのかを、
他人の書物からではなく、
自分のカで知るためだった。
明らかに、私はソングラインというものの核心に
近づいていなかったし、
またそうしようともしていなかった。
私はアデレードで、その筋の専門家を知らないかと
女友だちに声をかけた。
彼女はアルカディの電話番号を教えてくれた。
さて、見えてくるだろうか、ソングライン。
もう少し先を読んでみよう。
各トーテムの先祖がこの国を旅しながら、
どのようにして
その足跡に沿って歌詞と旋律の道を残し、
どのようにしてそれら"夢の道"が
遠く離れた部族との
コミュニケーションの"方法"として
大地に広がっていったのかを、説明した。
「歌が地図であり、方向探知器でもあった」
と彼は言った。
「歌を知っていれば、
いつでも道を見つけ出すことができた」
「それで"放浪生活"に出た人は
いつもそうしたソングラインの上を
歩いていたのかい?」
「昔はそうだった」彼は同意した。
「いまはみんな汽車や車で行く」
「もし、ソングラインをはずれたら?」
「他人の土地に侵入することになる。
そのために槍を持っていたのかもしれない」
「でもその道からはずれさえしなければ、
いつでも自分と同じ"夢"を共有する
仲間を見つけられたわけだね?
それは、つまり、兄弟かい?」
「そう」
「その人たちからは
もてなしを期待することができたのかい?」
「その逆もね」
「ということは歌はパスポートとか
食事券のようなものだな?」
「もう一度言うが、もっと複雑なものなんだ」
少なくとも理論上は、オーストラリア全土を
楽譜として読み取ることができた。
この国では歌に歌うことのできない、
あるいは歌われることのなかった
岩や小川はほとんどないのだ。
歌が地図であり、方向探知器。
歌うことと、
存在することの深い関係は、
考え方自体が新鮮だ。
大地の皮の下でひそかにつくられた
と信じていた。
それと同様に、白人の持ち込んだ道具
-航空機、銃、トヨタのランドクルーザー-
のすべて、
将来発明されるであろう品物のすべても、
そうだと信じていた。
それらは地面の下で眠っており、
呼び出されるのを待っているのだ。
「ひょっとしたら」私はふと思いついた。
「歌うことで、彼らは神が創造した世界に
鉄道を呼び戻すのかもしれないね」
「そのとおり」アルカディが言った。
地下で眠っていたものが、
歌によって呼び出され、存在することになる。
かならずソングラインに沿っている、
そうおっしゃるのですね?」
「取り引きルートがソングラインなのです」
フリンが言った。
「というのは、物ではなく歌が、
交換の主要媒体だからです。
物のやりとりは歌のやりとりに
付随して起こる結果なのです」
彼はつづけた。
白人が来る前は、
オーストラリアで土地をもたない者はいなかった。
誰もが、私有財産として一連の先祖の歌と、
その歌が通過する土地を受け継いだからだ。
歌の文句は土地の権利書だった。
それは他人に貸すこともできた。
そのお返しに歌の文句を借りることもできた。
やってはいけないことは、
それら歌の文句を売ったり捨てたりすることだった。
この本、紀行文のように読めるが、
訳者はあとがきで
「一見ノンフィクションの観を呈している」
と言っているので、ちょっと注意が必要だ。
紀行小説と言えば正しいのだろうか。
アポリジニの考え方に触れながら、
「ソングライン」をはじめ、
「遊牧民」「放浪」「定住」などについて
自由に思いを巡らしながら読むのがいい。
あらゆる歌が、部族や境界線に関係なく、
言語の壁を飛び越えることだ。
ある"夢の道"が北西部のブルーム付近から始まり、
20以上もの言語地域を通り抜け、
アデレード近くの海に達する
ということもあるのだ。
「それでもなお」と私は言った。
「それは同じ歌なのですね」
「われわれは」フリンは言った。
「歌を"味"や"匂い"で識別する、と言います。
もちろん、それは"旋律"という意味です。
最初の小節から最後の小節まで、
旋律はずっと同じなのです」
「歌詞は変わるが、メロディーはそのままなんだ」
とアルカディがふたたび口をはさんだ。
「ということは」私はたずねた。
「正しい旋律を口ずさむことができれば、
若者でも放浪生活に出て、
オーストラリアを横切る
自分の歌の道をたどることができた、
そういうことですか?」
「理論的には、そうです」フリンは同意した。
言葉は単純ながら、
簡単には理解しにくいソングライン。
別な本の記述も借りてしまおう。
浦久俊彦著「138億年の音楽史」
講談社現代新書
(以下薄紫部、本からの引用)
ひとつの大陸を歌によって
描こうとした民族にふれておきたい。
オーストラリアの先住民族アポリジニである。
彼らは、自分たちの世界で出会った
あらゆるものを歌にして歌ってきた。
ひとつの岩、川のせせらぎ、森の樹木など、
ひとつひとつに歌がある。
・・・
それはまるで、
大地そのものが楽譜であるかのようだ。
・・・
大地に存在するあらゆるものはランドマークとなり、
そのひとつひとつが歌として記憶され、
それを線のようにつないで歩めば、
必ず目的地にたどり着くことができたというのだ。
「ソングライン」と名付けられた、
オーストラリア大陸に
無数に張り巡らされた目にみえない歌の道。
この世界観のユニークなところは、
アポリジニの人々にとっては、
彼らによって歌われるまで世界は存在していなかった、
というところにある。
つまり、これは音楽による天地創造の物語なのだ。
命は歌によってかたちを与えられ、世界が創られる。
存在するとは知覚すること。
その知覚が、彼らにとっては歌うということだったのだ。
上記、チャトウィンの
「ソングライン」もこんな風に紹介されている。
語り部とともに旅をしながら、
オーストラリア全土に張り巡らされた
迷路のような歌の道の伝統が、
いまも人々に継承され、語り継がれていることを、
紀行小説『ソングライン』に描いた。
「先祖たちは歌いながら世界じゅうの道を歩いた。
川を、山脈を、塩湖を、砂丘を歌った。
狩り、食べ、愛を交わし、踊り、殺した。
歩いた跡には、音楽が残された」
(北田絵里子訳)。
ソングラインとは? という質問を繰り返しながら、
彼は、現代に受け継がれた
この伝説と生きる人々とともに、
アポリジニの先祖たちが刻んだ詩と旋律の
道の足跡をたどり続ける。
ここまで読んでも、
すっきりと「わかった」とは言い難い。
それでも、ソングラインの記述を通して見えてくる
アポリジニの世界観は、
歌によって世界を創造するというその世界観は、
音楽好きの私にとってはなんとも魅力的だ。
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