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2016年10月

2016年10月30日 (日)

宇宙が音楽か、音楽が宇宙か

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宇宙が音楽か、音楽が宇宙か

- 音楽は世界の調和を語るもの -

 

前回
オーストラリアの先住民アポリジニの
「ソングライン」という言葉について
少し書いた。

その際、引用した一冊が

浦久俊彦著「138億年の音楽史」
講談社現代新書

この本、世界中の音楽を
独自に選んだいくつかの観点から
大きく眺め直してみようという意欲作だ。

壮大なテーマを
小さな新書一冊に詰め込もうというのだから、
膨大な参考文献に支えられているとはいえ、
粗削りな面があることは否めない。

それでも、音楽を考える「視点」を
与えてくれている点は重要だ。

というわけで、その中から一部紹介したい。
(以下水色部、本からの引用)

東洋の音楽観に関する記述から。

漢字で書く「宇宙」の
「宇」は空間を、
「宙」は時間を
 意味している。

「宇宙」という語は、
中国の古典『淮南子(えなんじ)』の

「往古来今これを宙といい、
 四方上下これを宇という」(斉俗訓)

という部分に由来するといわれるが、
宇宙ということばには、時間と空間という
ふたつの概念が含まれている

時間と空間、
それはまさに音楽と結びついている。

 姿もかたちもない音でできた音楽が、
人の心を震わせ、目に見えるものを共鳴させる。

古代から人々は、
この不思議な音楽というもののなかに、
天と地と人の生きる空間すべてを把握できる
鍵が隠されている
と考えた。

宇宙が音楽か、音楽が宇宙か。

宇宙そのものが音楽であるという考えは、
東洋思想のなかにも深く浸透している。

 古代中国では、老子が、

人間の音楽を「人籟(じんらい)」、
自然の無数の音響が奏でる音楽を「地籟(ちらい)」、
天球の音楽を「天籟(てんらい)

と称し、
なかでも「天籟」を最高の地位においたことや、
紀元前四世紀の思想書『荘子』には、
音楽は世界の調和を語るものであるという記述がある。

『詩』は人の心を語るもの、
 『書』は昔の事蹟を語るもの、
 『礼』は人の実践を語るもの、
 『楽』は世界の調和を語るもの


というくだりだ。
このなかの「楽」が、音楽である。

その「楽」を奏でる合奏団は、古代においてすでに
数百人にも及ぶ巨大なものだった可能性もあるという。

 古代の神話的宇宙観の音楽的な実践ともいえる
古代中国に実在した合奏団が、
古典雅楽というイメージで
想像されていたよりもはるかに壮大な、
じつに数百人に及ぶ演奏者による
巨大オーケストラ
だったことも、
近年の考古学的調査でわかってきた。

 

インドでも宇宙と音楽は結びついている。

 インド音楽は旋律の音楽である。

西洋音楽のように
異なった音を同時に響かせるという
和音(ハーモニー)の発想はない。

と書くと、まるでインド音楽には
ハーモニーの概念がないと思われるかもしれないが、
そうではない。

インドでは、
音楽は全宇宙のハーモニーの縮図
だと考えられているのだ。

ここでいうハーモニーとは、
和音というよりも調和を意味する


宇宙の縮図である人間は、
脈拍、心臓の鼓動、波動、リズム、音調のなかに
和音や不協和音を表し、

健康、病気、喜びや苦痛は、
どれも生命における音楽や、
その欠如を示すという。

これが、インド音楽の基本的な考え方である。

音楽は宇宙のハーモニーの縮図?

 インドの音楽家
ハズラト・イナーヤト・ハーンいわく、

ふつう音楽と呼ばれているものは
あらゆるものごとの背後で動いている、
自然界の根源である宇宙の調和、
すなわち宇宙の音楽から、
知性がつかみとった小さな縮図
にほかならない。

いつの時代の賢者も、
音楽を神聖なものと考えていたのはそのためだ。

賢者は音楽のなかに全宇宙の像を見ることができ、
音楽のなかに、全宇宙の働きの秘密を
明らかにすることができたという。

「宇宙の音楽から知性がつかみとった小さな縮図」

創造するとか、自己を表現するとか、
そういった創作としての作曲、という考え方は
そこにはまだ一切ない。

 

 

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2016年10月23日 (日)

ソングライン

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ソングライン

- 歌は地図、大地は楽譜 -

 

2016年10月5日の朝日新聞夕刊。
池澤夏樹さんが
コラム「終わりと始まり」に
「アポリジニの芸術
 人と土地をつなぐ神話」
なる文章を書いているが、
その中に、
「ソングライン」という言葉が出てくる。
(以下緑色部、記事からの引用)

 数万年前から文明に依らずに
生きてきた人たちがいる。
オーストラリアのアポリジニ(先住民)。

 彼らは速い昔にあの大陸に渡り、
その後は地殻変動で他の地域から隔離されたまま、
延々と世代を重ねてきた。

 雨が少ない土地なので農耕はむずかしい。
狩猟採集で生きることになるけれども、
密度が薄いので移動を続けなければ
充分な食料が得られない。

オーストラリアには馬やラクダやリャマのような
駄獣がいなかったので、
人は持てるだけのものを持って旅を続けた。
都市とも文明とも無縁な歴史

 その代わりにかどうか、
彼らはとても精緻で壮大な神話体系を作り上げた。
世界解釈としての神話である。

世界は遠い過去に創造されたのではなく、
人間の動きと共に今も創造されつつあり、
それは未来へも続く


 大事なのは人間と土地との絆だ。
すべての土地に固有の神話があって、
人間はいわばそれを鋤(す)き返しながら旅をする。

そのルートは歌で記憶されるから
ソングラインと呼ばれる

「ソングライン」、歌の道、
なんとも惹きつけられる言葉だ。

この言葉を初めて知ったのは、
ブルース・チャトウィンが書いた、
「ソングライン」
という本だった。

(今は、北田絵里子訳で復刊されているようだが、
 以下水色部は、右側の芹沢真理子訳からの引用)

「ソングライン」
単語の訳は簡単だが、
そもそも歌の道とは何なのだろう?

オーストラリア全土に延びる
迷路のような目に見えない道のことを知ったのは、
アルカディが教師になってからのことだった。

ヨーロッパ人はそれを"夢の道"
あるいは"ソングライン"と呼んだ


アポリジニにとって、
それは"先祖の足跡"であり"法の道"であった。

 アポリジニの天地創造の神話には
さまざまな伝説のトーテム
(未開の部族集団が
 血縁関係が有る祖先として信仰する自然物、
 あるいは記号
。動植物が多い。)
が登場する。

彼らは旅の途中に出会ったあらゆるもの、
鳥やけものや植物や岩や温泉の名前を歌いながら

そしてそうすることで
世界の存在を歌に歌いながら、
"夢の時代"、この大陸をさまよったのである。

その「ソングライン」を探しに行っている。

 私がオーストラリアにやってきたのは、
ソングラインとはいかなるものなのかを、
そしてそれがどのように機能しているのかを、
他人の書物からではなく、
自分のカで知るためだった


明らかに、私はソングラインというものの核心に
近づいていなかったし、
またそうしようともしていなかった。

私はアデレードで、その筋の専門家を知らないかと
女友だちに声をかけた。
彼女はアルカディの電話番号を教えてくれた。

さて、見えてくるだろうか、ソングライン。
もう少し先を読んでみよう。

 つづいて彼は、
各トーテムの先祖がこの国を旅しながら、
どのようにして
その足跡に沿って歌詞と旋律の道を残し、
どのようにしてそれら"夢の道"が
遠く離れた部族との
コミュニケーションの"方法"として
大地に広がっていったのかを、説明した。

歌が地図であり、方向探知器でもあった

と彼は言った。

「歌を知っていれば、
 いつでも道を見つけ出すことができた」

「それで"放浪生活"に出た人は
 いつもそうしたソングラインの上を
 歩いていたのかい?」

「昔はそうだった」彼は同意した。

「いまはみんな汽車や車で行く」

「もし、ソングラインをはずれたら?」

「他人の土地に侵入することになる。
 そのために槍を持っていたのかもしれない」

「でもその道からはずれさえしなければ、
 いつでも自分と同じ"夢"を共有する
 仲間を見つけられたわけだね? 
 それは、つまり、兄弟かい?」

「そう」

「その人たちからは
 もてなしを期待することができたのかい?」

「その逆もね」

「ということは歌はパスポートとか
 食事券のようなものだな?」

「もう一度言うが、もっと複雑なものなんだ」

 少なくとも理論上は、オーストラリア全土を
 楽譜として読み取ることができた。

 この国では歌に歌うことのできない、
 あるいは歌われることのなかった
 岩や小川はほとんどないのだ

歌が地図であり、方向探知器。
歌うことと、
存在することの深い関係は、
考え方自体が新鮮だ。

 アポリジニは、すべての"生きもの"が
大地の皮の下でひそかにつくられた
と信じていた。

それと同様に、白人の持ち込んだ道具 
-航空機、銃、トヨタのランドクルーザー-
のすべて、
将来発明されるであろう品物のすべても、
そうだと信じていた。

それらは地面の下で眠っており、
呼び出されるのを待っている
のだ。

「ひょっとしたら」私はふと思いついた。

歌うことで、彼らは神が創造した世界に
 鉄道を呼び戻す
のかもしれないね」

「そのとおり」アルカディが言った。

地下で眠っていたものが、
歌によって呼び出され、存在することになる。

「で、取り引きルートは
 かならずソングラインに沿っている、
 そうおっしゃるのですね?」

「取り引きルートがソングラインなのです」

フリンが言った。

「というのは、物ではなく歌が、
 交換の主要媒体だからです


 物のやりとりは歌のやりとりに
 付随して起こる結果なのです」

 彼はつづけた。

白人が来る前は、
オーストラリアで土地をもたない者はいなかった。

誰もが、私有財産として一連の先祖の歌と、
その歌が通過する土地を受け継いだからだ。

歌の文句は土地の権利書だった。
それは他人に貸すこともできた。
そのお返しに歌の文句を借りることもできた。

やってはいけないことは、
それら歌の文句を売ったり捨てたりすることだった。

 

この本、紀行文のように読めるが、
訳者はあとがきで
「一見ノンフィクションの観を呈している」

と言っているので、ちょっと注意が必要だ。
紀行小説と言えば正しいのだろうか。

アポリジニの考え方に触れながら、
「ソングライン」をはじめ、
「遊牧民」「放浪」「定住」などについて
自由に思いを巡らしながら読むのがいい。

 次に理解しなければならない大事な点は、
あらゆる歌が、部族や境界線に関係なく、
言語の壁を飛び越えることだ。

ある"夢の道"が北西部のブルーム付近から始まり、
20以上もの言語地域を通り抜け、
アデレード近くの海に達する
ということもあるのだ。

「それでもなお」と私は言った。

「それは同じ歌なのですね」

「われわれは」フリンは言った。
「歌を"味"や"匂い"で識別する、と言います。
 もちろん、それは"旋律"という意味です。
 最初の小節から最後の小節まで、
 旋律はずっと同じなのです」

「歌詞は変わるが、メロディーはそのままなんだ」
とアルカディがふたたび口をはさんだ。

「ということは」私はたずねた。

正しい旋律を口ずさむことができれば、
 若者でも放浪生活に出て、
 オーストラリアを横切る
 自分の歌の道をたどることができた

 そういうことですか?」

「理論的には、そうです」フリンは同意した。

言葉は単純ながら、
簡単には理解しにくいソングライン。

別な本の記述も借りてしまおう。

浦久俊彦著「138億年の音楽史」
講談社現代新書

(以下薄紫部、本からの引用)

・・・
ひとつの大陸を歌によって
描こうとした民族
にふれておきたい。

オーストラリアの先住民族アポリジニである。
彼らは、自分たちの世界で出会った
あらゆるものを歌にして歌ってきた。

ひとつの岩、川のせせらぎ、森の樹木など、
ひとつひとつに歌がある。
・・・
それはまるで、
大地そのものが楽譜であるかのようだ
・・・
大地に存在するあらゆるものはランドマークとなり、
そのひとつひとつが歌として記憶され、
それを線のようにつないで歩めば、
必ず目的地にたどり着くことができたというのだ。

「ソングライン」と名付けられた、
オーストラリア大陸に
無数に張り巡らされた目にみえない歌の道。

この世界観のユニークなところは、
アポリジニの人々にとっては、
彼らによって歌われるまで世界は存在していなかった、
というところにある。

つまり、これは音楽による天地創造の物語なのだ。

命は歌によってかたちを与えられ、世界が創られる。

存在するとは知覚すること。
その知覚が、彼らにとっては歌うということだったのだ。

上記、チャトウィンの
「ソングライン」もこんな風に紹介されている。

 イギリスの作家ブルース・チャトウィンは、
語り部とともに旅をしながら、
オーストラリア全土に張り巡らされた
迷路のような歌の道の伝統が、
いまも人々に継承され、語り継がれていることを、
紀行小説『ソングライン』に描いた。

「先祖たちは歌いながら世界じゅうの道を歩いた。
 川を、山脈を、塩湖を、砂丘を歌った。
 狩り、食べ、愛を交わし、踊り、殺した。
 歩いた跡には、音楽が残された」
 (北田絵里子訳)。

 ソングラインとは? という質問を繰り返しながら、
彼は、現代に受け継がれた
この伝説と生きる人々とともに、
アポリジニの先祖たちが刻んだ詩と旋律の
道の足跡をたどり続ける。

ここまで読んでも、
すっきりと「わかった」とは言い難い。

それでも、ソングラインの記述を通して見えてくる
アポリジニの世界観は、
歌によって世界を創造するというその世界観は、
音楽好きの私にとってはなんとも魅力的だ。

 

 

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2016年10月16日 (日)

ゲレンデがとけるほど

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ゲレンデがとけるほど

- 誤変換の笑い -

 

前回
「大隅良典氏 ノーベル賞!」の朗報を受けて、
新聞6紙の読み比べをしてみたが、
読売新聞のコラム「編集手帳」は
こんな書き出しでノーベル賞の話に繋げていた。

以下水色部、
読売新聞 2016年10月4日「編集手帳」からの引用

パソコンで、
「うまくいかない画像サイズになった」
と書いたつもりが、画面には
馬食い家内が象サイズになった」。

以前、日本漢字能力検定協会が募った
漢字変換ミスで年間賞に選ばれている

◆食欲の秋を迎えるたび、
わが太鼓腹をなでてはこの″珍文″を思い出す。

不要な肉である。
人間は細胞のかたまりなのに、
細胞ほどは賢くないらしい。

朗報に万歳をしたあとで、
およそ学術的でない感慨に浸っている

◆東京工業大学の
大隅良典栄誉教授(71)が、
「オートファジー」という生命現象の研究で
今年のノーベル生理学・医学贅に選ばれた

(ずいぶん無理やりな話の展開だなぁ、はともかく)
「馬食い家内」が年間賞に選ばれたのは2008年。
久しぶりに聞いた「誤変換」の話題に、
いろいろな思い出が蘇ってきた。

インターネットが登場するよりもずっと前、
ワープロが元気だったころ、
「披露宴の新郎新婦」と書こうとして
「疲労宴の心労神父」が出てきたときは、
おもわず映画の一シーンを見ているような
気分になったし。

 

変換ミスについては、いまから20年ほど前
まさに誤変換を集めた「誤変換の宴」なる
楽しいテキストのページがあった。

最近の「かな漢字変換」は
ほんとうに優秀になったので
突拍子もない変換に「えっ!」と思うことは
ずいぶん減ってしまったが、
当時はまだまだ「誤変換」は
よく笑い話のネタになっていた。

ピーヒョロヒョロのモデムで
インターネットに接続していたころの話だ。

古いメモをひっくり返して
傑作誤変換をいくつか紹介したい。

 

情報誌捨て無学   <情報システム学>

とちり養成策    <土地利用政策>

金が新年      <謹賀新年>

などは、ちょっと理屈っぽくて
よくできてはいる(!?)けれど笑えない。

 

ホームページ行進  <ホームページ更新>

死後塗料      <仕事量>

最近平気      <細菌兵器>

ゴキブリ胎児    <ゴキブリ退治>

猫を解体!     <猫を飼いたい!>

歯医者は猿のみ   <敗者は去るのみ>

あびせ下痢     <あびせ蹴り>

妻子アルミですから <妻子ある身ですから>

蕎麦に入れ歯    <そばにいれば>

アメリカ製カツ   <アメリカ生活>

などは、ストレートでかつシンプルで、
ギャップがあって私好み。

まぁ、〇〇ネタがらみもはずせない(!?)でしょう。

お口恥部     <奥秩父>

女子行為室    <女子更衣室>

今夜俺求めてくれる?
         <今夜俺も泊めてくれる?>

こんな子としてて良いのか 
         <こんな事してていいのか>

 

いろいろあっても、個人的誤変換No.1はやはりコレ!

ゲレンデがとけるほど濃い死体 
         <ゲレンデがとけるほど恋したい>

失礼しました。

 

 

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2016年10月10日 (月)

大隅良典氏 ノーベル賞!

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大隅良典氏 ノーベル賞!

- 6紙読み比べ -

 

スウェーデンのカロリンスカ研究所は、
2016年10月3日、
2016年のノーベル医学生理学賞を、
細胞が自分で自分のタンパク質を
分解してリサイクルする
「オートファジー(自食作用)」の仕組みを解明した
大隅良典(おおすみよしのり)
東京工業大学栄誉教授に送ると発表した。

うれしいニュースに、
毎日新聞は4000部の号外を発行した。

翌日(2016年10月4日)の
東京での主要6紙はご覧の通り。
全紙一面トップで取り上げている。

A161004osumi

写真を撮った通り、6紙とも手元にあるので、
少し読み比べてみよう。

 

【授賞理由】

「オートファジー」の言葉ばかりが
ひとり歩きしているが、そもそも
カロリンスカ研究所はどんな理由で
授与すると言っているのだろうか?

こんなことは基本中の基本なので、
どこにでも書いてあるだろう、と思って読んでみたが、
意外にも記述は少ない。

読売新聞は、

授賞理由は
「オートファジーのメカニズムの発見」
・・・・
カロリンスカ研究所は授賞理由で
細胞がその中身を
 どうリサイクルするかについて、
 新しいパラダイム(枠組み)を導いた

と評価した。

 

日本経済新聞は、

カロリンスカ研究所は授賞理由として
オートファジーの仕組みの解明
と説明した。

とさらりと触れているだけ。

東京新聞は、一面真ん中に、
「授賞理由」の枠まで設けている。
中の記述はこう。

授賞理由

「オートファジー」について、
酵母の一種を使って重要な遺伝子を発見、
その仕組み解明した。
またよく似た洗練された機構が
人の細胞にもあることも示し、
細胞のリサイクルについて
新たな理解をもたらした


飢餓状態への適応や感染症への反応のような
多くの生理的過程で
オートファジーが重要であること、
その遺伝子変異は病気を引き起こし、
がんや神経疾患などに
関係していることが分かってきた。

なんだか理由なのか解説なのか
はっきりしない。

そんな中、そもそもの判断をした
カロリンスカ研究所の発表は、と
すっきりと載せてくれたのは、

産経新聞のみ。

161004sankeiosumi2s

授賞理由

 スウェーデンのカロリンスカ研究所が
3日発表した大隅良典氏への授賞理由は次の通り。
    ◇
 大隅氏の発見は、
細胞がどのように自身をリサイクルするのかを
理解するのに新しいバラダイムをもたらし
飢餓への適応や感染への応答のような
生態学的プロセスにおけるオートファジーの
基本的な重要性の理解に道を開いた


また、オートファジー遺伝子の変異は
疾患を引き起こす可能性があり、
オートファジーの機構はがんや神経疾患
を含むいくつかの条件に関与している。

なるほど。先の東京新聞の記述は、
産経新聞が載せているこの授賞理由を
わかりやすく書き直したつもりのものだったのだろう。

 

【発見の瞬間】

大隅さんが、光学顕微鏡を使って、
世界で初めて肉眼で「オートファジー」を確認した
まさにその発見の瞬間とその興奮は
どんな風に報じられているのだろう。

読売新聞

飢餓状態にある細胞の中に、
小さな粒状の物質が蓄積し、
盛んに動き回っている。
・・・
「オートファジー」を世界で初めて
光学顕微鏡で確認した瞬間だった。
・・・
大隅氏は、当時の興奮を
思わず息をのんだ
 何時間も顕微鏡をのぞき続けた」と語る。

 

毎日新聞

液胞の中に見たことのない小さな粒が生まれ、
激しく踊るように動いていた。
きっと、とても大事なことではないか」。

その日は何時闇も顕微鏡をのぞき続けた。
オートファジーを世界で初めて肉眼で
観察した瞬間だった。

 

産経新聞

 液胞内の顆粒は、
分子の不規則な衝突で起こるブラウン運動で
激しく動き回っていた。

大隅さんはその動きに感動し、
何時間も顕微鏡をのぞき続けた。

そして研究室を出て、
会う人ごとに
「とても面白いことを見つけた」と
熱弁をふるったという


 こうして、酵母が飢餓状態に置かれると
液胞に物質が取り込まれ、
分解される自食作用「オートファジー」を
世界で初めて確認できた。

 

妙に詳しく書いているのは、

朝日新聞

 1988年6月。
東京大教養学部の助教授になって2カ月余り。
できたばかりで学生がいない研究室で、
ひとり顕微鏡越しに酵母を見ていた。

たくさんの小さな粒が踊るよう
跳びはねていた。

何かすごい現象が起きているに違いない」。

細胞が不要なたんばく質を分解して再利用する
「オートファジー」にかかわる現象ではないか。
大隅さんが気づいた瞬間だった。
・・・
 液胞のなかには、
いくつも分解酵素があるが、
当時はその役割は分かっていなかった。

通常、酵母は飢餓状態になると休眠状態に入る。

「液胞内部で酵素が何かを分解するとしたら
 その直前だろう。
 それを観察すれば、
 仕組みが見えるんじゃないか」とひらめいた。

 分解酵素があるとたんばく質が分解されてしまい、
現象を観察できない。

このため、分解酵素がない酵母を使って調べた


顕微鏡をのぞくと、想像通り仕事を終えて
不要になったたんばく質がたまっているのが見えた。

 これが「踊る粒」だった。
生命力にあふれる躍動は、
「何時間見続けても飽きなかった」

 

 大隅さんはその後、
電子顕微鏡でオートファジーが起こる過程を
目に見える形で記録することに、
世界で初めて成功。

 

【世界への広がり】

毎日新聞

さらに3万8000種類の突然変異の酵母を検査し、
遺伝子を比較することで
14種類の遺伝子が関わっていることを突き止め、
93年に論文発表した。

地道な研究が実を結んだこの論文は
オートファジー研究史上
最も価値ある論文として世界に認められている


 その後、
オートファジー遺伝子は酵母から哺乳類、
植物にまで保存されている
ことも
吉森氏ら教え子と明らかにし、
研究は一挙に世界中に拡大した。

遺伝子は現在18種類が見つかっている。

年間数十本だった関係論文は
今では年間5000本にまで急増し、
生命科学分野でも最も進展が著しい
研究領域
となっている。

「だれもやっていなかった」研究が、
まさに世界中に広がっていく過程は、
論文数のグラフが一番わかりやすい。

論文数が増えたことは、各紙述べているが、
グラフを載せてその推移を見せてくれたのは
「毎日」と「産経」の二紙のみ。

毎日新聞

161004mainichiosumi4s

 

産経新聞

161004sankeiosumi3s

 

読売新聞

吉森氏は
「自分が先端で研究している分野が、
 どんどん大きくなるのを見せてもらった。・・」

と語っているが、このグラフを見ていると、
その渦中にいた研究者の興奮が伝わってくる。

大隅さんは記者会見で、
基礎研究を見守ってくれる社会になってほしい」
と強く語った。

東京新聞

記者会見を開き、
受賞決定の喜びと研究への思いを語った。
・・・
「今、科学が役に立つというのが
 数年後に企業化できることと
 同義語になっているのは問題。

 役に立つという言葉が
 とっても社会を駄目にしている


 実際、役に立つのは
 十年後、百年後かもしれない」。

基礎研究への情熱をにじませた。

 

ノーベル賞、ほんとうにおめでとうございます。

記者会見での言葉が、
より多くの人に、
より多くの人の心に届きますように。

 

 

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2016年10月 2日 (日)

文字の博覧会 (4)

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文字の博覧会 (4)

- 布教のために文字考案 -

 

「文字の博覧会」
からの報告の4回目。

(1):ビルマ文字が丸くなったのは
(2):上下左右なし、鏡文字もOK
(3):現役の象形文字
と書いてきたが、文字の話は
今日で一旦一区切りとしたい。

前回に引き続き、
ちょっと形の変わった文字を見てみよう。

参照するのは、これまで同様、当日のメモと
パンフレットとして売られていた

(以下、水色部と文字の写真は
 上記の本からの引用)

 

(4-1) 中国:規範彝(い)文字

Roro

彝(イ)族が奇怪な文字を用いていることは、
18世紀、フランス人ドローヌの
報告書によって明らかになった。

象形文字を音節文字にした文字で、
7~8世紀頃に作られた。
四川のみならず、貴州省、雲南省でも
同様の文字を用いており、
さん文、ロロ文字とも呼ばれる。

時を経て、1980年、
四川省は旧来の文字をまとめ、
規範彝(イ)文として公布した。

文字は819字あり、
字形は相互に関連性を持たない

写真は、1991年の凉山日報という新聞の一部。
この文字で、
ちゃんと日刊の新聞が発行されている。

 

(4-2) エスキモー文字

Esukimo2

この写真は、中西コレクションデータベースから

イギリス人宣教師の
ジェームズ・エヴァンスが1840年頃、
布教のためにカナダ先住民の言語を
表記するために考案した。

クリー語、
イヌクティトゥット語、
チペワイヤン語、
などでも使用されていた。

一瞬、数式の一部かと思ってしまうような文字列。

それにしても「布教のために」
文字まで作ってしまうなんて。

展示会では、ほかにも
モルモン教布教のために考案された
デザレットアルファベットなども展示されていた。

 

(4-3) アフリカ:マンドンベ文字

Mandombe1s

この写真は、アフリカ固有の文字から

ブログを書くために
いろいろ調べているうちに出遭った文字。
文字の博覧会で見かけたわけではないのだが、
どうしても紹介しておきたかったのでお許しあれ。

詳しい説明は引用した
アフリカ固有の文字
ご覧いただきたいが、
この形、インパクトが強すぎる。

 

4回にわたって
主に「文字の博覧会」から
特徴ある世界の文字を紹介させていただいた。

第一回目に書いた通り、
これらの文字を集めたのは中西亮さん。
実は、中西さんの、まさに唯一無二の
文字収集活動については、
ずいぶん前から知っていた。

なのでいくつか関連記事もスクラップしてある。
そんな中から、亡くなった後の
新聞記事を添えておきたい。
今から22年も前の古い記事だが。

朝日新聞 1994年6月4日の記事

A940604_s

以下 緑色部はこの記事からの引用。

文字の美しさと多様性に魅せられた
京都市の元印刷会社社長が120カ国を歩き回り、
400種類といわれる世界の文字の
ほぼすべてを収集した。

 

朝日新聞 1994年6月11日の天声人語

A940611_nakanishi_s

以下 茶色部はこの記事からの引用。

漢字も面白い。
字体をみだりに変える者は斬首(ざんしゅ)せよ
と厳命した王のおかげかどうか、
と中西さんは書いているが、
とにかく漢字は二千年間その姿を変えず、
私たちは漢代の文書をそのまま読むことができる

 

6月4日の記事にはこんな記述もある。

経口の抗がん剤を持ち
アフリカのサハラ砂漠へ旅立った。
トゥアレグ族の人たちが守り続けたという
ティフナグ文字を探した。

腰や背中の痛みに耐えて、ついに念願を果たした。

最後に辿り着いた「ティフナグ文字」とは
どんな文字なのだろう。
ちょっと見てみよう。

Thifunagu

この写真は、中西印刷株式会社「世界の文字」から

 

国立民族学博物館顧問の梅棹忠夫さんの話 

中西さんの研究は極めて有意義なものです。
これほどの研究は外国にもないのではないか。
言語学的にきちんと調べて
資料を集められている。

この資料が散逸するのを心配しています
ご遺族のご了解があれば、
整理したうえで永久保存し、
研究に役立てられるような方法
を探したい。

その後、資料は梅棹さんの希望通り、
国立民族学博物館に寄贈され、
中西コレクションとして保管、公開されている。

まさに、

ひとりの人間の情熱が、
何とすばらしい文化的財産を残したことか。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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