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2016年9月

2016年9月25日 (日)

文字の博覧会 (3)

(全体の目次はこちら


文字の博覧会 (3)

- 現役の象形文字 -

 

「文字の博覧会」
からの報告の3回目。

前回までで
特に文字種の多い、
東南アジアとインドから
特徴的な文字を紹介した。

今日は違う視点で文字を選んでみたい。

参照するのは、これまで同様、当日のメモと
パンフレットとして売られていた

(以下、水色部と文字の写真は
 上記の本からの引用)

まずは、「歴史」観点でこの文字から。

 

(3-1) ヘブライ文字

Heburai

漢字は漢の時代に
漢字として成立してから今までほとんど
その姿を変えていない。
その古さは2100年といえる。

しかし、
現在のイスラエルの国語であるヘブライ語を記す
ヘブライ文字は、
紀元前5世紀に聖者エズラが形を定めてから、
すでに2400年以上経っている


その間、国は滅び、
民族は世界中に離散したにもかかわらず、
紀元前の「死海文書」と現在の新聞の文字が
ほとんど変わっていないのはまさに驚異である。

古代ヘブライ語とヘブライ文字は国と共に滅びたのに、
1948年にイスラエル共和国が成立すると
公用語として復活


その文字が、
紀元前1世紀に書かれた手写本「死海文書」の文字と
ほとんど変わっていないというのだから、確かに驚く。

アラム系文字は子音字のみなので、
読むときは文脈に応じて母音を補う。

ヘブライ文字には漢字のように書道がある
手写本はいずれも美しく書かれ、
一字一句の書き誤りもない。

この文字もまた第一回のラオ文字同様
子音字のみで、
読むときに母音を補うパターン。

それにしても書道があるなんて。

以前、米国人に英語で書道を説明しようとして
たいへん苦労したことを思い出した。

もちろん私自身の貧弱な英語力のせいだが、
英文書体を美しく書く
「calligraphyとどう違うのか?」の質問に
うまく答えられなかった。

まだ、スマホやタブレットもなかった時代で
書道の例さえ見せられなかったつらさはあるが、
仮に見せられたとしても、
どう表現すればよかったのだろう?

今でもすっきりした説明が思いつかないままだ。

 

イスラエルのエルサレム
聖書が今に生きている町で、
ユダヤ人街、イスラーム教街、
キリスト教街、アルメニア人街に4分され、
それぞれが宗教の最高の聖地となっているが、
互いに無干渉に暮らしている。

イスラーム教街ではヘブライ文字は
ほとんど見られず、
全てアラビア文字なのも面白い。

では、そのアラビア文字を見てみよう。

 

(3-2) アラビア文字

Arabia1

アラム文字系の文字で母音がなく、
大文字、小文字の区別のない28文字を
右から左へ、英語の筆記体のように連続して綴る。

文字は
独立形、語頭形、語中形、語未形と
4つの形があり、
同じ文字でも位置によって形は変わる


イスラーム教の文字で
『コーラン』は常に
アラビア語で書かれる

IS関連のニュースが多い昨今、
イスラム教の聖典「コーラン」を
よく耳にするようになったが、
「コーラン」は「アラビア語」のみ、
というのが大きな特徴。

キリスト教が、
聖書の各「言語」訳どころか、
文字のない民族には新しい文字まで作って
布教しようとしていた歴史とは対照的だ。

私にはもちろん読めないが、
見ているだけで一種のリズムを感じる。

 

見ているだけで、と言えば、
アラビア文字を基にしたペルシャ文字も外せない。

(3-3) ペルシャ文字

Perusya

ナスタアリーク体で書かれた、
ペルシャの詩人の自筆書。

ペルシャ文字は32文字の文字体系から成る。
アラビア文字を受け入れたぺルシャ人は、
これに若干の改良を加えた上、
ナスタアリーク体という優雅な書体を作り出した。

「炎がたなびくような書体で、
 美しいリズムが紙面から伝わってくるが、
 優雅すぎて活字にはならない」 

と中西さんは指摘する。
新聞は他のアラビア文字と同じ
ナスヒー体で印刷されている。

「炎がたなびくよう」とはうまい表現だ。

 

ここからは
ちょっと形の変わった文字を見てみよう。

(3-4) ナシ象形文字

Tompa

中国のチベットや雲南省に住む
少数民族のナシ(納西)族の司祭である
トンパの間のみで継承されてきた文字で、
トンパ文字ともいう。

口語ではなく、解読は難しいとされている。
2003年ユネスコの世界の記憶遺産に登録された。

象形文字というと古代エジプトで使われていた
ヒエログリフがすぐに浮かぶが、
これは利用が限定的とはいえ、
まさに「現役」の象形文字だ。

 

こういった絵のような象形文字は、
なんと沖縄県にもあったらしい。

(3-5) カイダー文字

Kaida

沖縄県八重山列島で用いられた文字。
税金や米の収穫量などを記録するための文字で、
一部で昭和前期まで用いられた

現役とは言えないまでも、
「昭和前期まで」使われていたとは。
全く知らなかった。

 

(3-6) ベルベル文字

Beruberu

アラビア語が主流の
北西アフリカで生き続ける文字で、
貴族階級の女性たちが守り伝えたとされる。

国民の3割がベルベル人のモロッコでは
2011年にこのベルベル語も公用語になったらしい。

 

世界の文字の話、もう少し続けたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2016年9月18日 (日)

文字の博覧会 (2)

(全体の目次はこちら


文字の博覧会 (2)

- 上下左右なし、鏡文字もOK -

 

「文字の博覧会」
からの報告の2回目。

前回、多彩な文字を持つ
東南アジアの文字から紹介を始めたら、
実際にタイに住んでいた方から、
近隣諸国訪問時の印象も含めて、
丁寧なコメントをいただいた。

実感を伴ったコメントは、
ほんとうにうれしい。

というわけで、
もう少し東南アジアの文字を見てみたい。

参照するのは、当日のメモと前回に引き続き
パンフレットとして売られていた

(以下、水色部と文字の写真は
 上記の本からの引用)

今日は、タイ文字から見てみよう。

 

(2-1) タイ文字

Tai

タイ語はシナ・チベット語族に属し、
一語が一音節から成り、
声調(中国の四声のような上下アクセント)を
持っている。

古いクメール文字を基にした
インドのブラーフミー系の文字。

声調記号なども導入して工夫されている。

「これは読みません」
「この後は余りに長いので略します」

といった記号もある

なんという記号だろう。
「読みません」をわざわざ書くなんて。

文字のページではなく、
タイ語のページで調べてみると、
これは、タイ語にインド系の語が多いことと
深く関係があるようだ。

インド由来の単語が
 「発音」はタイ語っぽく変化、
 とろこが「綴り」はもとのまま。
その結果、音と綴りに乖離が生じ、
英語knife(ナイフ)のkのようなサイレント文字や
「読みません」をわざわざ書く「黙示符号」が
登場してきたらしい。

他にも、Wikipediaで「タイ文字」を見ると、
「詩の節のはじまり」を表す文字、
「詩の節や章の終わり」を表す文字、
「文書や物語の終わり」を表す文字、
なども「文字」として存在している。

「音」以外の視点の違いは新鮮だ。

 

(2-2) マンヤン文字

Manyan

フィリピンの公用語であるタガログ語は
ラテン文字で記すが、
ミンドロ島のハヌノオ・マンヤンは、
独自の言葉と文字を守り続け、
竹片に小刀で文字を刻んでいる。

上下左右に決まった向きはなく、
左利きは左右反転した文字を書く

上下左右の向きもなく、
左利きの鏡文字もOKとは。

本を上下左右4人ではさんで、
四人同時に読めるということだろうか?

そういえば、
フィリピンについては、
こんなエピソードも添えてある。

 マゼランは
1521年にフィリピンに上陸し
まもなく殺されるが、
彼に随行した宣教師はフィリピンでは
各島それぞれに文字があると
驚きを持って書き記している


その後のスペイン支配下で
このことは全く忘れ去られたが、
19世紀に、独特の文字を持つ
山岳少数民族が発見された。

その文字がなんと
マゼラン一行が記録した文字と似ているという。

私は、古代文字を
守り続ける人たちに会いたくなった。

しかし、
フィリピン平地人からは
尻尾があると信じられているくらい、
隔絶された山岳民であった。

 

(2-3) シャン文字

Syan

ミャンマー東部のシャン族の文字。
仏教説話の一部。
この資料、ご覧の通りとにかく筆跡が美しい。

 

インド方面に目を移してみよう。
まずは公用語のこの文字から。

(2-4) デーヴァナーガリー文字

Deva

「都会の文字」を意味するナーガリーに
デーヴァ(神)を冠して呼ばれるようになり、
サンスクリット語の写本に用いられて
広域に伝播した。

現在、インド連邦の公用語は
デーヴァナーガリー文字で表記された
ヒンディー語
と定められている。

デーヴァ・ナーガリー文字と読むと読みやすい。

ヒンディー語だけでなく、
ネパール語もこの文字を使っている。

 

(2-5) グルムキー文字

Gurumuki

16世紀、インド北西部の
パンジャーブ地方にシク教が興り、
第2代グル・アンガドは、
初代グル・ナーナクの教えを正確に
民に伝えるためにグルムキー文字を創製した


グルムキーは
「グル(最高指導者)の口」の意である。

それまでこの地方のパンジャーブ語を
表記していたランダー文字は

「書いた人以外には絶対読めないのが唯一の欠点」

といわれた不完全な文字
で、
グル・アンガドはランダー文字や
デーヴァナーガリー文字を改変して
文字を作ったとされる。

前身のランダー文字とはどんな文字だったのだろう。
「書いた人以外には絶対読めない」って
そもそも文字と言えるのだろうか?

「唯一の欠点」という表現が笑える。

 

(2-6) オリヤ文字

Oriya

インド東部のオリッサ州で話される
オリヤ語を表すオリヤ文字は、
北方系のデーヴァナーガリー文字と
同系列に属する。

しかしその形状は中西さんが

「坊主頭が並んだようで一度見たら忘れられない」
 
と言う通り、上部がすべて丸く、
文字に水平の直線は一つも現れない。

「坊主頭が並んだよう」の表現はぴったりだ。

そしてその理由として、
この地域が熱帯雨林地帯でヤシが多く、
貝葉(ヤシの葉)に鉄筆で刻み、
墨を入れて文字を記したため、
横線を引くと葉が裂けたのであろう、
と推測している。

前回のビルマ文字同様、
葉に書くことが、文字の形に影響しているようだ。

 

世界の文字の話、もう少し続けたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2016年9月11日 (日)

文字の博覧会 (1)

(全体の目次はこちら


文字の博覧会 (1)

- ビルマ文字が丸くなったのは -

 

文字の博覧会
- 旅して集めた
 “みんぱく”
 中西コレクション - 展

P8275602s

を8月下旬、
東京京橋のLIXILギャラリーで観てきた。
(ちなみに、"みんぱく"とは
 国立民族学博物館のこと)

まさに世界の文字だけを並べた博覧会。
「中西コレクション」とあるように
文字を集めたのは
中西亮(あきら)<1928-94>さん。

中西さんは、
25年の間に100を超える国々を自らの足で回って
95種類の文字を集めた
世界でも稀有な文字ハンター。

その収集資料は、現在
「中西コレクション」として、
国立民族学博物館に収められている。

今回の博覧会は、
3,000点近くのコレクションから
約80点が選ばれて展示されていた。
規模は小さかったが、見応えは十分!

見る方も、集中力が持続できるので、
このくらいの規模のほうがかえって見やすい。

 

世界中には数千の言語があると言われているが、
使われている文字の種類は驚くほど少ない。

パンフレットとして売られていたこの本

によると、わずか「約40種」

中西さんが社長をつとめていた
中西印刷のページでは、

ひとくちに現用といっても、
「実際に使われている」かどうかを判別するのは
なかなか困難です。

文字というのは案外簡単に創作できてしまいますし、
民族的な理由や宗教的な理由から
特殊な文字がわざと使われる場合もあります。

ここでいう現用とは
「日刊の新聞が発行されている」

という基準をとりました。

と述べて、現用文字は28種と言っている。

現用文字だけでなく、
歴史的に滅びてしまった、
使われなくなってしまった文字を入れても
300種程度しかないと言う。

そのうち95種を集めたというのだから、
中西さんのコレクションがいかにすごいものかは
それだけでもよくわかる。

今日は、この博覧会から、
目に留まったものを幾つか紹介したい。

(以下水色部と文字の写真は上記の本
 「文字の博覧会」からの引用。
 展示の説明書きにも同じ文章が
 使われたりもしていた)

現在、地球上で使われている
ほぼ全ての文字が
アジアに集まっている。

と書かれているほど、アジアの文字は多彩だ。
まずは、これをご覧あれ。

 

(1-1) ビルマ文字

Birumaa

特徴的なのは文字の形。
どうしてこんなに丸いのだろう。

ビルマ文字に限らず、
文字は、書く媒体や筆記具に
かなり依存する。

つまり、何に何で書くか、にヒントがある。

多羅樹(たらじゅ)という
ヤシの葉に文字を書くため、
直線的な文字では葉が裂けやすいことから
変形していき、独特の丸い文字になったと
考えられる。

 

一文字一文字については、
こんなおもしろいエピソードもある。

ビルマ文字は
○の上下左右の切れ目で発音が変わる。

(〇の上空き)∪が「パ」、
(〇の下空き)∩が「ガ」、
(〇の右空き)Cが「ンガ」、
(〇の左空き)が数字の1。

ミャンマーからの留学生が
日本で目の検査を受けた時、
ついこれを読んでしまったという話がある。

 

ところでこのほんとうによく似た文字の列、
すらすらと読めるなんてちょっと不思議だ。

その文字を使わない外国人には、
「同じ字に見えてしまう」ことについて、
日本語でのたいへんわかりやすい例

挙げてあったので、それを添えておきたい。

ビルマ文字は活字をもってしても見極めが難しく、
日本人の目には全て同じ字に見えてしまう。

外国の人に
街頭の「ガソリン」という看板を見て、
あれがどうして読めるのだと聞かれたことがある。
彼らにしたらソリンは同じ文字に見える
というのだから、それと一緒なのだろう。

 

この文字は、仏教経典でよく使われる
パーリ語という専用言語にも使われているらしい。

 

(1-2) ラオ文字

Raoa

ラオスで使われているラオ文字。

この文字の前で思わずメモってしまったのは、

文字はすべて子音字
母音、声調は付加記号で示す。

という説明書き。

「すべて子音字ってどう読むの?」
と思ってしまうが、
ヘブライ文字のところにも、
アラム系文字は子音字のみなので、
 読むときは文脈に応じて母音を補う」
とあった。

 

(1-3) クメール文字

Kumerub

中西さんが、世界の文字の魅力にとりつかれる
きっかけとなったカンボジアの文字。

アンコール時代より
文字の上に波型の飾りを付けて
荘厳味を持たせるようになり

これが現代のクメール文字の鉤形として残り、
外見上の特徴となっている。

 

まだまだおもしろい文字はいっぱいある。
世界の文字の話、もう少し続けたい。

 

最後に、
文字の博覧会とは全く関係ない話をひとつ。

先日、こんな写真がtwitterで回ってきた。
「ニューヨークで見かけたツ」と紹介されていた。

Newyorktsu

日本人が見ると
どうしても「ツ」が先行してしまうが、
「ツ」を忘れるようにして見ると、
なるほど、コメディアンのドヤ顔というか、
顔文字の笑顔が見えてくる。

アメリカ人には「ツ」が見えない分、
笑顔が見えているのだろう。

上に書いた「ガソリン」の話で思い出した
おまけの一枚。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2016年9月 4日 (日)

箱根関所

(全体の目次はこちら


箱根関所

- 大工の棟梁が原文を読んだ理由 -

 

今年の夏休みは「箱根」を楽しんできた。

P8115367s

小田急の箱根フリーパスを使ったので、
3日間、エリア内の乗り物が乗り放題。
車の運転ゼロでの箱根は初めてだ。

登山鉄道、バス、ケーブルカー、

P8105271s

ロープーウェイ、芦ノ湖海賊船、

P8115310s

行ったり来たり自由自在。
乗り放題なのは気軽でうれしい。

今回は中年夫婦ふたりでの小旅行だったが、
小学生くらいの男の子を連れて行ったら、
それはそれは喜ぶことだろう。
(ロープーウェイにはしゃぐ私に、
 「ここに大きな小学生がいる」
 と妻は笑っていたが)

P8115305s

火山活動により
一時運休していたロープーウェイも全線再開。

P8115303s

ただ、火山活動はまだまだ活発で
ロープーウェイから見下ろす大涌谷は、
硫黄(というか正確には硫化物)の臭いが
ものすごく、
乗客には厚手の濡れおしぼりが
「マスク代わりに使って」と配られていた。

P8125435s

 

さて、今回訪問した中で、
予想外に(?)たのしめたのは、
「箱根関所」と「資料館」。

P8115393s

思わずメモってしまったネタを
パンフレットや公式ホームページの情報で
補強しながら、
整理を兼ねて記しておきたい。

 

【入鉄砲はどこ?】
関所と言うと、
学校で習ったこの言葉が最初に浮かぶ。
「入り鉄砲と出女」

「入り鉄砲と出女」は、
どんな風に監視されていたのだろう。

正徳元年(1711)に幕府道中奉行が
箱根関所に出した5項目の取調べ内容を
見てみよう。
「御制札場」に掲げられている。

1. 関所を通る旅人は、
  笠・頭巾を取り、顔かたちを確認する。

2. 乗物に乗った旅人は、乗物の扉を開き、
  中を確認する。

3. 関より外へ出る女(江戸方面から
  関西方面へ向かう女性:出女)は
  詳細に証文と照合する検査を行う。
 
4. 傷ついた人、死人、不審者は、
  証文を持っていなければ通さない。

5. 公家の通行や、大名行列に際しては、
  事前に関所に通達があった場合は、
  通関の検査は行わない。ただし、
  一行の中に不審な者がまぎれていた場合は、
  検査を行う。

あれ? 何度読んでも
「鉄砲」についての記述が
どこにもないじゃないか


資料館の解説によると
全国にあった53の関所のすべてが
入鉄砲と出女に
目を光らせていたわけではなく、
関所によって取締まり項目が違っていたらしい。

そうだったンだ。
そんなことすらここで初めて知った次第。

 

【関所の復元】
今、関所跡に行くと、
江戸時代の関所が見事に復元されている。

P8115381s

柿渋と松木を焼いた煤(すす)を混ぜた
「渋墨(しぶずみ)」で黒く塗られた建物群は、
一見の価値がある。

この復元は、
江戸時代末期に行われた
箱根関所の解体修理の詳細な報告書である

  相州御関所 御修復出来形帳
  (慶応元年:1865) 

が、静岡県韮山町(現伊豆の国市)の江川文庫から、
1983年に発見されたことが、きっかけだったらしい。

この「出来形帳」、
とにかく記述が詳細だった。

 たとえば、材料の寸法については
「六尺三寸弐分」などと
細かく「分」の単位(1分=3mm)まで
記されているだけでなく、
金物の寸法、使用される釘の本数、
石垣の高さや長さ・位置などが
広範囲にかつ、こと細かに記されていた。

 それを、大工の棟梁は、
古文書解読に長けた研究者によって
現代の漢字に直された
「読み下し文」で読むのではなく、
常に、原文の複写を
直接読むようにしていたと言う


なぜなら、こうすると

「出来形帳」を記した
人の気持ちや時代背景が
古文書を通してよく伝わってきて、
復元工事にも力が入った


からだという。
いい話だなぁ。

こんな話を聞くと、
復元された建物を見る方も
おもわず力が入ってしまう。

 

【土台の光付け(ひかりつけ)】
礎石の上に、木材の土台や柱がのるのが、
日本の建造物の基本形だが、
礎石は石ゆえ、表面はデコボコしている。
このデコボコの石に
木材をピッタリと取付ける加工技術が
光付け(ひかりつけ)


厩(うまや)の土台は、こんな感じになっていた。
礎石の凸凹具合と、土台の木材の凸凹具合が
ピッタリと一致していることにご注目あれ。

P8115398s

石の上部に石灰を撒き、
木材と石との密着具合を確認しながら
石にピッタリと合う面を削りだしていく。

型を取っての加工ではなく、
石灰の付着を見ながらの加工は
3,4日かかるとのことだが、
それだけでここまでピッタリ密着できるなんて。

資料館では、柱の例がビデオで流されていた。
ちゃんと加工が終わると、
長い柱も一切の支えなしで
デコボコの礎石の上にまっすぐに立つと言う。

P8115377s

 

【栩葺(とちぶき)屋根】
土台部分の光付け(ひかりつけ)と同様、
ぜひ見ておきたいのは
屋根の栩葺(とちぶき)。

一枚一枚、職人が丸太から
木材の繊維の方向に沿って割った板は、
杉の赤身で、
幅が4~5寸(12cm~15cm)、
長さが1尺4寸(42cm)。

2寸4分(7.3cm)ずつずらしながら
腐食に強い竹釘で打ち付けていく。

P8115391s

 

一坪(1.8m×1.8m)で使用される
屋根板は370枚ほどにもなるらしいが、
重ねにより生成される段々の形状は
ほんとうに美しい。

P8115410s

 

小さな資料館だが、
教科書的説明や復元話のほかにも、
関所破りの話やら、
享保13年(1728)に、
将軍に献上された象が通った話やら
(あんな重いものを
 どうして陸路で運んだのだろう?)
小ネタもいろいろ楽しめる。

光付け(ひかりつけ)や栩葺(とちぶき)などなど、
予備知識ありで見ると
復元建物をより細かく見られるので、
訪問時には、

「資料館」⇒「関所」の順

で見ることをお薦めする。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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