日本語が漢語に影響を与える?
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日本語が漢語に影響を与える?
- 外来語を取り込む4つの方法 -
前回、
漢語は一字一字が意味をもっていて、
ひらがなやカタカナのような
単に音だけを示す字がないため、
他語を音のまま取り込むことに
非常に不器用だ、という例を示した。
前回に引続いて
高島俊男さんの
「漢字と日本語」 (講談社現代新書)
をテキストに
もう少し漢語における外来語を見ていきたい。
(以下、水色部は本からの引用)
【特殊な形声字】
前回、
駱駝などの特殊な形声字の例を示したが、
他語を漢語に取り入れる際、
すべてこのように形声字を
新造したわけではもちろんない。
【漢字を使った意訳】
一般に多いのはもちろん意訳。
ポケットを「口袋」
タオルを「手巾」
バスを「公共汽車」
などなど。
【音訳】
最初に書いた通り、
漢語の音表記の不器用な性格ゆえ、
音を真似る、純音訳語はそう多くはない。
チョコレートを「巧克力」
マラソンを「馬拉松」
などなど。
ただ、音訳とはいえ、
ちゃんと考えられたもののようだ。
こんなコメントをしている。
チョコレートやマラソンとは感じがちがう。
「巧克力」は
「これを食えばおいしくて
しかもしっかり力がつくぞ」という
印象(連想)が働かないだろうか。
「馬拉松」は
「馬が松の木をひっぱってる、
しんどそうだなあ、先が長いぞ」という
感じがしないだろうか。
(中略)
見るほう(聞くほう)は
そういう感じを受けがちである。
訳した人も多少そこを狙っているかもしれない。
実は、上に挙げた、
形声字、意訳、音訳、以外に
漢語ならではの外来語の取り込みルートがある。
それは、なにか?
そう、
【日本語からの取り込み】だ。
言うまでもなく、日本語は漢語から
永年、圧倒的に大きな影響を受けてきた。
ところが、ある時期から
興味深い言葉の流れが発生するようになる。
漢語 ⇒ 日本語
のルートで、漢語から
多くを取り入れてきた日本語が、
逆に漢語に影響を与えるようになるのだ。
音表記が不器用ゆえ
英語 ⇒ 漢語
が難しかった漢語への、
たとえば英語の取入れが
英語 ⇒ 日本語 ⇒ 漢語
で進み始める。
日本人が英語を、意味まで考えて、
漢字を使った語に変換していったからだ。
ヘルス(health)を訳した「健康」
ナウン(noun)を訳した「名詞」
ポジティブ(positive)を訳した「積極(的)」
などの例を挙げている。
(ちなみに、積極的の的(てき)は、
英語の-ticを音訳した日本語らしい)
こういった日本語からの外来語は
「何千語とあるんじゃないか」とのこと。
では、そのような大きな流れが
発生するきっかけは
いったい、何だったのだろう?
歴史的な背景を含めて見てみよう。
【日本語が中国に入っていく】
中国では日本から入った言葉は外来語である。
日本に中国語が入ったのは
非常に古くからであるに対して、
中国に日本語が入ったのは比較的新しく、
おおむね19世紀末以後だからだろう。
日本に入った中国語は大部分根っからの中国語だが、
中国に入った日本語は多くが西洋からの語である。
なぜ、19世紀末以後に、日本語が中国に
流れ込んでいくことになるのだろう。
【日本語が持ち込まれたきっかけ】
世界の大勢におくれを取ったことに気づき、
西洋の知識・科学技術を学ばせるため
多くの若者を海外に派遣し始めた。
ごく上層の家の子弟は欧米へ行ったが、
大多数は日本へ来た。
中国から見て日本はいろいろ
いいことがある。
(中略)
西洋の知識や技術を
要領よく取り入れている。
しかもそれを「健康」「名詞」のごとく
漢字にしてくれているからとっつきやすい。
そこで富裕ではないが
選り抜きの賢い中国青年が多数東京へ来て、
日本語で西洋を学び、持ち帰った。
東京で先生の話を聞いたり、
話したり読んだりしていた日本語も
一緒に帰った。
外来語である。
日本に学びに来た中国人の若者が、
帰国と一緒に中国に持って帰った。
日本語が漢語に影響を与えるきっかけは、
こんなところにあったのだ。
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