日本の調子
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日本の調子
- 音と季節と方角と -
長い間抱いていた
「短調は暗い」
と表現されることの違和感を
高校野球の応援曲を例に、
前回、ここに書いた。
その際、
調性について少し詳しく知りたいと
思って読んだ本がコレ。
吉松隆著
「吉松隆の調性で読み解くクラシック」
ヤマハミュージックメディア
この本の中に、
西洋音楽の調についてではなく、
日本の音楽の調について、
たいへん興味深い話があったので、
今日はその部分を紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)
日本における「ドレミファ」。
これは5世紀頃に大陸から
伝承された音楽を基礎として、
日本古来の音楽すなわち
「雅楽」の世界において体系化されている。
壱越(いちこつ :レ)
平調(ひょうじょう:ミ)
双調(そうじょう :ソ)
黄鐘(おうしき :ラ)
盤渉(ばんしき :シ)
神仙(しんせん :ド)
そこから生まれる調は、
それぞれの音を基音として
「壱越調=クラシック音楽で言うと二調」、
「平調 =同じくホ調」、
「盤渉調=同じく口調」
などという具合になる。
基音の違いによって
いくつかの調がある。
これはごく自然なことと言えるだろう。
おもしろいのは、
これが明暗といった「気分」ではなく、
あることと深く結びついている点。
そのあることとは?
四季それぞれに奏されるべき調子が
決められていたという。
例えば、
春なら「双調」 、
夏は 「黄鐘調」、
秋は 「平調 」、
冬は 「盤渉調」。
実際、平安時代には、
十月になったのだから
筝を
「平調(秋のキイ)」から
「盤渉調(冬のキイ)」に変えましょう…
というような会話があったという。
現代に当てはめれば、
秋まではEmで歌っていた歌だけれど、
冬になったからBmで歌いましょう、
というようなものか。
季節によって、調を変える、キーを変えるとは、
なんと風流なことだろう。
しかも、それは「方角」にも結びつく。
古代中国の陰陽五行説の思想から来るもので、
木・ 火・ 土・ 金・ 水 が、
双調・黄鐘・壱越・平調・盤渉 の
五つの音に当たり、
方位ではそれぞれ、
東・ 南・中央・ 西・ 北
にあたる。
双調(ソ) の音は「春」と「東」
黄鐘(ラ) の音は「夏」と「南」
平調(ミ) の音は「秋」と「西」
盤渉(シ) の音は「冬」と「北」
を表わすわけである。
ということは、
ミ(平調)の音は西、
ラ(黄鐘)の音は南から聞こえてこそ、
正しい音のあり方ということになる。
それゆえ平安京では、
御所を中心にして寺院の鐘の音は
それぞれこの方位に基づいて
チューニングされていた、という説さえある。
「説」かもしれないが、初めて知った。
鐘の音程が、御所からの方角によって
違っていたかもしれないなんて。
季節の音楽を(無理やり)クラシック音楽に
あてはめると、
「春」の音楽は「卜長調」
「夏」の音楽は「イ長調」
「秋」の音楽は「ホ短調」
「冬」の音楽は「口短調」
ということになる。
ここから、クラシックの名曲が
例としていくつか出てくるので、
YouTubeからのサンプルを割込ませて貼って、
その雰囲気を確認してみたい。
まずは、春。
モーツァルトのセレナーデ第13番
(アイネ・クライネ・ナハ卜・ムジーク)
や
弦楽四重奏曲第14番〈春〉
は、
そのまま「卜長調」で「春」。
続いて夏。
などは
「イ長調」だから「夏」。
(ダメだ、
「のだめカンタービレ」の印象が強すぎて、
冷静に季節を感じられない。私的感想。失礼)
さて、秋は・・・
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲
や
ドヴォルザークの交響曲第9番〈新世界より〉
は
「ホ短調」で「秋」。
冬は・・・
シューベルトの交響曲第7(8)番〈未完成〉
や
チャイコフスキーの交響曲第6番(悲愴)
などは
「口短調」で「冬」ということになる。
なんとなくぴったりな雰囲気ではないか。
吉松さん自身も最初に言っている通り、
日本の季節の調を
クラシック音楽にあてはめて
聞いてみよう、という
ちょっと無理やりな試みだが
こうして並べて聞いてみるとおもしろい。
最後に、日本の長調と短調について
触れておこう。
大陸から渡来した基本の旋法は、
呂(ろ) 旋法 : 壱越調 双調
太食調(たいしきちょう)
律(りつ)旋法 : 平調 黄鐘調 盤渉調
の6つ(六調子 りくちょうし)。
大まかにいうと、
呂は長調にあたる音階 で、
律は短調に当たる音階。
この「呂」と「律」が
しっかり吹き分けられない楽師は
「呂律(ろれつ)がまわらない」と
笑われたそうで
これが雅楽の時代の音階の基本。
「呂律(ろれつ)がまわらない」とは
元は、しゃべり方ではなく
演奏のほう指す言葉だったようだ。
ブラバン部員だった私としては、
呂律(ろれつ)がまわっていない練習風景は、
むしろ懐かしかったりするのだが・・・
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コメント
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今日は。いつも“新鮮で意外”な話題には驚かされます。
今回のお話の延長線上の話となるかどうか分かりませんが、先般のリオ・オリンピックでも何度も耳にした、金メダル授与式での各国の国歌を聞いて、私が前から思っていたことがあります。
それは、先進国、新興国を問わず、テンポの速い、勇猛で威勢の良い調子の国歌が多い中で、わが「君が代」は突出して(!)のどかな(その意味で平和な)ゆっくりとした調べのよう感じるのですが、これは今回のお説と平仄が合う話なんでしょうか?(今までにそんな話題を聞いたことありませんが、私は個人的には「君が代」の美点だと思うのですが‥‥)
投稿: 平戸皆空 | 2016年8月29日 (月) 18時00分
平戸皆空さん、
コメントをありがとうございます。
なるほど、国歌については
これまでほとんど意識したことがありませんでした。
聞き比べるとなると、
オリンピックはまさにいい機会でしたね。
紛争の結果としての「建国」を
歴史として抱えている国は多いので、
それを思って歌を作ると
>勇猛で威勢の良い調子
になってしまうのかもしれません。
フランス国歌のように、日本人的感覚からすると
とても国歌とは思えないような
激しい内容の「歌詞」のものもあるようですし。
それらに比較すると、確かに「君が代」は
>突出して(!)のどかな(その意味で平和な)
>ゆっくりとした調べ
に聞こえますね。
私は、いつ聞いても
「おごそか」という言葉が浮かぶ
数少ない曲のひとつだと思っています。
ちなみに、
「君が代」の調は、本文で書いたまさに
「壱越調律旋」で、
日本の、と言うか、雅楽の調になるようです。
投稿: はま | 2016年8月30日 (火) 23時01分