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2016年7月10日 (日)

さっと手の挙がる英語社会

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さっと手の挙がる英語社会

- 内容よりも優先順位の高いこと -

 

英語とわたし (岩波新書)
岩波新書編集部 (編集)

から、筑紫哲也さんが書いた エピソード
紹介したことをきっかけに、
いくつか英語に関するネタを
思い出すままに書かせていただいた。

ここで、
同じ本に収められている
鴻上尚史さんの
「海外で生き残るための英語」
一部を紹介して、英語ネタの一区切りとしたい。
(以後水色部は本からの引用)

鴻上さんは、
日本で教育を受けた人が、
英語圏の人と接するようになったとき、
だれもが戸惑うあるポイントを、
実に要領よく、かつわかりやすく
書いてくれている。

そして、そのことを、
「海外で生き残るためのヒント」
とまで言っている。

 

 最後にもうひとつ、
海外で生き残るためのヒントを
書いておきます。

 僕が日本でワークショップや講演会をした後、
「なにか質問はありますか?」と聞くと、
たいてい、参加者の人は下を向いて黙り込みます。

海外で講演会をした時、
「質問はありますか?」と聞くと、
何本もの手がさっと上がります。

一般的には、
「だから、日本人はだめなんだ」
と言われたりしますが、
これには理由があると思っています。

「質問は?」に
下を向く日本人、
さっと手が挙がる欧米人。

まさに多くの場面が思い浮かぶ。
さて、「理由」とはナンだろう。

 

 

僕達は、
「質問がありますか?」と聞かれると、
内心、
ちゃんとした質問をしないといけない
と思っています。

質問は質問でも、
「ちゃんとした」質問をしないといけないんだ、
と刷り込まれているのです。

欧米では、何かを見たり経験したりしたら、
「あなたは他の誰でもないあなたなんだから、
 あなたなりの感想があるはずだ」
という刷り込みがあります。

だから
「質問はありますか?」と聞いても、
感想を語る人が後を絶ちません


日本で言えば、
「それは質問じゃなくて、感想じゃん」
という一番、突っ込まれることを、
みんな平気でします。

自分が自分であるためには、
 思った事を言うこと

が求められているからです。

「ちゃんとした質問をしないといけない」
というプレッシャー、
一方で、
(内容がなんであれ)
「発言すること」に意味がある、という価値観。

私自身の体験に照らし合わせても
おもわず「そうそう」と声に出したくなるような
首肯できる話だ。

 

 

質問があっても、鋭い質問はマレです。
きわめて平均的な質問です。

ただ、平均的な質問をして、他の人達が
「あ、私も同じ質問をしようと
 思っていたのよ」
とうなずくのです。

で、なにが言いたいのかというと、だから、
「欧米で、英語が下手な結果、
 トンチンカンな事を言っても、
 大した問題じゃない」ということです。

大変なのは、日本に来ている外国人なのです。
日本語を勉強しようとして来ている外国人が、
日本語で変な質問をしたら、日本社会は、
「質問するなら、ちゃんとした質問しろよ。
 そんなことは、みんな分かってるんだよ」
と突っ込まれる可能性が大きいのです。

が、欧米社会では、質問にならず、
感想をえんえん語っても
(それが凡庸な感想でも)
全然、オーケーなのです


だって、その本人がそう感じたことは、
必ず、尊重されるからです。
内容ではありません。
語るということが尊重されるのです

「内容ではありません。
 語るということが尊重されるのです」
と言い切っているが、ここがポイントだろう。

 

 

 なので、英語をしゃべる時には、
日本社会にいる感覚とは違う感覚を持つことです。

それは、
「あなたがしゃべることが尊重される」社会
ということです。

もちろん、その結果、
アメリカやイギリスの大学の授業では、
他の生徒がうんざりしているのに、
自分の質問だけをえんえん語る生徒、
なんてのが頻出します。
しかし、それもアリなのです。

 恥ずかしがることはありません。
あなたが英語でしゃべることは尊重されるのです。
勇気をもって、英語をしゃべって下さい。

「黙っている」よりも「語る」ことが
尊重される社会。

「外国語ができる」とは、
単に「翻訳」ができる、できないの能力だけを
指しているのではない。

特に「会話」においては、
そういった相手の「価値観」に気づくことこそが
「言葉」以上に重要な気がする。

「会話」が成立してはじめて
「コミュニケーション」
できたことになるのだから。

 

でも、これ
ちょっと冷静に考えると、
外国語に限った話ではない。

「日本人同士だから通じているはず」が
通用しないときも、多くの場合、
「日本語」ではなく
「価値観」がわかっていないことが
原因だったりするので。

 

 

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コメント

今日は。hama-1987さんのブログをいつも面白く拝読させてもらっています。
今日のをお読みした後、数年前に私が自分のブログで書きましたことを思い出しましたので、図々しいとは思いますが、コメントに掲載させていただこうと思いました。hama-1987さんと論点はズレますが、日本人の一つの(悪しき?)典型だったなという感想があります。(少し長い点もご容赦ください)

『帰国子女や英会話スクールの経験のある人はまず不都合はないことでしょうが、私のような凡人は学校時代に何年英語を学んだか忘れましたがとうとう英語を話せない人生が確定的です。高校時代には「豆単」を食べたかというほど英単語を暗記して、ヘタなアメリカ人より何倍も語彙が上回る位だったにもかかわらず会話ができないのはやはり根本的な勉強方法にミスがあったのでしょう。
 そんな状態でサラリーマン時代にあった海外出張での経験談を一つ。私は証券会社に勤務して一時期には上場会社担当部署にいたのですが、その担当会社がヨーロッパ(ロンドンやチューリッヒ)でファイナンス(社債の発行等による資金調達)を盛んに行なった時があり、私ら担当者も会社の役員(社長、財務担当役員等)にアテンドして現地に出向いたものです。まず基本的な準備は日本で行なってから日程が詰まった所で最後の調印セレモニーのために現地に行くもので、半分以上旅行気分です。調印日を真中にして2日前位に現地入りし、調印後の2日後位には帰国する短期間の旅程が普通でした。さて調印式はホストの現地金融機関の貴賓室で行われ、調達会社、証券会社、現地金融機関の各役員・スタッフの合計15~20人程度が出席してファイナンスに関する契約調印が交わされると、直ちにテーブル席で会食(ランチョン)となります。この会食の席が訪問側(日本人)と現地側(イギリス人やスイス人)とが互いに入り混じった形にセットされています。つまり私も末席ながら席に着きますが両サイドは“外人”です。さていよいよ会食が始まるとあちこちでフランクな会話が始まります。要領を事前に聞いていた私はそこで迷わず立ち上がるとカメラを持ってあちらこちらをパチリ、パチリと撮り始めるのです。特に日本の会社の役員の方々にとっては晴れがましい場なので記念写真は嬉しいものです。私は時々は席に戻るのですがその時は一心に食事をぱくつき、両サイドからは取り付く島もない様子でいます。うっかり声を掛けられても食べ物を頬張ったまま振り向けば、それ以上話しかけられることはありません(エチケットです)。これが悲しいかな外人との会話を回避する最善策なのです。(英語で)話しかけられてもまず何を言っているか分からず目を白黒させる羽目になるからです。これは実は日本にいる時に皆からそういう風にしろと教え込まれていたのです。
 一方、それでもシャンパンやワインも飲みたいので席でグラスを傾けていれば必ず左右どちらかから話しかけられます。‥‥しかし、ここでうまくホロ酔いしてしまうと、何と驚くなかれ、英語がちゃんと聞き取れるのです!彼らも日本人にそう難しいことは聞かないのです。日本の経済の調子はどうか、成長率はどの位か、市場の見通しは‥‥という常日頃から聞き慣れていることを易しく英語で聞くだけなのです。酔ってリラックスした耳で聞けば何てこともない話なのです。あとはあの「豆単」英語で話を返せばいいのです。発音や文法が少々おかしくても彼らはこちらの話を理解してくれるのです。
‥‥“な~んだそうだったのか”と言うようなものですね。しかし、翌日しらふで現地の人に会うと、また何を言っているか分からないのです。
‥‥要するにこれは生の英会話の苦手を克服するためのヒントとしての“酒の効用”という話で、英語の勉強には酒を飲むべしという話ではありませんので、念のため。』

平戸皆空さん、

私はおそらく「豆単」のわかる
最後の方の世代だと思いますが、
臨場感のある体験談を
ありがとうございました。
楽しく読ませていただきました。

ホロ酔いで逆に聞き取れるようになるとは、
不思議なものですね。
それこそ、「うまくやり取りしなければ」という
暗黙のプレッシャーから解放されるからもしれません。

特に会話は、表情やら「しぐさ」やら
言葉以外の情報が結構多いので、
そのあたりの感性が鋭くなると、
意味の理解に繋がってくる気もします。

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