ピアノの『響き』を作り出しているもの
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ピアノの『響き』を作り出しているもの
- 中村紘子さんの訃報にふれて -
2016年7月26日、
ピアニストの中村紘子さんが亡くなった。
享年72。
中村さんは、ピアノ演奏だけでなく、
エッセイでも素敵な作品を数多く残している。
この「はまめも」でも
ピアニストには三種類しかいない
あらゆる場所が物語の力を秘めている
などで引用させていただいた。
個人的には以下の三冊がお薦めだ。
エッセイでその記述を読んだことはないのだが、
実は、中村さんというと
ある対談番組で聞いた話が、
非常に強く印象に残っている。
その時は、まさに御専門、
ピアノの音についての話だった。
今日は、その話を紹介したい。
予備知識として必要なのは、
「ピアノの構造」と「共振(共鳴)と倍音」。
最初に、ピアノの構造を復習しておこう。
ピアノは簡単に書くと、
下記のような構造になっている。
通常は、ダンパーが弦に接触していて、
弦の振動を抑えている。
(弦が鳴らないようにしている)
音が出る仕組みは、
① 右側、鍵盤をたたくと
② 鍵の左側が上がり、
ダンパーが弦から浮き上がる。
(弦が鳴る状態になる。開放弦)
③ ダンパーが離れた弦をハンマーが打つ。
(この時、弦が震えてポォーンと音がでる)
④ ハンマーは弦を打ったあとすぐに元の位置に戻る。
⑤ 鍵盤から指が離れると、ダンパーが下がって
再び弦と接触し、音を止める。
つまり、鍵盤をたたき指を離す、の動作のうちに、
ダンパーが上がり、
ハンマーが弦を打ち、
ダンパーが下がる
が繰り返されている。
ポイントは、ハンマーが弦を打って音を出したあと、
ダンパーが上がっている間は、
つまり、鍵盤が下がっている間は、
弦が振動し続けているということ。
その後、鍵盤から指を離すと
ダンパーが下がって弦を強制的に抑えてしまうので、
その瞬間、音は消えてしまう。
(ピアノには、鍵盤の状態と関係なく、
ダンパーを一斉に弦から浮かす
サスティンペダルというペダルもあるが
今回の話ではそこには触れない。
あくまでも、
鍵盤の上下とダンパーの上下が
連動している範囲で話を進める)
もうひとつの予備知識は共振(共鳴)と倍音。
共振(共鳴)は、
だれもが小学校の時に
音叉の実験で経験しているはず。
一つの音叉1を鳴らし、
同じ高さの音の音叉2を近づけると、
音叉2が鳴り始める、あれ。
音叉に限らず、
同じ固有振動数を持つものは
共振して鳴り始める、
というのが理科的な説明だが、
簡単に言うと、
「ド」が鳴っているときに、
「ド」の開放弦を近づけると、
その弦も振動を始める、ということ。
倍音のほうは、
正確に話そうとすると、周波数だの、
純正律だの平均律だのに触れねばならず
かなり面倒なのだが、
こちらも思い切って簡単に言ってしまうと、
「ド」の音を鳴らしたときは、
「ド」の音だけが鳴っているわけではない
ということ。
「ド」の倍音となる
「ソ」や「ミ」や「シ♭」などが
一緒に鳴っている、というか含まれている。
なので「ド」が鳴っているときに、
倍音にあたる「高いミ」の弦を近づけても
「ミ」の弦が共振(共鳴)して鳴り始める。
以上で、準備OK。
ここからは、
簡単な実験をしてみたい。
グランドピアノでもアップライトピアノでも、
アコースティックのピアノが身近にあれば、
1分もかからない実験なので、ぜひお試しあれ。
(a) 右手で「ド」を強く叩き、
音の『響き』を聞く。
その後、
(b) 左手5本指で低い「ド」を含む
いくつかの音をジャーンと鳴らす。
(c) 左手の指は鍵盤から離さずに
そのまま押し下げたまま、
音が消えるのを待つ。
(d) 音が消えたら、左手はそのままで、
(a)と同じ「ド」をもう一度強く叩き、
(a)の響きと聞き比べる。
(a)でも(d)でも、音を出したのは
右手による「ド」の一音だけだが、
これ、だれが聞いてもすぐにわかるくらい
「ド」の響きが全然違う。
理由は簡単。
左手側の弦が共振(共鳴)するからだ。
(d)直前、
左手は鍵盤を押し下げたままのため、
ダンパーは上がったまま。
ピアノの内部には「5本の開放弦」が
存在していることになる。
その状態で、右手による「ド」が鳴ると、
開放弦の何本かが共振(共鳴)して、
鳴りだしてしまう。
つまり、(d)においては、
開放弦がなかったときの(a)の時とは、
振動している弦の数が全然違うのだ。
それが響きの違いを生み出している。
(d)の音を聞いている途中で、
左手を鍵盤から離して(ダンパーを下ろし)、
左手の弦の共振(共鳴)を止めると、
びっくりするくらい音が変わる。
(a)の響きに戻る、とも言えるけれど。
つまり、
音を出した
右手の「ド」の『響き』を決めていたのは、
音を出さずに
ただ鍵盤を押さえていただけの左手、
ということになる。
これは確認のための簡単な実験だが、
実際の演奏では、これが10本の指の間で
絶え間なく起こることになる。
ある音が鳴ったその瞬間、
どの弦が共振する状況にあるのか。
中村さんは、
上記のことを素人にもわかるように
要領よく説明したあと、
「『音を出すタイミング』は、
鍵盤をいつ叩くか、で決まる。
しかし、叩いた指をいつ鍵盤から上げるか、
つまり、いつまで開放弦を作って
ほかの音に共鳴させるか、で
『響き』のほうは全然違ってくる。
音を出していない指が『響き』を作り、
音楽を作っている。
指を上げるタイミングの違いが
演奏にどんな変化を与えることになるのか、
それがわかるようになってくると、
練習時間は何分あっても足りなくなる」
そんなコメントをしていた。
もちろん素人の私には、
そんな細かな聞き分けはできないけれど、
プロがどんな思いで演奏に向き合っているのかを
シンプルかつreasonableな実験と共に知った
忘れられない体験だった。
ご冥福をお祈りいたします。
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