かつてのアフリカの王国
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かつてのアフリカの王国
- 不正を憎む規律正しい国々 -
以前、アフリカは大きいに
アフリカがいかに巨大か、
アフリカの国の名前を
私自身がいかに知らないか、
を書いたが
その程度のことでも驚いてしまうくらいなので、
歴史となると
それこそ情けないくらいに何も知らない。
4月から放送中のNHKカルチャーラジオ
歴史再発見「アフリカは今 カオスと希望と」
は、そんなアフリカ無知の私にとって、
あまりにも強烈な内容だったので、
思わずテキストまで買ってしまった。
(以下水色部、テキストからの引用)
歴史や地理の話に限らないが、
基礎知識がない分野というのは、
固有名詞の語彙が極端に狭い。
固有名詞を知らないと、音だけは
「えっ?今の何?」と何度も躓いてしまう。
正しい固有名詞があるだけでも、
再確認や再検索の負担はかなり軽くなるので、
テキストがあるとおおいに助かる。
今も週一回のペースで放送中で、
6月末まで続く全13回にわたるシリーズだが、
これまで聴いた中から一部を紹介したい。
講師はアフリカでの取材経験が豊富な
ジャーナリスト松本仁一さん。
米国のシンクタンク「平和基金会」は
毎年、いくつかの指標ごとに
点数をつけて崩壊国家の順位を発表しているが、
2013年の崩壊国家ランキングでは、
ワースト20の内の15カ国が
アフリカの国になっている。
なぜ、
崩壊国家だらけになってしまったのだろうか?
なぜ、治安を維持できない、
混乱した状態になってしまったのだろうか?
混乱の原因に触れる前に、
まずは、かつてアフリカにあった
安定した国々の話から始めたい。
【14世紀ごろの「32」の王制国家】
9世紀ごろから王国が形成されはじめ、
14世紀ごろには大きなものだけでも
32の王制国家があった。
そのいずれもが
きちんとした社会ルールを持ち、
正義を基盤とした規律ある国家運営をしていた。
32もの王制国家があったらしい。
歴史上のアフリカ国家、
いくつ名前が思い浮かぶだろうか?
【ガーナ王国】
アラブ人地理学者エル・ベクリが著した
『北アフリカ誌』には、
ガーナ王国は8世紀ごろから栄えたと、
次のように書かれている。
「ガーナの国王は
20万人の兵士を動員することができ、
そのうちの4万人は弓矢で武装している。
国家財政は、
ここで取引される塩や金に対する課税で
支えられる。
王は異教を信じているが、
大臣や官僚にはイスラム教徒が登用されている」
「王国の版図は、
西はセネガル川、東はニジェール川に及ぶ。
採れた金のうち、金塊は王の所有に属したが、
砂金は自由な処分に任されている」
(山川出版社 『アフリカ現代史Ⅳ』)
日本でいえば平安後期。
藤原道長が没し、
平家と源氏の隆盛が始まるころだ。
そのころアフリカにはすでに、
活気ある王国が成立していたのだ。
20万人もの兵を動員でき、
税と官僚組織も備えていたガーナ王国。
【マリ王国】
イブン・ハルドゥーンが残した記録によると、
13世紀ごろから現在のトンブクトゥを中心に
マリ王国が形成され、
14世紀初期、マンサ・ムーサ国王のときに
最盛期を迎えた。
マリ王国の繁栄は
ガーナ王国をはるかにしのぐものだった。
1324年、ムーサ王はメッカに巡礼する。
王の大行列は、往路、
エジプトのカイロを通過した。
その際、
行列を見物する人々に大量の金の粒をばらまく。
そのためカイロの金相場が下落して大騒ぎになった。
この事件で、
マリの繁栄は西欧にも知られることになり、
西欧の世界地図にマリが描かれるようになった。
文化人類学者の川田順道民は、
このときムーサ王が携行した金は
13トンに及ぶと推定する
(山川出版社『黒人アフリカの歴史世界』)。
単純に今のレートで換算すると
13トンの金は500億円をはるかに超す。
金13トンを持って旅したマリの王様!
トンブクトゥには、
2つの大学、
180のコーラン学校があり、
学生の数だけでも2万人を数えたと言う。
キャラバンサライ(隊商宿)が軒の連ね、
職人や商人が町にあふれていた。
【マリ王国の規律と治安】
アラブ人紀行家イブン・バトゥータは
1353年、マリ王国を訪れて半年も滞在した。
その体験を、
後にイブン・ジュザイイに口述筆記させた
『旅行記』でこう述べている。
「マリの王は規律正しく国を治めている。
王国の黒人たちの資質はすぐれており、
彼らは他のどの民族よりも不正を憎んでいる。
王はどんな小さな悪に対しても厳しい。
旅行者も居住者も、
泥棒や暴漢の心配をする必要はなく、
治安の問題はまったくない」
「マリの国内で外国人が死んだとき、
その財産がいかに莫大であろうと、
没収されるようなことはない」
(山川出版社『アフリカ現代史Ⅳ』)。
日本の南北朝時代、足利尊氏のころだ。
そのころ世界に覇を唱えていた
イスラム社会の紀行家が感心するほど、
整備され、安定した王国がアフリカにできていた。
「他のどの民族よりも不正を憎んでいる」
「治安の問題はまったくない」
講師の松本さんは、
「国家と治安」の関係を、
このあとも何度も何度も強調する。
国家に要求される最大の使命は、
治安を守ることだ、と。
民主的な政治システムなどというのは、
そのあとの課題だ、と。
【東アフリカには】
19世紀、インド洋岸から
奥地に探検に入った西欧の探検家たちは、
海岸から約800キロ内陸に、
石造りの遺構を見つけた。
探検家たちはずいぶん面食らったようだ。
黒人は泥と草の家しかつくれない、
黒人に石造りの建物は作れないと
思いこんでいたからだ。
そのうち一人は、大真面目に報告した。
「われわれはついに
シバの女王の都を発見した」
旧約聖書に登場するあのシバの女王??
【ジンバブエ遺跡:モノモタパ王国】
ジンバブエの首都ハラレから南へ約300キロ、
第二の都市マシンゴ郊外の山の中にある。
遺跡は丘と谷の起伏を利用して、
1キロ半四方に広がっている。
建築の素材は、
レンガ大に切りだした花崗岩だ。
何百万個という石を丹念に積み上げ、
見上げるほどの高さのある石壁を
つくりあげている。
石積みには、
アラブやインドの遺跡で見られるモルタル、
粘土といった接合剤をいっさい使っていない。
同じ大きさの石を積み上げただけで、
高い尖塔やカーブした壁がつくられている。
「エンクロージャー」(大囲壁)と呼ばれる建築物は
王の宮殿跡とされる。
長円形で東西約100メートル、南北で70メートル。
その石壁の中にまた石壁の囲みがあり、
間を迷路のような通が走っている。
その道はすべて石の舗装だ。
建物と建物をつなぐ回廊もすべて石造りだ。
この石都市モノモタパ王国の隆盛は
9世紀から19世紀まで、1000年にわたって続いた。
石造りの技術だけでなく、
もちろん財源も確保していたようだ。
【金を目方も量らずに・・・】
アラブ人商人に
「金を目方も量らずに与え、
代わりに色つきの布を得て帰って行った」という。
その金の鉱脈はどこにあったのか、
今ではまったく分からない。
ガーナ、マリ、モノモタパ、
どの王国も、
治安の維持された安定した国家だった。
それがどうして、
現在の混乱したアフリカの国々に
繋がっていくことになるのか。
長くなってきたので続きは次回にしたいが、
一節のみ、予告の文章を。
ポルトガルの航海者バスコ・ダ・ガマは
インド航路開発のため
二隻の艦隊でリスボンを出発し、
喜望峰を回ってインド洋に出た。
アフリカ東海岸で最初に寄った港は、
今のモザンビークのソファラだと見られている。
アフリカの歴史に登場する西欧列強。
かれらがアフリカに対して何をしたのか、
今のアフリカの問題点の原点はそこにある。
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