少年の万引き
(全体の目次はこちら)
少年の万引き
- 人生の師は -
ここでも書店の減少のことを書いたが、
昨日も、
東京、埼玉、神奈川で計10店舗を展開する
「芳林堂書店」が26日、
東京地裁に自己破産を申請し・・・
というニュースがあった。
知っている本屋さんゆえによけいさみしい。
リアル書店の収益と言えば、
万引きによる引当金の話も
よく耳にする。
店によっては、売上の2-10%にもなるという。
それだけが理由で、ということはないだろうが、
ひどい、というより悲しい話だ。
万引きという言葉が、つまりは窃盗なのに、
出来心、いたずら、ゲーム、といった甘えを
許している面があることが
いけないのかもしれない。
見つかったことを
「運が悪い」と思っているうちはまた繰り返す。
「二度としない」と心から思わせるには
どうすればいいのだろう。
そう言えば、
講談社の小説誌「小説現代」に連載されていた
井上ひさしさんのエッセイに
「万引き」という作品があった。
いまはここで読める。
なんと井上さん自身の
万引き体験を綴っている。
(以下水色部エッセイからの引用)
中学三年の春、
転校先の岩手県一関市の書店で、
わたしは生まれて初めて
万引きというものをした。
どうしてその小さな英和辞典を
上着の下に隠してしまったのか、
その理由はいまだによく分からない。
で、始まっている。
小遣いももらっていたし、
辞書もすでにいいものを持っていて
欲しかったわけではない。
それなのに、
もうわたしは定価五百円の英和辞典を
ズボンと下着の間に挟んでしまっていた。
店番をしていたのは
細縁眼鏡のおばあさんだったが、
そのおばあさんを甘く見たのか、
万引きで余ったお金で大福餅でも
食べようと思ったのか、
友だちに盗品をこっそり見せて
度胸のあるところを誇りたかったのか、
古くさい辞書にあきて新しいものを
使いたかったのか、
あるいはその全部だったのか、
それもよく分からない。
とにかくわたしは硬い辞典の冷たさを
下着を通して感じながら震えて立っていた。
あのときの
(世界から外れてしまったようなおそろしさ)を
今も忘れることができない。
そんな状態でつかまらないはずはない。
「警察へ連れて行こうか」という
店のおじさんを制して、
おばあさんは井上少年を奥に連れて行く。
震えながら差し出すと、
おばあさんはその英和辞典をしげしげと見てから、
「これを売ると百円のもうけ。
坊やに持って行かれてしまうと、
百円のもうけはもちろんフイになる上に
五百円の損が出る。
その五百円を稼ぐには、
これと同じ定価の本を
五冊も売らなければならない。
この計算が分かりますか」
四百円で仕入れて五百円で売っている。
簡単な計算だから、こわごわ領くと、
「うちは六人家族だから、
こういう本をひと月に
百冊も二百冊も売らなければならないの。
でも、坊やのような人が
月に三十人もいてごらん。
うちの六人は飢死にしなければならなくなる。
こんな本一冊ぐらいと、
軽い気持でやったのだろうけど、
坊やのやったことは人殺しに近いんだよ」
本人が納得する形で諭したあと、
おばあさんは
意外なことを井上少年に指示する。
おばあさんは庭の隅に積んであった
薪の山を指して云った。
「あの薪を割ってお行き。
そしたら勘弁して上げるから」
ぶじに帰してもらえるのなら、
どんなことでもするつもりでいたから、
死に物狂いで薪を割ったことは云うまでもない。
薪割りがあらかた片付いたころ、
おばあさんがおにぎりを二つ載せた皿を
持って現われた。
「よく働いてくれたねえ。
あとは息子がやるから、
おにぎりを食べてお帰り」
おばあさんが差し出してくれたものは、
おにぎりだけではなかった。
わたしに差し出してこう云った。
「薪割りの手間賃は七百円。
安いと思うなら、
どこへでも行って聞いてみるといい。
七百円が相場のはずだからね。
七百円あれば、
坊やが欲しがっていた英和辞典が
買えるから、持ってお行き。
そのかわり、このお金から五百円、
差っ引いておくよ」
なんという対応だろう。
二百円の労賃と、
英和辞典一冊と、
欲しいものがあれば働けばいい、
働いても買えないものは欲しがらなければいい
という世間の知恵を手に入れた。
まったく人生の師は至るところにいるものだ。
もちろん、それ以来、万引きはしていない。
また薪割りをするのはごめんだし、
なによりも
万引きが緩慢な殺人に等しいということが、
おばあさんの説明で骨身に沁みたからである。
万引き少年をつかまえて、
「二度としない」と心から思わせたばかりか
人生訓までをも与えた例が
ここにはある。
(全体の目次はこちら)
最近のコメント