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2016年2月

2016年2月28日 (日)

少年の万引き

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少年の万引き

- 人生の師は -

 

ここでも書店の減少のことを書いたが、
昨日も、

東京、埼玉、神奈川で計10店舗を展開する
「芳林堂書店」が26日、
東京地裁に自己破産を申請し・・・

というニュースがあった。
知っている本屋さんゆえによけいさみしい。

 

リアル書店の収益と言えば、
万引きによる引当金の話も
よく耳にする。

店によっては、売上の2-10%にもなるという。
それだけが理由で、ということはないだろうが、
ひどい、というより悲しい話だ。

万引きという言葉が、つまりは窃盗なのに、
出来心、いたずら、ゲーム、といった甘えを
許している面があることが
いけないのかもしれない。

見つかったことを
「運が悪い」と思っているうちはまた繰り返す。

「二度としない」と心から思わせるには
どうすればいいのだろう。

 

そう言えば、
講談社の小説誌「小説現代」に連載されていた
井上ひさしさんのエッセイに
「万引き」という作品があった。

いまはここで読める。

なんと井上さん自身の
万引き体験を綴っている。
(以下水色部エッセイからの引用)

万引き

 中学三年の春、
転校先の岩手県一関市の書店で、
わたしは生まれて初めて
万引きというものをした。

どうしてその小さな英和辞典を
上着の下に隠してしまったのか、
その理由はいまだによく分からない。

で、始まっている。

小遣いももらっていたし、
辞書もすでにいいものを持っていて
欲しかったわけではない。
それなのに、

だが、気がつくと、
もうわたしは定価五百円の英和辞典を
ズボンと下着の間に挟んでしまっていた。

 店番をしていたのは
細縁眼鏡のおばあさんだったが、
そのおばあさんを甘く見たのか、

万引きで余ったお金で大福餅でも
食べようと思ったのか、

友だちに盗品をこっそり見せて
度胸のあるところを誇りたかったのか、

古くさい辞書にあきて新しいものを
使いたかったのか、

あるいはその全部だったのか、
それもよく分からない。

とにかくわたしは硬い辞典の冷たさを
下着を通して感じながら震えて立っていた。

あのときの
(世界から外れてしまったようなおそろしさ)を
今も忘れることができない。

そんな状態でつかまらないはずはない。
「警察へ連れて行こうか」という
店のおじさんを制して、
おばあさんは井上少年を奥に連れて行く。

「上着の下に隠したものをお出し」

 震えながら差し出すと、
おばあさんはその英和辞典をしげしげと見てから、

「これを売ると百円のもうけ。
 坊やに持って行かれてしまうと、
 百円のもうけはもちろんフイになる上に
 五百円の損が出る。

 その五百円を稼ぐには、
 これと同じ定価の本を
 五冊も売らなければならない。
 この計算が分かりますか」

 四百円で仕入れて五百円で売っている。
 簡単な計算だから、こわごわ領くと、

「うちは六人家族だから、
 こういう本をひと月に
 百冊も二百冊も売らなければならないの。

 でも、坊やのような人が
 月に三十人もいてごらん。

 うちの六人は飢死にしなければならなくなる。
 こんな本一冊ぐらいと、
 軽い気持でやったのだろうけど、
 坊やのやったことは人殺しに近いんだよ

本人が納得する形で諭したあと、
おばあさんは
意外なことを井上少年に指示する。

 恐ろしくなって縮み上がっていると、
おばあさんは庭の隅に積んであった
薪の山を指して云った。

「あの薪を割ってお行き。
 そしたら勘弁して上げるから」

ぶじに帰してもらえるのなら、
どんなことでもするつもりでいたから、
死に物狂いで薪を割ったことは云うまでもない。

 薪割りがあらかた片付いたころ、
おばあさんがおにぎりを二つ載せた皿を
持って現われた。

「よく働いてくれたねえ。
 あとは息子がやるから、
 おにぎりを食べてお帰り」

おばあさんが差し出してくれたものは、
おにぎりだけではなかった。

 そして驚いたことに、お金を七百円、
わたしに差し出してこう云った。

「薪割りの手間賃は七百円。
 安いと思うなら、
 どこへでも行って聞いてみるといい。
 七百円が相場のはずだからね。

 七百円あれば、
 坊やが欲しがっていた英和辞典が
 買えるから、持ってお行き。

 そのかわり、このお金から五百円、
 差っ引いておくよ」

なんという対応だろう。

 このときわたしは、
二百円の労賃と、
英和辞典一冊と、
欲しいものがあれば働けばいい、
働いても買えないものは欲しがらなければいい
という世間の知恵を手に入れた

まったく人生の師は至るところにいるものだ。

もちろん、それ以来、万引きはしていない。
また薪割りをするのはごめんだし、
なによりも
万引きが緩慢な殺人に等しいということが、
おばあさんの説明で骨身に沁みたからである。

万引き少年をつかまえて、
「二度としない」と心から思わせたばかりか
人生訓までをも与えた例が
ここにはある。

 

 

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2016年2月21日 (日)

CAUTION(注意しろ!)のスペイン語訳

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CAUTION(注意しろ!)のスペイン語訳

- メキシコとの国境近くで -

 

今年11月のアメリカ大統領選挙に向けて、
過激な発言を続けている共和党のトランプ氏。

先日も、移民政策を巡り、

「隣国のメキシコからの不法移民を防ぐために
 国境に壁を築くべきだ」

などとコメントしてニュースになっていた。

こうした発言に対して、メキシコを訪れた
ローマ法王のフランシスコ法王は、
バチカンに帰る機内で記者団の質問に答え、

「壁を築くことを考え、
 橋を架けることを考えない人
は、
 キリスト教徒ではない」

と述べたという。
(2016年2月19日のNHKニュース)

 

「メキシコからの不法移民」
という言葉を聞いて、米国駐在時に目にした、
ある標識を思い出した。

 

米国の地図を見るとわかるが、
北はカナダとの国境から
南はメキシコとの国境まで、
まさに南北を貫いて、
米国の西海岸に沿うように、
「I-5」と呼ばれる
長い長い高速道路が走っている。

I-5の「I」は「interstate」、
州を結んで走る高速道路のことだ。
「5」は、5号線を表す数字。

interstateの数字は
2桁まではPrimaryと呼ばれて一級扱いだが、
数字そのものにも簡単な意味がある。

奇数なら南北、偶数なら東西
に走っており、5で割り切れると、
合衆国を縦断または横断する


つまり、I-5と言うだけで、
合衆国を南北に縦断する道路の一本、
ということがわかる


(ちなみに、東海岸沿いに
 南北を縦断しているのはI-95だ)

 

このI-5を、ロサンゼルスから
メキシコとの国境に位置する都市
サンディエゴに向けて、
つまり南方向に走って行くと、
サンディエゴの手前あたりから、
道路沿いに、
この標識が目につくようになる。

Cai5caution1s

父と母、それに子。
なんという絵だろう。

道路を渡ろうと飛び出してくる
家族がいるかもしれないから
CAUTION(注意しろ!)
という意味だ。

道路と言ったって、
片側だけで4車線から6車線もある高速道路で、
もちろん信号もなく、
時速75マイル(120km/h)程度で
車がひっきりなしに走っている。

しかも、
ある区域は沙漠のような荒野の中だし、
ある区域は中央分離帯にも
柵が設けられたりしている。

いったいこの道を
どうやって、しかも子連れで
渡るというのだろう。

 

おそらくは、
メキシコから米国への不法入国者たち。
家族で、ということもあるということか。

まさに命がけで入国してくる人達がいる。

標識は、場所によっては、
こうなっているところもあった。

Cai5caution2s

「PROHIBIDO」
メキシコの公用語、スペイン語だろう。
スペイン語を知らなくても、
英語のprohibit(禁止する)が連想されるので、
運転しながらでも、意味はすぐにわかった。

つまり、
高速道路を強引に渡ろうとする家族について、

英語が読める運転中の米国人には
CAUTION(注意しろ!)
と呼びかけ、

スペイン語が読めるメキシコ人には、
PROHIBIDO(禁止する)
と呼びかけている。

CAUTIONをスペイン語に翻訳しているわけではない。

 

「禁煙」の下に「No Smoking」
と書いてあるような2言語表記とは
全く違う意味を持つ2言語表記。

2言語表記の裏には、
ときによって、こんな背景もあることを、
教科書からではなく、
実体験として知った瞬間だった。

 

 

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2016年2月14日 (日)

NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」

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NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」

- 作品の予習ってなんだ -

 

NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」
を観てきた。

Gekirin1

主演松たか子さんは、
09年の「パイパー」以来7年ぶり。

瑛太さん、井上真央さんは
13年の「MIWA」以来3年ぶり。

そして、そして
04年の「透明人間の蒸気」で
宮沢りえさんとともに
圧倒的な存在感を放っていた阿部サダヲさんが、
12年ぶりにNODA・MAPに帰ってきた。

Gekirin2

それに、池田成志さん、
満島真之介さん、銀粉蝶さん、らも加わり、
まさに贅沢なキャスティング。

3年ぶりの新作に
期待が高まらないわけはない。

 

物語は、
NINGYO役の松たか子さんの
こんな美しいセリフから始まる。

NINGYO:
・・・
  それがたぶん、あなた方にとって
  「泣く」ということだ。

  鳥も鳴く。
  虫も鳴く。
  でも魚は泣けない。

  泣くためには空気がいる。

  あなたたちが
  生きるために空気が必要なように、
  泣こうと思った人魚は気がついた。

  海面に顔を出して
  初めて泣き声を出すことができる。

  けれども海の底から、
  海の面(おもて)までは、
  塩で柱ができるくらい遠かった。

  だからやっと海面(うみづら)に出て、
  泣き声を出せたその時は、
  嬉しさのあまり、
  人魚の泣き声は甘く清(さや)かな
  歌声に変わった。

・・・

  なんで私は歌っていたの?
  なんで私は泣こうとしたの?

この最初のモノローグに、
物語のすべてが詰まっている。

主な舞台は、水族館と海底。
人魚ショー実現にむけた
やり取りから始まった話は、
後半、
思いもしなかった方向に展開していく。

とはいえ、前半は例によって
言葉遊びも健在で、
チクリとした皮肉とともに、
笑えるシーンも多い。

サキモリ:
  はい。

  「人魚ショー」でも
  「イルカショー」でもない、
  それでいて人魚は実在するのか、
  その根源を問う
  「人魚はいるか?ショー」というのは。

イルカ君:
  なんですかそれ。

サキモリ:
  だからイルカ君、
  いきなりイルカショーをなくすわけじゃない。

  むしろ、あれ?
  人魚はいるか?ショーって、
  人魚はいるの?
  それとも本当はイルカショーなの?
  どっちなのって、

  もやもやっとしているうちに
  人魚ショーに変わっていく。

  きわめて日本的でしょう?

で、このあと話は・・・
と書こうとしていたところ、

2016年2月11日
TBS系「NEWS23」で、
作者の野田秀樹さんが
膳場貴子さんのインタビューに応じている、
という情報が入ってきたので
ちょっと見てみた。

ついていたタイトルは
「説明過多」な時代に…

下記HTML5のaudioタグによるMP3 Player
(ブラウザによって表示形式は違うようです)

野田秀樹:
  説明してもらわないとつらい、とか
  いうことになってきて、

  まぁ、特に今度の芝居なんかも、
  わざと内容を伏せていたンですね。

  観に来た人が何の話が始まるのか、
  全くわからない。

  その衝撃って、やっぱりぜんぜん違って。

  やはり、作るっていうのは、
  それを観た人との
  瞬間の出会いのはずなんで。

  よく、お客さんの中で、
  今回、予習をしないで来てしまいました、
  みたいな言葉を言う人がいるのね。

  予習ってなんだよ。

  作品の予習ってなんだ

  今、これから見せるのに、
  とか思うんですよね。

膳場貴子:
  あ、でも言っちゃうかもしれない。

野田秀樹:
  多いですよね。

膳場貴子:
  もう、そういう姿勢に
  なっているかもしれないですね。

野田秀樹:
  ものを先にガードしておかないと
  怖いみたいな。

なるほど。

もともと野田さんは、
ここでも紹介した通り、

観た時には完璧に理解されず、
 『あれはなんだったんだろう』
 ということがあっても、
 それをため込んで
 持っていてくれればいい


と言っているくらいで、
自分の作品をわかりやすく解説する
なんてことはしないけれど、
今回、
事前情報が少なかったのも、
まさに、意図的だったということか。

というわけで、作者の意図を尊重し、
まだ公演中ということもあり、
これ以上、
物語の内容について書くことは
控えておこうと思う。

興味のある方は、ぜひ劇場で体験下さい。
劇場のみでのトリップ感、お薦めです。
まさに、一席の空きもない、
超満員状態でしたが、
全公演、当日券があるのも
NODA・MAPのありがたいところですので。

 

最後に、当日券、
または何らかの方法で、
これからチケットを
ゲットしようとしている方に
ひとつだけアドバイスを。

メインキャストだけでなく、
アンサンブルがすばらしいのも
NODA・MAPの魅力のひとつですが、
今回も期待を裏切りません。

ただ、演出の関係もあって、
できるだけセンタ、
つまり正面で観たほうが、
その効果がわかりやすいかも。

舞台から遠くても、
中心に近い方を優先、
をお薦めします。

 

 

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2016年2月 7日 (日)

お供も警護もなしに1日を過ごせたら

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お供も警護もなしに1日を過ごせたら

- 皇后さまの夢 -

 

前回ネット書店ではなく、 リアルな書店だからこその
立ち読みで出逢えた本について少し書いたが、
書店で本を手に取りながら
ある週刊誌の記事を思い出していた。

「週刊ポスト」2014年1月24日号のもの。

記事は、古書店街、
東京神田神保町にある「北沢書店」の北澤悦子さんが
若き日の皇后さまの
思い出話をするところから始まっている。

遥か昔、聖心女子大生だった正田美智子さんが
洋書専門店である北沢書店に、
卒論の資料を捜しにきたという。

「たぶん、ゴールズワージーの『フォーサイト物語』を
 お捜しに来られたんじゃなかったでしょうか」
と北澤さん。

卒論は
『フォーサイト家年代記における相克と調和』
だったとのこと。

記事は、最後にこんなエピーソードを紹介している。
(以下、水色部記事からの引用)

2007年、
欧州5か国歴訪前の宮内会見で皇后さまは、

「お供も警護もなしに1日を過ごせたら
 何をなさりたいですか」

と問われて、お答えになった。

透明人間になって、学生時代よく通った
 神田や神保町の古本屋さんに行き、
 もういちど本の立ち読みをしてみたいですね

書店で立ち読みをするたびに、
この記事のことがホッと頭に浮かぶ。

 

 

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