「数学する身体」
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「数学する身体」
- リソースとノイズの境界はない -
この10月に出版されたばかりの、
森田真生著「数学する身体」新潮社
は、ほんとうにすばらしい本で、
その中の一エピソードだけを紹介するのは
失礼な気さえするのだが、
個人的にショッキングな話に遭遇してしまったので、
きょうはその部分だけを紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)
まずは、
「人工進化」と呼ばれる分野の紹介から。
ここで一度数学の文脈を離れて、
「人工進化」と呼ばれる分野の研究を紹介したい。
人工進化というのは、
自然界の進化の仕組みに着想を得たアルゴリズムで、
人工的に、多くの場合はコンピュータの中の
仮想的なエージェントを進化させる方法のことである。
何かしらの最適化問題を解く必要があったとしよう。
普通であれば、人間が知恵を絞って、
計算や試行錯誤を繰り返しながら解を探すところだが、
人工進化の発想はそうではない。
まずはじめに、ランダムな解の候補を
大量にコンピュータの中で生成する。
その上で、それらの中から目標に照らして、
相対的に優秀な解の候補をいくつか選び出す。
そうして、それらの比較的優秀な解の候補を元にして、
さらに「次世代」の解を生成していく。
この進化シミュレーションを
ハードウェア設計に適用した研究があるらしい。
つまり、ある機能を持ったチップを
人工進化の方法だけで作ろう、というわけだ。
そんな人工進化の研究の中でも少し変わったもの、
イギリスのエイドリアン・トンプソンと
サセックス大学の研究グループによる
「進化電子工学」の研究である。
通常の人工進化が、
コンピュータの中のビット列として表現された
仮想的なエージェントを進化させるのに対して、
彼らは物理世界の中で動くハードウェアそのものを
進化させることを試みた。
課題は、異なる音程の二つのブザーを
聞き分けるチップを作ることである。
人間がチップを設計する場合、
これはさほど難しい仕事ではない。
チップ上の数百の単純な回路を使って、
実現できる。
ところが彼らは
このチップの設計プロセスそのものを、
人間の手を介さずに、
人工進化の方法だけでやろうとしたのだ。
結果として、およそ四千世代の「進化」の後に、
無事タスクをこなすチップが得られた。
この文章だけでは、
もともとのモデルの記述が
どの程度であったのかが全くわからないので、
「チップが得られた」ことそのものへの
困難さは想像のしようがないが、
得られたチップの解析結果には、
たいへん興味深い内容が含まれていた。
それ自体は
さほど驚くべきことではないかもしれない。
が、最終的に生き残ったチップを調べてみると、
奇妙な点があった。
そのチップは百ある論理ブロックのうち、
三十七個しか使っていなかったのだ。
これは人間が設計した場合に最低限必要とされる
論理ブロックの数を下回る数で、
普通に考えると機能するはずがない。
さらに不思議なことに、たった三十七個しか
使われていない論理ブロックのうち、
五つは他の論理ブロックと
繋がっていないことがわかった。
繋がっていない孤立した論理ブロックは、
機能的にはどんな役割も果たしていないはずである。
ところが驚くべきことに、
これら五つの論理ブロックの
どれ一つを取り除いても、
回路は働かなくなってしまったのである。
人間が考える最小構成を越える解。
まぁ、それはあるかもしれない。
ところがそれを構成するのは、
孤立した論理ブロックを含む解だという。
孤立しているのに取り除くと動かなくなる。
いったいどういうことなのだろう。
この奇妙なチップを詳細に調べた。
すると、次第に興味深い事実が浮かび上がってきた。
実は、この回路は
電磁的な漏出や磁束を巧みに利用していたのである。
普通はノイズとして、エンジニアの手によって
慎重に排除されるこうした漏出が、
回路基板を通じてチップからチップへと伝わり、
タスクをこなすための
機能的な役割を果たしていたのだ。
チップは
回路間のデジタルな情報のやりとりだけでなく、
いわばアナログの情報伝達経路を、
進化的に獲得していたのである。
物理世界の中を進化してきたシステムにとって、
リソースとノイズのはっきりした境界はないのだ。
"Whatever Works" というウッディ・アレンの映画
(邦題は『人生万歳!』)があるが、
物理世界の中を
必死で生き残ろうとするシステムにとっては、
まさに"Whatever Works"
うまくいくなら何でもありなのである。
「リソースとノイズの境界はない」
なんという指摘だろうか。
まさにノイズ排除に明け暮れていた
私のエンジニアとしての
あの苦労の日々はなんだったンだ!
あらかじめどこまでがリソースで
どこからがノイズかをはっきりと決めるものである。
この回路の例で言えば、一つ一つの論理ブロックは
問題解決のためのリソースだが、
電磁的な漏れや磁束はノイズとして、
極力除くようにするだろう。
だが、それはあくまで設計者の視点である。
設計者のいない、ボトムアップの進化の過程では、
使えるものは、見境なくなんでも使われる。
結果として、リソースは身体や環境に散らばり、
ノイズとの区別が曖昧になる。
どこまでが問題解決をしている主体で、
どこからがその環境なのかということが、
判然としないまま雑じりあう。
工学はリソースとノイズを切り離し、
「ノイズを排除してリソースの機能を最大化する」
という方向で進歩してきた面があることは確かだ。
しかし、自然界では言うまでもなく
すべてが混在の中で機能している。
生命現象としてのヒトもまた、
もちろんその例外ではない。
ともするとヒトの思考のリソースは
頭蓋骨の中の脳みそであって、
身体の外側はノイズであり、環境である、
と思われがちだが、
簡単な電子チップですら、
その問題解決のリソースは、
いともたやすく環境に漏れ出してしまうのである。
だとすれば、四十億年の進化プロセスを
生き残ってきた
私たちの「問題解決のためのリソース」は、
もっとはるかに身体や環境のあちこちに
沁み出しているはずである。
突然使われた
「漏れ出す」「沁み出す」という表現については、
次に解説がある。
環境に「漏れ出し」たり
「沁み出し」たりするというのは、
哲学者のアンディ・クラークが
好んで用いる表現である。
もともと私がここで紹介した実験のことを
初めて知ったのも、
2011年に東大駒場キャンパスで
開催された彼の講演であった。
クラークは認知科学における
世界を代表する哲学者の一人で、
近年めまぐるしく展開しているこの分野の発展を
力強く牽引している。
そんな彼は、たとえば著書の一つ
"Supersizing the Mind"の中で、
「認知は身体と世界に漏れ出す
(Cognition leaks out into body and world)」
という印象的な表現で、
彼の思想を端的に表現している。
「認知は脳の中のこと」と
閉じ込めて考えてきてはいなかっただろうか。
「脳(brain)」の中に閉じ込められていると
信じられてきた哲学・科学の歴史があるからこそ、
クラークは認知をその制約から
解放する必要があったのだ。
しかし、心を脳の中に閉じ込めてきたのは、
あくまで私たちの「常識」であって、
当の認知過程そのものは、
端から脳の外に広がっているのだとすれば、
「漏れ出し」「沁み出す」という表現を
強調し過ぎてしまうと、かえって語弊もあるだろう。
ともかく、ここで強調したいことは、
様々な認知的タスクの遂行において、
脳そのものが果たしている役割が、
思いのほか
限定的である可能性があるということである。
脳が決定的に重要であることはもちろんだとしても、
仕事の大部分を
身体や環境が担っている場合も少なくないのだ。
人間は、頭だけで考えているわけでも、
頭だけで認知しているわけでもない。
「身体や環境が担っている」部分のことを
ノイズだと言って、
むしろ排除しようとしてしまっていたのではないか、
そんな反省を強烈に突きつけてくる
刺激的な研究成果だ。
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