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2015年11月15日 (日)

「数学する身体」

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「数学する身体」

- リソースとノイズの境界はない -

 

この10月(2015年)に出版されたばかりの、

森田真生著「数学する身体」新潮社

は、ほんとうにすばらしい本で、
その中の一エピソードだけを紹介するのは
失礼な気さえするのだが、
個人的にショッキングな話に
遭遇してしまったので、
きょうはその部分だけを紹介したい。
以下、水色部は、
 初版単行本からの引用


森田真生 (著)
数学する身体

新潮文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 本記事は、初版単行本から引用しているが、
 Amazonへのリンクは
 2018年発刊にされた文庫版に更新)

まずは、
「人工進化」と呼ばれる分野の紹介から。

少し遠回りのようだが、
ここで一度数学の文脈を離れて、
「人工進化」と呼ばれる分野の研究を
紹介したい。

人工進化というのは、
自然界の進化の仕組みに
着想を得たアルゴリズムで、
人工的に、
多くの場合はコンピュータの中の
仮想的なエージェントを
進化させる方法のことである。

何かしらの最適化問題を解く必要が
あったとしよう。

普通であれば、人間が知恵を絞って、
計算や試行錯誤を
繰り返しながら解を探すところだが、
人工進化の発想はそうではない。

まずはじめに、ランダムな解の候補を
大量にコンピュータの中で生成する。

その上で、
それらの中から目標に照らして、
相対的に優秀な解の候補を
いくつか選び出す。

そうして、それらの
比較的優秀な解の候補を元にして、
さらに「次世代」の解を生成していく。

この進化シミュレーションを
ハードウェア設計に適用した研究が
あるらしい。
つまり、ある機能を持ったチップを
人工進化の方法だけで作ろう、
というわけだ。

 ここで紹介したいのは、
そんな人工進化の研究の中でも
少し変わったもの、イギリスの
エイドリアン・トンプソンと
サセックス大学の研究グループによる
「進化電子工学」の研究である。

通常の人工進化が、
コンピュータの中の
ビット列として表現された
仮想的なエージェントを
進化させるのに対して、
彼らは物理世界の中で動く
ハードウェアそのものを
進化させる
ことを試みた。

 課題は、異なる音程の二つのブザーを
聞き分けるチップを作ることである。

人間がチップを設計する場合、
これはさほど難しい仕事ではない。
チップ上の数百の単純な回路を使って、
実現できる。

ところが彼らは
このチップの設計プロセスそのものを、
人間の手を介さずに、
人工進化の方法だけでやろうとした
のだ。

 結果として、
およそ四千世代の「進化」の後に、
無事タスクをこなすチップが得られた。

この文章だけでは、
もともとのモデルの記述が
どの程度であったのかが全くわからないので、
「チップが得られた」ことそのものへの
困難さは想像のしようがないが、
得られたチップの解析結果には、
たいへん興味深い内容が含まれていた。

決して難度の高いタスクではないので、
それ自体はさほど驚くべきことでは
ないかもしれない。
が、最終的に生き残ったチップを
調べてみると、奇妙な点があった。

そのチップは百ある論理ブロックのうち、
37個しか使っていなかったのだ。

これは人間が設計した場合に
最低限必要とされる
論理ブロックの数を下回る数で、
普通に考えると機能するはずがない。

 さらに不思議なことに、たった37個しか
使われていない論理ブロックのうち、
五つは他の論理ブロックと
繋がっていないことがわかった


繋がっていない孤立した論理ブロックは、
機能的にはどんな役割も
果たしていないはずである。

ところが驚くべきことに、
これら五つの論理ブロックの
どれ一つを取り除いても、
回路は働かなくなってしまったのである。

人間が考える最小構成を越える解。

まぁ、それはあるかもしれない。
ところがそれを構成するのは、
孤立した論理ブロックを含む解だという。

孤立しているのに取り除くと動かなくなる。
いったいどういうことなのだろう。

 トンプソンらは、
この奇妙なチップを詳細に調べた。
すると、次第に興味深い事実が
浮かび上がってきた。

実は、この回路は電磁的な漏出や磁束を
巧みに利用していたのである。

普通はノイズとして、
エンジニアの手によって
慎重に排除される
こうした漏出が、
回路基板を通じて
チップからチップへと伝わり、
タスクをこなすための
機能的な役割を果たしていたのだ。

チップは回路間の
デジタルな情報のやりとりだけでなく、
いわばアナログの情報伝達経路を、
進化的に獲得していたのである。

 物理世界の中を
進化してきたシステムにとって、
リソースとノイズの
はっきりした境界はないのだ


"Whatever Works" という
ウッディ・アレンの映画
(邦題は『人生万歳!』)があるが、
物理世界の中を
必死で生き残ろうとする
システムにとっては、
まさに"Whatever Works"
うまくいくなら何でもありなのである。

「リソースとノイズの境界はない」

なんという指摘だろうか。
まさにノイズ排除に明け暮れていた
私のエンジニアとしての
あの苦労の日々はなんだったのだ!

 人間が人工物を設計するときには、
あらかじめどこまでがリソースで
どこからがノイズかを
はっきりと決めるものである


この回路の例で言えば、
一つ一つの論理ブロックは
問題解決のためのリソースだが、
電磁的な漏れや磁束はノイズとして、
極力除くようにするだろう。

だが、それは
あくまで設計者の視点である。

設計者のいない、
ボトムアップの進化の過程では、
使えるものは、
見境なくなんでも使われる。

結果として、
リソースは身体や環境に散らばり、
ノイズとの区別が曖昧になる。

どこまでが
問題解決をしている主体で、
どこからが
その環境なのかということが、
判然としないまま雑じりあう

工学はリソースとノイズを切り離し、
「ノイズを排除して
リソースの機能を最大化する」
という方向で進歩してきた面があることは
確かだ。

しかし、自然界では言うまでもなく
すべてが混在の中で機能している。

 物理世界の中を進化してきた
生命現象としてのヒトもまた、
もちろんその例外ではない。

ともするとヒトの思考のリソースは
頭蓋骨の中の脳みそであって、
身体の外側はノイズであり、
環境である、
と思われがちだが、
簡単な電子チップですら、
その問題解決のリソースは、
いともたやすく環境に
漏れ出してしまうのである。

だとすれば、40億年の進化プロセスを
生き残ってきた私たちの
「問題解決のためのリソース」は、
もっとはるかに身体や環境のあちこちに
沁み出しているはずである。

突然使われた
「漏れ出す」「沁み出す」
という表現については、次に解説がある。

 認知のためのリソースが
環境に「漏れ出し」たり
「沁み出し」たりするというのは、
哲学者のアンディ・クラークが
好んで用いる表現である。

もともと私が
ここで紹介した実験のことを
初めて知ったのも、
2011年に東大駒場キャンパスで
開催された彼の講演であった。

 クラークは認知科学における
世界を代表する哲学者の一人で、
近年めまぐるしく展開している
この分野の発展を力強く牽引している。

そんな彼は、たとえば著書の一つ
"Supersizing the Mind"の中で、
「認知は身体と世界に漏れ出す
 (Cognition leaks out
  into body and world)」
という印象的な表現で、
彼の思想を端的に表現している。

「認知は脳の中のこと」と
閉じ込めて考えてきてはいなかっただろうか。

実際、長らく「心(mind)」が
「脳(brain)」の中に
閉じ込められていると
信じられてきた哲学・科学の
歴史があるからこそ、
クラークは認知をその制約から
解放する必要があったのだ。

 しかし、
心を脳の中に閉じ込めてきたのは、
あくまで私たちの「常識」であって

当の認知過程そのものは、
端から脳の外に
広がっているのだとすれば、
「漏れ出し」「沁み出す」という表現を
強調し過ぎてしまうと、
かえって語弊もあるだろう。

 ともかく、ここで強調したいことは、
様々な認知的タスクの遂行において、
脳そのものが果たしている役割が、
思いのほか限定的である可能性がある
ということである。

脳が決定的に重要であることは
もちろんだとしても、仕事の大部分を
身体や環境が担っている場合も
少なくないのだ。

人間は、頭だけで考えているわけでも、
頭だけで認知しているわけでもない。

「身体や環境が担っている」部分のことを
ノイズだと言って、むしろ
排除しようとしてしまっていた
のではないか、
そんな反省を強烈に突きつけてくる
刺激的な研究成果だ。

 

 

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