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2015年11月23日 (月)

人はいかに共感しやすく作られているのか

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人はいかに共感しやすく作られているのか

- 皮膚発の無効信号とは -

 

前回取り上げた

森田真生著「数学する身体」新潮社

から、別なエピソードも紹介したい。

大きなテーマを根幹に持つ本書においては
まさにひとつの小さなエピソードだが、
脳内で発生している「共感」のメカニズムと
脳外、特にこの例においては皮膚からの信号との
興味深い関係を解明した、
たいへんわかりやすい事例になっている。
(以下、水色部は本からの引用)


まずは、人との「共感」の基本となる
ミラーニューロンの話から。

 私たちは本来、
生まれつき他者と共感する強い能力を持っている。
1996年にイタリアのジャコモ・リゾラッティらが
サルの実験で「ミラーニューロン」を発見して
話題を呼んだ。

サルがたとえば何かものを持ち上げる動作をすると、
それに伴って脳の一部分が活動をする。

ところが驚くべきことに、
その同じ脳の部位の一部分が、
他のサルが何かを持ち上げる動作を見ているだけでも
活動するのだ。

自分が運動をしているときだけでなく、
他者の運動を見ているときにも、
その運動をさも自分がしているかのように
脳が活動するのである。

このように、
他者の運動を模倣(mirror)する機構が
脳の中にあることを、彼らは明らかにした。

ここまでは、典型的なミラーニューロンの話。
研究はミラーニューロンから
さらに一歩先へと広がっていく。

 ミラーニューロンに関連して、
ラマチャンドランという脳科学者が
大変興味深い実験を遂行した。

ミラーニューロンは実は、
他者の運動だけでなく、
他者の「痛み」をも模倣する


たとえば、目の前の人の手が
金槌で思い切り叩かれるところを見たら、
こちらまで思わず手を引っ込めてしまうだろう。

目の前の人の「痛い!」という感覚を、
見ているこちら側のミラーニューロンが
コピーしてしまうからだ。

それで思わずこちらも手を引っ込める。が、
もちろん、本当に痛いわけではない

 ラマチャンドランはここに着目した。

ミラーニューロンは、他者の運動や感覚を模倣する。
他人が痛がっているときに、
自分が痛いときに活動する脳の部位の一部分が
発火している。

ならばなぜ、
こちらは本当に痛くならないのだろうか。

脳が発火しているのに痛くならない、
さぁ、どんな理由が考えられるだろうか。

 ラマチャンドランは、
手の皮膚や関節にある受容体から
「私は触られていない」という無効信号が出て、
ミラーニューロンからの信号が意識にのぼるのを
阻止しているのではないか、と推測し、
アイディアを検証するためにハンフリーという、
湾岸戦争で片腕を失った幻肢患者に協力を依頼した。

 幻肢患者は一般に、腕がないにもかかわらず、
まだそこに腕があるという幻想を抱いている。

ハンフリーの場合は戦争で腕を失っていたのに、
顔を触れられるたびに、
失った手の感覚を感じていた。

腕はないのに、腕があるように感じられる幻肢患者。

幻肢は脳が作り出す一種の錯覚だが、
一旦脳内の感覚部位が発火すれば、
少なくとも本人には本当の原因が
腕の先から来ているのか、
脳内で作られたものか、の区別はつかない。

なので逆に
「腕の先から来ている」と思ってしまうことで
「腕がある」ように感じられるというわけだ。

では、腕のない人の脳内で
腕に関するミラーニューロンを活性化させたら、
どう感じることになるのだろう。

 ラマチャンドランはそんなハンフリーに、
ジュリーという別の学生を見てもらいながら、
ジュリーの手をなでたり叩いたりしてみせた。

すると、ハンフリーは驚いた様子で、
ジュリーの手がされていることを
自分の幻肢に感じる、と叫んだ。

 ラマチャンドランの予想通りの結果だった。

ハンフリーのミラーニューロンは
正常に活性化されたが、
それを打ち消す手からの無効信号がないので、
ハンフリーのミラーニューロンの活動が、
そのまま意識体験として現れてしまったのである。

 ラマチャンドラン自身が
「獲得性過共感」と名付けたこの現象は、
幻肢患者でなくても、
健常者の腕に麻酔を打つだけでも
再現できることがわかった。

麻酔によって、皮膚からの感覚入力を遮断すると、
誰もが文字通り、
目の前の人と痛みを共有してしまうようになる

なんておもしろい研究結果なのだろう。

他人の動きを見るとミラーニューロンが活性化する。
活性化するのだから、こちらも「痛さ」を感じても
不思議ではないのに、実際には感じない。

それは、
「実際には触られていないので痛くはないよ」と
痛さの無効信号
出しているものがあるからだ。

では、いったい、だれが出しているのか。
それはまさに、本人の実際の皮膚が作り出す
「皮膚感覚」だったのだ。

麻酔は、「本人の痛さ」を封じるが
同時に皮膚からの無効信号を遮断してしまう。
つまり、麻酔をすると
「本人の痛さ」はなくなるが
「他人の痛さ」は「共有」してしまうようになる。

ここまで人は
「共感」しやすく作られているものなのだろうか。

あなたの意識と
 別のだれかの意識をへだてている唯一のものは、
 あなたの皮膚かもしれないのだ!
」 と

ラマチャンドランは印象的な言葉で
この実験の報告を締めくくっている。

 この実験は、私たちの心がいかに他者と通い合い、
共感しやすいものであるか
をまざまざと示している。

 

最後、森田さんらしい言葉でこの章をまとめている。
(「漏れ出す」という言葉がひっかかるようであれば、
 ここ(前回分) を参照下さい)

脳の中に閉じ込められた心があって、
それが環境に漏れ出すのではなくて、
むしろ身体、環境を横断する大きな心がまずあって、
それが後から仮想的に「小さな私」へと
限定されていくと考えるべきなのではないだろうか。

 

 

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コメント

現代哲学でも(全哲学ではありませんが)、思考とは脳組織内で生まれるもので
はなく、体全体の神経ネットワークが形成するもののようだとされます。脳は重
要な神経集積基地ですが唯一の拠点という訳ではないということです。例えば、
他人の動き方を見て運動神経的にシンクロナイズしようとする素質が体に備わっ
ている(共感の基となる本性)と言われています。これは、脳の命令で行われる
のではなく、視覚や触覚や聴覚などの神経的連携作用のようだいうことです。
思考は言葉で成り立っていると見られていますが、視覚、聴覚だけではなく声を
出したり舌や唇、口全体の運動作用が伴ってなければ言葉は生まれません。脳が
単独で言葉を発明した根拠も痕跡もないのです。もちろん脳は、情報を記憶とし
て集積・貯蔵する上で好都合な組織であることは間違いないでしょうが。「脳科
学」は生理的な脳部分の分析化学としては展開されないと言えそうです。

平戸皆空さん、コメントをありがとうございます。
私は脳や体についての専門家ではありませんが、
思考は「体全体の神経ネットワークが形成」に
いたく賛同いたします。

最近、頭で考えるのではなく、
「体の声を聞こう」とよく思うようになりました。
論理的には正しくても、
体のほうがイヤがっているときもありますし、
またその逆もある。でもちょっと冷静に考えると、
いつでも正解の信号を送ってくれていたのは
体のほうだった気がしています。

文字通り「頭でっかち」にならないようにしなくては、
と思っています。

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