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2015年10月

2015年10月25日 (日)

粘菌網と鉄道網

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粘菌網と鉄道網

- 人は粘菌程度には賢い!? -

 

イグ・ノーベル賞の授賞式の様子を

中垣俊之
「粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う」文春新書
       (以下水色部は本からの引用)

から引用してここで紹介したが、
今日は同じ本から、
粘菌を使ったおもしろい実験について紹介したい。

 

最初に「粘菌が迷路を解く」の話から。

 2000年9月に、私たちは、
英国の科学雑誌『ネイチャー』で
アメーバ状生物である粘菌が
 迷路の最短経路を解く能力がある

という趣旨の論文を発表しました。

粘菌を迷路一杯に広げた状態で
二つの出口それぞれにエサ場をつくると、
粘菌は次第にエサ場へと集まっていき、
半日ほど後には二つのエサ場を繋ぐ
最短経路だけに管を残して
二つの餌場を繋いだという実験が、
この発表のもとになっています。

脳も神経も持たない単細胞生物
なぜそんなことができるのだろうか。

「解いた」という言葉が
適切かどうかの解説は本に譲りたい。

ここでは、さらに展開をみせる実験の方を
追ってみよう。

 そこで、関東圏の鉄道綱を
粘菌に作らせてみます


関東圏の主要な都市30あまりを選んで、
その地理にあわせてエサ場所を配置します。
そこへ粘菌を放ってみます。

粘菌は動き回ってエサを見つけると、
エサ場に残留部隊を残して、
さらにエサ場を求めて広がっていきます。

そしてまたエサ場所を見つけては
残留部隊を置いて広がっていくということを続けて、
いくつものエサ場にありつきます。

こうして粘菌の動いたあとには、
太い管ができてエサ場がつながれ、
やがて全てのエサ場をつなぐ
管ネットワークが完成するのです。

山岳地帯や河川、海といった
鉄道敷設に関する「地形の影響」は、
粘菌が嫌う光を照射することで
シミュレートする。

すると、結果的に実際の鉄道網と
よく似たネットワークが現れる。

Nenkin1

左側の写真の
都市の位置にある白い◯は粘菌の餌、
餌を繋ぐ細い白い線が粘菌の管、
つまり粘菌が作り上げた管ネットワークだ。

右側の図はご存知、JRの鉄道網。
一見すると確かによく似ている。
しかも...

面白いのは、時々、
横須賀から房総半島に
繋がる経路ができることです。

川崎から房総半島にかけては
鉄道路線はありませんが、
東京湾アクアラインがありますね!

と、都市と都市を繋ぐ管ネットワークの中に
アクアラインまでが登場してきている。

 

「粘菌ネットワーク」と「実際の鉄道網」、
どのくらい似ているか、というよりも、
ネットワークとして
どのくらい良くできているか、を
次の3つの評価基準を使って比較してみよう。

三つの評価基準とは

①経路の最短性(経済性)
②耐故障性(保険)
③連絡効率

 

①経路の最短性(経済性)

一つ目は、ネットワークの全長が
どれほど短いかを表す
最短性(経済性ともいう)です。

これはエサ場をつなぐ管の総和(全長)で、
鉄道ならばすべての路線の総和ですね。

 

②耐故障性(保険)

 二つ目は、どれかの管が断線したときにも、
他のどこかに迂回路があるかどうか
を表す
耐故障性(保険)です。

粘菌は他の生物によって切断される可能性もあるため、
万一それが起きた時でも依然として
すべてのエサ場がつながりをもっているほうが
よかろうと思われます。

事故が起きたときに、
他のルートが確保されていた方がよいのは
鉄道も同じでしょう。

 

③連絡効率

 三つ目は、
二つのエサ場の距離(ネットワーク上の距離)の
短さをあらわす連絡効率です。

ある二つのエサ場をつなぐ管の長さをはかり、
複数の経路があれば
そのなかで一番短いものを採用することにします。

エサ場は他にも複数あるので、
そのうちすべての組み合わせの距離をはかり、
全部の平均を求めたものが連絡効率にあたります。

 例えば鉄道の例では、
二つの街の間を移動するのに
一番短い距離の経路が考えられますね。

途中でいくつかの街を経由したり、
複数の行き方があったりしますが、
その中で
とにかく距離が一番短い行き方を選ぶとします。

どの街からどの街へ移動するかは、
すべての組み合わせがありえますから
全部の平均をとってみると、
「鉄道網全体のもつ街間連絡効率の良さ」が
表現できているというわけです。

シンプルでreasonableな評価基準だ。

しかし、よく知られている通り
これらは全部を同時に百点で満たすことができない
「多目的最適化問題」のひとつだ。

全長を最短にすると、
耐故障性や連絡効率は最適ではありません。

逆に耐故障性や連絡効率を最適にすると、
全長はどんどん長くなります。

このように最短性と耐故障性、
あるいは最短性と連絡効率は
基本的にトレードオフします。


(中略)

 ですから、複数の基準を
完全に満たすことはできません。

できることは、
3者の妥協点をどこかにさがすこと、
そして片方を良くした時に、
その条件の下でもう片方を最もマシにすることです。

このような問題を「多目的最適化問題」といいます。
鉄道の敷設計画などは
典型的な多目的最適化問題です。

 

さて、そうやって3つの評価基準で比べた
「粘菌ネットワーク」と「実際の鉄道網」、
結果はどうだったのだろうか。

はっきりしたことは、JRの鉄道網は
「粘菌程度に良くできている」
ということです。

 

人間が作った鉄道網と、
単細胞生物である粘菌が作ったネットワークが
評価基準による「でき」としては同程度
ということらしい。

個人的には「残念」というよりも
「しょせん人間も生物という自然の一部なんだなぁ」と
感じられてホッとするようなところがあるから
不思議だ。

 

この鉄道網実験、
さらに興味深いコメントが2つ添えられている。

ひとつめはコレ。

 鉄道の路線計画には
多大な利権や経済効果がからみます。

一大事業ですから、人一人の力で
そうそう思い通りになるものではありません。

大勢の人がかかわります。
人の社会が一つの総体として振る舞いますから、
個人のレベルとはまた
別次元に現れる結果と見たほうが正しいのでしょう。

「JRの鉄道綱はきっと歪んでいるにちがいない」

当初、私はそう予想しました
政治家の利益誘導は日常的だし、
そもそも政治家は
選挙区の利益代表でもあるわけですから、
程度次第ではありますが自然なことです。

だから、歪んでいるはずだと。

ところが、あにはからんや、
粘菌ほどに多機能的であるとは。

 

ふたつめは、
粘菌の管ネットワークを関東ではなく、
北海道の都市を使って
シミュレーションしたときに現れた、
ある結果について。

まずは、
北海道の人口上位23都市(黒丸)を選んで実行した
シミュレーション結果をご覧あれ。

注目は地図上の④、⑤、⑥

Nenkin2

④、⑤、⑥は、粘菌が作ったネットワーク上に
偶然現れたジャンクションで、
最初に餌が置いてあった場所ではない。

特徴的なトリプルジャンクションで、
その場所には、
名寄市、紋別市、長万部町が存在しています。

人口上位23都市だけを
あらかじめとりあげてシミュレーションしたところ、
ちょうど選からもれた名寄市、紋別市などが、
交通の要所として自ずと現れました。

このことは北海道の街の分布が、
ある意味粘菌にも通じる
何らかの必然性を持っていることを示唆しています。

 

人間が偉そうに「意図的」と思っていることは、
実は「粘菌でも導きだせるようなこと」
程度なのかもしれない。

 

 

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2015年10月18日 (日)

宇宙を走る ふたつの光

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宇宙を走る ふたつの光

- 過去はこれから -

 

薄紅葉(うすもみじ)
シャッフルしてもトランプである
では 俳句と短歌に関するネタで書いた。

短歌続きでもう一首紹介したい。

 

紹介の前に、唐突だがちょっとだけ宇宙の話を。

太陽系に一番近い恒星は
ケンタウルス座α星で約4.3光年離れている。
その次が
バーナード星で6光年。

6光年ということは、光の速度で進んでも、
バーナード星までは6年かかるという意味だ。

逆にバーナード星から地球を眺めている人は、
今、この瞬間、
地球が6年前に反射した光を見ていることになる。

つまり、超高倍率の望遠鏡で
バーナード星から地球の、
たとえば日本の東北地方を眺めている人は
東日本大震災「発生前」の
東北地方を見ている、ということになる。

震災も津波も、バーナード星の人にとっては
「これから」目撃することになる
まだ起こっていないことなのだ。

 

もう少し太陽系から離れてみよう。

北斗七星を構成するおおぐま座のデルタ星は、
約80光年離れたところにある。

同じように、そこから地球を、
たとえば日本を眺めている人は、
まだ戦前の日本の姿を目にしている。
もちろん原爆も投下されてはいない。

 

宇宙の広大さ、
光の到達による時間の不思議さ、
こんな大きなテーマに
残酷な兵器への思いまで込めて、
それをたった31文字で読みきった人がいる。

 

岩井謙一さん。
現代歌人協会賞を受賞した
短歌集『光弾』(雁書館)から。

 おそらくは今も宇宙を走りゆく
 ふたつの光 水ヲ下サイ

 

戦後70年談話が発表された今年2015年、
広島と長崎のふたつの原爆の閃光は
ようやく70光年先の星にまで到達した。
デルタ星に届くのは10年後だ。

70光年よりも離れた星の人々は、
「これから」原爆を目撃することになる。

そして、その光は、
その後もさらに宇宙を走り続ける。

 

 おそらくは今も宇宙を走りゆく
 ふたつの光 水ヲ下サイ

 

 

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2015年10月11日 (日)

シャッフルしてもトランプである

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シャッフルしてもトランプである

- ショウモナイ川、シカタナイ川 -

 

2015年10月7日 
首相は第三次安倍改造内閣を発足させた。
今回の改造では10閣僚を交代させているが、
内閣改造って、

「手を伸ばし待ってる子どもにアメ配る」

の絵しか浮かばないせいか、
私の気持ちの中では、
どうしても「大臣」という言葉と
結びつかない。

 

そう言えば、五七五の調子で思い出したが、
松木秀さんの歌にこんなのがあった。


 政界の再編見るにトランプは
 シャッフルしてもトランプである

松木秀 歌集『親切な郷愁』(いりの舎)から。

「再編」のニュースって
いつ聞いてもワクワクしないけれど、
理由はこんな簡単なことだったのか、
とたった31文字で教えてもらった気分。

 

松木さんの歌は、
笑わせておいて、ふっと読者にバトンを渡すような
絶妙なパス感覚がなんともいい。

 リサイクルショップに行けばこんなもの
 最初に買った人がいるんだ

 

読者にバトンを渡すことで、
あとからじんわり沁みてくるような余韻ではなく、
読者の物語に委ねるような
立体感のある余韻を作りだしている。

 ドン・キホーテが開店すれば湧いてくる
 ドン・キホーテにいそうなお客

一度読んで以来、ディスカウントストア
ドン・キホーテに行くたびに
この歌が頭に浮かんで困っている。

まぁ、もちろんその時は、自分自身も
「ドン・キホーテにいそうなお客」なわけで。

 

そうかと思えば、
しみじみとした古典的名曲の
こんなところを突(つつ)いてみたり。

 おじいさんの産まれた忙しい朝に
 時計なんぞを買いに行く人

 

もちろん「さすが歌人」と思うような言語感覚も。

 「おむつ」なら紙にも布にも使えるが
 「おしめ」は布の感じしかせず

 

表面上は語感の「笑い」だけなのに、
「これってもしかしたら」と
怖くなるような歌もある。

 北海道にはありそうなサベツ川、
 ショウモナイ川、シカタナイ川

 

社会批判ではこんな歌も。
「雷」や「大樹」に
何を思うかは人によるだろうけれど、
いろいろな場面が思い浮かぶ。

 雷が鳴っているのに今もなお
 「寄らば大樹の陰」と言う奴

 

最後にひとつエ◯ネタを。
紳士諸兄にあっては、次の歌を読むならば
くれぐれも覚悟のうえ、どうぞ。

以後、二度とポケットティッシュを
平静な気持ちで使えなくなるので。

 汚れたる眼鏡拭かんと開脚の
 如くにひらくポケットティッシュ

 

とここで「開脚」と書いたら、もうひとつ
松木さんの歌とは全く関係ないネタを
急に思い出してしまった。

郵政民営化その他で、小泉純一郎氏が
首相として大活躍していたころ
氏は演説で、よくこう繰り返していた。

 「改革なくして
  成 功 は ありえないのであります」

コレを受けて、こう書いている人がいた。

 「開脚なくして
  性 交 は ありえないのであります」

いい年をしたオッサンが
男子中学生みたいなネタで失礼。

まったく、男というのは
いくつになっても、

 ショウモナイ川、シカタナイ川

ということでお許しあれ。

 

 

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2015年10月 4日 (日)

第62回 日本伝統工芸展

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第62回 日本伝統工芸展

- 魂がしおれないように -

 

日本伝統工芸展を観に行った。
今年でもう「第62回」にもなると言う。

Dentokogei15_1

親に連れられて初めて観に行った小学生のときから
すでに40年以上、もちろん見逃している年もあるが、
毎年たのしみにしている大好きな工芸展のひとつだ。

陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸
の7部門の入選作品約600点を観ることができる。

似たような名前の工芸展は他にもあり、
いくつか観に行ったこともあるのだが、
ここの入選作がもつ
真正面から訴えてくる美と技の迫力は
他を圧倒している気がする。

もちろん工芸については素人なので、
「自分にとってヒット率の高い工芸展」
が、正確なコメントなのかもしれないが。

Dentokogei15_2

簡単には真似のできない、
確固たる技(わざ)に支えられて
初めて姿を現す美の世界。

効率とか生産性とかとは無縁の、
気の遠くなるような工数と修練と工夫。

逆に、効率や生産性にばかり
日々追われているエンジニアの私としては、
ときどきはこういうモノを見ないと、
魂がしおれてしまう。

 

これまでは、自分の好みもあり、7部門の中では
陶芸と木竹工に惹かれる作品が多かった。

ところが、今回はこれまであまり興味のなかった
金工と人形にすばらしい作品があった。

「日本工芸会」の写真を借りて
特に印象に残った作品を数点紹介したい。
(写真はすべて「日本工芸会」のページから。
 写真をクリックするとその作品を紹介した
 元データのある「日本工芸会」のページに
 直接飛びます
)

 

 

まずは、金工の作品。

家出隆浩(いえでたかひろ)さんの
編込接合器「ひびき」
(あみこみせつごうき「ひびき」)

Dentokogei15_as

赤銅と四分一(しぶいち)の
二種の薄い金属板を編んだあと叩いて成形、
その後、銀ろうを流し込んで接合するという、
竹工の網代編みの技法を金工に応用した鍛金作品だ。

成形された薄い一枚の板は
凸凹しているわけではないが、
文様自体は、細い金属板を編みあげて作ったもの、
ということになる。
作者は「あやおりがね」と呼んでいるらしい。
見たこともない技法だ。

でも、だからと言って技法だけでは作品にはならない。
規則正しい文様をもった板が、
大きく口を広げたやわらかみのある形に打ち出され、
美しい器となっている。
寄ってみると、
金属ならではの薄さからくるシャープ感に気づいて、
ちょっとはっとするような驚きもある。

 

続いて、人形。

井上楊彩(いのうえようさい)さんの
桐塑彩色「目覚めの刻」
(とうそさいしき「めざめのとき」)

Dentokogei15_cs

これまであまり人形という分野に
魅力を感じていなかったのだが、
これにはまいった。

桐塑彩色とは、
桐の木粉(おが屑)と生麸糊(しょうふのり)を
練りあげた粘土状の素材に彩色したもの。
柔らかい質感が若い女性の表現にまさにぴったり。

とにかく形がいい。
手の指先からつま先まで、
伸びをしたときの生命感が
すみずみにまで宿っている。
品のある顔もいい。

人形そのものだけでなく、
人形を包みこむ朝の空気まで感じさせるような
そんな魅力がある。

 

陶器の中では、これが印象的。

井戸川豊(いどがわゆたか)さんの
銀泥彩磁鉢
(ぎんでいさいじはち)

Dentokogei15_bs

井戸川さんは昨年(第61回)も
カイワレ大根の作品で入選していたと思うが、
同じカイワレ大根の作品ながら、
今年の作品のほうがずっといい。

形も色も上絵も側面の質感も、
カイワレ大根をモチーフに、
ここまで統一感があり、
かつ美しい作品を作れるものだろうか。

陶器の絵柄としてではなく、
カイワレ大根そのものが
陶器になって生まれ変わったような、
そんな気にすらさせる一体感がある。

 

他にも、
一見単純な幾何学模様のように見えるのに、
実物を見ると、なんとも不思議な世界に
幅の狭い帯ながら引き込まれてしまう

細見巧(ほそみたくみ)さんの
綴帯「晨」
(つづれおび「しん」)

Dentokogei15_ds

など、魅力的な作品がたくさんある。

技はもちろん必要だけれど、
技の競技大会ではない。
そこから美にどうつなげていくか。
全体の絶妙なバランスの中、作品となって
まとまった姿はほんとうにすばらしい。

工芸品を通して
見えない「なにか」に惹きつけられる。
この快感は、この展示会の大きな魅力のひとつだ。

 

そう言えば、東日本大震災のあとは、
不安定な形の作品が倒れないよう、
テグスで作品を固定する品数が一気に増え、
一時は、特に陶芸エリアは、
蜘蛛の巣で覆われたようになっていた。

その比率も余震の減少とともに
ずいぶん元に戻ってきた。

もちろん壊れやすい作品もあるので
地震や転倒は心配だろう。

しかし、細い透明な糸であっても、
あの蜘蛛の巣は、観る側の視界を
「細さ」以上に塞いでしまう。

背の高い作品等、
ぜひ必要、というものだけにしてくれたのは、
観る側にとってはありがたい。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

この日本伝統工芸展、
今年の東京は終わってしまいましたが、
このあと来年3月まで、全国の主要都市を回ります。
もし、ご興味があれば足を運んでみて下さい。
工芸の好きな方にはお薦めです。

他の開催地はよくわかりませんが、東京は
ずーっと一貫して日本橋三越で開催されており、
入場も無料。
今年見逃した方はぜひ来年。

毎年9月中頃、NHKの日曜美術館で
入賞作品の紹介もしていますので、
観てから行くと、技法の背景までわかって、
より深く楽しめるかもしれません。

工芸品に限りませんが、
やはり実物を観てみないと、細部はもちろん、
質感とか透明感とか色とか角度による変化とかは
わかりません。

20回拭漆を重ねる、50万回叩く、
そんな言葉が飛び交っています。

美しいものを作るために、
美しいものと出逢うために、
なぜそこまでするのでしょう。

その先に初めて現れた美しさは
どんなものなのでしょう。

美と技の世界は、
まだまだ未知の魅力にあふれています。

 

 

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