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2015年8月 9日 (日)

匂いの仕組み解明にむけて

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匂いの仕組み解明にむけて

- 味の九割を決めているのは嗅覚 -

 

長崎は今日2015年8月9日、広島は8月6日、
70回目の「原爆の日」を迎えた。

戦争に関するエピソードではないが、
「原爆」で思い出した話があるので、
今日はそれを紹介したい。

チャンドラー バール著
「匂いの帝王」早川書房


という本の一ページ。

まずは、その部分を。
(以下水色部は本からの引用)

「広島の原子爆弾の生存者によれば」と
ヒューレット・パッカード社で講演をおこなったとき、
トゥリンはいった。

「爆弾が閃光を発すると同時に
 ゴムが焼ける匂いがしたのだそうです。

 奇妙なことに、そう語った人々は、
 爆心地から何キロも離れたところにいました。

 光は瞬時にそこまで到達しますが、
 物理法則からして、
 匂い物質が焦土となった地域から
 彼らの鼻まで届いたはずはありません


 それでは、彼らはなにを嗅いだのでしょうか?

ここで語られていることは、
「匂い物質が鼻に届く前に、匂いを感じた」
と思われる体験だ。

もちろん、強烈な体験ゆえ、
記憶自体が勘違いだったり、
のちに記憶が上書きされてしまったり、
という可能性も
たとえ体験者といえどもあるだろう。

しかし、もしかすると
「匂い」が「物質」以外で伝わった
ひとつの事例なのかもしれない。

文章はこう続いている。

 もうひとつ、こんな事実があります。
 原子爆弾は、きわめて強力で、赤外線を含む
 周波数帯域の広い電磁波を放射するのです
 (閃光とは可視スペクトル内の放射に過ぎません)。

 ひょっとしたら、
 ゴムの焼ける匂いをもたらしたのは、
 赤外線が目におよぼすのと同じ影響を鼻におよぼす
 電磁波だったのかもしれません。

 つまり、彼らは
 広島の原子爆弾が放った振動を嗅いだのです」

 

いきなり本文206ページの引用から
話を初めてしまったが、
「振動を嗅ぐ」とはいったいどういうことなのだろう。

振動の話の前に、簡単に本の紹介をしたい。

この本、
400ページを越えるずっしりと重い単行本だが、
内容はルカ・トゥリン(Luca Turin)という学者の
半生記になっている。

彼は香水への興味から、
香水のガイドブックを書き、
嗅覚の仕組みを探る学者になったという
まさに匂いのスペシャリストだ。

* 匂いをどうやって感じるのか、に関する
  研究の背景とトゥリンの新説の解説。

* 自説を裏付けるための実験の工夫と苦労。

* 既存の説を支持する学者たちとの戦い。

* 香水業界の様々なトリビアネタ、裏話。

* 雑誌「ネイチャー」への論文掲載可否の裏事情。

といった「匂い」をとりまく多くの話題を網羅しながら、
一種の科学ドキュメンタリのようなタッチで話は進んでいく。

登場する人物・学者たちも、紹介される数々の香水も
ほとんどすべて実名のまま。
この業界に詳しければさらに楽しめることだろう。

特に香水。私には全く知識がないので、
その部分はまさに字を追うだけになってしまったが、
香水に詳しい方は、登場する香水の解説と
香水業界の裏話だけでも
興味深く読めるのではないだろうか。

 

最初に、他の感覚の解明がどうなっているのか
簡単に触れておこう。

まずは視覚。

視覚については、網膜の光受容体が
光粒子のどの波長を捕らえたときに
どの色が見えるかまで、
くわしく厳密に解明されている
(1968年度のノーベル賞は
 視覚の研究に対して授与された)。

聴覚のほうは?

聴覚についても、
内耳の蝸牛(かぎゅう)に伝えられた
どのような空気振動が
どのような音に聞こえるかまで、
つぶさに解き明かされている
(1961年度のノーベル賞は
 聴覚の研究に対して授与された)。

ところが、嗅覚については
ほとんどわかっていない。

だからこそ、嗅覚は二種類の
熾烈なレースの対象になっているのだ。

 第一は科学のレース
いくつかの有力な研究所
(自意識がきわめて強い
 負けず嫌いの研究者たち)
がこのレースに参加している。

レースに勝利すれば、生物学の
もっとも重要な謎のひとつを解明して、
おそらくは(おおかたの予想どおりに)
ノーベル賞という賞品を得られるからだ。

最新の研究によれば、驚くべきことに
人間の遺伝子の1パーセントが
嗅覚にかかわっているという。

「それなら、間違いなく匂いは
 人間にとってきわめて重要なのだ」と
アメリカ国立衛生研究所(NIH)の
遺伝学者ディーン・ハマーは述べている。

この本の日本語版が出版されたのが2003年。

嗅覚についてはほとんどわかっていないが
解明されればノーベル賞ものだ、の予想通り
なんと翌2004年のノーベル生理学・医学賞は、
嗅覚に関する研究者に授与された。
受賞したのは、トゥリンではなかったが。

そして、嗅覚研究における第二のレースは?

 もうひとつは金目当てのレースだ。
工業的に製造された匂いは、
毎年およそ200億ドルを稼ぎだしている。
そしてそうした匂いのほとんどすべてが
"ビッグボーイズ"と呼び慣わされている
たった6社によって製造されており、
その6社が巨額の利益を独占しているのだ。

このビッグボーイズには
日本の企業も入っている。

 全世界の香料入り商品の匂いは、
大多数が、注意深く匿名性を保っている
6社の大企業によって製造されている。

* インターナショナル・フレーバーズ・
  アンド・フレグランス(アメリカ)
* ジボダン・ルール(スイス)
* クエスト・インターナショナル(イギリス)
* フィルメニッヒ(スイス)
* シムライズ(ドイツ)
* 高砂香料工業(日本)
の6社だ。

これらのいわゆるビッグボーイズが、
きわめて特殊な商品-分子の製造・販売を
おこなっている巨大企業なのだ。

ビッグボーイズの商品である分子は、
人間の味覚、そしてなによりも嗅覚を誘発する。

じつのところ、
味覚は高機能とはいいかねる矯小な感覚で、
甘味、酸味、塩味、苦味、旨味の
五種類の刺激にしか反応しない

ところが、事実上、味の九割を決めている嗅覚は、
約一万種類もの分子を嗅ぎ分ける

しかも、一万種類といわれているのは、
(まぎれもない事実なのだが)
いまだに嗅覚の匂い分子識別能力の限界を
見極められないでいるからにすぎないのだ。

 

前置きがずいぶん長くなってしまった。

我々は匂いをどうやって認識しているのか。
本題となる分子の形状説と、
トゥリンらが提唱する振動説の話は
次回に、としたい。

 

 

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