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2015年8月

2015年8月30日 (日)

2015年夏 志賀高原アルバム

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2015年夏 志賀高原アルバム

- 高山植物と渋温泉の巡浴と -

 

急に涼しくなってきたので、
一ヶ月前にはあれほど暑かったことがウソのようだが、
8月11日-12日、
酷暑と呼ぶにふさわしい東京の蒸し暑さを逃れて、
長野県志賀高原に夫婦で行ってきた。

大自然の中、カメラ片手に気ままなトレッキングを
楽しむことが主な目的。

冬、つまりスキー場でしか知らなかった志賀高原だが、
行ってみると夏もいい。

涼しくて、人が少なくて(混んでいなくて)、
歩くコースが多彩で、とこちらの希望を満たしている。

高山植物を楽しむには
もうちょっと早い時期の方がいいと思うが、
それでも多くの植物に出逢うことができた。

記録と整理を兼ねてちょっとまとめておきたい。

(スマートフォンからのアクセスを意識して
 写真を横に配置するレイアウトは避けることにする。
 縦にながーくなってしまいますがご容赦あれ)

 

スキーゲレンデは夏の間、花畑となっている。

P8132422s

たとえばここ。
うっすら紫色に見えているのはヤナギラン。

P8122223s

近くで見るとこんな花だ。
【ヤナギラン】
下から順に花が開き、
咲いた順に種(たね)になっていく。

Yanagiran

となりの斜面を見ると、
高山植物の中をトレッキングしている
我々と同じような二人組が小さく見える。

P8122287s

【シシウド】
この時期の一大勢力。
大きくて目立つため、あちこちで目にする。

Shishiudo

【コバギボウシ】
こちらも形や色が認識しやすく、すぐに目につく。

Kobagiboushi

逆に見つけにくいのは、たとえば
【モウセンゴケ】

Mouzengoke2

食虫植物。
葉の粘毛から粘液つまりネバネバの液体を分泌しており、
それで小さな虫を捉える。

紅葉と言っていいのか、
葉が赤くなっているものもあるが、
いずれによせ注意して探さないとみつからない。

Mousengoke1

モウセンゴケと名前はコケだが、
実際はコケではない。種子植物。

 

【ミズナラ】
いわゆるドングリのなる木のひとつ。
ドングリは探してみてもさすがにまだ赤ちゃん。

Mizunara2

【ミズナラと揺籃(ようらん)】
そのミズナラの葉の一部が丁寧に巻かれている。

Mizunara3

葉がくるくると巻かれている部分は、
オトシブミという昆虫の揺籃(ようらん)、
つまり「ゆりかご」だ。

中に卵が産みつけられていて、
孵化すると幼虫は
そのまま揺籃になっている葉を食べて育つ
というエコ設計。

それにしても「オトシブミ」とは
なんと風流な名前だろう。
葉を巻いて作った揺籃が落ちているようすを、
「落とし文」になぞらえるとは。

 

他にも、虫がよく寄っていたのは
【ノアザミ】
蜂の大好物なのか離れない。

Noazami2

【ノアザミ】は蕾も美しい。

Noazami1

【ハンゴンソウ】にも蜂や蟻がいっぱい。

Hangonsou

【ニガイチゴ】
虫や鳥は甘いものからさっさと食べるので、
残ったものは皆「苦い」、とは本当か。

Nigaichiko

蓮池には、蓮ではなくて...

P8122305s

【ヒツジグサ】がたくさん咲いている。

Hitusjigusa

未(ひつじ)の刻、
つまり午後二時に咲くからヒツジグサ、
と呼ばれるらしいが、実際に咲いている時間は
かなり長い気がする。

 

湖畔、というか沼の回りには
【クサフジ】という
マメ科の植物をよく見かける。

Kusafuji

【ウメバチソウ】
小さくて可愛らしい白い花が印象的だ。

Umebachisou

【ウルシ】は皮膚の敏感な人は要注意。

Urushi

「かぶれる」植物の代表格。実をつけている。
紅葉時はきれいに色づくので、
つい触ってしまい・・・

 

【トリカブト】
花の形は名前の通り、頭にかぶる鳥兜。
舞楽や神社での民族芸能を思い出す。

Torikabuto

日本三大有毒植物のひとつ。猛毒に要注意だ。

 

【ヨツバヒヨドリ】

Yotsubahiyodori

葉が4枚
輪生(同じところから輪を描くように広がる)するから
ヨツバというようだが、
実際にはきっちり4枚で揃っているわけではなく、
その枚数にはかなりばらつきがある。

 

【コウゾリナ】 黄色い花のほう

Kouzorinaki

黄色い花はかわいいが、茎には剛毛が。
髭(ひげ)を剃るという意味で「顔剃菜」から
転訛したという説もある。
声に出して読んでみよう。
「コウゾリナ」と「顔剃菜」
日本語はおもしろい。

 

【ノリウツギ】
花だけを見るとガクアジサイを思い出す。

Noriutsugi

【オオバセンキュウ】
小さな花が大きく集まっている。

Obasenkyu

【きのこ 3種】正式名称不明

Kinoko1

Knoko2

Kinoko3

きのこの持つ「妖しさ」はどこから来るのだろう。

 

【ヤマオダマキ】

Yamaodamaki

「オダマキ」には「ヤマ」と「ミヤマ」があるが
こちらは「ヤマ」のほう。

 

【メマツヨイグサ】

Mematsuyoigusa

大マツヨイグサに対して花が小さめなので
雌マツヨイグサ。
マツヨイグサは「待宵草」
「夕方に咲いて宵を待つ」とは
これまたなんとも味のある名前だ。

 

【ホタルブクロ】

Hotarubukuro

子どもがこの花にホタルを入れて遊んだからとか、
提灯に似ていているので「火垂(ほた)る袋」からとか、
名前の由来は諸説あるようだが、
覚えやすい、というのが素人には一番うれしい。

 

【ネジバナ】
名前の通り捻(ねじ)ったように花が咲く。

Nejibana

【ワラビ】 なぜか、ぽつんと一本。

P8132421s

【キンミズヒキ】も場所によっては群生。

Kinmizuhiki

名前は、熨斗(のし)袋の水引から。
水引にしてはちょっと太いけれど、
これを金色の水引に見立てるとは・・・

手前一面の黄色はキンミズヒキ。
美しい景色に思わず立ち止まってしまう。
今回の写真の中ではお気に入りの一枚。

Kinnmizuhikig

 

トレッキングコースも人が少なくていい。

P8122277s

斜面を歩くと、かなり大きな木が
揃って大きくカーブしているところがある。
雪の重さのせいだろうか。みごとなカーブ。
写真左手が高くなっている斜面の途中。

P8132402s

一沼のそばを見下ろして。

P8122289s

一沼の静かな景色。
ヒツジグサが湖面に広がる。

P8122291s

ダイヤモンド湿原内も木道があり
歩けるようになっている。

P8132467s

丸池の湖面のアメンボも気持ちよさそうにスイスイ。

P8122278s

もちろん植物だけでなく、昆虫も元気だ。

P8122346s

山の天気は変わりやすいが、
雨のあとに葉や実に残る水滴はほんとうに美しい。

P8132442s

P8132396s

おいしい空気や美しい景色はもちろんだが、
「土の上を歩く」という、ごくごく基本的なことが、
一番強く、自然との一体感を感じさせてくれる気がする。
同時にそれは、
体の芯からリラックスできることでもある。

土と水とに触れるある種の幸福感。
素人トレッキングではあるけれど、山歩きは楽しい。

 

帰路、渋温泉に寄ってみる。

【渋温泉:横湯川】

P8132475s

目的は、
金具屋の斉月楼(さいげつろう)を見ること。

昭和11年に完成した、木造4階建ての建物。
伽藍、数寄屋、遊郭といった
さまざまな日本建築の要素を取り入れた
非常に独創的な建造物。

【斉月楼】

P8132484s

映画「千と千尋の神隠し」の
湯屋のモデルではと言われている。
の説明書きも出ているが、
モデルの話はほかの建物でも聞いたことがあるので、
まぁ、どちらでもよい。

そういったことと関係なく
木造4階建ての建物自体を楽しめる。

P8132492s

いわゆる日本旅館で、
宿泊客の出入りもけっこうある。

P8132516s

というわけで、斉月楼目当てで寄ったのだが、
行ってみると渋温泉は、
温泉街自体を楽しめる雰囲気のある街だった。

P8132500s

歩いて回れる小さな温泉街に、
外湯(共同浴場)が九湯もある。

宿泊客は、浴衣に番下駄という姿で、
九湯を巡浴。

P8132524s

各湯のスタンプを手拭いに押しながら回る。

【二番湯】笹の湯

P8132525s

九つの湯は、九(苦)労を流し、
厄除け、安産育児、不老長寿のご利益があると
根強い人気があるらしい。

【八番湯】神明滝の湯

P8132499s

【三番湯】綿の湯

P8132528s

九つのスタンプを集めて、
最後にこの上にある高薬師さんで

P8132498s

印受すると満願成就。

 

ちょうどお盆と重なったため、
家の前で、小さく火を焚いている家が何軒もあった。
聞くと白樺の乾いた皮を燃やしているらしい。

老舗のまんじゅう屋で、
おやきと温泉まんじゅうを買うときに話を聞くと、
このあたりでは、迎え火時、
お墓と家の前で火を焚くらしい。

P8132507s

お盆のころ、
きゅうりとナスで馬と牛を作るのは、
迎え火時には馬、つまり早く来てほしい、
送り火時には牛、つまりゆっくり帰ってほしい、
の気持ちを表現しているのだとか。

 

旅の最後は善光寺参りへ。
夏の一時的な雨はちっとも気にならない。

P8132533s

【善光寺 本堂】

P8132545s

【善光寺 仲見世通り】

P8132558s

本堂も迫力のある大きな建物だが、
山門も見応えがある。

【善光寺 山門(三門)】

P8132550s

短い旅の絞めとなる
山盛りの蕎麦を食べながら
以前訪問した際、山門近くの蕎麦屋の方が
言っていた言葉を思い出していた。

「善光寺は、
 浄土宗と天台宗との関わりが深いけれど、
 そもそもは宗派を問わない
 誰でもOKの庶民のお寺なンです。

 だから、門はあるけれど塀はないでしょ。
 どこからでも入れるのが善光寺さんなンです」

何度来ても、
善光寺まわりの空気はどこかやさしい感じがする。

 

 

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2015年8月23日 (日)

匂いを表す単位は?

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匂いを表す単位は?

- ノーベル賞=解決ではない -

 

匂いの正体は「形状」なのか「振動」なのか、
の研究の経緯を簡単にまとめた 前回から引き続き

チャンドラー バール著
「匂いの帝王」早川書房

を読みながら、
もう少し匂いの謎を追ってみたい。

 

リチャード・アクセルと
リンダ・バックによって発見された受容体。

 リンダ・バックが発見した匂い受容体は、
よく知られていて種類が多い
Gタンパク質受容体という種類に属していた。

既知のGタンパク質受容体は
すべて形に基づいて機能していた
したがって、
匂いも同じだと考えるのがあたりまえだった。

 

ところが「匂いの現実」は
形状説ではうまく説明できない場合がある。

ポイントは3点。

その1:
同じ匂いがするのに
形状が全く違うものが存在している


 たとえば、同じ白檀の匂いがするのに
 「ベータ・サンタロール」と「オシロル」という
 2つの物質には形状の類似性を見いだせない。
 さらに、少なくとも他に6種類、
 白檀の匂いが見つかっているが、
 いずれも形状派の理論には合致しない。

 他にも
 シアン化水素(青酸)は、
 アーモンドの匂いがするが、
 他のアーモンドの匂いがする分子の形状とは
 まったく一致しない。

その2:
形状がほとんど同一にもかかわらず、
全く違う匂いがする分子がある。


 「フェロセン」と「ニッケロセン」は、
 分子の形状がほとんど同一にもかかわらず、
 全く違う匂いがする。
 「フェロセン」は樟脳の匂い、
 「ニッケロセン」は不快なケミカル・オイルの匂い。

その3:
受容体の数と
嗅ぎ分けられる匂いの数が合わない

 形状説にはもうひとつ問題があった。
人間は、形状説によって可能とされる数よりも、
実際10倍も多い種類の匂いを嗅げるのだ


リンダ・バックは人間の鼻におよそ1000種類の
受容体しか発見していない。

しかし、わたしたちは一万種類もの分子を嗅ぎ分けられる
(おそらくそれ以上。限界はいまだに見極められていない)。

もしもひとつの受容体がひとつの形に反応するのなら、
そしてひとつの形がひとつの匂いに対応するのなら、
勘定があわなくなってしまう。

 

香水が好きで、
多くの匂いを実際に嗅いできたトゥリンは、
この謎の解明に取り組んでいく。

リンダ・バックが発見した受容体は、
だれもが形状受容体だと主張していた
トゥリンは、
分光器として機能する振動受容体だと主張
体内における分光器成立の仕組みを追っていく。

電子トンネル分光器と同じことが、
生物学的な仕組みでも可能なはずだ、と。
その詳細な解説は本に詳しい。

彼の新説は論文にまとめられた。

そして、1995年7月25日、トゥリンは
「一次嗅覚受容の分光的機能」を
<ネイチャー>誌の論文担当者、
ニック・ショートに郵送した。

 

その後、

* ネイチャー誌審査員との
  掲載をめぐる激しいやりとり

* トゥリンの新説を取り上げた
  BBCのドキュメンタリー番組
  「鼻のなかの暗号」の制作と
  その放送の影響

* 追加・検証実験の数々

などが語られていく。

 

例えば、受容体と数と
識別できる匂いの数の違いについて、
のちにトゥリンは、こんな講演をしている。

「いま一度、色覚を思いだしてください」

(中略)

「いまも色覚の仕組みが
 解明されていなかったとします。
 人間が一万種類の色を
 識別できることはわかっています。
 だとしたら、ひとつひとつの色に対応した
 一万種類の色受容体があると
 考えるのではないでしょうか。

 しかし、もちろん、
 それはまったくの誤りです。

 色受容体は三種類しかないからです。
 それで一万色を見分けているのです。

 わたしがいいたいのはそこです。
 一連の -たとえば10種類の-
 匂い受容体が振動スペクトルの
 異なる部分を担当していれば

 色覚と同様にして匂いを嗅げるはずです。

 いうなれば、赤外色覚のようなものです」

振動説を推進するトゥリン。

しかし、結論だけを言えば、
投稿された彼の論文が
ネイチャー誌に掲載されることはなかった。

そして、そこまでの事情がまとめられて、
2003年にこの本(日本語版)が出版される。

その翌年、2004年ここに書いた通り、
「解明されればノーベル賞ものだ」の予想通り
ノーベル生理学・医学賞は
偶然にも、嗅覚に関する研究者に授与された

受賞したのは、受容体を発見し、
形状受容体だと主張していた
リチャード・アクセルとリンダ・バック

形状派の業績が認められたわけだ。

とは言え、それで匂いの機構が、
すべて解明されたわけでもないし、
振動説が全否定されたわけでもない。
相変わらずわからないことだらけだ。

たとえば、
いまだに匂いを表す単位は確立されていない
明るさも音の大きさも数字で表すことができるのに、
匂いは数字で表すことができない。
悪臭による公害の被害などの争いは、
いったいどうやって行われているのだろう。

 

論文の掲載すらしてもらえなかったトゥリン。

物質の匂いも、香水の匂いも、
ほとんど知識というか体験がないため
そのあたりの実感が伴わないのが
読んでいてもどかしい部分ではあるが、
強烈な個性の科学者の半生記からは、
全く知らなかった世界の
まさに「匂い」が十分伝わってくる。

これからますます解明が進むであろう匂いの世界。
自分なりのいくつかのキーワードを持っていると
ニュースへの関心と理解はずいぶん違ってくる。

 

 

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2015年8月16日 (日)

匂いは「形状」なのか「振動」なのか

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匂いは「形状」なのか「振動」なのか

- 24年前にようやく受容体発見 -

 

「原爆の匂い」の話から書き始めた
前回から引き続き

チャンドラー バール著
「匂いの帝王」早川書房

を読みながら、
「匂いはどうやって感じるのか」
の研究の歩みを見てみたい。

 

【振動説】
マルコム・ダイスンというイギリス人科学者が、
1938年<匂いの科学的基礎>という論文を
英国化学産業協会に提出。

「みなさん、人間の鼻は、どういうわけか
 肉でできた分光器ともいうべきものなのです」
とダイスンはいった。

その瞬間、英国化学産業協会の協会員たちは
両の眉毛を不審そうに吊り上げた。

分光器はよく知られた科学機器で、
あらゆる機器のなかでも
とりわけすばらしい能力を持っている。

分光器で物質を調べれば、
どんな原子が含まれているか
-「ここに硫黄が、そこに窒素がある」-
またどんな分子でできているかを
同定できるのだ。

これは分子振動を測定することによって
実現している。

あらゆる分子は脈打つように振動している

ひとまとめにする役を果たしている
電子の糸の振動によって、
分子は揺らめき、震え、鳴っている。

つまり分子は、奇妙に聞こえるかもしれないが、
一種の楽器なのだ


(中略)

ひとつの分子が持つ電子結合が多ければ多いほど、
揺れ動きは複雑になり、
さまざまな音で鳴るようになる。

それぞれの分子は独特の振動、
独特の音の組み合わせを引き起こす。

分子がどんな音を鳴らしているかによって
分光器はその正体を見極めているのだ。

振動説の優位点は、
匂いが即時的でありながら無制限であるという謎に
答えられる点にあった。

匂いは形ではありえない。
匂いは振動に違いないのだ。

それ以外に、どうすれば人間は、
あらゆる分子を即座に嗅ぐことができるのだろう、
とダイスンは力説した。

鼻は分光器に違いないのだ。

ダイスンの仮説はきわめて理にかなっていた。
事実を説明できる、という
すぐれた仮説の条件を満たしていた。

論理的で、洞察に満ちていて、独創的だった。
だが、ひとつだけ問題があった。
馬鹿げていたのだ。


馬鹿ばかしさの理由は単純だった。
分光器を肉で、人間の体でつくるなんて
どう考えても無理だったのだ。

カナダ人のR・H・ライトも1977年
<匂いと分子振動>という論文を発表して、
振動説をよみがえらせようとしたが、
同じ問題に直面していた。

 

【形状説】

ならば形だ、
匂いは形なのだということになった。

分子はみなでっぱりとくぼみと湾曲の
独特な組み合わせからなっており、
それらは指紋のように固有だ。

宙を漂っていた匂い分子が
受容体にとりこまれると、
受容体はその形を隅々まで探って、
「ああ! あれか!」と告げるというわけだ。

消化酵素や神経伝達物質や免疫系など、
他のすべての受容体は
(すでに解明されているように)
形に基づいて機能している。
それなら形が匂いに相違ない。
匂いは形なのだ。

 

生物学者は振動派と形状派に分裂した。
形状派を率いて振動派に戦いを挑んだのは、
イギリス人科学者ジョン・アムーアだった。

アムーアは鏡像異性体に着目。
鏡像異性体とは、
構成原子はまったく同一だが、
結合が鏡に映った実像と鏡像のような
関係になっているふたつの分子のこと。

カルボン分子にも鏡像異性体(R体とS体)がある。
R体とS体の振動数は同じ。
しかし、匂いは違う。

1980年までに、アムーアによる
人体分光器の馬鹿ばかしさの指摘と
形状派の「カルボン!」という
シュプレヒコールによって、
振動説は息の根を止められていた。

 

というわけで形状派優位ではあったが、
この時点ではまだ、匂い分子の形状を認識する
肝心の「受容体」が鼻に見つかってはいなかった。

生物学者たちの懸命の努力にもかかわらず、
嗅覚マシンにとってもっとも重要な、
匂い分子を実際にとらえる部品である
匂い受容体タンパク質が
鼻のなかで発見されていなかった
のだ。

受容体タンパク質がなくては、
知覚をきちんと研究することはできない。

視覚のために光子を受けとる受容体、
それにもちろん消化や免疫系や
神経伝達物質の受けとりなどなどのための受容体は
とっくに発見されていた。

ところが不思議なことに、
匂い受容体だけは発見されていなかった。
そんなことはありえないはずなのに。

何年ものあいだ、いくつもの研究所が、
嗅覚受容体を発見すべく
Gタンパク質共役型受容体の森へ
探検隊を送ったが、謎の匂い受容体は、
なかなか姿を現わしてくれなかった。

 そんなときにリンダ・バックという
若い生物学者が登場した。彼女は
コロンビア大学のリチャード・アクセル
研究室に所属していた。
アクセルは優秀で、精力的で、無愛想な
分子生物学界の大物だった。

(中略)

 匂いというスフィンクスの問いに
キャリアを賭ける覚悟を決め、
バックは匂い受容体を求めて
Gタンパク質共役型受容体の森に分け入った。

長くじれったい調査が続いたある土曜日の夜、
バックは自宅のキッチンテーブルで
データを見直していた。

そしてそのとき、求めていたものを
見つけたことに気づいたのだ。
バックとアクセルは
匂い受容体に関する論文を共同で書き

1991年に<セル>誌に発表した。

ようやくみつかった匂いの受容体。
1991年と言えば24年前の話だ。
そんなに古い話ではない。

分子の形状を受容体が認識し匂いを感じる」

これで匂いの謎はスッキリ解決!
となるのであろうか。

じつはそれほど単純ではない。
匂いの研究の話、もう少し続けたい。

 

 

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2015年8月 9日 (日)

匂いの仕組み解明にむけて

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匂いの仕組み解明にむけて

- 味の九割を決めているのは嗅覚 -

 

長崎は今日2015年8月9日、広島は8月6日、
70回目の「原爆の日」を迎えた。

戦争に関するエピソードではないが、
「原爆」で思い出した話があるので、
今日はそれを紹介したい。

チャンドラー バール著
「匂いの帝王」早川書房


という本の一ページ。

まずは、その部分を。
(以下水色部は本からの引用)

「広島の原子爆弾の生存者によれば」と
ヒューレット・パッカード社で講演をおこなったとき、
トゥリンはいった。

「爆弾が閃光を発すると同時に
 ゴムが焼ける匂いがしたのだそうです。

 奇妙なことに、そう語った人々は、
 爆心地から何キロも離れたところにいました。

 光は瞬時にそこまで到達しますが、
 物理法則からして、
 匂い物質が焦土となった地域から
 彼らの鼻まで届いたはずはありません


 それでは、彼らはなにを嗅いだのでしょうか?

ここで語られていることは、
「匂い物質が鼻に届く前に、匂いを感じた」
と思われる体験だ。

もちろん、強烈な体験ゆえ、
記憶自体が勘違いだったり、
のちに記憶が上書きされてしまったり、
という可能性も
たとえ体験者といえどもあるだろう。

しかし、もしかすると
「匂い」が「物質」以外で伝わった
ひとつの事例なのかもしれない。

文章はこう続いている。

 もうひとつ、こんな事実があります。
 原子爆弾は、きわめて強力で、赤外線を含む
 周波数帯域の広い電磁波を放射するのです
 (閃光とは可視スペクトル内の放射に過ぎません)。

 ひょっとしたら、
 ゴムの焼ける匂いをもたらしたのは、
 赤外線が目におよぼすのと同じ影響を鼻におよぼす
 電磁波だったのかもしれません。

 つまり、彼らは
 広島の原子爆弾が放った振動を嗅いだのです」

 

いきなり本文206ページの引用から
話を初めてしまったが、
「振動を嗅ぐ」とはいったいどういうことなのだろう。

振動の話の前に、簡単に本の紹介をしたい。

この本、
400ページを越えるずっしりと重い単行本だが、
内容はルカ・トゥリン(Luca Turin)という学者の
半生記になっている。

彼は香水への興味から、
香水のガイドブックを書き、
嗅覚の仕組みを探る学者になったという
まさに匂いのスペシャリストだ。

* 匂いをどうやって感じるのか、に関する
  研究の背景とトゥリンの新説の解説。

* 自説を裏付けるための実験の工夫と苦労。

* 既存の説を支持する学者たちとの戦い。

* 香水業界の様々なトリビアネタ、裏話。

* 雑誌「ネイチャー」への論文掲載可否の裏事情。

といった「匂い」をとりまく多くの話題を網羅しながら、
一種の科学ドキュメンタリのようなタッチで話は進んでいく。

登場する人物・学者たちも、紹介される数々の香水も
ほとんどすべて実名のまま。
この業界に詳しければさらに楽しめることだろう。

特に香水。私には全く知識がないので、
その部分はまさに字を追うだけになってしまったが、
香水に詳しい方は、登場する香水の解説と
香水業界の裏話だけでも
興味深く読めるのではないだろうか。

 

最初に、他の感覚の解明がどうなっているのか
簡単に触れておこう。

まずは視覚。

視覚については、網膜の光受容体が
光粒子のどの波長を捕らえたときに
どの色が見えるかまで、
くわしく厳密に解明されている
(1968年度のノーベル賞は
 視覚の研究に対して授与された)。

聴覚のほうは?

聴覚についても、
内耳の蝸牛(かぎゅう)に伝えられた
どのような空気振動が
どのような音に聞こえるかまで、
つぶさに解き明かされている
(1961年度のノーベル賞は
 聴覚の研究に対して授与された)。

ところが、嗅覚については
ほとんどわかっていない。

だからこそ、嗅覚は二種類の
熾烈なレースの対象になっているのだ。

 第一は科学のレース
いくつかの有力な研究所
(自意識がきわめて強い
 負けず嫌いの研究者たち)
がこのレースに参加している。

レースに勝利すれば、生物学の
もっとも重要な謎のひとつを解明して、
おそらくは(おおかたの予想どおりに)
ノーベル賞という賞品を得られるからだ。

最新の研究によれば、驚くべきことに
人間の遺伝子の1パーセントが
嗅覚にかかわっているという。

「それなら、間違いなく匂いは
 人間にとってきわめて重要なのだ」と
アメリカ国立衛生研究所(NIH)の
遺伝学者ディーン・ハマーは述べている。

この本の日本語版が出版されたのが2003年。

嗅覚についてはほとんどわかっていないが
解明されればノーベル賞ものだ、の予想通り
なんと翌2004年のノーベル生理学・医学賞は、
嗅覚に関する研究者に授与された。
受賞したのは、トゥリンではなかったが。

そして、嗅覚研究における第二のレースは?

 もうひとつは金目当てのレースだ。
工業的に製造された匂いは、
毎年およそ200億ドルを稼ぎだしている。
そしてそうした匂いのほとんどすべてが
"ビッグボーイズ"と呼び慣わされている
たった6社によって製造されており、
その6社が巨額の利益を独占しているのだ。

このビッグボーイズには
日本の企業も入っている。

 全世界の香料入り商品の匂いは、
大多数が、注意深く匿名性を保っている
6社の大企業によって製造されている。

* インターナショナル・フレーバーズ・
  アンド・フレグランス(アメリカ)
* ジボダン・ルール(スイス)
* クエスト・インターナショナル(イギリス)
* フィルメニッヒ(スイス)
* シムライズ(ドイツ)
* 高砂香料工業(日本)
の6社だ。

これらのいわゆるビッグボーイズが、
きわめて特殊な商品-分子の製造・販売を
おこなっている巨大企業なのだ。

ビッグボーイズの商品である分子は、
人間の味覚、そしてなによりも嗅覚を誘発する。

じつのところ、
味覚は高機能とはいいかねる矯小な感覚で、
甘味、酸味、塩味、苦味、旨味の
五種類の刺激にしか反応しない

ところが、事実上、味の九割を決めている嗅覚は、
約一万種類もの分子を嗅ぎ分ける

しかも、一万種類といわれているのは、
(まぎれもない事実なのだが)
いまだに嗅覚の匂い分子識別能力の限界を
見極められないでいるからにすぎないのだ。

 

前置きがずいぶん長くなってしまった。

我々は匂いをどうやって認識しているのか。
本題となる分子の形状説と、
トゥリンらが提唱する振動説の話は
次回に、としたい。

 

 

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2015年8月 2日 (日)

「歯車のひとつ」

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「歯車のひとつ」

- 「正直、うれしかった」という感想 -

 

前回、日本の労働環境に対する
外国人のコメントを紹介したら、読んだ方から
思いのこもったコメントやメッセージをいただいた。

「もっと休みを取ろうよ」
という軽いメッセージを伝えたくて書いたのだが、
「働く思い」というのは、
経験や立場によってまさに千差万別。
どこに価値を見出すか、こそが
まさにその人にとっての「働く」ということなのだろう。

働く、と言えば
原稿用紙たった2枚の短い文章ながら、
忘れられないコラムがある。

今日はそれを紹介したい。

写真家の丸田祥三さんが、
朝日新聞1995年8月24日夕刊に書いていた
「歯車のひとつ」
という文章。(以下水色部は引用)

A950824e

 子どものころ、
テレビドラマ「時間ですよ」が嫌だった。

風呂(ふろ)屋が舞台で、
いつも脱衣所の場面で
女の人がオッパイを出していた。

スターの背後で、
ただオッパイを出すためだけに
存在させられる無名の人は
何を思うのかと考えてしまい、
耐え難かったのである

数年後、ワイドショーで、
その番組のスターがこんなことを言った。

「『時間ですよ』は、オッパイのおかげで
 高視聴率なんだと言われてホントに悔しかった」

何も考えず、
ただニヤニヤしながら見ていただけの私とは大違い。
こんなことを感じながら見ていた人がいたンだ。

後半のスターの言葉は、前半を読んでから聞くと、
それ以前とはちょっと違った意味で響いてくる。

 

1987年、映画会社に就職した。
自尊心の墓場であった。

長年助監督を務めながら、
映画の斜陽と合理化により、
夢を断たれた人がいた。

映画部門以外に配転された人の方に、
芸術家肌が多かった。
光る才の持ち主たちがつぶされてゆく様に
愕然(がくぜん)とした。

崖(がけ)っぶちのクリエーターたちは、
ヒステリックに営業職や事務職をバカにしていた。

 私は、企画部付の事務員を拝命した。
クリエーター集団の縁の下に潜む、雑用係だった。

 無愛想な駅員や、つり銭を放ってよこす店員や、
横柄な巡査の気持ちが、わかる気がした。

「自尊心の墓場」か。
確かにそこで働くのはつらい。

 

 翌年「障害者と十五年戦争」という企画書を書いた。

大組織のハグルマに終わりたくない、という一心だった。

常務に提出すると捨てられたが、
大先輩のU氏が推してくれた。
氏は監督だったが、個性が強すぎると言われ
数年に一本テレビを撮るだけであった。
しかし、いつも明るく、周囲の皆に優しかった。

 企画は、戦時中に様々な副次的軍事労働に
動員された障害者たちの、孤独と屈辱の記憶を
ルポしようというものであった。

しかし、幾人かに取材したところ、
こんな答えが一番多かった。

「あの時だけ世の中の歯車になれた。
 正直、うれしかった」。


他人の傷の深さは、
自分の想像力では測れないと痛感した。

「戦争の時だけ世の中の歯車になれた。
 それがうれしかった」

まさに自分の想像力の貧弱さを突きつけられるようだ。
逆に言えば、戦争でないとき、障碍者は
どのような思いで働いていたのであろうか。

 

企画は流れ、常務は高笑いし、
U氏は私をのみに誘ってくれた。

「そのうち、何とも思わなくなるから」。

嫌な人の存在よりも、
善人の限界を確認する方が辛(つら)かった

社会において「善人の限界」を知らしめられて、
悲しい思いをすることも、
やはり「労働の現場で」が多い気がする。

とは言え、辛いとか、悲しいとかばかりを
言ってはいられないので、
「そのうち、何とも思わなくなる」鈍感さを
身につけてしまう面があることも
残念ながら否定できないのだが。

 

「歯車のひとつ」という言葉は
使い古された表現で、それはいつも
ネガティブなイメージでのみ使われている
私にとっては安っぽい表現のひとつだった。

ところが、このコラムを読んで以来、
独特な奥行き感が伴うようになった。

 

 

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