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2015年6月

2015年6月28日 (日)

「妙正寺川」歩き (1)

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「妙正寺川」歩き (1)

- 下流端「落合」から歩き始めて -

 

西武新宿線に「下落合」という駅がある。
住所で言うと東京都新宿区。

「落合」とは、
何かと何かが文字通り落ち合うことを意味している。
それは何か。

「妙正寺川」と「神田川」だ。

この二つの川が落ち合う場所を、
学生時代、友人に誘われて見に行った。

ちょっと見に行ってみようか、という
軽いノリの見学兼散歩。

特別に大掛かりな仕掛けや施設があるわけではないが、
目の前に現われたY字の大きなコンクリートの塊は、
そのまま静かに私の記憶の中に沈んでいった。

あれから約30年。その時の友人から、
「妙正寺川を落合から
 水源の妙正寺公園まで歩いてみないか」
との誘いを受けた。

まさに何があるわけでもない。
都心の川を、川に沿って歩くだけ。
こんな企画に、いい歳をしたオッサンが4人集まった。

 

最初に、過去の合流地点を確認しておこう。
歩いたメンバの家に眠っていた
昭和48(1973)年版の2万5千分の一の地図では、
二本の川が落ち合っているのがよくわかる。

0a800

ネットでは、昭和54(1979)年11月に撮影した
この地域の航空写真を見ることもできる。

1800

まさに地図通り落ち合っているだけでなく、
合流地点すぐ下流で
水が少し急な部分を流れ下って
水しぶきをあげて白くなっているのまでわかる。

私が友人と見に行ったのは、まさにこの落合部分だ。

 

それが今日(2015年6月)時点での
Google Mapで見るとこの通り。
北側(左上)にある水色の帯が「妙正寺川」。
合流している部分はわからない。

3800

航空写真だとこんな感じ。

2800

 

というわけで、
まずはこのあたりを見てから
川を溯(さかのぼ)ろう、ということになった。

30年前に見た、二つの川が落ち合う現場は、
上に書いた通り、
今は流れが変更されて見ることができない。

「昔はこのあたりが
 合流に向かう川だったはずだけれど」
と痕跡を探しながらウロウロ、キョロキョロ。

外から見るとかなり怪しい中年オヤジのグループだ。

3800g

元(もと)水路だったと思われる部分は、
過去をすっかり忘れたように、
今は静かな「道路+住宅地」となっていた。

P5101390s

さてさて、いよいよ
妙正寺川をゆっくり上って行くこととしよう。

2015年5月の妙正寺川とその付近の景色。
撮った写真の整理を兼ねて、
その一部を紹介したいと思う。

 

まずは、妙正寺川の下流端。
もう一度今の地図を見てみよう。

3800e

黄色い丸の部分。
行ってみるとこんな風になっている。
ここから先は、もう地上からは追えない。

P5101383s

で、そこから反対側(西側)を向くとこんな感じ。
下落合駅東側の辰巳橋。
神田川高田馬場分水路と合流している。

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この方向、つまり、川を溯る方向に
できるだけ川に沿って歩いてゆく。
ここから水源まで約10km。

P5101382s

途中、
「昭和橋記?」までしか読めない
「埋めすぎでしょ」の
こんなものを発見したりしながらブラブラ。

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思っていたよりも水もきれいだ。
数々の浄化施策の結果なのだろう。

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川に沿って歩けない部分もある。
西武新宿線「中井駅」手前。

川から離れた途端、
川に向かって大きく下ってくる坂道が
目に留まる。

 

4jpg

 

見晴坂(みはらしざか)

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名前の書かれた標示柱には、こんな説明が。

「昔この坂上からの眺望は素晴らしく、
 特に富士山の雄大な姿は抜群であったという。

 また、坂下の水田地帯は古来より
 落合蛍の名所として知られた。
 坂名はこれらの風景に由来するものであろう」

富士山と蛍か。
今のように建て込んでしまっていると、
想像することすらむつかしいが。

 

隣は
六天坂(ろくてんざか)
標示柱には

「昔、この坂上に第六天の祠(ほこら)が建っていたため、
 こう呼ばれるようになったという」

今は坂の途中に第六天の祠(ほこら)がある。

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住宅地の一角という感じだが、
ちゃんと手入れが行き届いている。

写真左の家の手前角、の部分が祠。

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その後再び川に戻り、沿って歩く。

途中、カメラのフィルタで遊んでみたりする。

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西武新宿線「中井駅」横の踏切には、こんなものがあった。
「いのちの電話」の番号一覧。
「こころの痛み、話せる電話です」とある。
自殺防止のため?
効果があるのだろうか。

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P5101435ss

 

「自殺」と言えば、2015年4月26日の朝日新聞の書評欄に
  デイヴィッド・フィンケル 著
  『帰還兵はなぜ自殺するのか』亜紀書房
という本が取り上げられていた。

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その書評によると、

アフガニスタンとイラクに派兵された米軍兵士は約200万人
そのうち50万人はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と
TBI(外傷性脳損傷)に悩まされている。

派兵前は善良な市民だったのに
一転して社会生活についていけなくなり、
精神障害、暴力、薬物中毒に陥り、
毎年240人以上が自殺している。

とある。評者は
「今の日本でもっとも読まれるべき書」とまで言っている。

「帰還兵200万人に対して毎年240人が自殺」か。
読んだ瞬間になにかが引っかかった。

ちょっとここ日本に目を向けてみよう。
日本では、
1億2千万人に対して毎年約2万5千人が自殺している。
(平成26年は25年比で1856人も減ったのに、
 それでもまだ2万5427人にもなっている)

同じ比率を200万人に当てはめると416人だ

実にPTSDやTBIで苦しむ帰還兵の約1.7倍

平和と言われるここ日本で、
精神的に深い傷を負ったであろう帰還兵よりも
もっと多くの人が毎年、自らの命を断っている。

いったいどういうことなのだろう。

「いのちの電話」であれなんであれ、
「もう一度生きていこう」の
きっかけになりますように、と祈らずにはいられない。

 

川を歩いているのに、
坂や踏切の話が続いてしまった。
しかもまだ中井、つまり出発駅下落合のお隣りの駅。

もう少し早歩きで前に進みたいと思う。  (つづく)

 

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2015年6月21日 (日)

動きのカガク展

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動きのカガク展

- 静止画が動く「変幻灯」 -

 

東京 六本木の21_21 DESIGN SIGHTで始まった
「動きのカガク展」に行ってきた。

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強い光源を持った模型電車を走らせ、
壁に映る影の大きな動きを楽しむ

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ひだを打ったレースのカーテンに風をあてて揺らし、
カーテンに映った動く映像を楽しむ

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ハンドルから360度、すべての方向にのびたテグスの先が、
直線上に変換、配置されることで、ハンドルの動きが、
テグスの先の玉の動きとなって曲線を描き出す

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ダンボールの塔の中は、

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ひとつひとつのダンボールに取り付けられたモータが、
小さな玉を動かしてそれぞれ勝手に
ダンボールを叩き続けており、
中に入ると、ダンボール太鼓の音に全身が包まれる

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などなど、「動きのカガク展」のタイトル通り、
動きを伴った作品が数多く展示されている
体験型展覧会だ。

ディレクタの菱川勢一さん自身が言っているように
まさに「図工室に遊びにきたような感覚」で
気軽に楽しめる作品が多い。

ただ、「カガク」をカタカナにしたことに
なにか意味があるのかよくわからないが
科学的な新鮮味はあまり期待しないほうがいい。

映画やアニメの基本となる仮現運動、
ピンポン球を吹き上げる際のベルヌーイの定理、
手書き文字をデータとして集めて処理する人工知能、等
作品ごとに光学、流体、認識、遷移、同期などに関する
科学用語を伴った説明が添えられてはいるが、
科学的な視点から見ると
古くから知られている原理に基づくパターンの作品が多い。

「図工室」だからしかたないか。

そんな中、新鮮味の点で
一番おもしろかったのはこれ。

NTTコミュニケーション科学基礎研究所の
「変幻灯」

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紙に書かれた静止画が動く、という作品だ。

写真ではもちろん伝えようがないが、
展示はこんなにシンプル。
光のあたっている左右二枚の絵が動く。

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探してみると、展示作品と同一ではないが、
YouTubeに動画があったので、
紹介を兼ねてここに貼っておきたい。

平面に対する
プロジェクションマッピングと言えばいいのだろうか。

まさに紙の静止画が眼の前で動き出す感じは、
やはり実物を見ないとよくわからない。

動画では陽炎(かげろう)のように見えるが、
実際の印象はかなり違う。

ほんとうに目を疑うほどに動くのだ。

次々に絵を入れ替えて
子どものようにしばし楽しんでしまった。

 

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2015年6月14日 (日)

士(つわもの)に富む山

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士(つわもの)に富む山

- 『物語はないの?』 -

 

ある縁があって、
ポーランド人、スロバキア人、
ハンガリー人、アメリカ人、が
我が家に3泊することになった。

一組のご夫婦とその友人女性二人の4人組。
4人のうち3人は日本が初めて。

駅や電車の妙に丁寧で細かい表示板から
お手洗い(シャワー便座やトイレットペーパーの軸受け)、
鍵のかかる傘置き場、箸置きなどなど、
日本で見かけるあらゆることに興味津々の彼女らが、
どんなところに驚き、
どんなところに興味をもったのか、
それを羅列するだけでも楽しいのだが、
今日はそんな中から「あるひとつの質問」を
取り上げてみたい。

 

日本での限られた時間を
できるだけ楽しく過ごしてもらいたく、
観光でどこに行きたいか、希望を聞いてみた。
すると全員一致で「富士山!」

ちょうど5月の大型連休中だったため、
「どうやって行くか」「いつ行くか」
に選択肢があったのだが、
選択肢があるがゆえに、
渋滞と天気をいかにクリアするか、
が大きな課題となった。

天気予報サイトをこまめにチェックしながら、
ギリギリまで粘りに粘って
行程と日にちを決定した。

 

まず、行程。
* 首都圏から三島駅まで新幹線で移動。
* 三島駅前でレンタカーを借りる。
* 御殿場、富士五湖と、
  富士山を大きく反時計回り。
  最後に白糸の滝を見て
  新富士でレンタカーを返却(乗り捨て)。
* 新富士駅から首都圏までは新幹線で戻ってくる。

結論だけを言えば、この選択は大正解だった。
8人を乗せた大型ワゴンは、
ほとんど渋滞に巻き込まれることもなく、
連休中とは思えない快適さでスイスイ。

富士五湖近辺の逆車線は河口湖ICを目指してか、
かなりの渋滞だったので、反時計回りはお薦めだ。

そして最大の問題、天気。

これまた
「日頃の心がけがいい」とは
まさにこのことを言うのだろう。

この富士山をご覧あれ。

Img_1671s

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外国人はもちろん、日本人も
天気の幸運に感謝しつつ、みな大興奮。

ここに書いたコレ

Dsc_0106s

でお湯を沸かして8人分のお茶を入れ、
雄大な景色を眺めながらティータイム。
もう最高の気分だ。

 

「マウント・フジ」と言ったり、
「フジサン」と言ったりしているが、
「サン」と言うのは
日本人が名前につける「スズキ・サン」の
「サン」と同じなのか、
など、外国人ならではの質問がいくつも飛び出す。

そんな中、
「富士山にまつわる『物語』はないの?」
と聞かれた。

「えっ?
 ありそうだけれど・・・えーっとね」

読者の皆様、いかがでしょうか?
富士山にまつわる物語、なにか思い浮かびますか?

これほど広く愛されていて、
これほど多くの絵にも描かれていて、
関東地方では富士塚を見かけることも多いのに、
残念ながら「物語」はひとつも思い浮かばなかった。

質問されて初めて気がついた、
ちょっと不思議な驚き。
悔しい。

 

私自身の寡聞ゆえ、
ということももちろんあるだろう。

というわけで、帰ってきてからも、
「富士山にまつわる『物語』何か知らない?」
と機会と人を見つけては、聞きまくってみた。
それでもやっぱり意外なほどネタがでてこない。

唯一いただいたコメントがコレ。

「竹取物語の最後の部分なんてどぉ?」

 

竹取物語に富士山?
かぐや姫の話はもちろん知っているが、
そもそも竹取物語をちゃんと読んだことがない。

首相ですらポツダム宣言を
「つまびらかに読んでいない」のだから、
私が竹取物語を読んでいなくてもしかたがない。

とにかく、
「月に戻って、で終わりじゃないの?」
というレベルなので、
そこまでピンポイントで指摘してもらっても
悲しいかな、まったくピンとこない。

そうこうしているうちに、
ご丁寧にも、その部分を解説した
手書きのお手紙までいただいてしまった。

改めて少し調べてみよう。

 

竹取物語は、『源氏物語』に
「物語の出(い)で来はじめの祖(おや)」とある
現存する最も古い物語。作者は不明。

いわゆる「かぐや姫の物語」の部分については
今日は触れない。
(ちなみに、高畑勲監督の2013年の映画
 「かぐや姫の物語」も念のために見てみたが、
 こちらも「月に帰る」で終わっていて
 富士山は一切出てこない)

 

姫が月に戻ったあと、まさに最後の部分を
岩波文庫の「竹取物語」から引用したい。

薬の壺に御文そへ、まゐらす。
ひろげて御覧じて、いといたくあはれがらせ給て、
物もきこしめさず、御遊びなどもなかりけり。

大臣上達(かんたちべ)を召して、
「いづれの山か天に近き」
と問はせたまふに、ある人奏す、
「駿河(するが)の國にあるなる山なん、
 この都も近く、天も近く侍る」と奏す。

これを聞かせ給ひて、

  逢ことも涙に浮かぶ我身には
  死なぬくすりも何にかはせむ

かの奉る不死の薬に、
又、壺具して、御使に賜はす。

勅使には、つきのいはかさといふ人を召して、
駿河の國にあなる山の頂にもてつくべきよし仰(せ)給。

嶺(みね)にてすべきやう教へさせ給。
御文、不死の薬の壺ならべて、
火をつけて燃やすべきよし仰せ給。

そのよしうけたまわりて、
つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、
その山を「ふじの山」とは名づけける。

その煙(けぶり)いまだ雲のなかへ
たち上るとぞ、言ひ傳へたる。

現代語訳は、ここから引用させていただく。

薬の壺にかぐや姫からのお手紙を添えて差し上げた。

帝は手紙を御覧になって、たいそう深くお悲しみになり、
食事もお取りにならず、
詩歌管弦のお遊びなどもなかった。

大臣や上達部をお呼びになり、
「どこの山が天に近いか」とお尋ねになると、
お仕えの者が奏上し、
「駿河の国にあるという山が、
 この都にも近く、天にも近うございます」
と申し上げた。

これをお聞きになり、

 <もう会うこともないので、
  こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、
  不死の薬が何の役に立とう。>

かぐや姫が献上した不死の薬に、また壺を添えて、
御使いの者にお渡しになった。
勅使に対し、つきの岩笠という人を召して、
駿河の国にあるという
山の頂上に持っていくようお命じになった。

そして、山の頂でなすべきことをお教えあそばした。

すなわち、お手紙と不死の薬の壺を並べ、
火をつけて燃やすようにとお命じになった。

その旨をお聞きし、
兵士らを大勢連れて山に登ったことから、
実はその山を「富士の山(士に富む山)」と名づけたという。

そのお手紙と壺を焼いた煙が
今も雲の中へ立ち上っていると言い伝えている。

 

不死の薬を焼いたからではなく、
士(つわもの)を多く伴って登ったから、
士に富む山で「富士山」か。

「二つとない」の「不二」から、
という話は聞いたことがあったが、
「富士」の話は実は今回初めて知った。

直感的になにかあるかも、と思ったら
これは、という人に聞いてみるものだ。

それにしても最終行、
「煙が今も雲の中へ立ち上っている」とは。

竹取物語が何年に書かれたものかは
いまだ明確にはなっていない。
しかし、800年から1083年の間を見てみると
富士山には噴火した記録が約10回もあるという。
この煙は、まさに
ほんとうの噴煙を指しているのかもしれない。

 

読者の皆様、
「富士山にまつわる物語」で
他にも思いつくものがあれば、
ぜひ教えて下さい。

 

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2015年6月 7日 (日)

おいしい料理とは

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おいしい料理とは

- 高橋忠之さんの言葉 -

 

昨日、2015年6月6日の朝日新聞朝刊一面には、
こんな記事があった。

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伊勢志摩で2016年、主要国首脳会議(サミット)が
開かれることが決まったようだ。

会場となる予定のホテルは、
賢島にある「伊勢志摩観光ホテル」。

伊勢志摩観光ホテルと言えば、知る人ぞ知るの料理長
高橋忠之さんがいたところだ。

地元の食材を大事にする数々の名物料理だけでなく、
言葉においても多くの名言を残している高橋さん。
今日はそんな中から、
特に印象的だったインタビュー記事をひとつ紹介したい。

古いスクラップブックをめくって見つけた記事は、
なんと1988年4月28日の朝日新聞夕刊。
今から27年も前の記事だ。
日に焼けてまさに真っ黄色になってしまっている。
(以下水色部は記事からの引用)

聞き手は、2008年に亡くなってしまった筑紫哲也さん。
「筑紫哲也の気になるなんばあわん(NO.1)」

A880428_880428s

高橋さんは、中学卒業後、修行15年。
29歳の若さで料理長に就任した。

【徒弟制度的な修行について】

料理は修業でどうこうではなくて、
科学的に解体していって
もう一回積み重ねていって
組み立てられるものだと思います。

ものを正しく計る、
分量、時間、温度を計ることで99%出来る。
修業は一年あれば十分です

もちろんこれは「料理を作る」に限った話。
「料理法を考える人」「料理長」となれば、
別な目が必要になる。

まず素材を究明する。
それは自然を見つめることです。


アワビの場合だと太陽と土と海。
太陽の光が届くところに海草がある。
その海草の生育には川の水がどういう土壌を得て
海に流れ込むかを知る。

そしてプランクトン、海底の地形、黒潮の流れ。
それに水温、水質、塩分など、
データから問いかけていくとアワビの成長の姿が決まる。

それから素材の成分。
例えば、たんばく質、糖分、脂肪などを追いかけて
火の通し方、調味料などを考える。

脂っこい魚に
バターやクリームを加え過ぎるとまずくなる。

アワビについて意外な発見は
大根といっしょに炊くと、
やわらかさとおいしさが出てきたことです。

タコと大根を炊く料理法から
偶然ヒントを得たんですが。

 

【こちらから行かなくても、むこうからやってくる】

本場フランスでの修業が売り物のこの世界で、
旅を除いて志摩を動かない。

代わりにフランスから有名な料理人がやってくる

その一人、
「好きなだけ滞在して私の店で食べていいが、
 パリに店を出さないでくれ」。

別の一人、
「もう一回来る。
 その時は食べるのではなくて一緒に働きたい」

 

「ご飯とみそ汁にたくあんがあれば一番」
という声に対しても、それを否定することなく
自分の料理をひと言で表現している。

それは食べ慣れたおいしさです。

それと食べ慣れない非日常の
ごちそうのおいしさとは別の世界。
一緒にしちゃいけないんですね。

私が作っているのは非日常の料理。

 

無類の勉強家で、
休まない、眠らない(睡眠四時間)。
月百冊の本を読む読書家?
の質問に。

それはオーバーですが、年に450万円、
本を買ったことがあります。

(略)

「料理人の世界」には反発がありましたが、
字をひっくり返したもの「世界の料理人」になるんだ、と、

 

いろいろ考えさせられる言葉の数々だが、
いまでもこの記事を捨てられずにいるのは、特に
【おいしい料理とは】
の説明があまりにもすばらしかったからだ。

おいしい料理というのは、
物語というか神話に近いものを持たねば
だめだと思うんです。

食べておいしかったということと併せて、
食べてみたいという潜在的なお客さま
つくり出すことからスタートする。

日本料理は様式美の世界だと思うんですが、
フランス料理は絶対美の世界に
お客さまの気持ちをもっていかないと、
ドラマは成功しない。

おいしかっただけでなくて、
またいつか引き返して来たい

思わせるまでいかないと・・・。

食べたことのない人には、
「食べてみたい」と思わせる。

食べた人には、
「またいつか引き返してきて、
 もう一度食べたい」と思わせる。

「食べておいしかった」だけではダメなのだ。

これ、料理だけでなく、
「いい仕事」にはすべてあてはまる名言だ。

読んだことのない人には「読んでみたい」と思わせる。
読んだ人には「もう一度読みたい」と思わせる。
ほんとうにいい小説にはそういう魅力がある。

「読んでおもしろかった」だけの小説は、
「食べておいしかった」で終わりの料理と同じ。

仕事どころか人も同じかも。

「会ってみたい」「もう一度会いたい」
そう思わせる人こそが、
まさに魅力的な人物なのではないだろうか。

 

【オマケ1】
記事右上隅の広告にご注目あれ。
「5月17日創刊 AERA  全72ページ300円」
週刊アエラは1988年5月の創刊だったんだ。

 

【オマケ2】
2015年と1988年の記事を同時に見て、
その文字の大きさの違いにビックリ。
同じ朝日新聞だ。

同一解像度でスキャンしたものを並べてみた。
つまり実サイズ比そのまま。
上が2015年の記事、下が1988年の記事

A150606880428s

これを、情報量が減ったと考えるか、
読みやすくなったと考えるか。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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