「なまもの」を極薄に切る
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「なまもの」を極薄に切る
- 「徐々に攻めていく」とは -
前回、
生物を顕微鏡で観察することの
どういう点が難しいのかを
途中まで書いた。
きょうはその続き。
前回と同じ
光文社新書
を教科書に話を進めたい。
(以下水色部、本からの引用)
簡単に前回の復習をすると、
(1) 顕微鏡で物を見るためには、
対象物を100分の1ミリメートル単位の
「薄さ」にする必要がある。
(2) ところが「なまもの」である生物は、
水分が多く、100分の1ミリメートル単位の
「薄さ」にすることはできない。
(3) なまのカツオではなく、
"かつお節"であれば「薄く」切れる(削れる)が、
"かつお節"は生きていたときの
「なまの」細胞の構造を維持していない、
という問題点がある。
つまり、
「なまの」細胞の構造を維持したまま
「固く」できれば、
薄く削って顕微鏡で観察することが可能となる。
なにかいい方法があるのだろうか。
実はこの方法、
100年も前にすでに完成していたらしい。
ネッティーの時代、つまり今から100年前までには
ほぼ完成された形になっていた。
ここにもまたクラフツマンシップが
遺憾なく発揮されている。
現在、私たち生物学者が顕微鏡観察を行う際にも、
この技術がほとんど変わることなく踏襲されている。
福岡さんが学生に実習させているという
その手順を具体的に見てみよう。
臓器または組織が小さく切り取られる。
それらはつややかで、ウェットで、
場合によっては血が滴(したた)っている。
顕微鏡で見るためには
米粒ほどの大きさの
臓器のかけら(臓器片)があれば十分だ。
それだけでも
そこには数万個以上もの細胞が
塊になって存在している。
まず最初に組織をホルマリン溶液に浸たす。
ここでホルマリンはどんな働きをするのだろう。
ホルマリン溶液に浸漬(しんせき)する。
おどろおどろしい小説や映画では、
ホルマリン漬けの胎児標本などというものが登場するが、
ホルマリンの実体は
架橋剤もしくは固定剤と呼ばれる化学物質だ。
ミクロなレベルで、
短い棒の両端に洗濯バサミのような留め具がついたもの、
と思っていただければよい。
これが細胞内外のあらゆる場所にしみこんでいって
手当たり次第に、両端の洗濯バサミを留める。
この留め具は実際の洗濯バサミと異なり、
不可逆、つまり一度はさむと二度と外れない。
こうして細胞を構成するすべての分子の間が
前後左右上下につなぎとめられる、
すなわち架橋される。
このような方法によって脆い、
そして精巧な細胞の構造を保存・補強するのである。
つまり染み込んだホルマリンは、
細胞の構造を保存するわけだ。
ただ、構造は保存されても、
細胞はまだたっぷりと水を含んでいて、
柔らかいまま。
そのまま薄く削ることはできない。
水を取り除いてしまうと、
その骨格は架橋されているとはいえ、
細胞は風船がしぼむように形を変えて縮んでしまう。
そこで水を抜くのではなく、
水を"他の分子"に置き換えることが必要となる。
"他の分子"に要請される性質は、水のように
細胞の隅々まで浸透していくようなものでありながら、
水のようにウェットで柔らかなものではなく、
かっちり、がっしりと
細胞に硬度を与えるようなものでなければならない。
液体のように流動性があり、かつ
固体のようにしっかりとしたもの。
そんなものがあるのだろうか。
蝋(ろう)である。
蝋は
熱を加えるとさらさらと流れ落ちる流体となり、
冷えると硬い固体となる。
このような成分で、細胞の水を置き換えてしまえば、
細胞は自由自在に削ぎ切りできるようになる。
ところがここに大きな問題がある。
蝋は油の一種、つまり水となじまないのだ。
たとえ細胞を、溶かした蝋の中につけても、
蝋は水をはじくので、
水で満たされた細胞の内部に浸入することができない。
ならばどうすればよいのだろう。
徐々に攻めていく、という手法が取られる。
「徐々に攻めていく」とは?
まずアルコール溶液に漬けこまれる。
最初は10%、ついで20%、
その次は30%とアルコール濃度が増加される。
実際には、濃度の異なる
アルコール溶液を入れたビーカーを並べておき、
臓器片を順々に移し換えていくことになる。
ひとつのビーカーには10分ほど漬かることになる。
そして、最終的に臓器片は
100%アルコール液に漬け込まれることになる。
この時点で、臓器片の細胞内外の水分子は
アルコール分子と置き換えられたことになる。
アルコールは水と相性がよく、
水といくらでも交じり合うが、
水よりもすこしだけ油に近い。
つまり細胞の環境は少しだけ水から離れることになる。
ついで臓器片は
第2ステージの温泉めぐりをする。
アルコールとよく混じり合うが、
アルコールよりもさらに少しだけ油に近い
キシレンをつかってアルコールと同じことを繰り返す。
キシレンの濃度が10、20、30%と
徐々に増加されたアルコール溶液の中を、
臓器片は順々に巡っていく。
徐々に分子をアルコールからキシレンに
なじませながら置換していくためである。
急激な環境変化では
十分な分子の置換が起こらない。
せっかちな人には向かない仕事である。
こうして臓器片は、
最終的に100%のキシレン液に漬かることになる。
つまり、
臓器片はどんどん油に近い環境に置き換えられる。
ここまでの作業を経て、ようやく蝋の登場だ。
私たちが使用する蝋は、
ロウソクの蝋よりも純度の高い
パラフィンと呼ばれるものだ。
パラフィンは室温では硬い白色の固体、
60度以上に熟するとさらさらの透明な液体となる。
液体でないと作業が進められないので
ここから先はすべて加温した溶液で行われる。
パラフィンをキシレンに混ぜる。
例によって徐々にパラフィンの濃度を増した
段階的な溶液を用意しておく。
ここを順に臓器片は潜り抜けていく。
このようにして臓器片は
水、アルコール、キシレンと徐々に油に近づき、
最後にどっぷりとパラフィン漬けになる。
長い行程を経て、組織の構造を保ったまま、
水を追い出すことができた。
60度以上に加温している間は液体である。
この液を臓器片ごと、
ビーカーを傾けて一気に
アルミフォイル(お菓子づくりをする際に使う
ギザギザのついたカップ形のもの)に流し込む。
ちょっと冷えて固まりかけたら、
す(割れ目)が入らないように
アルミフォイルカップもろともドボンと冷水につける。
パラフィン包埋(ほうまい)された
臓器片ケーキの出来上がり。
アルミフォイルを外すとギザギザのついた、
形だけは小さなマフィンのような、
しかしマフィンとは似ても似つかない
蝋の塊がまろびでる。
この中に米つぶのような臓器片が封じ込められている。
これを小刀で切り出すのである。
固まったパラフィンはさくさくと小気味よく切れる。
文字通り蝋細工だ。
臓器片を中心に1センチ角程度の
サイコロ形に成形していく。
もちろん肝心の臓器片自体には小刀が触れないよう
注意しなければならない。
臓器片の入ったサイコロができた。
もう臓器の中は水ではなくパラフィンが満たされており、
削れる程度に固くなっている。
サイコロの一面のパラフィンを溶かして接着剤とし、
台木に固定する。
台木は、パラフィン包埋サイコロを、
ミクロトームに取り付ける際の「取っ手」になる。
これでようやく準備完了。
サイコロを挟んだ固定具が刃に向かって前進する。
ミクロトームの刃がここを通り過ぎると、
再び薄いかつお節が削り取られ、
固定具はまたほんの一歩だけ前進する。
水、アルコール、キシレン、パラフィンと
濃度と泉質(?)の違う数々の溶液の
温泉めぐりを丁寧に繰り返すことで、
ようやく薄く削れるようになった臓器片。
細い筆の毛先でひろうような、
顕微鏡観察用の薄片になるまでには
ここまで多くの準備作業が必要だったのだ。
兎にも角にも、ようやく目標達成!
これで臓器片を顕微鏡で詳細に観察することができる。
めでたし、めでたし。
と言いたいところだが、
ここで、そもそもの目的を思い返してみよう。
顕微鏡で観察するためには
どうしても対象物を薄片にする必要があった。
しかし、それはあくまでも手段だ。
「薄片」を見ること自体が最終目的ではない。
そもそもの目的は、
細胞の中で起こっていることを覗くこと。
つまり、薄片から「立体を読む」ことが必要なのだ。
薄片だけを観察しても、
細胞の中を見たことにはならない。
どうやって「立体を読む」のか。
細胞内での変化についての時間軸は?
この話、もう少し続けたい。
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