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2015年5月

2015年5月31日 (日)

「見たもの」から「見えたもの」へ

(全体の目次はこちら


「見たもの」から「見えたもの」へ

- 想像力と再構成力 -

 

顕微鏡で観察するものを「薄く切る」ことが
いかにたいへんなことであるのかを、

福岡伸一著「できそこないの男たち」
光文社新書

を教科書に、
前回前々回と2回に分けて見てきた。
しかし、前回も書いた通り、
「薄く切る」ことが最終目的ではない。

薄く切ったものから、
どうやって「立体を読む」のか


薄く切った「なまもの」は言ってみれば2次元。
そこから時間軸とz軸(三次元)をどう取り戻すのか。

今日はそのあたりのことについて
考えてみたい。
(以下水色部は本からの引用)

 

まずは、時間軸について。

 顕微鏡観察をする時点で、
すでに精子あるいは卵子たちは死んでしまっている。

固定され、薄く切られ、染色されてしまうからだ。

しかし、視野の内部に見えるものは、
死そのものではなく、
様々な段階でその活動を止められた
精子または卵子の生の一断面である


いわばその瞬間を永遠にフリーズされた状態、
つまり微分的に見た細胞たちの様子がそこにある。

ある瞬間の止まった状態、
見えているのはそれだけだ。

 

 精子のもとになる細胞、
それが分裂して精子を作りつつある状態、
出来上がったばかりの精子たち。

一つ一つの活動は止められているにもかかわらず、
顕微鏡の視野の内で視点をあちこちに移せば、
一連の流れはほんとうに動いて見えるのだ。

 そして不思議なことに、
彼らはすべて止められているにもかかわらず、
私たちの目には、
時間がどの方向に流れているのかがわかるのである


それはちょうど、
バラバラにされた映画フィルムのコマを拾い集めると
そこにドラマを紡ぐことができるのに似ている。

映画フィルムのコマ拾いは、
ほんとうにわかりやすいたとえだ。

つまり観察者には、
コマを流して動かす想像力がまずは必須だ。

 

そして、いよいよ三次元の読み取り
性決定の染色体を発見した
ネッティーの執念を見てみよう。

ネッティーは、小さな昆虫の解剖から始まり、
サンプルの固定、パラフィン包埋、
ミクロトームの操作、そして染色など、
観察に必要なすべての技術に精通していた。
このとき彼女はすでに40歳を超えていた。

 精子もしくは卵子を観察し、
その中の染色体の数を数える際、
最も重要なことは
今、自分がどこを覗いているのかということを
正確に把握していることである。

 

さあ、ここからは、福岡さんの
わかりやすいキウィのたとえで話が進む。
キウィの断面を思い出しながら読み進めてみよう。

 精子も卵子も三次元の球体構造をしている。
その内部に、ある瞬間、染色体が整列する。
外からその様子を見ることはできないので、
球体を輪切りにして調べることになる。
ちょうどキウィにナイフを入れるように。

 しかし、ナイフを入れる方向によって、
キウィの輪切りの中の模様は全く異なって見える。

キウィの頭(技にぶら下がっていた方)を北極、
その反対のおしりの側を南極とすれば、
極を結ぶ軸に垂直な
"赤道面"に沿って切り出された切片には
リング状に配置された種が見える


もし、縦方向、
つまり経度の線に沿ってナイフが入れば
種は紡錘(ぼうすい)形に広がって見える
はずだ。

しかし、ナイフはかならずしも軸に沿って
水平もしくは垂直に入るとは限らない。

斜めに入ることもあり、
それはキウィの胴体を大きく横切ることがある一方、
キウィのおしりに近いところを
ほんの少しだけかすめることもあるだろう。

だから、キウィを数回、ナイフで切ったところで、
そこにどのような配置で、
何粒くらいの種が並んでいるのかを言明する
ことは決してできない
ことになる。

 

「キウィに何粒の種があるかを、
 複数の断面図だけから判断する」
キウィでも難しいことは十分想像できるのに、
今、ネッティーが対象としているのは
小さなチャイロコメノゴミムシダマシの
さらにさらに小さな精子や卵子だ。

 パラフィン包埋した精子もしくは卵子を
ミクロトームで切り出す場合にも
全く同じことが言える。

ミクロトームが今、切り出した切片が、
精子の、もしくは卵子の
どの部位を切断したのかによって
染色体の見え方は全く異なる。

端を少しかすめただけの視野には
ひとつの染色体も見えないはずだ。
胴体の一番大きな赤道面を横切って切断すれば、
そこには多数の染色体が見えるだろう。

しかし、その断面にすべての染色体が
もれなく含まれているかどうかは
全く保証の限りではない。

第一、精子も卵子も、切片を切り出す時点では、
その姿を見ることは肉眼では全くできないので、
ミクロトームの一回転が、
あまたある精子の球体のどのあたりの場所を
切り出しているかはわからない

キウィを切るのとはわけが違うのだ。

 ならば、ネッティーは染色体の数を
正確に数えるために何をすればよいのだろうか

 

そう、連続した薄片を順に見て「立体を組み立てる」
これしか方法はない。

彼女は自分の行うべきことを知っていた。
そしてそれがどれほど集中力を要することであるかも。

 ミクロトームをまわして、
パラフィン包埋された精子サンプルから、
切片の切り出しを行う。

切片を回収し、注意深くスライドガラスの上に置く。
そしてもう1回ミクロトームをまわす。
サンプルを載せた台座は1回切片を
切り出すごとに数マイクロメートル前進する。

だからたった今、切り出された切片は、
先に切り出された切片と隣り合わせに連続しつつ、
ほんの数マイクロメートルぶん
ずれた場所から切り出されたものである。

この切片を注意深く回収し、
先ほどの切片の隣に並べて置く。

そして次の同じ作業に入る。
その工程を繰り返していくと
連続した切片が次々と回収されることになる。

 普通に身体を構成する細胞は
すこしずつ大きさに差があるものの、
おおよそその直径は数十マイクロメートル以内である。

それゆえ連続切片を10枚から20枚回収すれば、
その中には必ず
少なくともひとつの細胞の頭から尻尾まで
すべての輪切りを含んだものを回収できる
ことになる。

キウィを10枚のスライスにして順に並べたごとく。

 

当時、「三次元構造の再構成」は
もちろん頭の中でしか行えない。

執念の観察を通して
ネッティーの頭の中でだけ再構成されていった
染色体の全体像は、
彼女の頭の中でどれほど輝いていたことだろう。

 ネッティーは、一連のスライスを順に観察して、
ある一つの精子あるいは卵子の
見えはじめから見え終わりまでが
含まれることを確認したうえで、

その中に見えはじめて
やがて消えゆくすべての染色体の数を数えあげ、
自分の頭の中で細胞内部の
三次元構造を再構成した
のである。

むろん、連続切片は
いつもいつもきれいに回収できるわけではない。
ミクロトームのちょっとしたプレによって
切片はちぎれたり、しわになったり、
厚すぎたりして損なわれる。
あるいはふと風にさらわれて行方不明になる。

 それでもネッティーは観察を続けた。
運よく一枚にすべての染色体が
残らず捉えられた切片が
切り出されることもあったろう。

しかし、それは前後の連続切片が
きちんと捉えられていればこそ
初めて言えることである。

ネッティーはそのような切片の像を
論文発表用に精密にスケッチした。
染色体の数に関するネッティーの信念は、
染色体の一つ一つをまさに手に取るような、
そんな実験結果に対する
文字通りのつぶだち感に支えられながら、
徐々に揺るぎのない形をとっていった。

 

ネッティーの論文発表は1905年。
単著で30ページ。
その中に、なんと241の図があると言う。

顕微鏡で観察された精子の精密なスケッチで、
顕微鏡像を写真化する技術がまだなかった当時、
すべては彼女自身の手で描かれたものである。

ネッティーのコマを流す想像力、三次元の再構成力は、
膨大な数の「見たもの」から
全く新しい「見えたもの」を導き出した。

それまでも「見た」人は多くいたのに、
「見えた」人はいなかったもの。

ここですでに引用した部分だが、
もう一度書いてしまおう。

今日、Y染色体と我々が呼んでいる染色体。

性決定の遺伝メカニズムが
「見えた」瞬間だった。

 もちろん誰の目にもそれが見えたのではなく、
ネッティー・マリア・スティーブンズの目だけが
それを見たのだ。

ところが全く不思議なことに、
ネッティーがそう言明して以来、
彼女だけに見えていたものは、
誰の目にも見えるようになったのである。

 

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2015年5月24日 (日)

「なまもの」を極薄に切る

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「なまもの」を極薄に切る

- 「徐々に攻めていく」とは -

 

前回
生物を顕微鏡で観察することの
どういう点が難しいのかを
途中まで書いた。

きょうはその続き。
前回と同じ

福岡伸一著「できそこないの男たち」
光文社新書

を教科書に話を進めたい。
(以下水色部、本からの引用)

簡単に前回の復習をすると、

(1) 顕微鏡で物を見るためには、
  対象物を100分の1ミリメートル単位の
  「薄さ」にする必要がある。

(2) ところが「なまもの」である生物は、
  水分が多く、100分の1ミリメートル単位の
  「薄さ」にすることはできない。

(3) なまのカツオではなく、
  "かつお節"であれば「薄く」切れる(削れる)が、
  "かつお節"は生きていたときの
  「なまの」細胞の構造を維持していない、
  という問題点がある。

つまり、
「なまの」細胞の構造を維持したまま
「固く」できれば、
薄く削って顕微鏡で観察することが可能となる。
なにかいい方法があるのだろうか。

実はこの方法、
100年も前にすでに完成していたらしい。

 この技術は長い試行錯誤の歴史を経て、
ネッティーの時代、つまり今から100年前までには
ほぼ完成された形になっていた


ここにもまたクラフツマンシップが
遺憾なく発揮されている。

現在、私たち生物学者が顕微鏡観察を行う際にも、
この技術がほとんど変わることなく踏襲されている。

 

福岡さんが学生に実習させているという
その手順を具体的に見てみよう。

 麻酔をかけた実験動物から
臓器または組織が小さく切り取られる。

それらはつややかで、ウェットで、
場合によっては血が滴(したた)っている。

顕微鏡で見るためには
米粒ほどの大きさの
臓器のかけら(臓器片)があれば十分だ


それだけでも
そこには数万個以上もの細胞が
塊になって存在している。

 

まず最初に組織をホルマリン溶液に浸たす。
ここでホルマリンはどんな働きをするのだろう。

これをすばやくビーカーに入れた
ホルマリン溶液に浸漬(しんせき)する。

 おどろおどろしい小説や映画では、
ホルマリン漬けの胎児標本などというものが登場するが、
ホルマリンの実体は
架橋剤もしくは固定剤と呼ばれる化学物質
だ。

ミクロなレベルで、
短い棒の両端に洗濯バサミのような留め具がついたもの

と思っていただければよい。

これが細胞内外のあらゆる場所にしみこんでいって
手当たり次第に、両端の洗濯バサミを留める。

この留め具は実際の洗濯バサミと異なり、
不可逆、つまり一度はさむと二度と外れない。

こうして細胞を構成するすべての分子の間が
前後左右上下につなぎとめられる、
すなわち架橋される。

このような方法によって脆い、
そして精巧な細胞の構造を保存・補強するのである

つまり染み込んだホルマリンは、
細胞の構造を保存するわけだ。

ただ、構造は保存されても、
細胞はまだたっぷりと水を含んでいて、
柔らかいまま。
そのまま薄く削ることはできない。

一方、ここから加熱や乾燥によって
水を取り除いてしまうと、
その骨格は架橋されているとはいえ、
細胞は風船がしぼむように形を変えて縮んでしまう


そこで水を抜くのではなく、
水を"他の分子"に置き換えることが必要となる。

"他の分子"に要請される性質は、水のように
細胞の隅々まで浸透していくようなものでありながら、
水のようにウェットで柔らかなものではなく、
かっちり、がっしりと
細胞に硬度を与えるようなものでなければならない。

液体のように流動性があり、かつ
固体のようにしっかりとしたもの。
そんなものがあるのだろうか。

それがあるのだ。

蝋(ろう)である。
蝋は
熱を加えるとさらさらと流れ落ちる流体となり、
冷えると硬い固体となる。

このような成分で、細胞の水を置き換えてしまえば、
細胞は自由自在に削ぎ切りできるようになる。

ところがここに大きな問題がある。
蝋は油の一種、つまり水となじまないのだ。

たとえ細胞を、溶かした蝋の中につけても、
蝋は水をはじくので、
水で満たされた細胞の内部に浸入することができない。

ならばどうすればよいのだろう。

徐々に攻めていく、という手法が取られる。
「徐々に攻めていく」とは?

ホルマリン固定された臓器片は、
まずアルコール溶液に漬けこまれる。

最初は10%、ついで20%、
その次は30%とアルコール濃度が増加される。
実際には、濃度の異なる
アルコール溶液を入れたビーカーを並べておき、
臓器片を順々に移し換えていくことになる。

ひとつのビーカーには10分ほど漬かることになる。

そして、最終的に臓器片は
100%アルコール液に漬け込まれることになる。

この時点で、臓器片の細胞内外の水分子は
アルコール分子と置き換えられたことになる


アルコールは水と相性がよく、
水といくらでも交じり合うが、
水よりもすこしだけ油に近い。

つまり細胞の環境は少しだけ水から離れることになる

 

 ついで臓器片は
第2ステージの温泉めぐりをする。

アルコールとよく混じり合うが、
アルコールよりもさらに少しだけ油に近い
キシレンをつかってアルコールと同じことを繰り返す。

キシレンの濃度が10、20、30%と
徐々に増加されたアルコール溶液の中を、
臓器片は順々に巡っていく。

段階を追って作業する理由は、
徐々に分子をアルコールからキシレンに
なじませながら置換していくためである。

急激な環境変化では
十分な分子の置換が起こらない。

せっかちな人には向かない仕事である。

 こうして臓器片は、
最終的に100%のキシレン液に漬かることになる。
つまり、
臓器片はどんどん油に近い環境に置き換えられる

 

ここまでの作業を経て、ようやく蝋の登場だ。

 次に、ようやく蝋が登場する。
私たちが使用する蝋は、
ロウソクの蝋よりも純度の高い
パラフィンと呼ばれるものだ。

パラフィンは室温では硬い白色の固体、
60度以上に熟するとさらさらの透明な液体となる。
液体でないと作業が進められないので
ここから先はすべて加温した溶液で行われる。

 パラフィンをキシレンに混ぜる。
例によって徐々にパラフィンの濃度を増した
段階的な溶液を用意しておく。
ここを順に臓器片は潜り抜けていく。

このようにして臓器片は
水、アルコール、キシレンと徐々に油に近づき、
最後にどっぷりとパラフィン漬けになる

 

長い行程を経て、組織の構造を保ったまま、
水を追い出すことができた。

臓器片を漬け込んだパラフィン液は
60度以上に加温している間は液体である。

 この液を臓器片ごと、
ビーカーを傾けて一気に
アルミフォイル(お菓子づくりをする際に使う
ギザギザのついたカップ形のもの)に流し込む。

ちょっと冷えて固まりかけたら、
す(割れ目)が入らないように
アルミフォイルカップもろともドボンと冷水につける。

 パラフィン包埋(ほうまい)された
臓器片ケーキの出来上がり。

アルミフォイルを外すとギザギザのついた、
形だけは小さなマフィンのような、
しかしマフィンとは似ても似つかない
蝋の塊がまろびでる。

 この中に米つぶのような臓器片が封じ込められている。
これを小刀で切り出すのである。
固まったパラフィンはさくさくと小気味よく切れる。
文字通り蝋細工だ。

臓器片を中心に1センチ角程度の
サイコロ形に成形していく


もちろん肝心の臓器片自体には小刀が触れないよう
注意しなければならない。

臓器片の入ったサイコロができた。
もう臓器の中は水ではなくパラフィンが満たされており、
削れる程度に固くなっている。

サイコロの一面のパラフィンを溶かして接着剤とし、
台木に固定する。

台木は、パラフィン包埋サイコロを、
ミクロトームに取り付ける際の「取っ手」になる。

これでようやく準備完了。

ハンドルの回転操作1回につき数マイクロメートルだけ、
サイコロを挟んだ固定具が刃に向かって前進する。

ミクロトームの刃がここを通り過ぎると、
再び薄いかつお節が削り取られ、
固定具はまたほんの一歩だけ前進する。

水、アルコール、キシレン、パラフィンと
濃度と泉質(?)の違う数々の溶液の
温泉めぐりを丁寧に繰り返すことで、
ようやく薄く削れるようになった臓器片。

細い筆の毛先でひろうような、
顕微鏡観察用の薄片になるまでには
ここまで多くの準備作業が必要だったのだ。

兎にも角にも、ようやく目標達成!
これで臓器片を顕微鏡で詳細に観察することができる。
めでたし、めでたし。

と言いたいところだが、
ここで、そもそもの目的を思い返してみよう。

顕微鏡で観察するためには
どうしても対象物を薄片にする必要があった。
しかし、それはあくまでも手段だ。
「薄片」を見ること自体が最終目的ではない。

そもそもの目的は、
細胞の中で起こっていることを覗くこと。

つまり、薄片から「立体を読む」ことが必要なのだ。

 

薄片だけを観察しても、
細胞の中を見たことにはならない。

どうやって「立体を読む」のか。
細胞内での変化についての時間軸は?

この話、もう少し続けたい。

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2015年5月16日 (土)

生物は「なまもの」

(全体の目次はこちら


生物は「なまもの」

- 「なまもの」を薄く切れるか -

 

前回
「Y染色体の発見」という
性別決定のメカニズムを解明した、
ネッティー・マリア・スティーブンズ
の話を少し書いた。

ネッティーは
チャイロコメノゴミムシダマシという小さな虫を解剖して、
卵子と精子を取り出し、
それを毎晩毎晩あくことなく顕微鏡で観察し、
この大きな発見に辿り着いた。

「顕微鏡で生物を観察する」、
特に「細胞内を詳細に調べる」ということは
どういう点がむつかしいのだろうか。

福岡伸一著「できそこないの男たち」
光文社新書

にある、
福岡さんのわかりやすい説明を聞きながら
細胞を観察する人がどんなことをやっているか、
ちょっとその世界を覗いてみたい。
(以下水色部、本からの引用)

 

まず、もっとも基本的なことをおさえておこう。

顕微鏡で対象を観察する際の最大の問題は、
ズバリ「対象物の厚み」だ

顕微鏡で観察を行うとき、
もっとも大きな障害となるもの。

それは対象物そのものの”厚み”である。

厚みは光の透過を妨げる。

顕微鏡は構造上、覗く方向とは反対側から光をあて、
その光が対象物を通過してできた像を眼で捉える。

したがって対象物が厚すぎると、
光はそこでブロックされてしまい、
対象物は真っ黒なゴミの塊にしか見えない。

 たとえ光がなんとか透過できる厚みであっても、
もしそこになお細胞の層が
何層か重なっているようなサンプルであれば、
見える観察像は二重写しした写真のように
ぼやけた線が輻輳(ふくそう)する、
不明瞭なものとなってしまう。

そこで微小世界の観察者たちが心血を注いだのは、
いかに対象物を薄く"削ぎ切り"するかという課題だった

 

小学校のころに顕微鏡で覗いた
「ムラサキツユクサの葉裏」のようなサンプルは
特別なものだったのだ。厚さの点において。

自然がすべて、
ムラサキツユクサの葉裏のようなものであれば
事は簡単だった。
ゆっくりと薄皮を引き剥がす。
そこには一層の細胞が均一なシート状に広がった、
透明で端正な世界がある。

 しかし私たちの身体のほとんどは、
脳にせよ、肝臓にせよ、筋肉にせよ、
ぎっしり詰まった細胞の塊からできている。

チャイロコメノゴミムシダマシの
精巣あるいは卵巣も全く例外ではない。

これらの成り立ちを調べるためには、
塊を薄く薄く、
削ぎ切りにした「切片」を得る必要がある

 

では、どの程度の厚さにすればいいのだろう。

そこに要請される薄さは約10マイクロメーター。
これが細胞ひとつ分の厚みにほぼ等しいからである。

10マイクロメーターは、1ミリの100分の1。

いかに天才的な料理人といえども、また、
どんなに研ぎ澄まされた包丁を用意したとしても、
マイクロメーターの薄作りは不可能である。

そんなに薄くしなくても見える場合があるじゃないか、は
「精子だけを外から眺める」程度の場合であれば、
まさにその通り。

しかし、ネッティーは、
「外から眺める」だけでなく、
小さな小さな精子のその中を
詳細に調べる必要があった
のだ。

 いや、精子のような単独で運動している対象物なら
削ぎ切りにする必要などないではないか。

そのとおり。レーウェンフックはまさに
ただ見ただけで見えるものとして精子の存在を発見した。

しかし今、私たちが見たいのは、
個々の精子の存在だけでなく、
精子たちが押し合いへし合いしながら
作り出されている現場と、
ひとつひとつの精子の中身なのだ


そこには本当に、立てた膝に腕を回して
体育座りした小人ホムンクルスが
潜んでいるのかどうかを調べたいのである。

それをはっきりさせるためには、
精子の頭部をスパッと削ぎ切りにして
内部を覗いてみるしかない。

 

ところが、細胞を
100分の1ミリレベルで薄く切ることは、
そのままではできない。
それは、なぜか。

生物が文字通り、なまものだからである

水をたっぷり含み、
極めて柔らかな内容物を含みつつ、
硬い腱や繊維質で覆われた臓器や組織は、
弾性に富み、同時に、脆くもある。

これを無理矢理切ろうとすると、
柔らかな部位は潰れ、
硬い部分は伸びるだけ伸びた挙句に
引きちぎられることになる。

美しく切り出された刺身の断面は、
だから、ミクロな眼で見ると
月面以上に凹凸が広がる荒野となる。

 

どうすれば「生物」を
100分の1ミリレベルの薄さに
切ることができるだろうか?

すごいアイデアが登場する。

たしかにカツオの刺身はミリ刻みで作ることはできない。
でも、カツオが、かつお節であれば?


 かつお節には、十分な硬度があり、
しかも水分含量が低く、不均一な弾性がない。

かつお節削り器の刃を研ぎ澄まし、かつ、
その刃先の位置を微妙に制御してやれば、
かつお節の表面から、ミリよりもずっと薄い
削り節のひとひらが得られるに違いない。

 実に、今、私たち生物学者が使用している
ミクロトームと呼ばれる切片の切り出し器は、
かつお節削り器と全く同じ原理に基づいた装置である。

ただし、ミクロトームは、
かつお節の側ではなく、刃の側が動く。

(略)

ほとんどの場合、削りだされた切片は、
刃先の上に天使の透明な羽のようにそっととまっている。

私たちは習字用の細い筆を用意していて、
切片をそっと筆の毛先に移しとる。
それをスライドガラスの上まで慎重に運ぶ。

 

カツオの刺身を極薄に作ることはできないが、
かつお節であれば1ミリ以下でも可能。
少し解に近づいたかもしれない。

ところが、
かつお節を思い出してみればわかる通り、
仮に薄く切ることができたとしても、
かつお節では生物の観察にはならない。
大きな問題点があるのだ。

いくら薄いかつお節を削り取ることができたとしても、
残念ながら、かつお節からは、
魚の、力に満ちた筋肉細胞の様子も、
そしてこれから
私たちが観察しようとしている染色体のありさまも、
全く見ることができない。

そこにあるのは焼け跡か廃屋のような
暗い柱と梁(はり)の残骸だけである。

 カツオがかつお節になるあいだに
繰り返された乾燥・加温・脱水などの工程で、
生命のみずみずしさはすっかり失われ、
細胞の形もその中の微細な構造も
すべてが破壊されてしまっているからである


 では、カツオの細胞の様子を
できるだけ生きた状態に近いまま、
つまり細胞の形態や微細構造を保ちつつ、
"かつお節"をつくるにはどうすればよいだろうか。

生きた細胞の状態を維持して、
"かつお節"をつくる、
そんなことができるのだろうか?

この話、もう少し続けたい。

 

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2015年5月10日 (日)

知っているものしか見えない、の一方で

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知っているものしか見えない、の一方で

- 初めてのものが見える瞬間 -

 

福岡伸一著「できそこないの男たち」
光文社新書

にこんな記述がある。
(以下水色部、本からの引用)

 私は理工学部の化学・生命科学科
というところで教えているが、
実験実習の最初の時間に、
顕微鏡を使って細胞を観察させることにしている。

ネズミの臓器、例えば膵臓や肝臓を
薄くスライスした切片を
スライドグラスに載せて接眼レンズを覗く。

倍率は100倍から200倍程度。
これくらいあれば動物細胞を観察するには十分である。

 そこでおもむろに学生に言う。では、
ノートに今見えているものをスケッチしてみて、と。

学生たちは思い思いに鉛筆を動かしはじめるのだが、
彼らが描いているものは、
ちょうどクレヨンを握ることを憶えた幼児の絵と
見まがうばかりに頼りなくとりとめのないものとなる。

それは風にたゆたう糸くずのようにおぼつかない、
不定形の細い線である。

彼らの視野の下には、膵臓の細胞が、
これ以上ないほどに一粒一粒くっきりと
見えているというのに。

 

くっきりと見えているのに、書けない。
どうしてなのだろう。

 私は忘れかけていたことを
自戒の意味をもって思い出す。

私が膵臓の細胞を見ることができるのは、
それがどのように見えるかを
すでに知っているからなのだ


どの輪郭が細胞一つ分の区画であるのか、
その外周線を頭の中に持っているからだ。

その細胞の向きがどちらを向いているのかを、
あるいは細胞の内部に見える丸い粒子が
DNAを保持している核であることを知っているからである。

 かつて私もまた、初めて顕微鏡を覗いたときは、
美しい光景ではあるものの、
そこに広がっている何ものかを、
形として見ることも、名づけることもできなかった。

私は、途切れ途切れの弱い線をしか描くことが
できなかったはずなのだ。

つまり、
私たちは知っているものしか見ることができない

 

本では、このあと、
性決定の遺伝メカニズムを
世界で初めて解明した女性研究者(女子大学の補助教員)
ネッティー・マリア・スティーブンズの
話が丁寧に語られている。

そして、1905年に発表された彼女の論文を、
福岡さんは苦労して探しだす。

その論文は、次のように締めくくられている。

つまり以下のように推論できる。

この小さな染色体を含む精子と受精した卵子は
オスを生み出す。

10個の
大きな染色体だけからなる精子と受精した卵子は
メスを生み出す。

「小さな染色体を含むか含まないか」
結論だけを言ってしまえばたったそれだけのことだが、
性を決定する「小さな染色体」が発見された
歴史的な瞬間だ。

でもそれは、同時代に顕微鏡を覗いていた
他の研究者の網膜に
映っていなかったものか、と言えば、
そんなことはない。

映っているのに見えなかったのだ。

精子のうち半数
-私たちが神の視座から
 "青い色の精子"と呼んでいたもの-
の内部に含まれる小さな染色体。

今日、Y染色体と我々が呼んでいる染色体。

性決定の遺伝メカニズムが
「見えた」瞬間だった。

 もちろん誰の目にもそれが見えたのではなく、
ネッティー・マリア・スティーブンズの目だけが
それを見たのだ。

ところが全く不思議なことに、
ネッティーがそう言明して以来、
彼女だけに見えていたものは、
誰の目にも見えるようになったのである。

 

2年ほど前になるが、私はこんなことを書いた。
<ここからの引用開始>

 

アカデミー賞主要五部門を独占した映画「羊たちの沈黙」の
原作者トマス・ハリス(Thomas Harris)の小説に
「レッド・ドラゴン」という作品があります。
その本の扉に次のような言葉がありました。

「人は観るものしか見えないし、
 観るのはすでに心の中にあるものばかりである」

   トマス・ハリス著「レッド・ドラゴン」
   訳 小倉多加志

 One can only see what one observes,
 and one observes things
 which are already in the mind.

人は観ているようで、
見えているものはすでに心の中にあるものばかり、
なのかもしれません。
つまり、心の中にないものは
目には映っていても見えてはいない...

鋭いというよりもちょっと怖いような言葉で、
一度読んで以来忘れられません。

<引用ここまで>

 

もう一度書いてしまおう。

ところが全く不思議なことに、
ネッティーがそう言明して以来、
彼女だけに見えていたものは、
誰の目にも見えるようになったのである。

「小さな染色体を含むか含まないか」
結論は単純でシンプルなことだけれど、
ここに到達するまでに彼女がやったことは、
この「小さな染色体」を見るために
彼女が日々繰り返しやってきたことは、
信念と執念に支えられた
それはそれは粘り強い実験と観察だった。

「知っているものしか見えない」
の一方で、
「新しいものを見よう」と
必死になっている人がいる。

信念と試行錯誤、
新しいものが見えてくる過程は
いつ読んでもワクワクする。

 

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2015年5月 2日 (土)

ストランドビースト(砂浜の生物)

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ストランドビースト(砂浜の生物)

- 生きているような足の動き -

 

オランダの彫刻家・物理学者テオ・ヤンセン氏が生み出した、
風を食べ、砂浜を歩く巨大アート
ストランドビーストが、
東京都世田谷区の二子玉川ライズショッピングセンタに
約10体もやって来ている。

 

P4251225s


ストランドビーストとは、
オランダ語で、
砂浜を意味する"Strand"と
生命体を意味する"Beest"の2語を繋げた
テオ・ヤンセン自身による造語。


P4251169s

P4251162s


特に今回は大型作品3体の
デモンストレーションもあるというので
早速観に行ってきた。

テオ氏自身も来日中だったため、
ご本人への簡単なインタビュー付き。


P4251224s


巨大なうちわで風を起こして、は
単なる演出だが、
歩く様子はほんとうに面白い。

P4251168s

どんなふうに歩くのか?
人混みで動画のほうはうまく撮れなかったので、
YouTubeから紹介したい。

どの作品も基本的には、
風や空気圧のみを動力としており、
モータやエンジンは一切使っていない。

動きをよく知っていても、
やはり「大きなものが動く」というのは
それだけで魅力がある。

P4251185s

 

今は動かないものの、
これまでの開発の歴史や、
短命に終わった生命(?)の展示も含まれており、
10体それぞれにゆっくり歩きながら眺められる。

P4251198s

P4251211s

 

そもそも私がテオ・ヤンセンの作品の
実物を見たい、と思ったのは、
「大人の科学」の「ミニ・リノセロス」を作ってから。

 

この模型、リノセロスは
ほんとうによく出来ていた。

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こんな感じで、
どちらから風が吹いても、
同じ方向にゆっくり歩き続ける。

 

テオ氏の作品の魅力は
やはりあの生きているような足の動きだ。

サイラボ(Scilab)という数値計算ブログラムを使い、
足の動きをわかりやすくシミュレーションしてくれている
動画があったので
足先の動きに注目して見てみたい。

まずは一本足と二本足。
元の部分は単純な円運動しかしていないのに、
足先が複雑な軌道を描くようすがよくわかる。


二本足の組を位相を120度ずつずらして3組(青・赤・黒)配置。
これがテオ氏のビーストの基本形となっている。

6本の足先はまさに生きているように動いているが、
センタはあくまでも単純な円運動。美しい!

 

コンピュータシミュレーションでは、
様々な組合せ、応用が可能で、
こんなに面白いアイデアもあった。

前半は上記と同じ基本動作の説明だが、
後半のアイデアがすばらしい!
思わず「作ってみるか!」という気にさせられる。

 

二子玉川での展示は、2015年5月6日まで。

どうやって運んだのだろう、と
思わずにはいられない大きな作品は、
コンピュータシミュレーションのように
滑らかに動く、というわけにはいかないけれど、
ミシミシ音を立てながら動く、あの大きさの迫力は
実物以外では味わえないので
ご興味のある方はぜひ。

 

 

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