効率化も機械化もできないもの
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効率化も機械化もできないもの
- サルの社会に戻るのか -
ゴリラの社会から人間の社会を見つめる
京都大学学長の山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さんの、
NHKカルチャーラジオでの講義。これまで
(1)
「円くなって穏やかに同じものを食べる」
(2)
言葉は新しい道具
(3)
「勝つ論理と負けない論理」
(4)
みんなで守り育てるもの
(5)
「家族の論理と共同体の論理」
と話を進めてきた。
今日はいよいよ最終回、
効率化も機械化もできないもの、について。
(以下水色部、2014年12月7日の放送から)
前回部分で、山極さんはこんなことを言っていた。
あるいは個人の利益を最大化するように作られてきました。
それが結果として家族や共同体を
だんだん弱体化させているんだろうと思います。
共同体での共感力を高めてきた人間。
いま「個人の利益」の前で、
その共感力はどうなってしまっているのだろう。
個人の利益というものが生きるための目標になりました。
私たち人間の集団というのは、
動物の集団と違うのは、
集団のために何かをするということです。
動物はそういうことはしません。
チンパンジーもゴリラもそういうことはしません。
彼らは自分のために、
あるいは血縁者のためになにか行動を起こすわけですね。
私たちはまだ見たこともない人が
含まれている集団のために何かをしようと思う。
そしてそういったことをする自分を
美しいと思うわけですね。
そういうヘンな感情を抱くのは人間だけです。
なぜそういうものが生まれてきたかと言うと、
先ほど言いましたような
人間の共同体というものに
たぶん原因があるンだろうと思います。
子育てを始め、
共同体での共存の仕組みを育んできた人間が、
「個人の利益」だけを目標にするようになると
どうなってしまうのだろう。
個人の評価が拡大し、自己実現が目標になり、
自己責任がそれに伴わなければならないと
考えられるようになりました。
そして、一番信頼のおけるface-to-faceの
コニュニケーションで作られた家族というものが
だんだん崩壊し、家族同士の繋がりも消失してきました。
これは少子化に伴う減退かもしれません。
でも、そうすると、食事を一緒にして、
信頼感を高めるような行為も減ってきたわけですね。
コンビニが増え、電子レンジができ、
食事を作る時間が省略されて
個人の自由な時間ができた。
だけど、実は信頼というのは、
時間を節約して作られるものではないんです。
「そうだ、その通り!」
「効率よく信頼構築」なんてありえないのだ。
信頼関係の構築に繋がります。
私はあなたのために
こんだけ大切な時間を使ったということが
信頼関係の第一歩なんですね。
それを近代の社会の方向性というのは、
効率化、経済化によって、
むしろ後ろのほうに
追いやってしまったんだろうと思います。
なんにでも効率化を求め、
それが常に善であるかのような価値観は
いったいいつからこんなに広まってしまったのだろうか。
経済化も機械化もできないものだと思います。
子どもの成長期間というのは
決して縮めることはできません。
そのために、時間を私たちは
費やさなくちゃいけないわけですね。
そして、子どもが少なくなり、
家族が崩壊してしまうと
集団原理だけの社会になります。
これは突き詰めれば、サルの社会に
だんだん戻っていくということになります。
なにかトラブルが起これば優劣を決めて、
勝敗を予めお互いが認知して、
トラブルを避け合うということが、
一番簡単で効率的なやり方ですから、
まぁ、言うならば格差社会ですね、
始めから勝負を決めちゃいましょうというふうに
傾斜していくのが当然だろうと思います。
「子育ては経済化も機械化もできない」
「子どもの成長期間は縮められない」
こんなあたりまえのことがなぜか新鮮に響くくらい、
いまや、子育てにも
「効率化」の波は押し寄せてしまっている気がする。
ここで紹介した通り、
異なる二つの論理を持つ家族と共同体を
ちゃんと維持できなくなれば、
それはまさしくサルの社会だ。
共感能力を発揮する場所がないわけですね。
そうすると、信頼関係は消失し、
なおかつ、自分の利益が得られない共同体に
属している必要性がなくなって、
共同体にアイデンティティを持つことができなくなります。
そして、自分に利益をもたらしてくれる仲間だけを
求める集団へと変わっていきますので、
その集団は閉鎖的になって行くと思います。
それが、今の日本社会の辿り始めている
道なのではないかというのが
私の持っている大きな懸念です。
それはゴリラの社会と人間の社会を比較する中から
だんだんと明らかになってきたことです。
最後は駆け足になってしまっているが、
メッセージはクリアだ。
これまでの数多くの事例で示されたものは、
* 人間が生物として持っている能力
* 人間が生物として育んできた能力
* 人間が共存するために工夫してきた様々な能力
本来はそういったものを発揮できる社会であるべきなのに、
一方的で盲目的な
「効率化」や「個人の利益の最大化」は、
むしろそれらを活かせない、
生物としての人間にふさわしくない社会を
作る方向の力になってしまっている、
という警告。
「共同体にアイデンティティを持つことができなくなります」
の一文が持つ意味は、繰り返し聞く(読む)と、
次第に胸に迫ってくるようになる。
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