神様はいつも助けようとしてくれている
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神様はいつも助けようとしてくれている
- 「わかる」ではなく「感じる」アンテナを -
ロシア語の通訳やエッセイストとして活躍した
米原万里さんのエッセイに、
「安全神話」という作品がある。
きょうはそれを紹介したい。
(以下水色部、
米原万里著「真夜中の太陽」中公文庫から引用)
むかしむかし、大きな河の畔(ほとり)の村に、
ひどく信心深い男が暮らしていた。
その年の冬は積雪も多く、
河面は何十年に一度という分厚い氷に覆われた。
だから、村人たちは、
少し暖かくなってくると、口々に心配した。
「そのうち河が氾濫するに違いない」
村の古老も、警告を発し続けた。
「ああ、三十年前の大洪水の時と、
ソックリだ。村は水浸しになっちまう」
そのおかげもあって、村人たちは着々と荷造りをし、
いざ河の氷が溶け、水のレベルが上昇しはじめたら、
いつでも一斉に村で用意した五台のトラックに分乗して
避難できるよう準備を怠らなかった。
ところが、くだんの信心深い男は、
何の手も打たずに、そのくせ安心しきった顔をしている。
心配してくれる隣人たちに向かって、男は豪語した。
「なーに、これだけ神様を熱心に信仰するオレのことだ、
いざとなったら必ず神様が助けてくださるに違いない」
河の氾濫について、村の古老の警告を無視する男。
ついに溢れ出した。
村人たちは、次々に用意した荷物もろとも
トラックの荷台に飛び乗っていく。
住民全員がいざ村を脱出というところで、
念のため確認すると、案の定、
あの信心深い男が乗っていない。
仕方ないので、一台のトラックだけ、
男の家に立ち寄ることになった。
隣人たちは声を嗄(か)らして呼びかける。
トラックの荷台から
「早く、お前も乗るんだ。さもないと溺れ死ぬよ」
ところが、男は相変わらず落ち着き払っている。
「いやあ、ご心配なく、オレのことは、
神様が助けてくださるから」
それでも村人たちは、辛抱強く男を説得し続けたのだが、
タイヤの半分まで水のレベルが上がってきたところで、
あきらめてその場を立ち去っていった。
村の隣人たちの声も無視して
神様の助けだけを信じている男。
家具がプカプカ浮いてきた。
たまたま家の前をボートで避難する人々が通りかかり、
男に気付いてボートの上から声をかける。
「さあ、乗りなさい。遠慮しなくていいから、
さあ、早く、早く」
男は馬鹿の一つ覚えのように繰り返すばかりである。
「オレにはかまわんでください。ご心配なく。
神様が助けてくださいます」
ボートで避難する人々の声も無視してしまう。
男は屋根に登らざるをえなくなった。
上空を通り過ぎる救援隊のヘリコプターが気付いて、
ロープを下ろしてくれる。
「さあ、早くこのロープをつたって昇ってらっしやい」
それでも男は頑強に拒み続ける。
「大丈夫。神様が助けてくださる」
結局、男は溺れ死んでしまった。
そして、天国で神様に会ったとき、男は、開口一番、
神様を詰(なじ)ったのだった。
「あれほど信じてたのに、
なんで助けてくださらなかったんですか」
救援隊のヘリコプターまでも無視して、
結果、男は、とうとう死んでしまった。
「なぜ助けてくれなかったのか」の質問に
さて、神様はなんと答えたでしょう。
ちょっとお考えあれ。
こう続いている。
「ふん、助けなかっただって!?
古老や村人たちの口を借りて
何度も警告を発したというのに、
トラックやボートやヘリコプターまで
送ってやったというのに、
君はことごとく拒んだじゃないの!」
エッセイはこのあと
2000年3月の日比谷線脱線事故における
営団地下鉄経営陣の姿勢の話に
繋がっていくのだが、
ここまで紹介した神様の話、
脱線事故に限らず、いろいろな場面を思い起こさせる。
「こんなふうに助けてくれるはず」
「こんなふうにはならないはず」
と自分で勝手に「助け」を想定して、限定して、
神様がいろいろな信号や助けを出してくれているのに、
全くそれに気付かない。
カマキリは雪を予想できるのか?にも書いた通り、
「すでに多くの信号が自然界にはあり、
植物や動物はそれらをちゃんと受信している」
神様はいつも助けようとしてくれている。
自分勝手な思い込みで信号を無視してはいないだろうか。
「わかる」ではなく「感じる」アンテナを
広げていたい。
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