「ベトナム戦記」の一行
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「ベトナム戦記」の一行
- 開高健が書き留めた言葉 -
ISILによる日本人拘束事件は、
最悪の結果となってしまったようだ。
もし、事実が報道されている通りなのだとしたら、
おふたりのご冥福を心からお祈りするしかない。
2015年2月1日の朝日新聞一面には、
「イスラム国」震える街
「公開処刑 銃で脅され見た」
の見出しがあり、シリア北部の街の様子を伝えていた。
「公開処刑を銃で脅されて見た」
というこの記事を読んで、開高健がベトナムで書き留めた
あの言葉を思い出した。
たった一行だが、
こんなに強く響いてきた反戦の言葉はないかもしれない。
今日はそれを紹介したい。
(以下水色部は、
開高健著「ベトナム戦記」朝日文庫からの引用)
「ベトナム戦記」は、開高健による
1964年末から65年初頭にかけての、
ベトナム戦争最前線からの生々しいルポルタージュだ。
よくぞ生きて帰ってきた、と思うような
怖ろしいほどに臨場感あふれるルポになっている。
開高健が、取材中に34歳を迎えるようなころのこと。
多くの人が亡くなる凄惨なシーンはほかにもあるのだが、
たったひとりの青年が公開処刑されるこのエピソードは、
そういったもの以上に強く印象に残っている。
ある日の早朝。
一台の白塗りのステーション・ワゴンが広場に入ってきて
砂袋の前でとまった。
後手に手錠をはめられた一人の細い青年がおろされ、
軍用トラックの灯のなかをひきたてられていった。
彼は昨日の午後一時に軍事法廷で死刑を宣告され、
いままでチ・ホア刑務所にいたのである。
十六時間四十五分独房に閉じこめられていたのである。
柱にくくりつけられ、黒布で目かくしされようとしたとき、
彼は蒼白で、ふるえていた。
カトリックの教誨師、
肥ってブタのような顔をした教誨師がつきそい、
耳もとで何かささやいたが、
青年は聞いている気配はなかった。
うなずきもしなかった。
ただこわばってふるえていた。
やせた、首の細い、ほんの子供だった。
よごれたズボンをはき、はだしで佇んでいた。
短い叫びが暗がりを走った。
立テ膝をした一〇人のベトナム人の憲兵が
一〇挺のライフル銃で一人の子供を射った。
撃たれたあと、こめかみに
「クー・ド・グラース:慈悲(とどめ)の一撃」までを受けて、
少年は動かなくなった。
膝がふるえ、熱い汗が全身を浸し、
むかむかと吐気がこみあげた。
たっていられなかったので、
よろよろと歩いて足をたしかめた。
もしこの少年が逮捕されていなければ
彼の運んでいた地雷と手榴弾はかならず人を殺す。
五人か一〇人かは知らぬ。
アメリカ兵を殺すかもしれず、ベトナム兵を殺すかもしれぬ。
もし少年をメコン・デルタかジャングルにつれだし、
マシン・ガンを持たせたら、
彼は豹のよぅにかけまわって乱射し、
人を殺すであろう。
あるいは、ある日、
泥のなかで犬のように殺されるであろう。
彼の信念を支持するかしないかで、
彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。
それが《戦争》だ。
しかし、この広場には、
何かしら《絶対の悪》と呼んでよいものがひしめいていた。
このあと、何人もの死者を眼の前にする開高さんでさえ、
立っていられなくなってしまったのはどうしてなのか。
何人も死者を見ることとなった。
ベトナム兵は、何故か、どんな傷をうけても、
ひとことも呻めかない。
まるで神経がないみたいだ。
ただびっくりしたように眼をみはるだけである。
呻めきも、もだえもせず、
ピンに刺されたイナゴのように死んでいった。
ひっそりと死んでいった。
けれど私は鼻さきで目撃しながら、
けっして汗もかかねば、吐気も起さなかった。
兵。銃。密林。空。風。背後からおそう爆音。
まわりではすべてのものがうごいていた。
私は《見る》と同時に走らねばならなかった。
体力と精神力はことごとく自分一人を
防衛することに消費されたのだ。
しかし、この広場では、
私は《見る》ことだけを強制された。
私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。
機械のごとく憲兵たちは並び、
膝を折り、引金をひいて去った。
子供は殺されねばならないようにして殺された。
私は目撃者にすぎず、特権者であった。
特権的目撃者なればこその、
正面から受け止めるしかない衝撃。
この儀式化された蛮行を
佇んで《見る》よりほかない立場から生れたのだ。
安堵が私を粉砕したのだ。
私の感じたものが《危機》であるとすると、
それは安堵から生れたのだ。
広場ではすべてが静止していた。
すべてが薄明のなかに静止し、濃縮され、
運動といってはただ眼をみはって《見る》ことだけであった。
単純さに私は耐えられず、砕かれた。
薄明のなかでラッパが二度、低く、
吐息のように呻めくのを聞いた。
子供は黒布の目かくしをとられ、柱からはずされ、
ビニール膜を敷いた棺のなかに入れられた。
蒼白なはだしの囚人たちが棺に釘をうち、
自動車にはこびこんだ。
そして、死はニュースになっていく。
衰弱した平和を粉砕するため、
アメリカ人、フランス人、イギリス人、
ベトナム人のカメラ・マンたちが足音たてて殺到した。
カラスの群れのように、
ハイエナの群れのように彼らは棺のまわりに群れひしめいて、
ファインダーの小窓をとおしてフィルムをまわしつづけた。
死は《死》となった。
セルロイドにつめられた劇となった。
アナウンサーのおしつぶした感傷的独自で語られる、
似ても似つかぬものとなって《死》は
タン・ソン・ニュット空港から
全世界に輸出されるであろう。
彼らの去ったあと、
消防車がきて舗石にほとばしった血を流した。
兵隊たちが軍用トラックに砂袋を積みこみ、
柱を投げこんだ。
二十分もかからずにすべては消えた。
このあと、開高さんは、ともに公開処刑を目撃し
同様に打ち砕かれていた
当時読売新聞の特派員だった日野啓三さんの
あの言葉を聞くことになる。
私たちはコカ・コラを飲んだ。
日野啓三はうなだれてつぶやいた。
「おれは、もう、日本へ帰りたいよ。
小さな片隅の平和だけをバカみたいに大事にしたいなあ。
もういいよ。もうたくさんだ」
私は吐気をおさえながら
彼の優しく痛切なつぶやきに賛意をおぼえ、
生ぬるく薬くさい液を少しずつのどに流しこんだ。
「日本へ帰りたいよ。
小さな片隅の平和だけをバカみたいに大事にしたいなあ」
なんて優しくて、なんてつらいつぶやきだろう。
そうだ。バカみたいに大事にしようではないか。
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