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2015年2月

2015年2月22日 (日)

「勝つ論理と負けない論理」

(全体の目次はこちら


「勝つ論理と負けない論理」

- 「ヒト科」の生き物にふさわしい社会か? -

 

ゴリラの社会から人間の社会を見つめる
京都大学学長の山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さんの、
NHKカルチャーラジオでの講義。これまで

(1) 「円くなって穏やかに同じものを食べる」
(2) 言葉は新しい道具

について紹介した。

ほかにもいろいろ考えさせられる話題があったので
この講義の内容、もう少し続けたい。

今日は、「勝つ論理と負けない論理」について。
(以下水色部、2014年12月7日の放送から)

 

【勝つ論理】

勝つ論理と負けない論理、ていうのを立ててみました。
これは構えで決まる話なんですね。

さっきのニホンザルは勝つ論理です。

勝敗を決めてしまって弱いほうが引き下がる。
これはヒヒもそうなんです。
ヒヒもニホンザルの仲間でサルと言っていい。

これは、二頭が出会えばどちらかが
一方が「弱い」という態度を表明して、
強い、勝ったほうがすべてを独占する

だから、ケンカは起こらない。

実はこれすごく経済的なやり方なんですよ。
トラブルを起こす必要がないですから。
始めから勝敗は決まっているんで。

「円くなって穏やかに同じものを食べる」で紹介した通り、
一瞬で勝敗を決めてしまって、
強いほうがすべてを独占するのがサルの社会。
まさに「勝つ論理」の社会だ。

 

【負けない論理】

でも、ゴリラは勝敗を決めないんです

つまり勝ちを作らない。
だからみんなでこぞって負けそうなヤツを助けます。
だから勝者ができない。

これは負けない論理なんですね。

あの、体の大きさが違ってもですね、
決して負けるような態度をとりません。
これは構えの美学だと思うんですけれども、
負けない。

でもね、よくよく考えてみたら、
負けないでいることっていうのは、
勝つこととは違うんですよ


我々人間はそれを混同、今し始めています。

一方、明確な勝敗を決めないのがゴリラの社会。
勝ってもいないが、負けてもいない。

 

人間の子どもは負けず嫌いです。
仲間に負けたくない、という気持ちが非常に旺盛にある。

でも、それを見て親はですね、
この子は勝ちたいと思っているんだ、
と思って勝たせます。

そうすると、味方がいない場面で
その子に勝たせてしまったら
その子はどんどん孤独になっていきます

なぜならば、勝つためには相手を押しのけて
屈服させなくちゃいけないわけですよ。

人間社会にはサルのようにですね、
始めから勝ち負けを作っている
なんていうことはおこりません。

だから勝った途端に
子どもはどんどん孤独になっていく


仲間を失うわけですね。
屈服しちゃってみんな離れちゃう。

「勝った途端に子どもはどんどん孤独になっていく」
いろいろな場面が頭に浮かぶではないか。

 

でも、「負けないでいる」ことのゴールっていうのは、
相手と対等な位置に行くっていうことなんですね。

相手に勝つ必要がない。
だから、仲間は逃げません。

ただし、トラブルはずっと持続しますから、
その当事者だけでは解決できないことが多い。

だから第三者が間に入って、「まぁまぁ」と言って
メンツを取り持つ必要があるわけですね。

それがゴリラの社会です。

私たちの社会は
ルーツとしてそっちの方から来ている
んだと思います。

「円くなって穏やかに同じものを食べる」で紹介した通り、
ゴリラは「ヒト科」の生き物で、「サル」とは違う。

目を見る「対面」が相手への威嚇にはならず、
最初から決まっている勝敗により、
強いものがすべてを独占するわけでもない。

よって、強いものが弱いものに餌を分配する、という
サルの社会にはない食事の光景が成立する。

 

我々人間は、ゴリラと同じ「ヒト科」の生き物。
もともと
「強いものがすべてを独占する」
という社会を形成するような生き物ではないのだ。

「勝ち組・負け組」「富の集中」「格差」
今、社会問題として話題になっていることが
ゴリラの社会の話を聞くと、みんな繋がって見えてくる。

「ヒト科」の生き物にふさわしい社会から
どんどん離れていってしまっている現代、
「生き物」のいない「経済論」で修正できるはずはない。

 

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2015年2月15日 (日)

言葉は新しい道具

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言葉は新しい道具

- 信頼関係を築くためには五感を -

 

前々回、
京都大学学長の山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さんの、
NHKカルチャーラジオでの講義を紹介した。

「円くなって穏やかに同じものを食べる」という
なんということはない、ごく日常の人間の食事の光景が、
実はある条件が満たされたときだけに成立する
ちょっと特別なものだ、ということを
サルの食事と比較することで気づかせてくれる
興味深いものだった。

この講義、ほかにも考えさせられるネタ満載だったので、
もう少し続けたい。
(以下水色部、2014年12月7日の放送から)

今日は、言葉の登場について。

 

【言葉を使うために脳は大きくなった、は間違い!?】

実は私たちは言葉なしに暮らすことはできません。

今、人間世界どこへ行っても言葉というものがあります。
でも言葉というのは実はですね、
人類の進化の中では非常に新しい道具なんですね。

実は、言葉が発明されるのは、今から数万年前、
せいぜい遡っても十数万年前だろうと言われています。

でも、人間の脳が完成されるのは、
60万年前から40万年前なんです。

言葉が出てくるよりもずっと前です。

これって、面白いと思いません?

たぶん、皆さん誤解していると思いますよ。

言葉を使うために脳は大きくなった、と
思っていらっしゃる方が多いと思います。

そうじゃないんです。
逆なんですね。

脳が大きくなった結果、
言葉というものが生まれたんです。

現代人の脳が生物学的に完成してから、
数十万年も経ってから、ようやく言葉が現れた!?
ということらしい。

 

しかも、じゃぁ、人間の体や心や社会というのは
言葉と一緒に生まれたんだろうか、と思ったら、
そうじゃないですね。

逆に人間の心や社会や体というのは
言葉が発明されるよりもずっと前にできていたんです。

その上で、言葉というのが今、
私たちの世界にふって湧いてきたんです。

言葉が登場するよりもずっと前から
人間は共同生活を営み、社会を作ってきていたわけだ。

 

【信頼関係を作るのに、言葉は適さない?】

だから、極端なことを言ってしまうと、
言葉というのは人間にとって新しい道具だから、
まだ使い慣れていない、
言うなればすごく安っぽい道具なんです。

信頼を作るには適していないです

信頼を作るためには
ほかのコミュニケーションのツール、
ほかの五感を使う必要があるかもしれない。

視線ですとか、
あるいは嗅覚、触覚といったものを使った
コミュニケーション、抱擁とかね。
おんなじものを食べるとかね。

嗅覚や味覚を共有することのほうが、
信頼関係を作るのに役立っているかもしれない。

言葉よりも五感を使ったコミュニケーションのほうが、
より深い信頼関係を作るのに役立つ例は、
これまでの経験からもいくつも思い浮かぶ。
たとえば「同じ釜の飯を食う」だってそのひとつだ。

 

ここで、もう少し大きなスケールで
人間の進化を見てみよう。

まずは二足歩行。

700万年前から人間は立って二足で歩いていた。
「石器」の最初の証拠は260万年前。

200万年前にやっと脳が大きくなり始める。

二足歩行を始めてから、
脳が大きくなり始めるまでに500万年も掛かっている。

 

じゃぁね、人間の脳が大きくなった理由ってなんだろうか。
言葉じゃなかった。

じゃぁなんだろうか、って思うんですね。
で、80年代からいろんな人が調べました。

人間以外の人間に近い
これ霊長類って言うんですけれど、
サルや類人猿のいろんな行動と、脳、
特に脳が大きくなった理由っていうのは
大脳といいましてね、
脳の中に新皮質と呼ばれる部分があります。

この新皮質の部分が大きくなったせいなんです。

新皮質の割合と相関があるものはなにか。
「道具を使う能力」か、
「食べ物の取得の困難さ」か、などなど
いろいろ調べられたが、相関は見つからなかった。

 

【新皮質の割合と関係があったものとは?】

唯一、相関したのが
実は「群れの大きさ」だったんです。

平均的な群れのサイズというのが、
大きければ大きいほど、
脳に占める新皮質の割合が高い
ことがわかった。

これってすごく面白いですよね。

つまり、人間の脳も
社会脳として進化をした、と思われるわけです。

社会脳っていったい何だ、と言うと
集団の規模が大きくなるにつれて
付き合う人の数が増えてきますね。

それぞれの人に対して違う付き合いをしていれば、
それごとに記憶力や応用力が必要になります。

そのために脳は発達したと考えたほうが、
妥当だということになるわけですね。

では、人間の脳にふさわしい集団の大きさって、
いったいどの程度の数なのだろう。

 

 

現代人の1400ccという脳の大きさは、
160人という集団の規模に適当だということがわかります。

160人というのは、
実はマジックナンバーと言われてましてね。

農業に頼らない、あるいは家畜に頼らないで
生活をしている人たちのことを狩猟採集民と言います。
つまり、自然の恵をそのままに利用して生きている人たちです。

そういう生活が人類の進化の中で
ずーっと続いてきたと言われているわけですが、
その人たちの平均的な集団サイズが
だいたい150人ぐらいだと言われています。

ぴったりなんですね。

それは、人間が言葉を作り出す以前に出来上がった
社会の姿を表しているのではないか
ということなんですね。

 

講義の中では、
ラグビーやサッカーのチームなど、
言葉がなくても信頼関係を築いて
的確な行動がとれる集団の話も出てくるが、
いずれにせよ、
いまの私たちの脳が、言葉に頼らずに
集団を形成できるのはせいぜい160人程度


では、それ以上の数の人と付き合うためには
どうすればいいのだろう。

石器を使い始めて二百数十万年が経過、
脳が現代人と同じ大きさになって数十万年が経過、
人類の世界にいよいよ言葉が登場する。

 

【いよいよ言葉の登場!】

私たちは未だに信頼できる集団の規模としては
150人、160人ぐらいのものしか持っていないんです。

じゃあ、言葉はどうしたんだ、と言ったら
それを越えた広がりの人間を覚えておくための手段
ですね。

それにはシンボルが必要なんです。

あの会社の人、あるいは150人の中に入る人の友だち、
あるいはある地域、あそこで会った人、みたいな
何か補助シンボルが必要なんです。

つまり名札、タグが必要なんですね。

そういう人達を広げることによって
私たちは付き合う範囲を広げました。

でもそれは
無条件に信頼できる人たちの広がりではありません。

こう見てくると、
「信頼を築くために言葉は適していない」
ということの理由もわかるような気がする。
新しい道具はまだまだ頼りないのだ、きっと。

言葉が登場する前、
百万年単位での長きにわたって人類の社会を支えていた
五感によるコミュニケーションの力を、信頼度を、
もっともっと信じるべきなのかもしれない。

 

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2015年2月 8日 (日)

「ベトナム戦記」の一行

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「ベトナム戦記」の一行

- 開高健が書き留めた言葉 -

 

ISILによる日本人拘束事件は、
最悪の結果となってしまったようだ。
もし、事実が報道されている通りなのだとしたら、
おふたりのご冥福を心からお祈りするしかない。

2015年2月1日の朝日新聞一面には、
「イスラム国」震える街
「公開処刑 銃で脅され見た」
の見出しがあり、シリア北部の街の様子を伝えていた。

A150201s

 

「公開処刑を銃で脅されて見た」
というこの記事を読んで、開高健がベトナムで書き留めた
あの言葉を思い出した。

たった一行だが、
こんなに強く響いてきた反戦の言葉はないかもしれない。

今日はそれを紹介したい。
(以下水色部は、
 開高健著「ベトナム戦記」朝日文庫からの引用)

 

「ベトナム戦記」は、開高健による
1964年末から65年初頭にかけての、
ベトナム戦争最前線からの生々しいルポルタージュだ。

よくぞ生きて帰ってきた、と思うような
怖ろしいほどに臨場感あふれるルポになっている。
開高健が、取材中に34歳を迎えるようなころのこと。

多くの人が亡くなる凄惨なシーンはほかにもあるのだが、
たったひとりの青年が公開処刑されるこのエピソードは、
そういったもの以上に強く印象に残っている。

 

ある日の早朝。

 五時四十五分。

一台の白塗りのステーション・ワゴンが広場に入ってきて
砂袋の前でとまった。

後手に手錠をはめられた一人の細い青年がおろされ、
軍用トラックの灯のなかをひきたてられていった。

彼は昨日の午後一時に軍事法廷で死刑を宣告され、
いままでチ・ホア刑務所にいたのである。
十六時間四十五分独房に閉じこめられていたのである。

柱にくくりつけられ、黒布で目かくしされようとしたとき、
彼は蒼白で、ふるえていた。

カトリックの教誨師、
肥ってブタのような顔をした教誨師がつきそい、
耳もとで何かささやいたが、
青年は聞いている気配はなかった。
うなずきもしなかった。
ただこわばってふるえていた。

やせた、首の細い、ほんの子供だった。
よごれたズボンをはき、はだしで佇んでいた。

 短い叫びが暗がりを走った。
立テ膝をした一〇人のベトナム人の憲兵が
一〇挺のライフル銃で一人の子供を射った。

 

撃たれたあと、こめかみに
「クー・ド・グラース:慈悲(とどめ)の一撃」までを受けて、
少年は動かなくなった。

 

 銃音がとどろいたとき、私のなかの何かが粉砕された
膝がふるえ、熱い汗が全身を浸し、
むかむかと吐気がこみあげた。

たっていられなかったので、
よろよろと歩いて足をたしかめた。

もしこの少年が逮捕されていなければ
彼の運んでいた地雷と手榴弾はかならず人を殺す。
五人か一〇人かは知らぬ。
アメリカ兵を殺すかもしれず、ベトナム兵を殺すかもしれぬ。

もし少年をメコン・デルタかジャングルにつれだし、
マシン・ガンを持たせたら、
彼は豹のよぅにかけまわって乱射し、
人を殺すであろう。

あるいは、ある日、
泥のなかで犬のように殺されるであろう。

彼の信念を支持するかしないかで、
彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。

それが《戦争》だ。

しかし、この広場には、
何かしら《絶対の悪》と呼んでよいものがひしめいていた

 

このあと、何人もの死者を眼の前にする開高さんでさえ、
立っていられなくなってしまったのはどうしてなのか。

 

あとで私はジャングルの戦闘で
何人も死者を見ることとなった。

ベトナム兵は、何故か、どんな傷をうけても、
ひとことも呻めかない。
まるで神経がないみたいだ。
ただびっくりしたように眼をみはるだけである。

呻めきも、もだえもせず、
ピンに刺されたイナゴのように死んでいった。
ひっそりと死んでいった。

けれど私は鼻さきで目撃しながら、
けっして汗もかかねば、吐気も起さなかった。

兵。銃。密林。空。風。背後からおそう爆音。
まわりではすべてのものがうごいていた。

私は《見る》と同時に走らねばならなかった。

体力と精神力はことごとく自分一人を
防衛することに消費されたのだ


しかし、この広場では、
私は《見る》ことだけを強制された

私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。
機械のごとく憲兵たちは並び、
膝を折り、引金をひいて去った。

子供は殺されねばならないようにして殺された。

私は目撃者にすぎず、特権者であった。

 

特権的目撃者なればこその、
正面から受け止めるしかない衝撃。

 

私を圧倒した説明しがたいなにものかは
この儀式化された蛮行を
佇んで《見る》よりほかない立場から生れたのだ。

安堵が私を粉砕したのだ
私の感じたものが《危機》であるとすると、
それは安堵から生れたのだ。

広場ではすべてが静止していた。

すべてが薄明のなかに静止し、濃縮され、
運動といってはただ眼をみはって《見る》ことだけであった。
単純さに私は耐えられず、砕かれた。

 薄明のなかでラッパが二度、低く、
吐息のように呻めくのを聞いた。

子供は黒布の目かくしをとられ、柱からはずされ、
ビニール膜を敷いた棺のなかに入れられた。

蒼白なはだしの囚人たちが棺に釘をうち、
自動車にはこびこんだ。

 

そして、死はニュースになっていく。

 

海と空のかなたの快適な、脂っぼい、
衰弱した平和を粉砕するため、
アメリカ人、フランス人、イギリス人、
ベトナム人のカメラ・マンたちが足音たてて殺到した

カラスの群れのように、
ハイエナの群れのように彼らは棺のまわりに群れひしめいて、
ファインダーの小窓をとおしてフィルムをまわしつづけた。

死は《死》となった。
セルロイドにつめられた劇となった。
アナウンサーのおしつぶした感傷的独自で語られる、
似ても似つかぬものとなって《死》は
タン・ソン・ニュット空港から
全世界に輸出されるであろう。

彼らの去ったあと、
消防車がきて舗石にほとばしった血を流した。

兵隊たちが軍用トラックに砂袋を積みこみ、
柱を投げこんだ。
二十分もかからずにすべては消えた

 

このあと、開高さんは、ともに公開処刑を目撃し
同様に打ち砕かれていた
当時読売新聞の特派員だった日野啓三さんの
あの言葉を聞くことになる。

 

 円形広場のふちにある汚ない大衆食堂に入って
私たちはコカ・コラを飲んだ。

日野啓三はうなだれてつぶやいた。

「おれは、もう、日本へ帰りたいよ。
 小さな片隅の平和だけをバカみたいに大事にしたいなあ。
 もういいよ。もうたくさんだ」


私は吐気をおさえながら
彼の優しく痛切なつぶやきに賛意をおぼえ、
生ぬるく薬くさい液を少しずつのどに流しこんだ。

「日本へ帰りたいよ。
 小さな片隅の平和だけをバカみたいに大事にしたいなあ」

なんて優しくて、なんてつらいつぶやきだろう。
そうだ。バカみたいに大事にしようではないか。

 

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2015年2月 1日 (日)

「円くなって穏やかに同じものを食べる」

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「円くなって穏やかに同じものを食べる」

- ヒトが、故郷がもっているもの -

 

少し前に録音した
NHKのカルチャーラジオの講義を聞いていたら、
ゴリラの専門家、
京都大学学長の山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さんが、
たいへん興味深い話をしていた。
今日はそれを紹介したい。
(以下水色部、2014年12月7日の放送から)

 

まず、話全体の大前提となる、
ヒトとゴリラは、サルとゴリラよりも近いという話から。

まずですね、私たち人間というのは
ゴリラやチンパンジーやオラウータンと一緒に
「ヒト科」という分類群にいます。

重要なのは、
サルとゴリラの違いよりも、
ゴリラと人間の違いのほうが小さい、ということなんですね。

私たちもゴリラも同じくサルとは違う存在なんです。
これをヒト科と言うんですが、
ダーウィンの進化論と言うのは、昔共通の祖先がいて、
それから順を追って分岐をして
いろんな種に分かれたという話ですよね。

サルはずっと前に分かれました。

ゴリラやチンパンジーは最近になって人間と分かれました。
だから、人間とゴリラは、サルと人間よりも、
サルとゴリラよりも近いということなんですね。

 

ゴリラだってチンパンジーだってサルじゃないか、
と思って聞くと話がわからなくなってしまう。

山極さんの話の中では、
「ヒト、ゴリラ、チンパンジー、オラウータン、ボノボ」は
「ヒト科」と呼ばれるグループで、
たとえばニホンザルなどの「サル」とは
区別して話が進んでいる。ここはぜひ混乱なきよう。

さて、では
サルであるニホンザルと、ヒト科のゴリラとの違いは、
どんなところにあるのだろうか。
特に食事のシーンに興味深い違いがある。

ニホンザルを例に取ってみましょう。

ニホンザルは餌を間において
両方が一緒に手をのばすということはありえません。

両方手をのばしたらケンカになっちゃうんですね。
だから弱い方のサルが手を引っ込めます。

尻尾をあげて強そうな態度を示している強いサルがやってきて
その餌を独占します


その時に、強いサルは相手の顔をジーっと見つめて
「お前オレに挑戦する気か」というふうに
相手にシグナルを送るわけですね。

そうすると弱い方のサルは、歯茎をむき出してニッと笑う、
これグリメイスっていう顔の表情なんですが、
「私はあなたと戦う気持ちはありません、
 私はあなたより弱いです」
っていうふうに言うわけですね。

つまりニホンザルは、瞬時のうちに勝ち負けを決めてしまって、
勝ったほうが餌を横取りする、あるいは独占する
という
社会的なルールを設けているわけです。

だから、サルはいつも、相手と自分のどちらが強いか弱いか
よくわきまえて行動しています。

強いサルの前では遠慮、
弱いサルの前では堂々と自分の権利を主張します。
そういう社会なんですね。

強いサルが餌を独占する、
これがサルの世界のルール。

では、この餌の独占、
ヒト科の世界では、どうなっているのだろう。
ボノボを見てみよう。

これはボノボというチンパンジーの仲間、
そしてゴリラ、
私が研究しているゴリラの食物を介する行動です。

私たち人間はこっちのほうに属しているんですよ。

今、左側のボノボはですね、サトウキビ持っていますね。
右端のボノボが強いボノボなんです。

自分で餌を独占しようとして持っています。
ところがそこに子連れのお母さんがやってきた。
これ、オスより弱いです。
でも、手を差し出して「頂戴」って言うと
この餌が渡ります。
これを分配行動って言うんですね。

もう背中のほうにいる子どもは
すでに分けてもらって食べてます。

だからボノボの社会では、ニホンザルとはまったく真逆に
弱い方の立場のものが強い方の立場のものに、
餌の分配を要求するんですね。

それを断りきれない。


餌を持っている強い方のボノボはね。

 

ゴリラの場合でも同じような光景が見られる。

右側の写真もゴリラなんですけれど、
おんなじことが起こっています。

200キロを越える背中の白い大きなオス、
これをシルバーバックと言うんですが、
これが今、美味しい木の皮を食べています。

そこに子どもがやってきて、
食べている木の皮とそのオスゴリラの顔を
交互に覗き込むわけですね。

そうすると、その圧力に要求に耐えかねて
その場所を譲ってやる。

ここでも、弱い方の立場のものが、
餌の、餌場を譲り渡すことを要求して、
強い方の立場のものがそれを譲る
ということが起こります。
これ、まったくサルとは違うんです。

私たち人間は、こっちの方に属しているわけですね。

 

さて、その結果、ニホンザルでは見られない、
ある食事の光景が現れることになる。

その結果、なんか私たちが見慣れた光景が
ここに出ていると思いませんか。

つまり円くなって向き合いながら
一緒に同じものを食べる
、っていう光景です。

ニホンザルでは、こういう光景生まれないんですよ。
強いサルが独占しちゃいますから。
でも、チンパンジーでもゴリラでもボノボでも
こういう光景が生まれる。

つまり人間の食事と同じような光景が生まれるわけです。

 

そもそも「向き合って」
つまり「対面」という行為は、
サルでは穏やかにできないらしい。

そもそも対面するって言うのは
サルでは相手に対する脅しになります。

だから、相手の顔を見つめるのは
強いサルの特権になります。

弱い方は、見つめられたら
ちょっと視線を逸らさないといけない。

あるいはニッと笑って歯茎を見せて、
笑ったような顔をしなくちゃいけないわけですね。

 

人間にとっては毎日繰り返される
「向き合って穏やかに同じものを食べる」

これは、ごく自然で簡単なことのような気がするが、
実は、食べ物を強いほうが独占しないとか、
対面が威嚇にならないとか、
いくつかのハードルを乗り越えてはじめて
実現できるものなのだ。

 

そう言えば、故郷の「郷」という字は、
「ふたりが食物をはさんで向かい合っている様子」
表している、と聞いたことがある。
確かによく見るとそんな形、構成になっている。

そこにある「音」が「響」であり、
そういった飲食のもてなしが「饗」であると。

「円くなって向き合いながら
 一緒に同じものを穏やかに食べられる場所」
それがまさに、ふるさと(故郷)。

ゴリラの話を聞いてから見直すと、
「郷」の字が一段と味わい深くなる。

 

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