羊だけでは嘉納してくれない
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羊だけでは嘉納してくれない
- 羊が含まれる漢字の背景 -
未年、2015年が始まった。
今日(2015年1月4日)の朝日新聞天声人語には、
こんな記述があった。
館内のあちこちで探す「羊めぐり」の趣向もあり、
飽きさせない▼
博物館の解説によれば、羊は古代中国で
「よきもの」という意味を持つようになった。
栄養源として神への捧げ物として、
親しまれ大切にされたからだろう。
確かに羊にまつわる「美」や「善」「養」「祥」
といった漢字は
どれも良い意味だ
天声人語の文章だけでは、
「羊」が栄養源や捧げ物だから「よきもの」
のように読めてしまうし、
わかりやすいので簡単に「なるほど」と思ってしまうが、
羊を含む漢字には、もう少し深い背景があるようだ。
加藤徹 (著)
貝と羊の中国人
新潮新書
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、緑色部は本からの引用)
に興味深い記述があるので、今日はそれを紹介したい。
中国人(漢民族)の祖型は、いまから三千年前、
「殷(いん)」と「周(しゅう)」という
二つの民族集団がぶつかりあってできた。
なのでまずは「殷人」の話から。
【財貨を重んじる殷人】
彼らは、目に見える財貨を重んじた。
まだ金属貨幣が存在しなかった当時、
貨幣として使われていたのは、
遠い海から運ばれてきた「子安貝」だった。
有形の物財にかかわる漢字、寶(宝の旧字体)、
財、費、貢、貨、貪、販、貧、貴、貸、貰、貯、貿、
買、資、賃、賜、質、賞、賠、賦、賭、贅、贖…
などに「貝」が含まれるのは、
殷人の気質の名残である。
【殷の宗教は多神教。物質的な供え物を好む】
日本の俗諺(ぞくげん)で
「御神酒(おみき)あがらぬ神は無し」と言う。
殷の「八百万(やおよろず)の神々」も、
酒やごちそうなど、
物質的な供(そな)え物を好んだ。
【殷人は亡国の民となり、商人となる】
三千年前、殷王朝が周によって滅ぼされると、
殷人は土地を奪われて亡国の民となり、
いわば古代中国版ユダヤ人となった。
「商人(しょうひと)」と自称していた殷人は、
各地に散ったあとも連絡を取り合い、
物財をやりとりすることを、
あらたな生業(なりわい)とした。
これが「商人(しょうにん)」「商業」の語源である。
欧州のユダヤ人が学芸でも成功したように、
殷人の子孫も学者を輩出した。
紀元前六世紀の孔子も、前四世紀の荘子(そうし)も、
殷人の子孫であった。
農耕民族的で、多神教で、有形の物財を重んじる
「貝の文化」の殷人。
では、
いっぽうの周人にはどんな特徴があるのだろう。
【周人は遊牧民的。羊こそが宝】
中国西北部の遊牧民族と縁が深く、
血も気質も、遊牧民族的なところがあった。
殷人が貝と縁が深かったように、
周人は羊と縁が深かった。
周の武王をたすけ、殷周革命の立役者となった
周の太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)の姓は、
「姜(きょう)」である。
字形も字音も「羊」と通ずる。
周人にとって、羊こそが宝であった。
【農耕民族は地域密着型の多神教になりやすい】
生命がどんどん湧いてくる自然環境に住んでいるため、
地域密着型の多神教になりやすい。
【遊牧民族は普遍的な一神教をもちやすい】
移動しながら暮らす遊牧民族は、
空から大きな力が降ってくる、
という普遍的な一神教をもちやすい。
【「天」は無形の善行を好む】
唯一至高の神である「天」を信じた。
天は、イデオロギー的な神であり、
物質的な捧げものより、
善や義や儀など無形の善行を好む。
殷人は、神々を好んで図像に描いたが、
周人は、ユダヤ教徒やイスラム教徒が
唯一神を図像に描かぬのと同様、
「天」の姿を絵や彫像にすることはなかった。
【羊だけでは嘉納してくれない】
アベルが供えた羊は嘉納(かのう)したが、
その兄カインが供えた農作物は嘉納しなかった
(「創世記」第四章)。
周人も、「天」を祀る(まつ)儀礼においては、
羊を犠牲にして供えた。
殷の神々は、酒や肉のごちそうで機嫌をとり、
「買収」することができた。
しかし周人の「天」は、
羊を捧げるだけでは不十分だった。
善行や儀礼など、
無形の「よいこと」をともなわねば、
「天」は嘉納してくれなかった。
義、美、善、祥、養、儀、犠、議、羨……など、
無形の「よいこと」にかかわる漢字に
「羊」が含まれるのは、
イデオロギー的な至高の神「天」をまつった
周人の気質の名残である。
遊牧民族的で、一神教で、無形の「主義」を重んじる
「羊の文化」の周人。
羊そのものではなく、
羊を納めてもらうための無形の「よいこと」こそが
「羊を含む漢字」というわけだ。
未年の正月に再度読むと、ちょっと気持ちが改まる。
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