大づかみ式合理主義
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大づかみ式合理主義
- 曖昧とは限らない -
未年が始まった先週、
加藤徹 (著)
貝と羊の中国人
新潮新書
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
をテキストに
羊を含む漢字の背景を少し紹介したら、
思いのほか多くの反応をいただいた。
「無形のよいこと」がそれぞれの方に響いたようだ。
なので、というわけではないが、同じ本から、
今日は、中国の「大づかみ式合理主義」について
紹介したいと思う。
【杜甫の「春望」】
逆もまた真なりで、
中国語の詩の妙味を日本語に訳すことも、難しい。
杜甫の有名な漢詩「春望」の、
第三句と第四句もそうである。
漢詩は、漢文すなわち古典中国語で書いた詩である。
国破山河在、城春草木深。
感時花濺涙、恨別鳥驚心。 (下略)
伝統的な訓読では、右を
「国破れて山河(さんが)在り、
城春(しろはる)にして草木(そうもく)深し。
時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ、
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」
と読み下す。
【泣いたり驚いたりしているのは誰?】
家族との別離を余儀なくされたこの中国の詩人は、
美しい春の花を見ても涙を流し、
小鳥のさえずる声にもハッと胸を痛めた。
つまり、泣いたり驚いたりする主語は、
主人公である「私」である。
日本人はそう解釈し、
「花にも」「鳥にも」と読み下した。
ところが中国語(この場合は漢文だが)の原文は、
あくまで「花濺涙」「鳥驚心」である。
これを
「花、涙を濺ぎ(花が涙を流す)」
「鳥、心を驚かす(烏が胸を痛める)」と訓読して、
花や鳥を擬人化したものと解釈することもできる。
こうなると、
「泣いたり驚いたりしているのは、ほんとうは誰?」
という疑問が浮かぶ。
ところが、この疑問を加藤さんは、
バッサリと切り捨てている。
【愚問!?】
人間である作者なのか、
それとも擬人化された花や鳥か。
そんな詮索は、実は愚問である。
中国人である杜甫は、
この両方のイメージの錯綜を計算のうえで
「感時花濺涙、恨別鳥驚心」と詠んだのだ。
【魅力的な曖昧さ】
自分が泣いているのであり、花も泣いているのだ。
小鳥のさえずりにハッと胸を突かれるのは、
自分が感傷的であるだけでなく、
小鳥も胸を痛めているのだ。
日本語訳や訓読では、
そのような魅力的な曖昧さは、
切り捨てざるを得ない。
「花にも涙を濺ぎ」か「花、涙を濺ぎ」か。
いずれを採るにせよ、
原詩の味わいとは、隔たってしまう。
「錯綜を計算のうえ」というよりも、
杜甫にとっては、
そもそも「錯綜していない」ということなのだろう。
それを日本語的に解釈しようとするなら
それは「愚問」と。
【日本語は分析的?】
「てにをは」などの助詞を多用する日本語は、
世界的に見ても、かなり分析的な言葉である。
これは、日本語の長所である。
ただ、
中国語の真骨頂である大づかみ式表現の醍醐味は、
日本語に訳すと失われてしまう。
【簡素な合理主義】
現代中国語にも、そのまま受け継がれている。
中国語で「私は餃子を食べる」は「我喫餃子」、
「私は食堂で食べる」は「我喫食堂」
と言う。
逐語訳すると、それぞれ
「私、食べる、餃子」「私、食べる、食堂」である。
餃子「を」食べるのも、食堂「で」食べるのも、
語形は同じなのだ。
常識的に考えて、食堂「を」食べる人はいない。
だから、この簡素な言いかたでもよい。
これが、中国人の大づかみ式合理主義である。
この「日本人から見ての曖昧さ」が
「中国人から見ての曖昧さ」とは限らない、
という点が
外国を学ぶ際の難しさであり、面白さだ。
【分析的合理主義】
西洋人は、分析的合理主義を好む。
西洋の言語で「私は食堂で食べる」と言うのは、
大変である。
まず「食堂」は、定冠詞か不定冠詞か、
男性名詞か女性名詞か中性名詞か、
単数か複数か、
主格か目的格かそれとも他の「格」か。
動詞「食べる」は、
現在形か過去形か未来形か進行形か…。
中国人の感覚では、
こうした煩瑣(はんさ)な分析的合理主義は、
冗長で、かえって物事の焦点をぼやけさせる。
「私、食べる、食堂」で充分なのだ。
ちなみに、中国語の動詞に「活用」はない。
「喫(食べる)」は、原形も現在形も過去形も、
みな「喫」である。
過去か現在か未来かは、
前後の文脈で判断できるのだから、
いちいち動詞を複雑に活用させて示す必要はない。
それが中国式合理主義である。
「煩瑣な分析的合理主義が、
かえって物事の焦点をぼやけさせる」
細かく分析的なものが、
いつでも焦点が合っていて正確というわけではない。
本質を捉える、
このためには「大づかみ」が有効なこともある。
「大づかみ」とは必ずしも曖昧ということではない。
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