「泣き・笑い まばゆい場所で」
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「泣き・笑い まばゆい場所で」
- 「黒い服」で、「色とりどりの服」で、-
前回、第152回の芥川賞を受賞した小野正嗣さんの
受賞会見のときの言葉を紹介したが、
芥川賞、直木賞関連では、
2005年に直木賞を受賞した角田光代さんの
短い文章も忘れがたい。
今日はそれを紹介したい。
以下、水色部は、角田光代さんが書いた、
直木賞に決まって「泣き・笑い まばゆい場所で」
という、
2005年1月18日朝日新聞夕刊の記事からの引用・抜粋。
泣き・笑い まばゆい場所で
角田光代 作家
受賞が決まりましたら東京會舘(かいかん)へ。
という言葉は、今まで何度も聞いてきた。
芥川賞、直木賞の候補者へあらかじめ通達される言葉である。
二十四、五歳のとき芥川賞で三回、
それから二年前直木賞で一回、
今度で五度目の「受賞が決まりましたら東京會舘へ」である。
今までずっと落選してきたのだから、
東京會舘へは一度もいったことがない。
こう何度も名前を聞かされ、
かつその建物を訪れられないでいると、
「東京會舘って本当にあるのか」という気がしてくる。
角田さん、
両賞合わせて5度も候補になっていたのだ。
打ち合わせとか友達のパーティとかではなくて、
できれば、「受賞が決まりましたら」の東京會舘を。
そんなわけで、受賞が決まりました、と聞いたとき、
うれしい、とか、どうしよう、とか、嘘かも、とか、ぎゃあ、とか、
そんな気持ちの合間に、
ぼんやりと「東京會舘が見られる!」というのがあった。
いよいよ東京會舘のフロアに。
「ここが東京會舘か」と思っていた。
記者会見が行われるフロアでエレベーターの扉が開き、
開いた途端、ぱあっと大勢の人の顔が目に入った。
みんなにこにこ笑っている。
笑って、手を叩いている。
あ、と思った。気がついたら、泣いていた。
大勢の人に迎えられて、思わず涙を流す角田さん。
その時、彼女の胸に去来していたものとは・・・
そうして、つい先日、
私のために集まってくれた人々だった。
ちょうど一ヵ月半前、私は母を亡くし、
ばたばたと葬儀を出した。
ほとんどの身内がもう亡くなっていて、私が喪主をつとめた。
身内もおらず、自分で葬式を出すのもはじめてのことで、
何をどうしたらいいのかわからない。
母が死んでしまったことすらもまだ実感できていなかった。
そのとき、駆けつけてくれたのが数人の編集者だった。
ノートとペンを用意した彼らは、
ぐちゃぐちゃと泣いている私のかわりに、
てきぱきと事務的なことを決めてくれ、
葬儀の際のアドバイスをくれ、
いろいろな人に連絡を取ってくれ、
当日までにすべきことをリストアップしてくれた。
こういうときの事務的なヘルプは、
いや、事務的に対応してくれたヘルプだからこそ、
心からうれしかったことだろう。
そんな私の胸の内を理解してくれるかのように、
じつに大勢の編集者の方々が集まってくれた。
会ったこともない母のために泣いてくれた。
自分の娘がこんなに大勢の人に支えられると知って、
母は安心して旅立てたに違いなかった。
エレベーターを降りて目に入ったのが、
その同じ面々だった。
不謹慎な感想だが、
「あ、葬儀のときと同じ顔ぶれ」
とまず思った。
「今日はみんな喪服じゃない」
続けて思った。
人前で泣くのなんか大嫌いなのに、
そう思ったら、泣いてしまった。
一緒に泣いてくれた人々の笑顔。
うれしいときに色とりどりの服で駆けつけてくれている。
こないだいっしょに泣いてくれた人々が、
今日はいっしょに笑ってくれている。
なんかすごい。すごいことである。
ありがたいという気持ちをはるかに超えてうれしかった。
私がもし神さまだったら、
葬儀と発表の順番を逆にするのに、
と思わずにいられないのだが、しかしもし逆だったら、
私は駆けつけてくれた人々に、
うっかり感謝し損ねたかもしれない。
かなしみのあとだからこそ、思い知らされることもある。
「かなしいときに黒い服で駆けつけてくれた人々が、
うれしいときに色とりどりの服で駆けつけてくれている。
こないだいっしょに泣いてくれた人々が、
今日はいっしょに笑ってくれている」
「黒い服」で、「色とりどりの服」で、か。
簡単な言葉だけれど、うまい言葉を選ぶなぁ。
そういう人たちの思いに、心から感謝できるときの幸福感。
私にとっての東京會舘である。
それはまさしく想像通りだった。
ともに仕事をし、ともにかなしんでくれる人々の、
光のような笑顔がはじける、
まばゆくきらびやかな場所だった。
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