幸福な家庭はどれも似ている?
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幸福な家庭はどれも似ている?
- 「アンナ・カレーニナ」の冒頭部分 -
以前、5回に分けて書いた
世界ことばの旅を
書いているころに読んだ本に、
太田直子 (著)
字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ
光文社新書
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
がある。
その中に、ロシア語について
こんな記述があった。
形容詞や動詞過去形の末尾が
男女で変わる。
それはいいのだが、
なんと姓の末尾まで
変わってしまうのだから始末が悪い。
アンナ・カレーニナの夫は
カレーニナ氏ではなく
カレーニン氏なのだ。
登場人物がたくさん出てくる映画は、
ただでさえ名前を覚えにくいのに、
夫と妻とで姓まで変わった日には
混乱必至。
挙げ句の果てに、
「誤植がありますよ」などと
言われてしまう。
いや、言われるならまだいい。
うっかりすると、
字幕制作の担当者がこちらに確認もせず
「あ、これ書き間違いね」と
勝手に書き直して、
誇り高き顕官カレーニン氏を
女性化してしまう。
夫婦で姓が違ってしまうと、
字幕を読んでいる方は
確かに混乱してしまう。
正確な事実で押すか、
不正確でもわかりやすさを優先するか、
ほんとうに悩ましいところだろう。
字幕に注釈をつけるわけにも
いかないのだから。
ところで、
「アンナ・カレーニナ」の文字を見ると
どうしても思い出してしまう言葉がある。
トルストイの小説、
「アンナ・カレーニナ」の冒頭部分だ。
訳者によって日本語のニュアンスは
少し違うが、意味としては
「幸福な家庭はどれも似ているが、
不幸な家庭は千差万別だ」
という内容の有名なフレーズだ。
望月哲男訳・光文社古典新訳文庫では、
「幸せな家族はどれもみな
同じようにみえるが、
不幸な家族には
それぞれの不幸の形がある」
となっている。
最初にこのフレーズを目にしたのは、
中学か高校のころだったと思う。
思わずなぜか
「計算の正解はひとつだが、
不正解は千差万別だ」
が浮かんだことを覚えている。
その後、
世の中には、まさに様々な不幸が
あることを知るようになると、
ふとこの言葉を思い出し、
「さすが、文豪。
オレはなんてなんにも知らない
若造なンだ」と
浅い人生経験を
恥じるような気持ちになったりもした。
「不幸の千差万別」を知っていくことが
大人になることなのかも、とさえ。
ところが、歳をとり、
多くの人生を知るにつれて、
この言葉に対する私の思いは
大きく変わった。
結論だけ先に述べさせていただこう。
今の私の正直な気持ちを言葉にすると
こんな感じだ。
「不幸な家庭はどれも似ているが、
幸福な家庭は千差万別だ」
誤解を恐れずに思い切って言ってしまうが
不幸の種類ってそんなに多くない。
もちろんひとつだけ、
なんていうことはないが、
不信、離別、貧困、病、拘束・・・など
冷静に突き詰めていくと「またか」が多い。
「そんな不幸もあるンだ」という
新発見はほとんどない。
一方、幸福の方はどうだろう。
なんて多彩なのだろう。
ここに書いた
息子さんにご飯をつくってあげる
お母さんの幸福感とか、
ここに書いた
リヤカーを引く家族の醸しだす幸福感とか、
そういうことが、
若い時にはちっともピンとこなかったのに、
歳を重ねるにしたがって、
染みてくるようになった。
客観的に見ると、どう見ても
不幸としか言えないような環境なのに、
そんな中、まさにその人にしか見えない
かけがえのない幸福を見つけて、
ほんとうに幸せそうに生きている人がいる。
「そんな幸福もあるンだ」という新発見は、
大人になっても全く尽きない。
まさに千差万別。
「幸福の千差万別」を知っていくことが
歳を重ねていくことなのだ。
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よく見る環境の悪い家庭も「暴力をふるう父・宗教にはまる母・貧困」というパターンが多いので、自分もトルストイの言葉には疑問を感じていました。
投稿: あ | 2019年5月14日 (火) 17時15分
あさん、
コメントをありがとうございます。
本文を書いてから4年以上が経過していますが、
それ以降も「幸福」の多彩さの発見には、
ますます驚くばかりです。
もちろん、その人にとっての、であって
必ずしも多くの人と共有できるようなものとは限りませんが、
人間の感性ってほんとうにすばらしいと思います。
投稿: はま | 2019年5月18日 (土) 17時03分