世界ことばの旅 (2)
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世界ことばの旅 (2)
- 「見える・見えない」で冠詞を区別!? -
研究社の「世界ことばの旅」というCDからの
世界のことばの話、2回目。
まずは前回の宿題
「ようやく録音に協力してもらえることになった各言語の話者に
いったい何を喋ってもらったのか?」
を片付けてしまおう。
「共通テキストで」、つまり全く同じことを
各言語で話してもらうことががむつかしい理由は前回書いた。
関係者もきっといろいろ悩んだことだろう。
最終的に決めた方針は、
次のように解説されている。
ちょっと聞いてみよう。
(以下水色部はCDまたは小冊子からの抜粋)
数を一から十まで数え、
こんにちは、さようなら、ありがとう、のような
日常よく使われる挨拶言葉、
それから、お国自慢や小説の一節や詩の朗読など、
自由にそれぞれの言葉を話しています。
これは堅苦しい言語学のレコードではありません。
気楽に世界の人々が話している言葉の響きに耳を傾け、
そこから全く自由に何かを感じ取っていただくよう
作られたものです。
言語学的にどうこう、という点にこだわらず、
数字以外は、まぁ、言ってみれば「適当に」
喋ってもらうようにしたことは、
「言葉の響き」を伝えるためには、よかったのではないだろうか。
無理矢理な翻訳調では、響きは伝わりにくいだろうから。
ところで、世界にはどれくらいの数の言語があるのだろう。
CD附属の小冊子には、
たったの80にすぎないし、
とある。
80言語集めても数から見ると、
まだ1%程度にしかならないようだ。
前置きがずいぶん長くなってしまった。
収録の背景もわかって、ようやく準備も整った(?)ので
いよいよ「ことばの旅」に出発したいと思う。
さて、「ことばの旅」。
何語は何語族に分類される、とか、
話者は何人くらい、とか、
事典的な事実や数字だけを
ダラダラと羅列してもおもしろくないので、
言語学については全く知識のないド素人の私が、
「へぇ」と思った言語の特徴のみに絞って
その多様性をピックアップしていきたいと思う。
では、日本語から出発することにしよう。
【2-1 日本語】
日本語にある特色はいずれも世界の多くの言語にあって、
何ひとつといっていいほど日本語独特のものはない。
・・・
日本語のユニークさといえば、その表記法の難しさであろう。
それに、このように大きな言語で、古い文献もあるのに
同系の言語がないことは珍しい。
「日本語は特殊だ」と、たいした根拠もなく
いいかげんに言わないほうがいいのかもしれない。
表記法が難しい点は、認められているようだが。
【2-2 朝鮮語】
しばしば欧米の学者は
日本語と同系という誤った結論を導きだすが、
「ハ」と「ガ」の区別、
指示語の「コ・ソ・ア」の区別までパラレルであるとすれば
そう思い込むのも無理がない。
そのうえ、日本語同様に敬語を示す文法手段もある。
・・・
面白いのは音象徴語があることで、
「赤い」に
「アッカーイ」、「アッカッカーイ」とでもいうような
程度を示す方法がある。
また擬態語も豊富である。
・・・
独特なのはハングルと呼ばれる朝鮮の国字で、
世宗という王様一人の考案であることや、
文字が音声学を基礎に作られ、
[m]の音が口を表す文字"口"で、
[s]の音が歯を示す文字"人"で示されていることなどである。
そして、これらの音が音節を単位にまとまって示されている。
ハングル文字はたったひとりによる考案だったのか。
【2-3 モンゴル語】
10 の 短母音、
7つの 長母音、
6つの二重母音が
2つのグループに分かれ、
そのおのおのの母音は1つの語の中で共存することがない。
これは日本語の古い時代にあった
万葉仮名の用法と同じようなものである。
・・・
モンゴル族は13世紀の初めから
ウイグル系の文字を使ってモンゴル語を表記していた。
これは釣りで使う「毛針」を思わせる文字である。
この文字は700年もの間使われたが、
モンゴルがいわゆる人民革命(1921)の後、
ソ連の文化圏に入れられると、ラテン文字にかえられ、
さらに1942年からはロシア文字(キリール文字)系の文字にと
変更させられた。
中国内のチャハル方言に基づくモンゴル語では依然として
古いウイグル系の文字が使われている。
近年ロシア文字からの回帰が試みられている。
複雑な母音と「母音調和」、そして
文字の変遷(ウイグル文字⇒ラテン文字⇒ロシア文字)が目を引く。
母音調和については、さらりと
「万葉仮名の用法と同じようなものである」
と書かれているが
悔しいかな私には意味がよくわからない。
母音の組合せに制限があったということなのだろうか?
ちょっと調べ始めたら、万葉仮名遣いについて
知らなかった話が次々と出てきてしまって、
謎が謎を呼び、全く前に進まなくなってしまった。
基礎的な知識がないと
纏めようにも纏められないことを痛感。
というわけで、この部分、
「万葉仮名についての謎を残したまま」
先に行くことにする。 失礼。
【2-4 中国語(北京)】
北京も含まれる北方官話その他の下位方言に分類される。
中国語は世界の言語のひとつを代表する実に面白い言語で、
いくつかの興味深い特徴がある。
その1つは声調で、四声があり、よく聞き取ることができる。
・・・
名詞を中心にして始まった複音節化があるにせよ、
依然として単音節語が優勢で、語形変化はしない。
したがって形態論は簡単である。
・・・
日本語にも入ってきている
1本、1枚、1冊のような類別詞がある。
日本語は中国語からの借用語なしには考えられない。
4つの声調、単音節、類別詞。
声調については、4つでもむつかしいと思うのに、
次の広東語には、さらに驚くような記述がある。
【2-5 広東語】
広東省、広西壮族自治区、英領香港などで話される方言の代表で、
その話し手の数は漢民族の5パーセント、4700万にも及ぶ。
近年香港がより重要な地位を占めるにつれて、
この広東語も重要になりつつある。
・・・
中国語の方言といっても、かなり大きな差のあることは
10までの数の数え方だけきいても分かると思う。
・・・
北京語で4つある声調にしても粤語の中には10あるものさえある。
粤(えつ)語には声調が10あるものも!!
そんなに聞き分けられるものだろうか。
もうひとつ。
上で述べられているように、
北京語と広東語には「大きな差」があるのだろうか。
例としてあがっている
10までの数の数え方の部分だけ聞き比べてみよう。
まずは北京語で1から10。
続いて、広東語で1から10。
なるほど。
「大きな差」だ。
【2-6 ツォウ語】
この言語の1つの特徴は他の南島諸語とは違う冠詞の存在で、
「見える・見えない」、
「近い・遠い」、
「既知・未知」に区別がある。
この「見える・見えない」の区別は指示代名詞にもある。
・・・
また、
焦点と呼ばれる文の構成要素のどこに重点が置かれるかで、
行為者・目的語・場所・道具および受益者の
4つの焦点形によって動詞の語形変化がなされる。
・・・
高砂族諸語は数詞で基本数詞と人を数える人数詞があるが、
ツォウ語ではそれが1と2にしかない。
この録音では人を数える方の人数詞は取り上げてなく、
1と2は非人数詞の形が吹き込まれている。
「見える・見えない」、「近い・遠い」、「既知・未知」で
冠詞が変わり、焦点形により動詞が変化する。
冠詞も動詞の変化もお喋りを聞いただけでは
もちろんわからないが、貴重な録音なので、
どんな感じの言語なのか、ちょっとだけ聞いてみよう。
1から10に続いて、話者が替わって昔話の冒頭部分を少し。
人数詞が「1と2にしかない」という。
これだけ聞くと「えっ?!」と思うが、
日本語でも人を数えるとき、
基本形は「数+人(にん)」なのに、
1と2の場合だけ、「ひとり」「ふたり」という
特殊な言い方になっている。
1と2だけ特別扱い。
なにか共通の理由があるのだろうか。
ことばの旅、もう少し続けたい。
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こんばんは(^^)
いろいろ勉強になるお話をありがとうございます。
外国語には疎い人間ですので、初めて知ることがたくさんあって、興味深いです。
モンゴル語に関しての万葉仮名のくだりですが、
同じような用法というのは、
もともと独自の文字を持たなかったという点でモンゴル語と日本語は似ていて、
他言語の文字を借りて音を当てはめ表記したことを言っているのでは?
と私は解釈しました。
万葉仮名には、母音調和云々という法則はないと思われますので…
モンゴル語について何の知識もない者が、思いつきでコメントさせていただきました。
あしからず…
投稿: さぼてんの花 | 2014年7月29日 (火) 00時25分
さぼてんの花さん、コメントをありがとうございます。
私自身もこれを機会に小冊子を読み直すことと、
それに関連するトピックスを調べることで、
「ことばの旅」を楽しんでいます。
文法的な細かいことはもちろんわかりませんが、
「見える・見えない」の区別のように、
どんな基準でものを見ようとしているのか、
どんな基準による仕組みが言語に組み込まれているのかは
ほんとうに興味深いエリアです。
ご指摘の「万葉仮名」については
「母音調和」「上代特殊仮名遣」などで検索すると、
ほんとうにいろいろな話がでてきます。
昔は今よりもっと音が多かったのではないかとか、
音の組合せに、ある制限があったとか。
しかもこの「母音調和」、
このあとに取り上げる別な言語にも
登場してくるのです。
あとから、説明としての理屈はいろいろ付くのだろうけれど、
言語や民族を越えて存在しているということは、
もしかすると、
発音の仕組みとか、聞き取りの仕組みとか、
そういった生物の器官としての制約が
背景にあるのかもしれません。
>文字を持たなかった
については、これまた大物ですので、
いつか独立した別トピックスとして取り上げられたら、
と思っています。
ド素人ながら、ほんとうにことばは不思議で
面白いと思っています。
投稿: はま | 2014年7月29日 (火) 22時46分
度々お邪魔してすみません。
上代特殊仮名遣いは、甲類乙類の使い分けが定説になっていますね。
もともと日本語には8つの母音があったとか。
母音調和については見解が分かれているようで、これは日本語の起源にも関わる重要なポイントであるようです。
事実はひとつ。
でもそれは過去に埋没し、今となっては確かめることができません。
かけらを拾って、パズルのように仮説を組み立てる作業は、もどかしいですけれどわくわくしますね。
はまさんのお話を読んで、私もまた勉強してみたくなりました。
学生のころにこれだけの向学心があったなら…(笑)
投稿: さぼてんの花 | 2014年7月30日 (水) 14時28分
>事実はひとつ。
>でもそれは過去に埋没し、今となっては確かめることができません。
>かけらを拾って、パズルのように仮説を組み立てる作業は、
>もどかしいですけれどわくわくしますね。
なんて上手な表現なのでしょう。
全くそのとおり!
組み立てる作業の「わくわく感」こそが、
学ぶことの楽しさのひとつだと思っています。
先人の知恵に感心し、
先達の頭脳に驚嘆したあと
自分自身の「わくわく感」を
どこにみつけられるか。
各パーツが意外なところで繋がっていく快感を知ってしまうと、
しばらく抜けられなくなってしまいます。
「はまる」って言うくらいですから。^^;
投稿: はま | 2014年7月31日 (木) 22時20分