推敲を重ねていくと
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推敲を重ねていくと
- アーサー・ビナードさんの言葉 -
もうずいぶん前の話になるが、
「私の一冊 日本の百冊」というTV番組の中で、
日本語で詩を書いて中原中也賞を受賞したこともある
アメリカ人の詩人、アーサー・ビナードさんが、
菅原克己さんの詩集「陽気な引っ越し」を
紹介していたことがある。
菅原さんの詩は、生活に根ざしていて生活に近い、
それでいて、違う
ある意味、別天地を見せてくれる、っていう。
ほんと、
こう勢い込んで入っていかなくちゃ入れない世界ではなくて、
むしろ小説なんかよりずぅーっと入りやすくて、
電車に乗ってパッとどのページ開いても、
開いて読みだすと降りる駅が来る前には、
もうひとつの世界を味わうことができる。
菅原克己さんの詩 「無限」
無限
ロビンソン・クルーソーには
家来があり、
ガリバーにはふるさとがあった。
どんな所に行っても
人には世の中がある。
秋が終ると
お前はどこに出かけて行くのか、
部屋のすみの蟋蟀(コオロギ)よ。
日本語で詩を書く詩人のひとりとして、
ビナードさんは菅原克己から多くを学んだと言います。
苦労して作った作品には、苦労の跡(あと)が残りますので、
その苦労の跡を消すために、
また苦労して重ねて工夫して消してるンですね。
まだこう頑張って作ったなぁ、っていう苦労の跡が、
あるいは力んだ跡が残っていると
言葉が鉄格子みたいにその視界を遮るんだよね。
鉄格子が残っているような感じ。
けど、もうちょっとこの、その言葉が、
自然な流れになって必然的にそのイメージが広がっていくと、
むしろ竹やぶみたいな感じになるンだよね。
ほんとにうまくいったときに、それも消えてスーッと、
もう透明のような感じになって、その向うの景色が見える。
だから、そういう作品なので、
こう、頼りにしてるンですね。
わかんなくなっちゃった時には、菅原さんの詩に戻る
彼の作品に立ち返って、読み直すっていう...
中原中也賞が取れるほどの日本語も
大人になってから来日して身につけた、
というのだから驚くが、その日本語を使って、
「推敲」をこんな美しい言葉で表現できるなんて。
そう、いい文章に出会うと
「その向うの景色が見える」ような気がするのだ。
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母国語でない言語で高度な表現ができるって、どれだけ言語感覚の優れた方なのでしょう!
特に日本語は難解な言語だと思うのに。
文章を書くとき、スラスラと流れに乗って出てくることもあれば、それこそ産みの苦しみを味わうこともあり、それをあとで読み返すと、なんか違うなー 下手だなーと恥ずかしくなりますが、鉄格子バリバリの状態なんですね(^^;)
母国語ですら、なかなかクリアな景色は見渡せません。
投稿: さぼてんの花 | 2014年6月28日 (土) 16時32分
さぼてんの花さん、コメントをありがとうございます。
>スラスラと流れに乗って出てくる
ときはほんとにうれしいものですね。
そんなときは何十行でも、あっという間に書けるのに、
たった2行が、何度書き直してもしっくりこないときがある。
「透明のような感じになって」は、
うまくいった時の実感としてありましたが、
「その向うの景色が見える」は、
言われてみてほんとうにうまい表現だと感心しました。
ついつい「景色」そのものを書こうとしちゃうンですよね。
そうすると、それは鉄格子のような景色になっちゃうわけで。
いずれにせよ、「景色が見えるような」いい文章には憧れます。
投稿: はま | 2014年6月29日 (日) 00時49分