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2014年5月24日 (土)

靴の先を見なさい

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靴の先を見なさい

- 向田邦子さんが語る森繁久彌さんのスピーチ -

 

出張の際に出遭った「ロンドンの公園」の上空からの景色と、
それを見て思い出した本についてここに書いたが、
「ロンドンの公園」でもうひとつ思い出したものがあるので、
今日はその話を書きたいと思う。

 

山本夏彦さんの、
文壇に登場したときの驚きとその文章のすばらしさをひとことで言い切った名言
向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である
と共に紹介されることが多い向田邦子さん。

脚本家として数々の名作ドラマを送りだす一方、
文章の世界で発表した「父の詫び状」は、ほんとうに素晴らしいエッセイ集だった。

「父の詫び状」が出版されてから、
51歳という若さで台湾の飛行機事故で亡くなるまでわずか3年。

その短い間にテレビドラマ「阿修羅のごとく」を発表したり、
直木賞を受賞したりと、振り返るとまさに駆け抜けていったような人生だが、
質の高いドラマと本を連発していたあの時期のことを思うと、
悲運に見舞われたことは残念でしかたがない。

今日は、向田さんにしては珍しい「講演」の記録からその一部を紹介したい。
事故で亡くなるその半年前、1981年の講演で、
「言葉が怖い」というタイトルでCDにもなっている。

話の内容だけでなく、
作家自身の声音(こわね)に触れることができるのが講演の魅力だ。

 

で、話しているのは、
三浦友和・山口百恵さんの結婚式での森繁久彌さんのスピーチについて。

30年以上も前の話なので、
三浦友和さんも山口百恵さんも森繁久彌さんも知らない、という
若い方も読者にはいらっしゃるかもしれないが、
若い人気俳優と人気歌手の結婚に際し、先輩ベテラン俳優が祝辞、の図で
考えていただければOK。

 

「ロンドンの公園」から話は始まる。

ロンドンの公園で、ベンチにすわってぼんやりしていたンだそうです、
森繁さんが。

そうしましたら、「隣に六十ぐらいのお婆さんが」ってこの言い方は
ちょっとおかしいと思うんですよね。

森繁さんは六十八で、自分は若いと思ってて、
「六十のお婆さん」って言う言い方はほんとにけしからんと思うンですけど、
まぁ、これは大正生まれの男の方ですから勘弁することにしまして、
六十ぐらいの、そのお婆さんが編物をしていた、って言うンですね。

で、その人が、いきなり森繁さんをつっついて
「ちょっと失礼」ってつっついて、
「あなたご自分の足の靴の先を見なさい。靴の先を見なさい」と言うンだそうです。

森繁さんが、えっ、と言うんで自分の靴の先を見て、
何かくっついているのかと思ったけれど、何もくっついていない。

「えっ」て言ったら、
黙って、あなた目を上げないで、自分の靴の先を見なさい、靴の先を見なさい

何か落っこているのかと思ったら落っこてない、って言うンですね。

「ロンドンの公園」「森繁さん」「六十くらいのお婆さん」「編み物」
絵になる組合せだ。
そこでの「自分の靴の先を見なさい」という言葉。

見ても、そこには何も付いてないし、落ちてもいない。
さて、さて、どういうことなのであろうか。

 

ひょっと顔をあげたらば、
ローレンス・オリヴィエが、女の方と腕を組んで歩いていた、って言うんですね。

まぁ、森繁さんもローレンス・オリヴィエだからハッと思って見ようとしたらば、

「靴の先を見なさい」と、

その隣の六十のお婆さんが、かなり命令口調で低い声で言ったんだそうです。

で、

「今、前を歩いている人達は、プライベートタイムなんだから、
 あなたは見てはいけない」

もちろんその人は、森繁さんが日本の役者だっていうことは全く知らないわけですね。

「見てはいけない。あなたは靴の先を見るべきだ」と言ったというンです。

「見るな」と言われれば、最初から見る気がなくてもムッとするかもしれない。
でも
「靴の先を見ろ」と言われれば、「なに?なに?」と謎の世界に引き込まれてしまう。
同じ動作を促す言葉なのに、聞く方の気分はぜんぜん違う。

 

森繁さんのスピーチは続く。

で、それから本論に入るわけですけれども、
自分はその話が、とても肝に命じて好きな話だ、と言うんですね。
嬉しかった。

皆さん、新聞記者の方も、ここにいる方も三浦さんご夫妻に対しては、

「靴の先を見てくれ」と。

もうコレ以上、新婚旅行だの、新居訪問だの、
子どもはいつだとか言って追いかけ回さないで、

「プライベートタイムには靴の先を見てくれ、ということをお願いしたい」

と言ったんです。


で、みんなたいへんに拍手したンですけれども、
現実はだれも靴の先を見る人はいなくて、
アパートまで押しかけて、騒いだりしておりますけれども。

そのスピーチは、三、四十人のかたがスピーチをいたしましたけれども、
圧倒的にやはり、短いスピーチでしたけれども、すばらしいスピーチで、

  皮肉もありますし、愛情もあるし
  まっ、追っかけられて困った自分の経験とか、
  外国でたしなめられた、しかもそれも
  「靴の先を見ろ」という非常に具体的な、
  プライバシーとか、そういう抽象的な言葉はひと言も使わないで

まっ、その場にたまたま居合わせたのかもしれませんし、
森繁さんのことですから、誰かに聞いたのかもしれないと思うんですけれども、
すばらしいスピーチだったと思います。


この話、有名芸能人夫婦を
無節操に追いかけるマスコミを諌める内容ではあるけれど、
そのことを百も承知のうえで、
個人的にはいつも全く別な意味で思い出してしまう。

「回りではいろいろことがあるだろうが、その度にキョロキョロしないで、
 自らが進む先をちゃんと見なさい」

「靴の先」がportionではなくdirectionをイメージさせるせいかもしれないし、
「ロンドンの公園」と「編み物をしているお婆さん」というシチュエーションが、
勝手な物語をつくることをなぜか許してくれるような気がするせいかもしれない。

 

いずれにせよ、
加熱しすぎていた報道に追いかけ回されていたあのお二人の結婚式で
この話ができるなんて、なんて素敵な方なンだろう、森繁さん。

2009年96歳で歿。51歳で事故で亡くなった向田さんとは違い、
こちらは大往生という言葉がぴったりの最期だったようだ。

「ロンドンの公園」の緑を思いながら、森繁久彌さん、向田邦子さん、に合掌。

 

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コメント

いいお話ですね。
森繁さんっていう方は、ちょっとした小話をたくさん持っていらっしゃる方だったとか。ドラマでは、アドリブの天才だとか言われていましたね。竹脇無我さんがおっしゃっていました。

向田さんは、言わば感性の人。今となっては、そのシナリオ集でしか垣間見ることはできませんが、天性の感性が滲み出るような作品(シナリオだけでなく、エッセイも)を発表していらっしゃいました。まだまだ書ける方でした。残念な事故でしたね。でも少しですが、同時代を生きさせてもらったことは、私たちも幸せでした。

おふたりのご冥福をお祈り致します。

Ossan-takaさん、
コメントをありがとうございます。

竹脇無我さんと言うと、向田作品の「幸福」の演技がほんとうに印象的でした。
山田太一作品の「岸辺のアルバム」ではずいぶんおしゃべりでしたが、
「幸福」では無口な感じの演技にすごく味があって。

竹脇さんを始め、岸恵子さん、岸本加世子さん、笠智衆さんと、
役者さんとしては太一さんファミリーともかなり重なっていますが、
あのころのTBS系列金曜日夜10時はほんとうに充実していましたね。

「幸福」だって、太一さんの「沿線地図」や、
のちに放送される「想い出づくり」に挟まれた頃の時期の放送ですし。

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