お茶はひとりでに入らない
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お茶はひとりでに入らない
- 「これって普通のことじゃないの?」 -
中国の伝統演劇「京劇」の専門家である加藤徹さんが書いた
「貝と羊の中国人」(新潮新書)を読んでいたら、日本語の自動詞的表現について
興味深い記述があったので、今日はそれは紹介したい。
(以下水色部、本からの引用)
恩着せがましい表現を避けて...
日本人は、恩義の貸借関係に敏感である。
語表現でも「してあげる」「してくれる」「していただく」など、
「恩義の方向性」を示す言いかたが、発達している。
恩義の貸借関係に敏感な日本人は、心の負担を軽くするため、
ときに変わった言いかたをする。
「お茶が入りました」という日本語も、そうである。
論理的に考えれば、お茶がひとりでに入るわけはない。
正確には「私は、あなたのために、お茶を入れました」である。
しかし日本人の感受性では、そのような言いかたは恩着せがましく、下品である。
それゆえ、相手に心理的な負担をかけまいというやさしい思いやりをこめて、
あえて「お茶が入りました」と、自動詞的な表現を使う。
「お風呂が沸きました」「ご飯ができました」などの日本語も、同様の心理を反映している。
このあたり、中国語ではどうなっているのだろう?
中国語には、このような発想はない。
「お茶が入りました」にあたる中国語は、
「我給○倒好茶了(ウオーゲイニーダオハオチヤーラ)」ないし
「我替○倒好茶了(ウオーテイニーダオハオチヤーラ)」である。
:○はニンベンに尓に似た字
「給」は「あげる」、「替」は「代わりに」の意である。直訳すると
「私はあなたのためにお茶を入れてあげました」
「私はあなたに代わってお茶を入れました」
となる。
中国語でも「茶倒好了(チヤーダオハオラ:お茶を入れました)」と言うことはできる。
しかし中国人の感覚では、これはあくまで
「我把茶倒好了(ウオーバーチヤーダオハオラ:私はお茶を入れました)」の
「我把(私は……を)」を省略した形の、他動詞的表現なのだ。
直訳ではなく、「何が自然なのか」が重要だ。
中国人は、
「私は、あなたのために……してあげる」
「あなたは、わたしのために……してくれる」など、
いちいち人間関係の「念押し表現」を好む。
それが、中国語では自然なのだ。
幼いときからそういう言いかたに慣れてきた彼らは、
「してあげる」と言うほうも、言われるほうも、恩着せがましさや屈辱を感じない。
感受性の違いは、誤解を生むこともあるけれど...
日本人と中国人の「恩義の貸借関係」に対する感受性の違いは、ときに誤解を生むことがある。
日本人の挨拶では、数ヶ月ぶりに相手と再会したときも、
「この前は、お茶をおごっていただき、ありがとうございました」などと、
最後に会ったときの恩義の貸借関係を、おさらいするのが普通である。
いっぽう中国人は、世話になっても、お礼はその場で一度しか言わない。
もし相手から数ヶ月も前のことを感謝されると、
「この人はなぜ、そんな昔のことを蒸し返すのか。
もう一度、お茶をおごってほしいのか」と勘ぐってしまう。
中国人も、「大恩」については、これを忘れない。
しかし、お茶をおごってもらうとか、おこづかいをもらった、などの「小恩」については、
その場で一度「謝謝」と言って、おしまいである。
日本人の目に、中国人が傲慢な人種に見えがちな一因は、ここにもある。
お礼を言っているのに、
もし相手から数ヶ月も前のことを感謝されると、
「この人はなぜ、そんな昔のことを蒸し返すのか。
もう一度、お茶をおごってほしいのか」
と思われているとは、普通は夢にも思わない。
「何が普通か」「何が自然か」を簡単に共有することはむつかしいけれど、
「これは相手にとって普通のことではないのかもしれない」
「自然なことではないのかもしれない」と
一呼吸入れて、ちょっと疑ってみるだけで
ダイレクトに「なんだよ」と誤解してしまうことはずいぶん避けられる気がする。
「えっ? これって普通のことじゃないの?」
眼の前に相手がいるなら、ひと言聞いてみればいいだけだ。
感受性の違いは誤解の原因になることも多いけれど、
そこでの小さな質問が、逆に親睦を深めることに繋がっていくこともよくある。
「ガイドブック」には書いていない「普通」が一部でも共有できたときの驚きや喜びや戸惑いこそが、
異文化交流がもつ大きな楽しみのひとつなのだから。
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