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2014年1月

2014年1月26日 (日)

正しいことを言うときは

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正しいことを言うときは

- 吉野弘さんの「祝婚歌」 -

 

今から二十年以上も前の話になるが、結婚のお祝いに

谷川俊太郎編 「祝婚歌」 書肆山田

をいただいた。内容は選詩集。
谷川俊太郎さんが選んだ結婚に関する味わい深い詩が並んでいる。

まさに結婚するときに読んだほうがいい詩と
ある程度結婚生活を重ねてから読んだほうがいいと思われる詩があるが、
どれも単純な「おめでとう」ではなく、
これからの「二人の」人生に、選ばれた言葉が静かに光をあててくれている。

室生犀星、草野心平、川崎洋、天野忠、金子光晴、田村隆一、
ロゼッティ、ジョイス、ジャム、タゴール、ハイヤーム、などなど計27人

作者名だけを見ても、これらの人がどんな言葉で結婚を語っているのか、
覗いてみたくなることだろう。

 

詩人 吉野弘さんが1月15日に亡くなった。
訃報に触れ、久しぶりにこの詩集を読み返してみたくなった。
その中に表題作 吉野弘さんの「祝婚歌」が入っているからだ。
ご存知の方も多いと思われるが、ここに再度掲載しておきたい。

 

  祝婚歌
         吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい

立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

二人のうち どちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず

ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

 

一度読んで以来、
結婚生活に限らず社会人としても、
特に次の一節をよく思い出す。

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

 

ここに書いた通り、脚本家・山田太一さんは講演で
俳優・渥美清さんの言葉を引いて

「今は、『おいしい』って言うことに恥じらいがないですよね」

と言っていたが、同じ言い方を許してもらえるなら、

「今は、『正しい』って言うことに恥じらいがないですよね」

と言いたい。

正しければ何を言ってもいい、というわけではない。
「正しい」ということだけをたよりに人を追い込んでいる人を見るたびに、
この詩の一節を読んで聞かせたくなる。

 

今回、この詩をまるまる本ブログに掲載しているのは、
吉野さんご本人の次の言葉に感銘を受けたからでもある。

早坂茂三著 「渡る世間の裏話 - 人生の達人たちに学ぶ -」 東洋経済新報社
の中の、吉野弘さんと早坂茂三さんの対談から引用したい。


早坂
   吉野さんは「祝婚歌」を「民謡みたいなものだ」とおっしゃっているように
   聞いたんですけど、それはどういう意味ですか。

吉野
   民謡というのは、作詞者とか、作曲者がわからなくとも、
   歌が面白ければ歌ってくれるわけです。

   だから、私の作者の名前がなくとも、作品を喜んでくれるという意味で、
   私は知らない間に民話を一つ書いちゃったなと、そういう感覚なんです。

早坂
   いいお話ですね。「祝婚歌」は結婚式場とか、
   いろんなところからパンフレットに使いたいとか、
   随分、言って来るでしょう。
   ただ、版権や著作権がどうなっているのか、
   そういうときは何とお答えになるんですか。

吉野
   そのときに民話の説を持ち出すわけです。
   民話というのは、著作権料が要りませんよ。
   作者が不明ですからね。

   こうやって聞いてきてくだきる方は、
   非常に良心的に聞いてきてくださるわけですね。

   だから、そういう著作権料というのは
   心配はまったく要りませんから・・・。

早坂
   どうぞ自由にお使いください。

吉野
   そういうふうに答えることにしています。

 

「歌が面白ければ歌ってくれる」
「作者の名前がなくとも、作品を喜んでくれる」
著作権料を取る取らないの話ではなく、
より多くの人に読まれ、喜ばれることを最優先に考えていることそのものが、
ほんとうの意味での創作者(クリエイター)だと思えたからだ。

 

早坂さんとの対談の中では、こんな事も言っている。

吉野
   自分の当たり前だと思っていた、決まりきった観念が、
   ふらつくときには非常に楽しいんです。
   たとえば

   いかがお過ごしですか という「過」を

   過(あやま)ちというふうに読めたことがあるんです。
   そうすると、毎日、時間が過ぎると、過ちの累積だな。
   そう思ったら急に楽になって、それがパッと詩になるわけです。

 

結婚だけでなく、人生、いろいろなことがある。
そんな中、ときにはちょっと声にだして読んでみたい。

ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

 

「生きていることのなつかしさにふと胸が熱くなる そんな日があってもいい」

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

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2014年1月19日 (日)

「明暦の大火」と松平信綱

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「明暦の大火」と松平信綱

- 場を和らげる機転と笑顔、そして具体的な施策 -

 

1月17日で阪神淡路大震災からもう19年にもなるという。
震災の2ヶ月後、1995年3月には地下鉄サリン事件が発生。
思い返してみると、95年は新聞トップに大きな見出しが続いた年だった。

 

地震があった時、以前は
「まずは火を消せ」としつこく言われていた気がするのだが、
最近聞いたラジオでは
「可能なら消して下さい。ガスは震度5以上で自動的に止まります」と言っていた。

『一刻も早く絶対にやれ』感はやや落ちている感じがする。

どういう理由でトーンが変わったのかはよくわからないが、
まずは「身を守れ」ということなのだろう。

いずれにせよ「火事はできるだけ防ぐ」が大原則であることに変わりはない。

 

地震が原因というわけではないが、今から350年以上も前、
江戸では信じられないような大火があった。

世に言う「明暦の大火」

旧暦での1月18日に出火。明暦三年(西暦で言うと1657年)のことだ。
諸説あるものの「死者は3万から10万人」と言われているとんでもない大火だ。

 

今日は、作家の童門冬二さんが日本経済新聞に書いていた

「防災担当相は″知恵伊豆″」

という記事を紹介したい。
 (以下 水色部は「日本経済新聞」1995年3月26日の記事からの引用)

 

江戸城天守閣をも焼いてしまった明暦の大火。

  防災担当相は″知恵伊豆″

                       童門冬二

”火事とケンカは江戸の花”といわれるように、江戸時代は始終火事があった。
なかでも一番大きいのが、明暦三年(1657)1月18日に起こった
いわゆる”明暦の大火”である。
火元は本郷丸山町の本妙寺だったといわれる。

ちょうど名物の西北風が吹きまくっていた。
また、ずっと日照りが続いていたので江戸の町は乾燥しきっていた。
本郷の台地はたちまち火で一なめになった。

下町に移った火は翌19日も燃え続け、ついに江戸城に及んだ。
天守閣も焼け落ちてしまった。二の丸、三の丸も焼けた。
結局、江戸の町の60パーセントが焼け、
大名の江戸屋敷も五百以上、神社仏閣が三百以上焼けた。


焼け出された江戸市民も多く、家財道具もそのままにして逃げ迷ったが、
やがては煙にまかれて堀に落ちたり川に落ちたりして死ぬ人間が多かった。
死者の総計は十万二千人といわれた。

火がおさまった1月24日ごろから、遺体を収容し、
舟で牛島と呼ばれたところに運び、穴を掘って埋めた。
やがて供養のための寺ができ、
これが現在残っている東京都墨田区東両国にある回向院だ。

 

この大災害の災害対策本部で活躍する男の名は「松平信綱」。

 徳川幕府はすぐ首脳部が現場に今でいう災害対策本部を設けて救済にあたった。
活躍したのが、老中(閣僚)の松平伊豆守信綱である。
松平信綱は当時川越城主だった。

彼は忍城(埼玉県行田市)の城主だったが、
寛永十四年に起こった島原の乱を鎮圧した功績によって、
川越六万石に増封されたのである。

しかしこれは単に島原の乱鎮圧の功績だけでなく、
前年に川越の市街が大火で焼け落ちていたからである。

時の将軍三代徳川家光が、
「信綱、川越を復興せよ」
と命じたのだ。松平信綱にはそういう防災計画の才覚があったようである。

 

信綱の川越での活躍には目を見張るものがある。

 川越に行った信網は、

    城の整備、
    商人町の指定、
    防火用水の確保、
    洪水地帯の治水、
    新田開発、
    玉川上水の完成、
    分水しての野火止用水の創設、
    新河岸川の舟運の開発など、

民政に見るべき功績を残した。

川越の町全体を耐火式都市に変える努力をし、
現在の川越市の町並みの原型は、信綱がつくったものだと伝えられている。

 

 そういう経験がかわれ、大火で60パーセント以上が焼け落ちてしまった
江戸の復興計画も信網に下命された。

その信綱についてこんな「エピソード」が紹介されている。
機転が利くだけでなく、
緊急時に最も重要な、でも最もむつかしい「場を和らげる」ことに成功している。
ほんとうに大きな人物だったのだろう。

 このとき現在の閣僚級である老中たち首脳部が、
ぞろぞろと江戸の市中に設けられた対策本部にでかけていったが、
こんな話がある。

大名のなかでも実力者が酒井忠清という人物だった。
伝統のある名門大名なので、坐る場所がうるさい。
つまり席順を気にする。この日がそうだった。

江戸城にいれば、いちばん高い場所に坐るはずなのに、
今日はどさくさまぎれで、新人大名がいつも酒井が坐る上座に坐っていた。
酒井はムッとした。そこで、「帰る」と駄々をこねた。

すると松平信綱がニッコリ笑って、
「酒井様、どうぞ空いている席にお坐りください」といった。

酒井は
「空いている席といっても、上席はすでに若いやつが坐っている。
 ここは下坐ではないか」
とつっかかった。

信綱はニコニコ笑いながら

「そんなことはありません。
 我々後輩は、あなたがお坐りになった席がたとえ下坐であろうと、
 この場所でのいちばん上席と心得ておりますので。


 まして本日は江戸の災害対策という緊急の場でございます。
 どうぞお気になさらずそのお席へ」

と告げた。
これによって険悪な空気は和らぎ、酒井も機嫌をなおした。

酒井にしても信綱のいった”緊急の場”というひとことがきいた。
(あまりゴネるとおれの評判がわるくなる)と反省したのだ。

みんなは「さすがに知恵伊豆どのだ」と感心した。
特に上席に坐った若い大名はホッとした。

 

さて、実際の防災計画を見てみよう。

 焼け落ちた江戸の町をつぶさにみた後、
松平信網はつぎのような防災計画をたてた。

・江戸城の天守閣は、財政難の折から再建しない。

・江戸城内にあった大名の屋敷は、それぞれ城外に出す

・避難民が大量に焼死した経験から、今後は下総(千葉県)方面へも
 避難が可能なように、隅田川に橋をかける。


・寺社は近郊に疎開させる。

・罹災者のうち職を失った者の中で希望する者は
 三多摩地方その他で新田開発に従事させる

・町中の密集地帯に広小路と名付ける防火地帯を設ける
 防火地指定を受けて土地を収用された住民には、代替地や移転料を与える。

・重要な橋が架かっている周囲からは、住家を除く。
 これにも代替地や移転料を与える。

・市街地をさらに拡大する。新しく埋立地をつくる。これが築地になった

・徳川家の直参による消防組織を結成する。これは「定火消し」とよばれた。

 こういう松平信綱の新しい江戸の都市計画によって、
江戸城は完全に将軍の住居と日本における政治のセンターに変わった。

江戸城の周囲は武家中心の町になり、
町人の町は江戸から出る主要街道の沿道に発展していった。
現在でいえばスプロール現象を起こした。

なんて具体的でスッキリとした施策であろう。
まもなく東京都知事選となるが、都知事になるような人には、
施策の提示、という意味でぜひ見習ってもらいたものだ。

そうそう、あの「吉原」は...

歓楽の地であった吉原も、浅草たんぼに移転させた。
吉原という地名は、もともとは江戸の湿地帯で
ヨシやアシの密生地につくられた歓楽街なので”ヨシハラ”とよばれてきた。
そのため、新しくこの方面が発展した。

その点では、
松平信綱の都市計画はすでに投資が十分に行われた土地を幕府側が収用し、
未開発の土地に町人を移して、その発展を促したといえる。
巧妙な土地政策だ。

 

隅田川に架けた橋の名も「大橋」からいつのまにか...

隅田川に架けた橋は初めは”大橋”と呼ばれていたが、
後に武蔵国と下総国との二つの国にまたがるというので
”両国橋”と呼ばれるようになった。

 

現在の東京の市街地形成には、
350年以上も前の信綱の都市計画の影響が色濃く残っている。

広小路とは、防火地帯だったわけだ。

 

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2014年1月12日 (日)

カマキリは雪を予想できるのか?

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カマキリは雪を予想できるのか?

- 自然界にはすでに多くの信号がある。 -

 

前回、芝居やテレビで降る雪とほんとうの雪との違いを
津軽弁でやさしくうたった伊奈かっぺいさんの詩を紹介した。

「雪」と聞くと、もうひとつ思い出す文章がある。

「暮しの手帖」2005年春号に
(株)イートラスト 特別顧問・工学博士の酒井輿喜夫(さかいよきお)さんが書いていた
「カマキリの雪予想」   (以後水色部は引用)

 

北陸地方を襲った昭和38年の豪雪「38豪雪」を機に、酒井さんは、

 ・・・なんとか積雪の予想ができないものかを考え始めた。
雪の多い地域だけに、雪にまつわる言い伝えは、数多く残されている。

「カマキリが高いところに産卵すると大雪」

「蛇、蛙が地中浅く冬眠すると少雪」
などの言い伝えは、狩猟や農耕生活から生まれた経験的なものに過ぎないが、
気象の予想を自然の営みから読み取りたいという、先人の生活の知恵でもある。

 

酒井さんは、この言い伝えに沿って、観察を始めた。

カマキリは、時には一本の木に今年、昨年、一昨年と、
三年分の卵嚢が残っていることがある。
この卵嚢の地上からの高さと積もる雪の高さを、時系列で比較してみることにした。

うまくいきそうと気をよくしたものの、そう簡単なものではない。

気象情報で積雪1mと発表されても、同じ町内の吹きさらしのところは20~30cm。
反対に吹きだまりでは2mもある。
カマキリの卵嚢の高さは同じである。

また、市街地に棲むカマキリの卵嚢は、
建物や構造物に大きな影響を受けているから始末に困る。
そこで、もっぱら統計的に補正しながら、もっとも深い積雪の予想を始めてみた。

・・・

精度の向上と、この要望を満たすため、いきおい調査する場所も増やさざるをえない。

多い年では、長野、富山、福島、山形など、
約9000kmの道のりで279カ所、2842個の卵嚢を調べたこともあった。

 

多くの観察を通じて、酒井さんはカマキリの産卵位置と積雪量に関係があることを確信するようになる。

 今にして思えば幼稚な調査だったが、10年も観察していると、
言い伝えにはかなりの信憑性があることを確信するようになった。


・・・

 1986年(昭和61年)、長岡は最深積雪228cmの大雪となった。
ある日、お客様から
「あんたの積雪予想はよく当たる。世間話ではなく、
 ちょっとした印刷物にしてもらえないか」
と要望があった。

・・・

 最深積雪がどれくらいかを予想するのは、人間の感覚。
一方、カマキリはなぜこの場所を選んだのかは、
カマキリの「心と目」になって、環境をみることが必要になる。

これが積雪の予想をまとめた「冬を占う」の第一歩となった。

 

昆虫の行動からわかることは、積雪量だけではない。

 カマキリの産卵を調べていると、天気もかなり正確に予知することが分かってきた。

 例えば、カマキリの産卵時、卵嚢は雨に滞れると溶けてしまうので、
産卵に要する4、5時間は雨が降らない。
また、寒気や初雪が早い年は産卵も早く、遅い年は産卵も遅い。
つまり、カマキリは冬の気温の変動を予知して産卵を始めるのである。

 アシナガバチは、春先に巣造りを始める際、台風や強風を予知して、
もっとも風の抵抗の少ない方向で巣を造る。
さらに雨の多い年は、物陰にかくれるようにして造る。

野ネズミやモグラは、洪水や水害が起こる前に高台に避難したり、
地震の2、3日前に逃げる。

鳥などは、落雷の前に早々と避難している。

なんとも神秘的に感じる。

 

昆虫はどこから気象情報を得ているのであろうか?

 いったい、昆虫や動物たちは、完璧ともいえる気象情報を
どこから得ているのであろうか。
発信源は? 受信手段は? 

・・・

 ある日、思いがけず解決の糸口をつかんだ。
何気なく、卵嚢が産み付けられた杉の葉に手が触れた瞬間、
枝が微かに震えているように感じたのだった。


振動数は緩やか、つまり、振動周波数は低く、振幅は極めて小さいということである。
それからというものは、この謎の振動を追跡するのに明け暮れた。

 

枝が振動している!? よく気がついたものだ。

謎の振動は、地中から発信していて、樹木が共振していることが分かってきた。

さらに、樹木の幹に水分の量のちがうところがあり、
その年の気候によってその位置が上下に移動する現象を確かめることができた。

また、樹木はその年の気候によって、土壌の水分が変動するため、
水分の量のちがう部分を高くしたり低くしたりして、
一定の含水量を保つことが分かった。

この位置こそが、降雪期に入った時の最深積雪の位置、
つまり、雪面より高からず、低からずの位置で、
昆虫や動物は樹木が発信する位置を利用していたことになる。

 

となると、カマキリの産卵を待つ必要はなくなる。

 そこで、カマキリの卵嚢に頼らず、樹木の弁の位置を探る手段を開発することにした。

自然林に生息するカマキリの卵嚢の高さを調べて、
人の住む地域の積雪を予想するための複雑な計算をするより、
予想したい場所に木が生えてさえいれば、その木を測ればいいことになる。

卵嚢を介した予想と木から調べた結果を、数年間、比較してみたが精度に問題はなかった。

 最新の実例では、2003年(平成15年)秋に予想した長岡市内14カ所の平均値は99cm。
翌年2月に実測した14カ所の平均値は101cm。実測値は予想より2cm多かった。

 

紙幅の都合からか、この記事だけでは不明なことが多く、
木々の振動、カマキリの産卵位置、積雪量との関係が
スキッと明確になる、とまでは言えないが、
木々や昆虫は、これから積もるであろう雪の量について、
なにかを知っているのではないか、と考えることはおもしろい。

 

 今、私たちは、自然から学ぶことを忘れてしまったようだ。

人間のご都合主義で自然を破壊、ひょっとして、人間が地球の癌細胞かも知れない。
私は子供のころ、
「親と自然に逆らうな」
と親に言われた記憶がある。
今、自然界は、慢心した人類に反撃を加えているように思えてならない。

・・・

 台風や大雨、地震といった自然災害は、広域的に発生する。

・・・

 せめて被害を最小限に食い止め、犠牲者を出さないためにも、
自然災害の予測はもっとも重要な課題だろう。
傍観するのではない。
必死に取り組めば、必ず避難する時間は確保されるものと考えている。

すでに多くの信号が自然界にはあり、
植物や動物はそれらをちゃんと受信している。

人間だけがそれらを感知できず、あるいは感知しようとせず、
科学や知識に振り回されながら、
実は大きな遠回りをしているのかもしれない。

 

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2014年1月 5日 (日)

伊奈かっぺいさんの詩 雪~ほんもの~

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伊奈かっぺいさんの詩 雪~ほんもの~

- 寒び寒びィど思らさてまる -

 

関東地方は天気に恵まれ、穏やかな年明けとなった。

「千年に一度」とも言われた東日本大震災があった2011年の暮れ、
新聞にこんな川柳が載っていた。

   千年に一度のいい年やってこい

毎年のことながら、新年に手を合わせて祈る思いに偽りはない。

 

さて、年が明けたのに昨年の話になってしまい恐縮だが、
昨年末は家族で京都に小旅行にでかけていた。

京都は予想通り寒く、銀閣寺では手摺となっていた竹の節に、
こんな氷を見ることができた。

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嵐山の天龍寺は、冬の庭が引き締まっていて美しく、

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低い太陽光の竹林も緑とはいえ冬の色になっていた。

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12月28日の夕刻には雪になったので、
翌日の清水寺にはまだ雪が残っていた。

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Img_7608s

 

28日夕、雪を払いながら入った
町屋を改装したカウンターだけの小さな割烹では、
「雪見酒がよければこちらにどうぞ」
と窓に近い席を案内された。

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今は三箇所に別れて暮らしている家族が全員揃い、
美味しい京料理とともに
京都の「純米 徳次郎」や「吟醸 富翁」を味わいながら、
降る雪を眺めていると、
さっきまで本当に寒くて凍えていたのに、
白い雪がちょっと違った温度に見えてくる。

Img_7511s

 

そういえば、伊奈かっぺいさんの詩に
「雪 ~ほんもの~」
という津軽弁で書かれた詩がある。

このCD

で、伊奈かっぺいさん自身による
味わいのある津軽弁の朗読を聞くことができるが、
「どんな感じかだけでも」ということであれば、
上のAmazonのリンク先の

試聴用サンプル 24. 雪(ほんもの)

で45秒だけの試聴は可能。

 

CDのライナーノーツから写した詩を下に紹介します。
「寒び寒びィ」と思いながらゆっくり読んでみて下さい。

 

雪 ~ほんもの~
         伊奈かっぺい

あんだぁ
あんだ 芝居コで降る雪(ゆぎ)
見だごと あれしがぁ?

あれだきゃ
白い紙ば細(こめ)ぐ切たぎて
舞台の上がら投げでるんだぉん
あれぁ
切たぎた紙コだど わがてでも
寒び寒びィどした場面になれば
落ぢで来るもんだどごで
見でる方も
寒び寒びィど思らさてまる

テレビの雪だきゃ
あれ
発泡スチロールとがいうもんだそォで
やっぱし
寒び寒びィどした場面になれば
降て来るもだどごで
見でる方も
寒び寒びィど思らさてまる

  作り物の雪ァ
  寒びィと思わへるために
  降らさへるんだもの
  あれァ・・・寒び・・・

したばて あんだぁ
本当に天がら落ぢで来る
本物の雪ぁ
あたらに寒びぐねぇ

まぁるい ぼやらどした
電信柱の光の輪の中さだけ見る
本物の雪ぁ
襟立ででも ぼのごサ入(はい)て来る  (*1)
サラサラどした
本物の雪

眼鏡(めがね)サねぱて - 溶げて  (*2)
世の中 にじんで見さへる
本物の雪ぁ・・・

あんだぁ
暖(ぬぐ)い ど思いませんが?
可愛(めご)い ど思らさった事(ごた)ァ ありませんが?

私(おら)ぁ
津軽 好ぎだんだ
私(おら)ぁ
津軽(こご)の人達 好ぎだんだ
私(おら)ぁ
津軽(こご)サ降る本物の雪 好ぎだんだ

したはで
暖(ぬぐ)いど思らさるんだべが・・・
可愛(めご)いど思らさるんだべが・・・

あんだぁ
暖(ぬぐ)いど思らさった事(ごた)ぁ・・・?
可愛(めご)いど思らさった事(ごた)ぁ・・・?
思らさった事(ごた)ぁ・・・?

                 *1:ぼのご(えりくび)
                 *2:ねぱて(くっついて)

 

今年もよろしくお願いします。

 

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