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2013年10月20日 (日)

NODA・MAP 第18回公演「MIWA」

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NODA・MAP 第18回公演「MIWA」

- 舞台のみにある「快感」 -

 

NODA・MAPの第18回公演「MIWA」を10月12日、東京池袋の東京芸術劇場で観た。

主演は、同じNODA・MAPの作品「透明人間の蒸気」でその圧倒的な存在感にノックアウトされて以来、
私の中では別格扱いになっている女優・宮沢りえさん。

今回も期待を裏切らないどころか、さらなる新しい世界をみせてくれている。


Miwa_nodamap001


古田新太さん、瑛太さん、井上真央さん、小出恵介さん、青木さやかさん、池田成志さんらの共演陣も、
それぞれが魅力的で、隅々まで見逃せない。

感想は、例によって話が複雑で書きにくいのだが、
紹介を兼ねてちょっとだけ書いておきたい。(以下水色部、シナリオから)

アンドロギュヌス   誕生とは喪失である。
   
MIWA   え!
   
アンドロギュヌス   どんな赤ん坊も生まれ出ると、ずぶぬれで泣く。
    あれは、いきなり何かを失うからだ。
   
ボーイ   生まれたばい。
   
女給   男の子たい。
   
アンドロギュヌス   つまり、女の子を喪失したってことさ。

から始まって、

安藤牛乳   長崎弁はおかしかね、駅前に岡歯科って歯医者のあるくらいやもんね。
   
MIWA   それは、しかたなか。
   
安藤牛乳   そう、歯科田中もあっとよ。

のようなお得意の言葉遊びももちろん散りばめられているが、
笑っているうちに、あっという間に野田ワールドに引き込まれてしまう。

 

実在の美輪明宏さんの半生をモチーフに
 長崎、遊郭、両性具有、原爆の炸裂、同性愛、アメリカ兵、近親愛、銀座、
 シャンソン、ギリシャ神話、隠れキリシタン、天草四郎、踏み絵、
 オスカー・ワイルド、三島由紀夫、機動隊、赤紘繋一郎(赤木圭一郎)と
野田さんらしい多彩な世界がめまぐるしく展開する。

世界の混在具合と展開の速さには、ちょっと気を許すと振り落とされそうになるが、
全体としてはMIWAの成長に合わせて話が進むので、
野田作品にしては時間の前後の跳躍に翻弄されずにすむ分、
これでもまだ理解しやすい方の作品かもしれない。

 

男でも女でもないMIWA(宮沢りえ)が、
心の中に安藤牛乳(古田新太:これもギリシャ神話のアンドロギュヌスの言葉遊び)を住まわせており、
ひとりの人間をまさに二人で、しかも同時に演じる独特な演出。

あるときは二重人格のように、また、あるときは片方が片方を励ますように、
まさに「二心同体」としてMIWAの世界を表現している。

「妄想しよう」が「もう、そうしよう」というある種の覚悟に変わっていくさまを、
間(ま)を無視したような、マシンガンのようなセリフの嵐が紡ぎ出していく。

 

出突っ張りの宮沢りえさんのセリフ量たるや凄まじいものがあるが、
とにかく彼女なら安心して観ていられる。
それどころか、前半の少年期の演技の輝きは素晴らしい。

 

提示されるテーマが、飛び交うセリフの重なりで
どんどん多層的、立体的になっていくのも、いつもの通り大きな魅力だ。

たとえば「踏み絵」。
隠れキリシタンだけでなく男と女の分類も絡めて、
非常に重要な「重い」アイテムとして使っているのだが、その一方で、

MIWA   これ踏んでみんね。
   
幼恋繋一郎   うん。
   
MIWA   踏める?
   
幼恋繋一郎   踏めない。
   
MIWA   なんで踏めんと?
   
幼恋繋一郎   花を踏みつけたりできないだろう。同じだよ。この絵は綺麗だ。

みたいな、セリフも入っていて、
観る側の焦点をグイグイとかき回してくれる。

 

ただ、せっかくフィクションの世界に浸っているのに、
歌声については美輪さんご本人の声をそのまま使っている部分もあったため、
そこでいきなり現実世界に引き戻されたようになってしまったことは、
個人的にはちょっと残念。

モデルはあっても、話自体は大きな創作なのだから、
フィクションの世界のまま楽しめるほうがいいような気がする。

 

それにしても、野田さんのお芝居の「快感」は、他の舞台にはない独特な世界だ。

村上春樹さんの小説はあんなに売れているのに、
ごく一部を除いてほとんど映画になっていない。
野田秀樹さんの舞台も、一ヶ月半もの公演切符が毎年あっという間に完売になるのに、
映画はもちろん、舞台以外では一切楽しむことはできない。
(舞台をそのまま録画したものはもちろんあるが、それはライブ盤のCDと同じで、
 ライブ会場にいたときの体験とは全く別物)

それはなぜか。

村上春樹さんの小説を読んであの世界感に浸った人は、
野田秀樹さんの舞台を観てあのカタルシスを体験してしまった人は、
それが、小説以外では、舞台以外では、表現できないものであることを
直感的に感じるからではないだろうか。

細かく観るとわからないところだらけだし、ストーリがおもしろいというわけでもない。
でも、一度でもあの舞台ならではの「快感」を知ってしまうと、
野田さんの「生の舞台以外では味わうことができない快感」を知ってしまうと、
抜けられなくなってしまう。

 

「会社の先輩に薦められて、初めて野田さんのお芝居を観に来ました」
と言っていたミラノさん。
初NODA・MAPについて、どんな感想を先輩に話しているのであろうか。

 

野田さん自身が語る「演劇の力」をあらわす言葉の紹介は次回に
ギスギスせずに生きるための、すてきな言葉だ。

 

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コメント

> 「妄想しよう」が「もう、そうしよう」

これは夢の遊眠社時代の作品「小指の思い出」や「三代目、りちゃあど」でも使われた言葉遊びでしたし、赤木圭一郎も「小指の思い出」で登場済み(こちらは完全に架空の人物でしたが)。

原爆投下もNODAMAP作品「パンドラの鐘」や「オイル」を彷彿させるものでしたし、ギリシヤ神話からの援用は野田作品では、ほぼ定番。そろそろ野田さんもネタ切れなのかなと(苦笑)。

最近の野田さんの作品は言葉遊び(同音異義語)はあえて控えていたように思えたのですが、今回は結構多かったですね。

個人的には、言葉遊びに逃げずに、今の日本/日本人が試されている様々な「踏み絵」に敢然と立ち向かう姿を美輪さんという人物の半生を通して描いて欲しかったと思います。

ROMさん、

内容の濃いコメントをありがとうございます。

夢の遊眠社時代からの古いファンというだけでなく、
ずいぶん正確にいろいろなことを覚えていらっしゃるのですね。

昨年の「エッグ」を観たあと、やはり野田地図ファンである知人が、

「絶え間ない闘争の空しさに気付いた時、覇王の頭上に広がっていたモンゴルの蒼空
 己の「罪と罰」を受け入れた主人公の目の前に広がっていたのは穢れなき一面の銀世界…等
 芝居小屋の中にいることを忘れさせてしまう野田地図のスケールの大きさ、
 爽快感が好きだった者としては、
 最近の救いの無い作品は息苦しく(=生き苦しく?)感じます」

と言っていましたが、
ROMさんほど古くからの舞台をしっかり観ているわけではない私ですら、
やはり変化は感じざるを得ません。

でも、悲しいわけでもうれしいわけでもないのに、
こみ上げてくるある種の感情を抑えることができない、
そういうものが「ある」ということを感じさせてくれる舞台は、
やはり一種の麻薬のような魅力があります。


>原爆投下もNODAMAP作品「パンドラの鐘」や「オイル」を彷彿させるものでしたし、
>ギリシヤ神話からの援用は野田作品では、ほぼ定番。
そうですね。
最近でも「ザ・キャラクター」ではギリシャ神話がセンタに陣取っていましたし。

「パンドラの鐘」と言えば、このセリフが忘れられません。

「賭けをしましょう。
 あなたの服に触れずに、その乳房に触れた日のように、
 いつか未来が、この鐘に触れることなく、
 あなたの魂に触れることができるかどうか。

 滅びる前の日に、この地を救った古代の心が、
 ふわふわと立ち上る煙のように、
 いつか遠い日に向けて、届いていくのか。
 ヒメ女、古代の心はどちらに賭けます?
 おれは届くに賭けますよ。」

>今の日本/日本人が試されている様々な「踏み絵」に
>敢然と立ち向かう姿を美輪さんという人物の半生を通して描いて欲しかったと思います。
たった一行なのに、すばらしいコメントですね。
期待値をこんなにズバリと簡潔に表現できるなんて。
野田さんならほんとうにそれをやってくれるのではないか、と
思える部分があるからこその期待ではありますが。

「小指の思い出」は、BS放送の録画で持っています。
もちろん一度は観ているのですが、赤木圭一郎を含めて全く思い出せないので、
今度改めて見直してみます。

ぜひ、これからもいろいろ教えて下さい。

「小指の思い出」では、登場人物の名前として「赤木圭一郎」を使っていて、役柄としては、伝説の「当たり屋」として登場させていますね。

これは、赤木圭一郎氏が出演した映画が大当たりしたとか、最期は運転していた車(ゴーカート)が衝突して亡くなったという事実から「赤木圭一郎=当たり屋」と吹き寄せしただけだと思いますが、今回の芝居では、実際に昔から噂されている美輪さんと赤木圭一郎氏との関係があったので、生々しさを和らげるためにも、「赤絃繋一郎」という意味深な(赤い糸で繋がっているという意味がかかっている)名前にしたのだろうと推察します。

ちなみに「小指の思い出」では、むしろ役柄である「当たり屋」の方が重要。旧約聖書に書かれている「アタリヤ」に掛かっていて、このダブルミーニングにより芝居の世界観が豊潤になり、まさしく野田さんの言葉遊びの真骨頂といったところ。

ご友人はNODAMAP作品としては初期作品の「キル」や「贋作罪と罰」がお好きなようですね。私も好きな作品です。確かにちょっと前までのNODAMAPの本公演では、どんなに悲しい/残酷な内容であっても、必ず最後には「救い」=カタルシスを用意してくれていました。ただ、番外公演では、カニバリズム(「赤鬼」)など重たいテーマも扱っていました。

以下はあくまで邪推ですが・・・。

・「本公演」=エンタテインメント性があり、万人とは言わないまでもある程度の人が共感を得られる(=集客が見込める)作品
・「番外公演」=シリアスなテーマで万人受けしなくても結構。一部の分かってくれる人だけが分かってくれれば良いと割り切った(=挑戦的/挑発的な)作品
・・・と使い分けていたのではないかと思います。

本公演の作品内容が変化したタイミングは、プロデューサーが変わったときと時を同じくしているように思います。これまでは(遊眠社時代から)、ずっと現SISカンパニー社長の北村明子さんがプロデューサーをされていましたが、ある時からプロデューサーが代わっています。そして、そのタイミングで野田さん自身もSISカンパニーのマネジメントから離れています。

これまで二人三脚で歩いてきたプロデューサーとも袂を分かち、これまでわざわざ劇場に足を運んで切れたお客様へのプレゼントとして必ず入れ込んでいたエンタテインメント性が無くなっても良いから、野田さんが残り少ない時間の中でやりたいことをやろう(書きたいホンを書こう)と決断したのではないかと思っています。

それは、外=現実、内(劇場/芝居)=非現実、という大前提が崩れたことも一因にあるような気がします。昔ならば非現実的だと思っていたコト/事件が現実世界で起こっている。現実世界がマンガのようなウソくさい世界になりつつある。そんな時代に芝居でウソの世界を創る意味とは?(まったく現実離れしたウソの世界を創る意味があるのか?)

・・・

散漫、かつ、中途半端になってしまいましたが、長くなってしまったので、この辺で終わります。お邪魔いたしました。

ROMさん、

さらなるコメントをありがとうございます。
プロデューサーのことなどは全く知りませんでした。

これを機会に手許にあるものをいろいろ観返して、読み返しています。
そんな中、古いスクラップに、
今の気持ちにかなりフィットする野田さんの言葉を見つけましたので、
次のトピックスで紹介させていただきたいと思います。

>現実世界がマンガのようなウソくさい世界になりつつある。
ほんとうにそうですね。
でも、「ウソ」と「現実」以外の世界があることを、
感じさせてくれる面があると思っています。野田作品には。

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