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2013年10月

2013年10月27日 (日)

ギスギスせずに生きるために

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ギスギスせずに生きるために

- 人生の底に流れ続けていく -

 

前回、NODA・MAPの最新作「MIWA」を観に行ったことを書いたら、
感想と呼べるような内容も盛り込めていない「メモレベル」のものなのに、
訪問者数が急に増えて、書いた本人がちょっと驚いている。
もちろん、どなたが見に来て下さっているのかは全く分からないが、
野田作品に関心を寄せる人がそれだけ多いということなのだろう。

検索エンジン(GoogleやYahoo!など)経由での訪問については、
検索ワードを知ることができるが、
「MIWA」「NODA・MAP」「感想」「芝居」「宮沢りえ」「古田新太」
などにまじって「井上真央」が多かったのも
井上さんと井上さんのファンの方々には甚だ失礼ながら、正直言うとちょっと意外だった。

井上真央さんの舞台はどうだったのだろう? と興味を持っている人が、
しかも感想や情報を検索している人がこんなに多いなんて。

 

 井上さんへの感想を期待して、訪問して下さった方々、
 期待を裏切ってしまい申し訳ありません。たった一行しか書いていなくて。
 MIWAの母親役や繋一郎(瑛太)の妹役といったキーとなる重要な役を、
 しかも複数、たいへん上手に演じておりました。

 体もキレているし、声も張っていてじつに聞き取りやすい。
 滑舌もいい。
 それでいて赤ちゃんを抱いている姿はまさにマリアさまの優しさ美しさ。

 全編を通して、若いエネルギーが舞台に注入されている感じがしました。
 今回の演技を観ての新しいファンも増えたことでしょう。
 次の舞台が楽しみな女優さんのひとりとなりました。

 

野田さんのお芝居にたいへん詳しい方から丁寧なコメントもいただき、
自分としてもいろいろな形で思い返している。

「あぁ、おもしろかった」で終わりではなく、
多くの謎を持ちながらも、その余韻をなんども反芻して味わえるのも
野田作品の大きな魅力のひとつだ。

 

「そう言えば、」とスクラップを見返してみたら、野田さんのこんな言葉がでてきた。

今日はそれを紹介したい。

Photo

(以下水色部、2009年10月4日、朝日新聞の切り抜きからの抜粋)

 20代の頃、芝居を作り演じ終えると、
その瞬間からあり得ないほどの虚脱感に襲われていました。

それは演劇という芸術が持っている宿命なのですが、
「消えていくもの」なのですね。
どんなに必死になっても、素晴らしい出来であっても
二度と完全に同じ舞台は出来ない。

 

消えゆくものと再生文化。

 ところが、僕らがいま育ってきているこの世の中で起きているのは再生文化です。

ある時レコードというものが出来て、
ライブではなくても同じ音楽が味わえると信じるようになった。

本当は決して同じではないが、それはテレビ、映画、あらゆる映像にわたり、
さらにインターネット上の再生へと広がっています。

 

「はかない一夜」の魅力

演劇もビデオ化されるようになりましたが、
やはりこれほど再生しにくいものはなく、
現場で味わったものはたとえ翌日でも再生できない、
非常に「はかない一夜」があるわけですね。

だから芝居を演じてその感覚を味わうと、親からいくら責められても、
人からつまらない芝居だと言われても戻れない(笑い)。

お金にはならない職業なのに、
ずっと演劇の世界で生きていく理由はその魅力にあるのかもしれません。

 

目の前で、生きた人間が汗を出し、声を出す姿は本当に強い。

 この再生文化最盛期の時代に、演劇は影響を与えるかと言えば、
それは非常に小さいものでしょう。
生涯演劇にまったく関係なく死んでいく人のほうが膨大に多いわけですから。

ただ、送り手の思い込みとしては、
目の前で、生きた人間が汗を出し、声を出す姿は本当に強い。

だから長くその感覚が続いて、
後の人生のどこかでフラッシュバックするように出てきたり、
突然理解出来たりする瞬間が訪れると思っています。

 

観た時には完璧に理解できなくとも...

 もちろん、感動して「ああ、よかった」と涙を流し
完結してしまう芝居がいいという人もいます。
カタルシスを与えて、泣かせるのも演劇の力の一つですよね。

でも、僕が信じている演劇の力はそうじゃない。

観(み)た時には完璧(かんぺき)に理解されず、
「あれはなんだったんだろう」ということがあっても、
それをため込んで持っていてくれればいい。

 

長く人間の中に蓄えられて人生の底に流れ続けていく。

 おそらく文化や芸術というものは、演劇はもちろん、
美術や音楽も含めてそれに触れるたびに、
ずっと長く人間の中に蓄えられて人生の底に流れ続けていくのだと思う。

何かすぐに答えをくれるわけでもなく、能力が飛躍するわけでもない。

でもだからこそ、人生がギスギスしないように生きるには必要なのだと思います。

 

アメリカのラスベガスでショウをいくつか観たとき、
「これはすごい! なんてハイレベルなんだ」と
そのエンタテイメント性にはいたく興奮した。

でも、幕が下りた途端、最初に頭に浮かんだのは
「あぁ、おもしろかった。じゃ次は何を見よう」だった。
心から楽しんだことは間違いないけれど、
振り返って考えることはなく、人生の底には流れていない。

 

観た時には完璧に理解できなくても、長く人生の底に流れ続けていく、
そういうものを持っていることは、たとえそれが解決できないままであっても、
人生をゆたかにしてくれている面が確かにある。
もちろんそれは演劇に限らないけれど。

 

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2013年10月20日 (日)

NODA・MAP 第18回公演「MIWA」

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NODA・MAP 第18回公演「MIWA」

- 舞台のみにある「快感」 -

 

NODA・MAPの第18回公演「MIWA」を10月12日、東京池袋の東京芸術劇場で観た。

主演は、同じNODA・MAPの作品「透明人間の蒸気」でその圧倒的な存在感にノックアウトされて以来、
私の中では別格扱いになっている女優・宮沢りえさん。

今回も期待を裏切らないどころか、さらなる新しい世界をみせてくれている。


Miwa_nodamap001


古田新太さん、瑛太さん、井上真央さん、小出恵介さん、青木さやかさん、池田成志さんらの共演陣も、
それぞれが魅力的で、隅々まで見逃せない。

感想は、例によって話が複雑で書きにくいのだが、
紹介を兼ねてちょっとだけ書いておきたい。(以下水色部、シナリオから)

アンドロギュヌス   誕生とは喪失である。
   
MIWA   え!
   
アンドロギュヌス   どんな赤ん坊も生まれ出ると、ずぶぬれで泣く。
    あれは、いきなり何かを失うからだ。
   
ボーイ   生まれたばい。
   
女給   男の子たい。
   
アンドロギュヌス   つまり、女の子を喪失したってことさ。

から始まって、

安藤牛乳   長崎弁はおかしかね、駅前に岡歯科って歯医者のあるくらいやもんね。
   
MIWA   それは、しかたなか。
   
安藤牛乳   そう、歯科田中もあっとよ。

のようなお得意の言葉遊びももちろん散りばめられているが、
笑っているうちに、あっという間に野田ワールドに引き込まれてしまう。

 

実在の美輪明宏さんの半生をモチーフに
 長崎、遊郭、両性具有、原爆の炸裂、同性愛、アメリカ兵、近親愛、銀座、
 シャンソン、ギリシャ神話、隠れキリシタン、天草四郎、踏み絵、
 オスカー・ワイルド、三島由紀夫、機動隊、赤紘繋一郎(赤木圭一郎)と
野田さんらしい多彩な世界がめまぐるしく展開する。

世界の混在具合と展開の速さには、ちょっと気を許すと振り落とされそうになるが、
全体としてはMIWAの成長に合わせて話が進むので、
野田作品にしては時間の前後の跳躍に翻弄されずにすむ分、
これでもまだ理解しやすい方の作品かもしれない。

 

男でも女でもないMIWA(宮沢りえ)が、
心の中に安藤牛乳(古田新太:これもギリシャ神話のアンドロギュヌスの言葉遊び)を住まわせており、
ひとりの人間をまさに二人で、しかも同時に演じる独特な演出。

あるときは二重人格のように、また、あるときは片方が片方を励ますように、
まさに「二心同体」としてMIWAの世界を表現している。

「妄想しよう」が「もう、そうしよう」というある種の覚悟に変わっていくさまを、
間(ま)を無視したような、マシンガンのようなセリフの嵐が紡ぎ出していく。

 

出突っ張りの宮沢りえさんのセリフ量たるや凄まじいものがあるが、
とにかく彼女なら安心して観ていられる。
それどころか、前半の少年期の演技の輝きは素晴らしい。

 

提示されるテーマが、飛び交うセリフの重なりで
どんどん多層的、立体的になっていくのも、いつもの通り大きな魅力だ。

たとえば「踏み絵」。
隠れキリシタンだけでなく男と女の分類も絡めて、
非常に重要な「重い」アイテムとして使っているのだが、その一方で、

MIWA   これ踏んでみんね。
   
幼恋繋一郎   うん。
   
MIWA   踏める?
   
幼恋繋一郎   踏めない。
   
MIWA   なんで踏めんと?
   
幼恋繋一郎   花を踏みつけたりできないだろう。同じだよ。この絵は綺麗だ。

みたいな、セリフも入っていて、
観る側の焦点をグイグイとかき回してくれる。

 

ただ、せっかくフィクションの世界に浸っているのに、
歌声については美輪さんご本人の声をそのまま使っている部分もあったため、
そこでいきなり現実世界に引き戻されたようになってしまったことは、
個人的にはちょっと残念。

モデルはあっても、話自体は大きな創作なのだから、
フィクションの世界のまま楽しめるほうがいいような気がする。

 

それにしても、野田さんのお芝居の「快感」は、他の舞台にはない独特な世界だ。

村上春樹さんの小説はあんなに売れているのに、
ごく一部を除いてほとんど映画になっていない。
野田秀樹さんの舞台も、一ヶ月半もの公演切符が毎年あっという間に完売になるのに、
映画はもちろん、舞台以外では一切楽しむことはできない。
(舞台をそのまま録画したものはもちろんあるが、それはライブ盤のCDと同じで、
 ライブ会場にいたときの体験とは全く別物)

それはなぜか。

村上春樹さんの小説を読んであの世界感に浸った人は、
野田秀樹さんの舞台を観てあのカタルシスを体験してしまった人は、
それが、小説以外では、舞台以外では、表現できないものであることを
直感的に感じるからではないだろうか。

細かく観るとわからないところだらけだし、ストーリがおもしろいというわけでもない。
でも、一度でもあの舞台ならではの「快感」を知ってしまうと、
野田さんの「生の舞台以外では味わうことができない快感」を知ってしまうと、
抜けられなくなってしまう。

 

「会社の先輩に薦められて、初めて野田さんのお芝居を観に来ました」
と言っていたミラノさん。
初NODA・MAPについて、どんな感想を先輩に話しているのであろうか。

 

野田さん自身が語る「演劇の力」をあらわす言葉の紹介は次回に
ギスギスせずに生きるための、すてきな言葉だ。

 

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2013年10月13日 (日)

米国出張時に出逢った景色

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米国出張時に出逢った景色

- 上空からとフェリーからと -

(9月23日から10月3日までの)米国出張時に出逢った景色を一部紹介したい。

 

(1) 飛行機からの景色

今回、東海岸のノースキャロライナ(NC)州から西海岸のカリフォルニア州(CA)へと
大陸横断の移動があり、時差の関係もあって土曜日まるまる一日が移動で潰れてしまった。

ところが、この移動、
昼間ということもあって、飛行機から思いもかけない景色を見ることができた。
乗り継ぎでのミネアポリス(Minneapolis)からCAのオレンジ・カウンティ空港への便でのこと。

 

「ナバホ族の聖地」とか、「アメリカの原風景」とか言われるモニュメント・バレーは、
アメリカの大自然の景色の中でも、特に好きな場所のひとつだ。

古くは「駅馬車」などの西部劇から、
最近ではジョニー・デップ主演の娯楽大作「ローン・レンジャー」まで、
実に多くの映画の舞台となっている。
日本のテレビ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」での出題地になったこともある。

もちろん今回は行けなかったので、「こんなところです」の紹介を兼ねて
97年に訪問したときの写真を少し添えておきたい。
(当時はまだデジカメではなかったので、プリントしたものをスキャンしてデジタル化した)

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アメリカ西部を代表する景色の一つとして使われることも多いので間違われやすいが、
ここはアメリカの国立公園ではない。
この一帯は、インディアン、ナバホ族の居留地だ。

ナバホ族が管理しており、
彼ら主催のジープツアーなどに参加して入っていくのが一般的な観光方法になる。
一般車両が入れる部分はごく一部に制限されているからだ。

ナバホ族の方が、丁寧に案内してくれるツアーに参加すれば、
高さが200m以上もあるビュート(Butte)と呼ばれる岩山のそばに寄って
その大きさを実感できるばかりでなく、
ペトログリフ(Petroglyph)と呼ばれる先住民が描いた1000年以上も前の岩絵を間近で見たり、
実際にナバホ族が住んでいるホーガンと呼ばれる家に寄ったり、と
雄大な景色以外も楽しむことができる。

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とにかく、モニュメント・バレーを訪問した際には、
彼らのジープツアーに参加することは絶対にはずせない。

 

どの空港からも遠く、行きやすい場所ではないのに、
その景色と、実際にそこで暮らしているナバホ族の皆さんの人柄にひきつけられて、
車ですでに3回も訪問している。

004s  005s

で、今回行ってもいないモニュメント・バレーのことをなぜ書いているのかと言うと、
このモニュメント・バレーを偶然にも上空から見ることができたからだ。

地上からみる雄大さを思うと、
飛行機から見るビュートは妙に小さくてちょっと寂しいような気がしたが、
まぎれもなくモニュメント・バレーだった。
飛行機の窓から撮った写真はこんな感じ。

Img_6434ss Img_6436ss

大好きなモニュメント・バレーを上空から見て興奮してしまった私は、
「今の飛行機の向きからすると、次はグランド・キャニオンが見えるのではないか」
と更に胸を高鳴らせていた。

 

グランド・キャニオンは、紹介するまでもないアメリカを代表する国立公園。
コロラド川の大渓谷だ。
地上からの景色、ということで、これまた97年に訪問した時の写真を一枚だけ添えておく。
左上に小さく黒い点々で写っているのは観光客だ。

006s

 

さて、窓からの景色。
思った通り見えてきた時の感激は言葉にならない。
「やった!」
深く削れている渓谷が見え始めた。

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写真上側がサウスリムと呼ばれる、渓谷の南側。
飛行機は東から西へと移動していく。

観光客が多くあつまるサウスリム・ビレッジも見える。

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モニュメント・バレーのほうは予想外に小さい、という感じだったが、
グランド・キャニオンのほうは、
上空から見ても「グランド」の名に恥じない圧倒的な迫力であった。

 

(2) 日曜日のニューポートビーチ

出張中、日曜日の一日は、カリフォルニア州アーバインでゆっくり休むことができた。
この日は午後、ニューポートビーチ(Newport Beach)に出かけた。

Google Mapの地図を拝借。

Balboa1

左下側は太平洋。白い砂浜(Beach)が帯になって繋がっている。
真ん中上部に見える島は、バルボア島(Balboa Island)と呼ばれる小さな島。

この島とBeachの間、地図に緑色の矢印を書き込んだ部分は橋ではなく、
小さなフェリーが運行されている。

どれほど小さなフェリーか。
ご覧あれ。

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そう、車たった3台分のみ。
フェリーと言うより「エンジン付きの筏(いかだ)」という感じだ。

 

このフェリー、距離も短いのでわずか数分程度の乗船なのだが、
ヨットが無数にみえるそこからの景色はもうそれだけで俗事を忘れさせてくれる。

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沖合の島、サンタ・カタリナ島への観光船も見える。

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これだけ小型船が多いので、もちろん船用のガソリンスタンド(Gas Station)もある。
左側に見える3.65や4.25という数字は、1ガロン(3.8リットル)の値段。
十数年前にはガロンで$1程度の時期もあったので、
ものすごく高くなったとは言えるが、それでもまだ1リットルあたり$1程度だ。

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ちなみに、このフェリー、
車一台とドライバーひとりで乗船料は$2(200円程度)。
ほんとうに気軽に乗ることができる。

 

Beach側に渡ると小遊園地があり親子連れが歓声をあげている。
アメリカでよく見かける小さな観覧車の回転速度はかなり速い。

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太平洋側に出ると、この海岸が待っている。
9月末にこの海水浴客。気温は問題ないが、水は結構冷たい。

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ビーチ沿いには自転車道が整備されており、
若者の集まる店からは、賑やかな笑い声が漏れている。

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日陰を探して、波の音を聞きながらのんびり寝転んでいるとほんとうに気持ちいい。
中年のオヤジひとり、という絵はさすがに他にみかけないが。

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身も心もリフレッシュできた、いい休日の午後だった。

 

ちょっとオマケ:
カリフォルニアならではの車を見かけたので駐車場で一枚。
こういう車でガンガン走ってみたい自然がある。

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2013年10月 6日 (日)

カーナビの進む道

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カーナビの進む道

- 日米のカーナビを比べてみて -

米国ノースキャロライナ州と、カリフォルニア州を回る海外出張から無事帰ってきた。
出発は9月23日。半袖で発ったものの、帰ってくるとすっかり秋の空気になっていた。

 

今回の出張では二度、Hertsでレンタカーを借りた。
Hertsの車はNeverLostという名のカーナビを装備している。
(ちなみにカーナビは英語では一般的にGPSと呼ばれている)

二台、それぞれこんな感じだ。どちらもご覧の通り画面が小さい。

Img_6321s Img_6615s

しかも、表示される地図がこれまたpoorだ。
十数年前のゲーム画面のよう。悲しいくらいに単純なものだ。

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自家用車を手放して以来、日本でもレンタカーをよく利用している。
なので、レンタカーに装備された最新のカーナビに触れる機会も多いのだが、
日本のカーナビの進歩には毎回、驚かされるばかりだ。

車が一台も走っていなければ、カーナビの画面だけを見ても走れるのではないかと思うくらい、
リアルな表示となっている。
特に交差点まわりの車線情報や3D表示はそこまでやるか、というレベル。

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最近の機種のカタログにはこんな画面が当然のように載っている。

Navi3

再度、このNeverLostの画面表示と見比べてみてほしい。

Img_6616ss

 

確かに、米国NeverLostの画面は単純なものだ。
しかし、実際に使ってみると、道案内(ナビゲート)という本来の機能において、
特に不足があるわけではない。
ちゃんと目的地に着けるし、名前の通りLost(道に迷う)ということもない。

「カーナビとしてどちらが進んでいるか」と問われれば、間違いなく日本だ。
しかし、
「だから米国のカーナビは、日本のカーナビのようになろうとしている」
と言われると、ちょっと違うような気がする。

エンジニアとして、つい作る側の視点で見てしまうが、
日本のカーナビのあの機能の実装には、
表示技術の点においても、基礎データの取得や更新という点においても、
相当な工数が投入されているはずだ。

そこまでの投資をしてまで、今のNeverLostの機能を強化する必要性を、
米国人が感じているようには思えない。

「カーナビの進む道」は日本と米国、それぞれどこに向かっているのだろう。

 

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