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「なぜ車輪動物がいないのか」
- 車輪が働くための「大」前提条件 -
前回は、子供向けの絵本、
本川達雄著「絵とき ゾウの時間とネズミの時間」を覗いてみたが、
今日は本家、本川達雄著「ゾウの時間、ネズミの時間」中公新書
(以下水色部、引用・抜粋)
の中から一つのトピックスを紹介したい。
この本、題名の影響が強すぎるのか、
「数年しか生きないネズミも、100年近い寿命をもつゾウも
一生の間に打つ心拍数はだいたい同じ」
ということが書かれた本なんでしょ、と
ひと言で語られてしまう傾向が強いのは残念なことだ。
心拍数の話は、本の冒頭に登場する話題のひとつにすぎない。
絵本からの紹介で書いた通り、体重が増えると、
心拍だけでなく多くのものがその動物において、ゆっくりになる。
例を挙げれば、
寿命も、
おとなのサイズに成長するまでの時間も、
性的に成熟するのに要する時間も、
息をする間隔も、
心臓が打つ間隔も、
腸が一回じわっと蠕動(ぜんどう)する時間も、
皆そうなっているが、これらがすべてではない。他にもいろいろある。
しかも、面白いことに、どれもが、
「1/4乗則」と呼ばれる「体重の1/4乗に比例」している、に則っている。
つまり全部が同じように遅くなる。
したがって、たとえば体重が10倍になると、時間は1.8倍( =10E(1/4) )になることになる。
それぞれの動物にはそれぞれの時間がある、のだ。
と、ここまでは前回の繰り返し。
今日は心拍数とはまったく違う、でもさらに新たな視点を与えてくれる
「なぜ車輪動物がいないのか」
というトピックスを紹介したい。
生物界には車輪がない。
身の回りにある道具類は、よく調べてみると、
その原理は生物がとうの昔に発明していたものばかりの中で、
車輪は例外的に、人類独自の偉大な発明なんだ、と学生時代に習って、
なるほどと感心した記憶がある。
・・・
まわりを見回しても、車輪を転がして走っている動物には、
まったくお目にかかれない。
陸上を走っているものたちは、二本であれ、四本であれ、六本であれ、
突き出た足を前後に振って進んでいく。
顕微鏡でも見るのがむつかしいほど小さなバクテリアが、
毛のはえた車輪を回転させながら泳いでいた、という発見もあるにはあるが、
われわれが肉眼で見ている動物たちに、
なぜ車輪を使うものがいないのだろうか。
生物界に車輪がない理由を考えてみよう。
そもそも、我々が自動車、自転車等、
車輪を使っていることのメリットとはなんだろう。
車輪のメリット : エネルギー効率がいい。
一般的にいって、なぜ車輪がこれほど好まれるかといえば、
エネルギー効率が大変に良いからである。
足を前後に振って歩くやり方では、前に振った足を止めて、
逆に後ろへ振りと、振る方向を変えねばならない。
そのときにエネルギーがいる。
また、足を上げたり下げたりするわけだから、
これは重力に対して余計な仕事をすることになる。
ところが回転運動ならば、回転方向は一定であり、上下動もない。
前後・上下に振り動かす余計なエネルギーは使わなくてよい。
エネルギー効率はいいものの、問題も多い。
車輪の問題点1 : 凸凹に弱い。
車輪ほ平坦なかたい道では威力を発揮するが、凸凹ややわらかい地面では、
ほとんど役に立たないのである。
それでほ、どのくらいの凸凹があると車輪は使えないのだろうか。
こういうことに関しては、車椅子に関する資料がそろっている。
車輪の直径の1/4までの高さの段ならば、
体を前後させて車椅子の重心を動かすことにより、
なんとかクリアできる。
それ以上高い段は越すのがむずかしく、
車輪の直径の1/2より高い段を越すことは原理的にできない。
車輪の問題点2 : やわらかい地面に弱い。
車輪は、連続的に地面との摩擦を保ちながら地面をずって回っていく。
だから、地面がふかふかしたりネチャネチャしたりすれば、
回転に対する抵抗がすぐに大きくなって回りにくくなる。
たとえば、泥道はコンクリートの道路に比べて回転の抵抗は5~8倍になるし、
砂の上なら10~15倍にもなる。
車輪の問題点3 : 壁を登れないし、ジャンプもできない。
面との摩擦力がないと働けないので、垂直な壁を登ることはできない。
手足なら、しがみついて登れる。
車輪はジャンプすることもできない。
車椅子の例では、幅20センチの溝でも越えられない。
マウンテン・シープは14メートルもジャンプして谷を越す。
車輪の問題点4 : 小回りがきかない。
まず、向きを変えるのがむずかしい。
車椅子の場合、180度回転するのには、150センチ四方もの空間がいる。
また、二台の車椅子がすれ違うには、二台の幅だけの道幅がどうしても必要となる。
ヒト二人がすれ違うときを考えてみれば、横向きになってすれ違ってもいいし、
やむを得なければピョイと飛び越してもいいので、車とはえらく違う。
ただ速いばっかり速くても、小回りがきかなけれは、
木立や岩などの障害物の多いところでは、車輪は立ち往生してしまうだろう。
車輪動物が二匹狭い山道でばったり出会ったら、すれ違うこともできず、
さりとて廻れ右してもどることもできず、
二匹とも進退きわまるということに、ならぬともかぎらない。
もちろんこれまでも、生物界に車輪がない理由は、
いろいろ考えられてきた。
車輪の問題点5 : 軸を作ることがむつかしい。
その理由の一つに、回転する軸を作ることのむずかしさがある。
回転している軸には、軸をねじる力がかかるが、それに耐えるには、
非常にかたい素材を使わねばならない。
そんな素材を生物は作れるだろうかという疑問が提出されてきた。
事実、生物は、ねじれという変形をさけているように見える。
車輪の問題点6 : 回転するものへのエネルギーの供給がむつかしい。
車輪と軸受けとの間は、必ず途切れていなければ回転しつづけられないが、
この途切れた空間を越してエネルギーを軸に与えるには、かなりの工夫がいる。
つまり、回転しているものに、
どうやって外からエネルギーを供給しつづけるかの問題である。
この問題はバクテリアでは解決ずみである。
バクテリアは鞭毛(べんもう)をくるくる回転させて泳ぐが、
このモーターは水素イオンの流れがエネルギー源となっている。
バクテリアは体の内と外との間に水素イオンの濃度差を作り、
この濃度差によって、
濃い方から薄い方へと水素イオンがモーターを通って移動していく。
つまり拡散の原理を使ってエネルギーを供給しているわけである。
ただし、この方法が使えるのは、
数ミクロン(ミクロンは千分の一ミリ)の大きさが限度で、
それ以上にサイズが大きくなると、拡散は使えず、
別なやり方を開発しなければならない。
これもサイズの大きいものに車輪がない原因の一つかもしれない。
さて、再度、問題点1から4を見てみよう。
車輪は、硬くて平らな地面でのみ効率はいいものの、
凸凹にも、やわらかい地面にも、壁にも、溝にも弱く、ジャンプもできない。
しかも、小回りもきかない。
それでも、自動車を始め、我々がここまで車輪を「便利なもの」として
使っているのは、使えているのはどうしてだろう。
こう見てくると、車輪というものは、われわれヒトのような大きな生き物が、
山をけずり、谷をうめて、
かたい平坦でまっすぐな幅広の舗装道路を造ってはじめて使い物になる、
ということが分かると思う。
舗装道路を帝国内にあまねく造り、車を走らせたのはローマ人である。
しかし帝国が崩壊し、道路の維持補修がなされなくなった後には、
その道をラクダやロバが背に荷物を積んで歩いていた。
がたがたの道では、車は使えなくなったのである。
広く、まっすぐで、かたい道。
階段のない、袋小路のない、道幅の広い町並み。
これらを整備したから、初めて使えるのだ。
「ロサンゼルスからニューヨークまで車で行く」
「青森から鹿児島まで車で行く」
そういうことを、我々はいまやさり気なく口にするが、
それは、
ロサンゼルスからニューヨークまでの間に、
青森から鹿児島までの間に、
一箇所たりとも (たとえ30cmであっても) 段差も溝もない、
そういう道が確保されている、を前提とできるからこそ
初めて成り立つ会話なのだ。
数千キロにわたって一箇所たりとも段差も溝もない。
本川さんは、
車というものは、そもそも環境をまっ平らに変えてしまわなければ働けないものである。
使い手の住む環境をあらかじめガラリと変えなければ作動しない技術など、
上等な技術とは言いがたい。
と書いているが、「環境を変えなければ使えない技術」、
そういうふうに車輪を見てきたことはなかった気がする。
逆に言えば、「車輪用に」よくここまで徹底して環境を変えてしまったものだ、とも思う。
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