江戸は「情けねえ」土地
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江戸は「情けねえ」土地
- 「情緒」と「風情」 -
漫画家・江戸風俗研究家の杉浦日向子さんの4回に渡った
「ぶらり江戸学」の講義から。
(1) 江戸の粋(イキ)と上方の粋(スイ)
(2) 「愛」より「恋」、「恋」より「色」
に続く第三回目。
(以下水色部、「大人の学校 卒業編」静山社文庫からの引用)
最初に「江戸前」の意味を確認したあと、
「情緒」と「風情」についての説明を聞いてみよう。
まずは「江戸前」の意味の再確認。
「江戸前」と申しますと、
「江戸前の蒲焼き」とか「江戸前のお寿司」なんていう言葉が思い浮かぶと思いますが、
もともとはどんな意味だと思いますか?
「江戸前」というぐらいですから、江戸の前、江戸湾で、
江戸近海で獲(と)れた魚で作ったお寿司とか、
江戸の地(じ)のものという意味に考えられるんじゃないかと思います。
ま、それも正解です。
まさに、物理的な「前」だが、
「江戸前」にはもうひとつ、大切な意味がある。
「江戸前」にはもう一つ意味があります。
江戸前の「前」は、「男前」とか「腕前」の「前」に通じるんです。
こちらの意味に使った場合は、「江戸スタイル」ということなんです。
江戸と聞くと、なぜか一緒に情緒という言葉が浮かぶことが多いが、
「江戸」と「情緒」は合わない、と言う。
江戸というと、必ずペアで出てくるのが「江戸情緒」という言葉です。
よく耳にされる言葉だと思うんですが、
「江戸情緒」というと、「ああ、江戸だなあ、しっとりしてていいなあ」って、
すぐ納得できると思うんです。
でも、あれは実は明治以降の造語で、江戸時代、
当の江戸っ子たちは「江戸情緒」という言葉を知りませんでした。
・・・
第一、あの情緒の「情」、「情けの文化」というのは、上方のものなんです。
江戸はあんまり「情け」というものがない、「情けねえ」土地なんです。
・・・
江戸は、どちらかと言うと、「情け」ではなくて、「性」のほうなんです。
性と言ってもセックスだけではなくて、性質とか、気質、かたぎ ― というような、
行動パターンとしての 「性」なんですね。
・・・
だから、「江戸」と「情緒」は合わないんですね。
それがなぜ定着してしまったかというと、明治をすぎてから、
昔を懐かしむような気風がどんどん流行りまして、
例えば永井荷風なんかが「昔はよかったなあ」なんて言い出して、
そういうセンチメンタルな懐古趣味が、
こういう不似合いな言葉を引き寄せてしまったんです。
ですから、昔は「江戸情緒」というものは、なかったわけです。
「情緒」が合わないとすれば、ピッタリくるのは?
「江戸」に合うものと考えますと、「風情」というのが一番近いと思います。
風のような情けは一応ある - というようなことなんですけれども、
風情、あるいは、情けよりは趣(おもむき)の、風趣。
「江戸風趣」「江戸風情」という言葉は、
江戸を表すのにぴったり来ると思います。
これはどういうものかと言うと、
「情緒」が、
水の上にぽつんぽつんと水滴が落ちて波紋がフワーツと広がっていくような、
一点から連鎖作用が生じる運動であるのに対して、
「風情」「風趣」というのは、
柳に風がスーツと通って、
その下をツバメがピュッと飛んでいくような、なんと言うか、
さわやかな、後に何も残らないあっけらかんとしたシーンを言います。
例えば上方の「情緒」のくどき方は、
「好きだ好きだ好きだ・・・」と言葉を重ねて、
じわじわ攻めていって落として共に奈落まで、という方法ですけれども、
江戸の「風情」のくどき方は、
「好きだ」と、ひとこと言って、
その女の子が振り向いたとたんパッと逃げて行って、
ハイ次というような、過程のみで完成のない感じで、全然違います。
そんなことで、江戸前は「情緒」が似合わない街、
これを、頭に入れていただきたく思います。
「情緒」は一点からの連鎖作用、
「風情」は後に何も残らないあっけらかんとしたシーン、
説明しにくい言葉のイメージをなんとか伝えようとする工夫が、
講義を印象深いものにしている。
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