有声の声は百里に過ぎず
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有声の声は百里に過ぎず
- 無声の声は・・・ -
前回、宮城谷昌光さんの「古城の風景」から
「道は爾(ちか)きに在り」の話を紹介した。
この「古城の風景」は、そのあと掛川城再建のエピソードを通して、
もうひとつ、印象深い言葉を紹介してくれている。
以下、水色部分は宮城谷昌光さんの「古城の風景」
(「オール讀物」1998年2月号)からの引用・要約だ。
宮城谷さんはこんなことがきっかけで掛川城に興味をもつ。
永禄11年(1568年)から永禄12年(1569年)の事件を書いているうちに、
掛川へゆきたくなった。
つまり永禄11年に家康は三河をでて遠江(とおとうみ)に踏みこむのである。
他国を攻めたのは家康にとってこれがはじめてであり、
かれの天下取りはこの一歩からはじまったといってよい。
ところが東進する徳川軍の前途に掛川城があった。
しかもその城に今川義元の子の氏真(うじざね)が寵もっていたのである。
いわゆる掛川城の戦いは、
永禄11年の12月27日にはじまり、翌年の5月17日におわった。
掛川城が日本歴史に顕然とした時間である。
落城ではなく、開城である。
家康は城攻めはうまくないといわれるが、そのときの徳川軍には勢いがあり、
その勢いをともかくもしのぎきった掛川城とはどういう城であろう。
そう思った宮城谷さんは、矢も盾もたまらず掛川城を見に行った。
まだ再建前であった。
その日は曇天であったが、城址を上へ上へとのぼってゆくうちに
光の量がふえる感じで、本丸跡に立つと、明るく視界がひらけた。
―― なるほど、この城は大きい。
それを体感すれば充分なのである。
三河にある小城の規模を感覚のなかにおさめてあり、
その感覚をとりだしてこの城をはかれば雄大であるとさえいえる。
家康は三河にある小城を落とすのにてまどっている。
その目で、掛川城をみるべきなのである。
ただし私が実感した掛川城の規模とは、天正18年(1590年)に、
山内一豊が長浜からこの地に移ってきてからのものかもしれない、とあとで気づいた。
が、自分が実感したものをあえて修正しないで、二十余年をすごしたといえる。
その間、名古屋-東京の往復の車窓から掛川城の再建を目にすることになるが、
「どういう天守ができるのか」という興味はもったものの、
「どうせ鉄筋コンクリート造りのあじきないものであろう」と思い
期待はしていなかった。
事実、完成後の天守も最初は貧弱に見えていた。
ところが、三度ほど見るうちに「優雅な天守だな」と思うようになった。
現代人の感覚とはべつなところにある優雅さといってよいであろう。
およそ一年後に、
「掛川城は木造ですよ」
と、人に教えられて、なるほどあの優雅さはそこからきていたのかと
腑に落ちると同時に、嬉しくなった。
いまの世に、木で城を建てたという事実は比類ないもので、
そこに大いなる勇気が感じられたからである。
私の胸中に、掛川城を近くでみたい、という声が生じ、日に日に大きくなった。
ついに昨年、掛川城へ行った。
・・・
天守閣のなかは木のかおりに満ちていた。
これは新鮮なおどろきであった。
いま国宝の天守閣をもつ城は、松本城、彦根城、姫路城、犬山城であるが、
そのどれをのぼっても木のかぐわしさはうせている。
ところがそれらの城も建てられたばかりのときは、
こういうかおりをもっていたのだ、と気づいた。
掛川城もあと数年たてば、木のかおりを失うかもしれない。
それから天守閣をのぞくのと、いまここにいるのとは、だいぶちがう。
天守閣のなかをみて歩く楽しみもさることながら、
木の豊潤なかおりにつつまれているこころよさは、名状しがたい。
この天守閣は呼吸をしていると全身で感ずることができる。
城を再建するとは復活させるということであり、
掛川市民はみごとにそれをやってのけたのである。
掛川城の再建の経緯については、
『掛川城の挑戦』(静岡新聞社)という本にくわしく書かれている。
榛村純一掛川市長の記述によると、再建費は10億5千万円であった。
宮上茂隆博士の設計による山内一豊時代の天守閣の忠実な復元がなされたのである。
まがいものを造らなかったことだけでも掛川市民の誠実さがわかる。
これは地方文化のありかたに重要な提言をなしたのであり、
城そのものが無言で立っているだけに、
かえってその声なき声ははるばるとひろがるであろう。
有声の声は百里に過ぎず
無声の声は四海に廷及す
とは『淮南子(えなんじ)』にある語句であるが、
再建された掛川城は、まさに無声の声を放ちつづけている。
有声の声は、せいぜい百里にしか届かない。
一方、無声の声は四海におよぶ。
どの分野でも、無声の声を伴った仕事ができてこそ、ほんとうのプロだ。
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