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2013年7月

2013年7月31日 (水)

江戸の粋(イキ)と上方の粋(スイ)

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江戸の粋(イキ)と上方の粋(スイ)

- 吐き出してイキ、吸い込んでスイ -

 

漫画家・江戸風俗研究家の杉浦日向子さんが、
深夜番組「夜中の学校」で江戸の話をしていたことがある。
4回に渡った講義の内容は、
「大人の学校」と名前を変えてそのまま本になっている。

今日はその中から、「粋(イキ)」と「粋(スイ)」についての話を紹介したい。

(以下水色部、「大人の学校 卒業編」静山社文庫からの引用)

「第四講 江戸前の色と恋」というタイトルの講義の冒頭部分。

 江戸と言えばはずすことのできないことを、お話ししておきます。

この「粋」という字を、
江戸では「イキ」と読み、上方(かみがた)では「スイ」と読むんです。


おんなじじゃないかと思われるかもしれませんが、全然違うんですね。

「粋(イキ)」と「粋(スイ)」。

さて、どう違うのか...

「イキ」には、いろいろ当て字があるんですけれども、
まず、意見の「意」に気持ちの「気」。
「意気地(いきじ)」を張るとか、つっぱりの感じが「意気」です。

ちょっと着崩した感じとか、不良っぽいのが「いきだね」という場合は、
この「意気」を書きます。


 それから、「好む風」。
「好(い)い風」と書いても「好風(いき)」と読みます。
さわやかな感じがする、見た目がすがすがしい、
「ちょっと感じがいいね」という場合に、この「好風」を書くんです。


で、これとはちょっと観念が違うんですけど、
「通る」と書いて「通(いき)」と読ませる場合もあります。
これは、情報に通じている、いろんなことを如才(じょさい)なく知っているので
「いきだね」という場合、これを使います。

 これに対して、上方の「スイ」は、割とこの「粋」の字一つのようです。

「イキ」のほうは、「意気」「好風」「通」と書いたりもする。
一方「スイ」のほうは、「粋」。

 で、実はこの「粋(イキ)」というのは、呼吸の「息」に通じるんです。
ということは、上方の「粋(スイ)」は、「吸う」に通じます。

上方の「粋(スイ)」は、身の回りのあらゆるものを自分の身の内に取り込んで、
血肉として自分を磨いてゆく。


いろいろ習い事をしたり、情報を集めたり、教わったり教えたりという、
人の間でもまれて身の内に吸収して、「粋(スイ)」になっていく。

おしゃれにしてもそうです。白粉(おしろい)を塗る、紅を重ねる、
着物を重ねるというふうに、どんどん乗せていく、プラスの美学なんです。

上方の「粋(スイ)」は「吸う」で、プラスの美学。

 これが「粋(イキ)」になると、マイナスの美学ということになります。

さきほど、「粋(イキ)」は「息」だと言いましたが、
呼吸は吐いたときに「息」になるんです。
吸っているときにはただの空気で、それが人のからだの中を通って、
吐いたときに息になる。

この、身の内から外に出していくというのが、江戸の「粋(イキ)」なんです。

こそぎ落としていく、背負い込まない、吐いていく、削除していく、
そうやって、ぎりぎりの最低限のところまで削り取っていって、
最後に残った骨格のところに、何か一つポッとつけるのが、
江戸の「粋(イキ)」なんです。

江戸の「粋(イキ)」は「息」で、マイナスの美学。

 で、骨格まで削(そ)ぎ落とすというのが、
「洒落(しゃれ)」に通じます。

「洒落」というのはほとんど江戸の専売特許と言っていいような言葉で、
上方でも使うには使いますが、もっぱら江戸で盛んに言われることでした。

 言葉の洒落、ファッションの洒落、
両方のことですが、実は「しゃれこうべ」の「しゃれ」に通じるんです。

行き倒れの死体が野ざらしになって、お肉が全部取れて、
真っ白な骨になっちゃった、そこまでなるのが「洒落」ということなんですね。

きれいな「舎利(しゃり)」となって、
さて、そこから何が必要なのか、
何をつけたらいいのかを考えなおそう ―
それが江戸の美学の一つであるわけです。

全部吐き出す江戸の「粋(イキ)」。
落語をはじめ思い当たるエピソードがいくつもある。

 プラスじゃない、マイナスの文化というのは、つまり、
最低限の元手をいかに生かしていくかというゲームですね。

対して、上方のプラスは、豊富な材料を、いかにアレンジメントするか、
という地道な生活感が核になります。

ゲームに近い生き方の感覚が、江戸に発生したということなんです。

江戸と上方の文化の違いを「粋」一文字で印象深く語るなんて、
なんとも「粋」な説明だ。

 

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2013年7月28日 (日)

ホリプロ三人娘構想

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ホリプロ三人娘構想

- 昌子、淳子、もうひとりは? -

 

昨日の朝日新聞夕刊の「昭和史再訪」では
オーディション番組「スター誕生!」を取り上げていた。
(以下水色部、2013年7月27日朝日新聞夕刊からの引用)

多くのアイドルを輩出した番組だったが、

当初は10代から60代の男女が応募し、「のど自慢」の雰囲気。
「スターとは何か、明確なイメージはなくスタートしたんですよ」
と吉岡さん。(番組のディレクター)

と迷いながらのスタートだったようだ。

番組の方向性を位置づけたのは、番組で合格し、デビュー第1号になった森昌子だった。
当時13歳。歌唱力は群を抜いていた。

続いて桜田淳子、山口百恵が番組からデビュー。
花の中3トリオと呼ばれ、憧れの的に。

当時はだれもが知っている「花の中3トリオ」だったが、
最初からこの三人での売り出しが計画されていたわけではないようだ。

その経緯は、実はこの記事の真ん中に小さく貼ってある
「1980年8月5日朝日新聞夕刊」の記事の中にある。

【2013年7月27日 朝日新聞夕刊】

130727005s

 

とは言え、ご覧の通り7月27日の新聞では、拡大しても読めない。
実はこの33年前の記事、偶然にも私のスクラップの中にある。

日焼けしてしまって真っ黄色で、まさに時の流れを感じさせるが...

【1980年8月5日 朝日新聞夕刊】

800805e001s

 

(以下薄茶部、1980年8月5日朝日新聞夕刊からの引用)

 

 ホリプロ社長の堀威夫は「健康美を感じて(山口百恵の)採用を決めた」と
八年前を振り返る。
同プロがねらっていたのは、
実は九月の決戦大会でチャンピオンになった桜田淳子だった。
すでに所属していた森昌子、石川さゆりと組ませて
「ホリプロ三人娘」で売り出そうとの構想だ。

しかし、淳子は群を抜く人気と力量で、他のプロダクションに取られてしまう。


三カ月後の百恵は、淳子ほどの競争はなく手中にできた。
翌年春、百恵は横須賀から、東京の淳子が学ぶ私立中学校に転入した。
「話題を作り、ライバル意識をあおるため」(池田プロデューサー)だという。

 五月の「スタ誕」で『としごろ』を歌ってデビュー。
衣装は森英恵デザインのロングドレス。
少女の色っぽさを出そう、とのねらいだった。

 三人娘の組み合わせは、ホリプロのねらいを少し外れ、
昌子、淳子、百恵の「スタ誕出身トリオ」という形で、
芸能ジャーナリズムにもてはやされることになる。

四年後の「花の高三トリオ」解散まで、この”セットPR”は続く。

森昌子、桜田淳子、石川さゆりの「ホリプロ三人娘」が
売りだされていたかもしれないのだ。

 

1972年に山口百恵が出て、78年にピークを迎えるオーディション番組。
33年前のこの時点(1980年)ですでに傾き始めている。

 「スタ誕」に続いて、フジで「君こそスターだ!!」(48年)、
 朝日で「あなたをスターに」(49年)がスタート。

 だが「あなた」は岡田奈々、大場久美子らを送り出しながら一年で、
 「君こそ」は高田みづえ、越美晴を生んだものの、この三月でそれぞれ幕。

 視聴率がひとケタの中ごろに落ち込んだことや、
 大スターを見いだせなかったのが原因だった。

 ご本家の「スタ誕」はその後、
 伊藤咲子、片平なぎさ、岩崎宏美、新沼謙治、
 ピンク・レディー、石野真子らを世に出して現在も放送中。

 ただ、視聴率はこのところ11%前後に落ちている。

 

最初の記事に戻ろう。
傾いてきたとは言え、それでも、その応募者の数には驚く。

応募者数は、番組終了までの12年間で約200万人。
デビューした歌手は100人近くにのぼり、
岩崎宏美、新沼謙治、石野真子、小泉今日子らが輩出した。

もちろん重複もあるだろうが、200万人とは。
100人/200万人ということは2万人にひとり。0.005%。
改めて言うまでもないことだが、歌手デビューするということは、やはりすごいことなのだ。

78年に最高の28%をはじき出したスタ誕の視聴率は80年代に入ると低落。
83年、女子大生を主役にした「オールナイトフジ」が始まった。
その年、スタ誕は幕を閉じる。

「偶像」より「親近感」が選択される時代へ、流れは変わった。

 

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2013年7月24日 (水)

信号機と紅緑灯

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信号機と紅緑灯

- 「機能」か「五感」か。 -

 

亜細亜大学教授の張美玉さんが「正論」1995年4月号に寄せていた
「漢語の狭間」というエッセイ。

日本人と中国人の発想の違いをおもしろい例をあげて紹介していた。
  (以下水色部引用)


エッセイは、張さんが留学で日本に来たころの話から始まっている。

 留学した初めの年を振り返ってみると、私が最もよく使った言葉は、
多分、「漢字を書いて下さい」という一言だった-と今にして思う。

 漢字を書いてもらうことや漢字を書いて見せることは、
おそらく、滞日期間がまだ短い中国系留学生にとって、
コミュニケーションをスムーズにする一番有効な方法に違いないだろう。

 しかし、そうは言っても、漢字さまさまと文句無しに讃えるわけにはいかない。
場合によっては、日本の漢語に翻弄されることも時々あるからだ。

中国語で「暗算」とは騙し討ちやこっそり狙うことなどを意味するため、
日本人に「私は暗算が得意」と言われて驚いた、という話やら、
中国語で雀を意味する「麻雀」の看板を見て、バード・ペット・ショップと勘違いし、
愛鳥家の多い国だなあ、と感動したエピソードなどが続いている。
(ちなみに中国語で暗算は「心算」、麻雀は「麻将」と言うらしい)


日本語と中国語の漢語の違いは、「手紙」-「ちり紙」のような
勘違いしやすい、かつ笑えるエピソードに繋がる例がよく取り上げられるが、
このエッセイには、そういった言葉の羅列とは一味ちがう、
「新しいモノに対する造語」を並べて日中二言語を比較している部分がある。

モノの呼び名についての両国の異なる造語を比較すれば、
日本人と中国人の発想根源の違いが窺われる。
例を挙げてみる。

(日本語)  (中国語)
 信号機   紅緑灯(赤と緑のライト)
 歩道橋   天橋 (空中にある橋)
 防虫剤   樟脳丸(樟脳で作った丸い物)
 冷蔵庫   氷箱 (氷の箱)
 目覚時計  閙鐘 (騒がしい鐘)

よく見比べてみてほしい。
発想というか、着眼点の違いがわかるだろうか。

 

 つまり、モノについて考える時、
日本人の場合は、まず、その ″機能″の部分に焦点を当てるのである。

だから、信号のための装置、歩道のための橋、虫害を防ぐための剤、
冷蔵するための庫、目を覚ますための時計など、
それぞれの機能を明確に示して命名する。

 だが、中国人の場合はかなり違う。
彼らがモノについて考える時は、″感覚″(特に五感)を頼りにする傾向が強く、
色、形、位置、声・音、香・臭、冷・熱などを表す言葉を形容詞的に使うことを好む。
その結果、感覚で感じ取った特徴に焦点を当てることになる。

「機能」か「五感」か。

命名などといった大げさなものでなくても、
自分がモノを捉えるとき、どんな視点でモノを見ているかを
ちょっと考えてみてみるとおもしろい。

「機能」に目がいくか、 「五感」で感じるか。

 

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2013年7月21日 (日)

ピアニストには三種類しかいない

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ピアニストには三種類しかいない

- ホロヴィッツの一言 -

 

参院選が終わった。
自公が過半数を獲得し「衆参のねじれ解消」と言われるが、
個人的には最後の最後まで、
マスコミがこの「ねじれ」という言葉を使うことに大きな違和感があった。

衆参がどんな構成であろうと、法の下での「正常」である以上、
ねじれているわけではない、と思っていたからだ。

マスコミには、当選者が決まったあとも、
つまらない「失言や放言」の揚げ足取りなどで盛り上がることなく、
独自の「取材」に基づく「政治力」を伝える報道を期待したい。

 

失言ではないが、放言で思い出す一言がある。

中村紘子著「チャイコフスキー・コンクール」中公文庫にある
ピアニスト、ホロヴィッツの一言。
(新潮文庫から2012年復刊されている。以下水色部、引用)

ホロヴィッツは、20世紀を代表するピアニストのひとりだ。

ホロヴィッツにはピアニストに関するかなり有名な言葉、
日本だったら「大臣罷免」問題にでも発展しそうな「放言」がある。

「ピアニストには三種類しかいない。ユダヤ人とホモと下手糞だ」

 加えるにホロヴィッツはこうも言い放った。

「東洋人と女にはピアノは弾けない」

 多くの世を沸かせる放言失言の類いには、
えてして或る種の暗黙に了解された真実が含まれているわけだが、
このホロヴィッツの場合も、特に前の断定などは、
クラシック音楽に詳しい人々をして思わず苦笑させるような生々しさを含んでいる。

事実、欧米のクラシック音楽界の舞台裏では、褒めるにしろけなすにしろ、
このホロヴィッツの言葉にある人種と性癖によって音楽家たちの実力以外の
「運・不運」を分り易く論じるということが、日常茶飯事となっているのである。

どんな才能の人間が集まっている世界にせよ、人間の世界という意味では同じだ。

「音楽は世界の共通語」といった「標語」を初めとして、
日本の特にクラシック音楽愛好家の間には、
クラシック音楽とそれに関係する世界全般に対する
片想いにも似た純粋なイメージが育まれていることが多いが、
現実にはクラシック音楽の世界もまたあらゆる意味で人間の世界である。

それにしても強烈な一言だ。
「ピアニストには三種類しかいない。ユダヤ人とホモと下手糞だ」

 

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2013年7月17日 (水)

人生を四期に分けて

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人生を四期に分けて

- いい作品には昔話ふうのところがある。 -

 

つかこうへい著 「つかこうへいインタビュー 現代文学の無視できない10人」 集英社文庫

つかさんが井上ひさしさんと物語について話をしている中で、
井上さんがグリム童話のひとつを紹介している。(以下水色部、引用)

 

 物語というのは依然有効です。
ドキュメントやノンフィクションを超えられると思います。

グリム童話に『寿命』というのがありますね。
ある時、神さまが人間と動物を集める。
その時、人間の寿命は三十年。

人間はこれでは短かすぎるからもうちょっと寿命をのばしてくれと頼む。
一方、ロバの寿命も三十年なんだけど、
毎日荷物を背負ってつらいから十二年でいいという。

犬もそれからサルも同じく神さまに三十年では多いからといって寿命を返すんです。
それで神さまは、ロバと犬とサルが返した寿命を人間にくれてやる。

 おかげで、人間の寿命はのぴたんですが、
もとからあった寿命の三十年はすごく楽しい、
だけど、ロバからもらった十八年は、
これはものすごい重い荷物を背負って、苦しい毎日。

それから十二年、六十歳までは犬の寿命なんですが、
歯が欠けたりして、吠えてもだれも見向きもしない。

最後の十年でしたか、七十歳まではサルの寿命で、ポヤーッとしている。

これを河合年雄さんの本で読んで感心しました。

 これこそ物語の祖型ですね。
つまりこの物語によって三十歳以降の人間の人生がわかるわけです。

この話、いろいろなところで引用されていて、
グリム童話の「寿命」以外の原典も聞いた気がするのだが、
原典探しが目的ではないので、出典についての詮索はしないことにする。

さて、整理すると年齢によって人は

 0- 30歳   人間 
 30- 48歳   ロバ
 49- 60歳   犬
 60- 70歳   サル

の生を生きるということらしい。

「グリム童話、寿命」で検索すると、こんな記述も出てくる。

 このようなわけで、人間の寿命は七十年となったのです。

 はじめの三十年は、人間が元から持っている寿命です。
 人間はその三十年間に、子どもをつくって家をたてます。

 次に来るのが、ロバの十八年です。
 この十八年間は、色々な重荷を背負わされます。
 家族の為に、いっしょうけんめいに働かなくてはなりません。

 そして次に、イヌの十二年がやってきます。
 この頃になると足腰が弱くなり、歯も抜けていくのです。

 そして最後に来るのが、サルの十年です。
 だんだんと頭がにぶくなり、笑われるつもりはなくても、
 おかしな事をして笑われる事があります。
 これが人間の、一生なのです。

ロバはわかりやすいが、犬やサルになにを思うかはひとによってずいぶん違うことだろう。

 

人生を4つの時期に分けると言えば、五木寛之さんは、著書「林住期」 幻冬舎
のなかで、インドの思想を紹介していた。

 0- 25歳  学生期(がくしょうき)   将来のために学ぶ。 
 25- 50歳  家住期(かじゅうき)   家族や人のために働く。
 50- 75歳  林住期(りんじゅうき)   家を出て森林に住む。
 75歳以降  遊行期(ゆぎょうき)   解脱を求めて独り巡り歩く。

「林住期」や「遊行期」に憧れる人もあるだろう。
時間に名前をつけてちょっと分けるだけで、それぞれの物語が生まれてくるからおもしろい。

 

井上ひさしさんは「寿命」を紹介したあとこう続けている。

 これこそ物語の祖型ですね。
つまりこの物語によって三十歳以降の人間の人生がわかるわけです。
ああ、自分たちの問題は単純にいうとこういうことなのかと。

そうすると、読者は別の生き方や防御策や
そんなものがいろいろ出てくると思うんですね。

そういう小説がいま必要だと思うんです。

だから、過去の作品を読みぬいて、物語の祖型を見つけだしてくる、
だけど、それだけじゃしようがないんで、いま生きてる人に向けて、
いまの感覚でつくりなおすんです。

僕は、いい作品にはみんな、そういう昔話ふうとか、
神話ふうのところがあるような気がするんです。

「いい作品にはみんな、昔話ふうのところがある」

 

 

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2013年7月14日 (日)

地球にロープを巻きつけて

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地球にロープを巻きつけて

- 地球の次はバレーボールで -

 

暑い日が続いているが学生さんは夏休みかな、というわけで(?)、
今日は中学一年生でも簡単に解ける数学の問題をひとつ紹介したい。

数学的にはごくごく簡単な一次方程式で解けてしまうものだが、
最初は式で解こうとせず、まずは直感で考えてみてもらいたい。

【問題】

いま、地球を完全な球とします。
この地球の赤道上にぴったりと巻き付くように
ちょうど一周分ロープを巻き付けます。

ロープはぴったりと巻き付いているので、
本体の球からは1mmも浮き上がってはいません。

巻きつけて一周分のロープの長さが明確になったら、
そのロープを1m(メートル)だけ長くします。
この1m長くなったロープで再度、円を作ると、
地球よりはちょっとだけ大きくなります。

さて、問題。

長くなったロープで円を作り、
もとの地球から均等に浮くようにしたとき、
(両者の中心が同じ位置にあるようにしたとき)
1mだけ長くなったロープによる円は、
地表からどれくらい浮くことになるでしょう。

赤道に巻くというのはこういう感じ。

  01_240


ピッタリ巻きつけた時を真上から、と言うか北極側から見るとこんな感じ。

   01_240_2

赤道一周で約4万km。それを1mだけ伸ばすのだから、
「4000万分の1」だけ長くなったことになる。

このごくわずかに長いロープで再度円を作って、地球に巻きつけた時
ロープはどれだけ浮くことになるか、という問題だ。

たった1m。緩むことは緩むだろうが、「浮く」と言えるほど浮くだろうか。

 

では、ちゃんと解いてみよう。
ロープを1mだけ伸ばして浮いた図をちょっと大袈裟に書いてみた。
この図のrを求めよ、というわけだ。

  02_324

地球の半径をRとすると、地球ピッタリ(大円)の円周は、

 円周 = 直径x円周率(Π:3.14...) = 2 x R x Π = 2ΠR 

面倒なので単位はすべてm(メートル)に揃えて計算するとすると、

 1m付け足したロープの長さ = 2ΠR + 1 

地球から均等に浮かせた距離をrとすると、
ちょっと大きい新しい円は半径が(R+r)ということになる。
よって、

 地表からr(m:メートル)浮き上がった円の円周 = 2Π(R+r) 

つまり、半径(R+r)の円の円周が(2ΠR + 1)ということになる。

   2Π(R+r)= 2ΠR + 1

これが、解くべき方程式。
中学一年生でも問題なく解けるレベル。

 2ΠR + 2Πr = 2ΠR + 1

          2Πr = 1       

               r = 1/ 2Π = 1/(2x3.14) = 0.159 (m)   (*1)

じぇじぇじぇ!(失礼しました。「あまちゃん」を見ていない人には意味不明ですね)

なんと 0.159(m) = 15.9(cm)   15cm以上も浮くのだ!

約4万kmもある赤道に巻いたロープをたった1m伸ばしただけで、
4000万分の1だけ伸ばしただけで、地表から16cm近くも浮くなんて。

しかも、解がいい。 もう一度(*1)を見てみよう。

 r = 1/ 2Π

この式にRは含まれていない。
つまり、rは、もとの半径Rにまったく依存しない

言い換えれば、地球に巻こうが、パレーボールに巻こうが、ピンポン球に巻こうが、
一度巻いたあと、そのロープに1mだけ継ぎ足して再度均等に浮かせるように巻くと、
どの場合でも同じだけ、つまり15.9cm浮く、というわけだ。

直感とのギャップ、最初に巻いたものの半径に依存しないという式。

最初に巻きつけたものがバレーボールだったら、
解答を見てもそれほど驚かなかった気がする。

「最初に巻いたものの半径に依存しない」ということが、
地球を持ち出すことで最も効果的に使われている。

じつによくできている問題だと思う。

 

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2013年7月10日 (水)

必ず当たる占い

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必ず当たる占い

- 「つまらん男」ではなく・・・ -

 

1等3億円の「サマージャンボ宝くじ」が本日発売されたとのこと。

夕刊やネットの記事によると、
「猛暑の中でも『サマージャンボ宝くじ』発売に長蛇の列」
だったらしい。

宝くじの還元率は約45%程度で、競馬や競艇の還元率75%とくらべても、
極端に割の合わないギャンブルだということは明確なのに、
「もしかしたら」に気持ちがのってしまうということなのだろう。

「そうは言っても、買わない人には絶対に当たらないから」は、100%正しいが。

「当たる」「当たらない」と言えば、宝くじではないが、

ボードビリアンのマルセ太郎さんが、「街頭易者」という題で
次のようなことを雑誌に書いていたことがある。(「室内」1992年6月号)

「必ず当たる」占いがあると言う。

キャバレー巡(まわ)りをやっていた頃、よくホステスの手相を見てやった。
といったって、手相のことなんて本も読んだことがない。
座興である。

それでも、二つだけは必ず当る。

どう言えば当たるのだろう。

その一つは、もっともらしく手を見て、

「ああいかんな。君は惚れちゃいけない人に惚れてるな

 これが不思議とぴったり当るのだ。

「やっぱり? よく当てたわね」

 彼女は誰を思ってか、しんみり言う。

どうせ相場は決まっている。
女房持ちか、ヤクザっ気のあるプレイボーイか、そんなものだろう。
でも、
「つまらん男に惚れてるな」
なんて言い方はしてはいけない。

それでは当らない。
「惚れちゃいけない人」と言ってあげると、
「当った」と返ってくるのだ。

「つまらん男」ではなく、「惚れちゃいけない人」か。 

 

 二つ目は、どんなにケチで貪欲(どんよく)な女にでも、

「君は、人にものを頼まれたら、イヤとは言えない性分だね」

 と言ってあげる。間違いなく百パーセント、

「そうなんだわ。よく分るね」

 とくる。

事実を当ててほしいのではなく、言ってもらいたい言葉を当ててほしいのだ。

マルセ太郎さんもこう書いている。

彼女たちは、話をきいてもらいたいのであって、それを上手に引き出す話術があれば、
何だって当ったことになる。

 

そういえば、中島みゆきさんの「永遠の嘘をついてくれ」という歌にはこんな歌詞もあった。

人はみな望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから

言ってもらいたい言葉を待っているだけなのだ。
答えはすでに尋ねる側にある。

 

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2013年7月 7日 (日)

「ひとこと多い」新明解国語辞典

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「ひとこと多い」新明解国語辞典

- 実はカッコウ? -

 

今日は敬体でいきます。

2013年7月1日の朝日新聞天声人語に

  確かに新明解国語辞典のような「ひとこと多い」個性派を読み出すとやめられなくなる。

とありました。

新明解国語辞典は、「新解さんの謎」など多くの本でも紹介されている通り、味のある国語辞典です。

今、私の手元にあるのは第5版なのですが、
そこからいくつか「ひとこと多い」部分を紹介しましょう。

以下、水色部は、新明解国語辞典 第5版からの抜粋です。

 

天声人語でもチラッと触れられた、この辞書の代表的な(?)解釈、
[恋愛]も旧版から一部変わってしまったものの、
他の辞書の追随を許していません。

恋愛
  特定の異性に特別の感情をいだき、高揚した気分で、
  二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、
  出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、
  常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、
  まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。

「肉体的な一体感を得たい」とはずいぶん直接的な表現ですが、
「常にはかなえられないで」とか「まれにかなえられて」とか
たった一文の中でダイナミックな世界が展開されています。

[悪妻]についてはここでも引用しましたが、
「核心の一言」を誤解や反論を恐れずに思い切って使ってしまっていることが
この辞書の魅力のひとつなのかもしれません。

のろける
  妻(夫・愛人)との間にあった(つまらない)事を他人にうれしそうに話す。

他人にとっては、つまらなくていいンです。のろけ話は。

 

悪妻
  第三者から「わるいつま」と目される女性。
  [当の夫は案外気にしないことが多い]

 

午前様
  御前様のもじり。宴会などで、真夜中になってから帰宅する人。
  [仕事で遅くなった人は指さない]

 

どら猫
  [飼い主がなかったりなどして]人の家の台所などをねらい、
  盗み食いをするずうずうしい猫。

 

号泣
  (ふだんは泣かない大の男が)天にも届けとばかりに悲しみ泣くこと。

「天にも届け」って。

 

「かぞえ方」が妙に丁寧なのも目を引きます。

はい、では問題です。次のものはどう数えるでしょう。
簡単なところから「食パン」は?

 

食パン
  -かぞえ方:一斤。スライスしたものは一枚。三斤一続きのものは一本。

言われれば簡単だけれど、「食パン」一語で3つとも答えられましたか?

次は難問です。「もやし」のかぞえ方は?

 

もやし
  -かぞえ方:小売の単位は一袋

そりゃないだろう、という条件ではありますが、現実的には一番よく使う単位かもしれません。

 

こんな硬いのから、

読書
  [研究調査や受験勉強の時などと違って]
  一時(いっとき)現実の世界を離れ、精神を未知の世界に遊ばせたり
  人生観を確固不動のものたらしめたりするために、
  (時間の束縛を受けること無く)本を読むこと。
  [寝ころがって漫画本を見たり、電車の中で週刊誌を読んだりすることは、
   勝義の読書には含まれない]

 

人生経験
  人生の表街道を順調に歩んで来た人にはとうてい分からない、
  実人生での波瀾に富み、辛酸をなめ尽くした経験。
  [言外に、真贋の見極めのつく確かさとか、修羅場をくぐり抜けてきた
   人たちの一大事に対する覚悟の不動とかを含ませて言うことが多い]

こんな複雑な味のあるものまで

色香
  離れてみた女性の顔かたちの美しさと、
  近寄って感じる香料と体臭の交じった、なんとも言えない魅力。

どこを開けても飽きません。

 

ギャル
  [流行に敏感で、性的にもあけっぴろげな]若い女の子[原宿-]

 

世の中
  同時代に属する社会を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。
  愛し合う人と憎みあう人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、
  常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。

 

ごろつき
  弱みを持つ人をいつもねらいながら、
  ゆすりやたかりを働いたりする悪い奴。
  [無職・住所不定であることが多い]

悪いヤツ、さらに住所不定無職、なんて現実味のある説明でしょう。

 

なぜか食の好みもモロに出ています。魚貝類がお好みのようです。

ばか貝
  大きさはハマグリくらいの二枚貝。波の静かな、晴れた日に、
  貝の口から舌のような赤い足を出す。むきみを「あおやぎ」と言い、
  貝柱がおいしい。数え方:一枚

「波の静かな、晴れた日に」なんてふつうは図鑑にも書いてありません。
「おいしい」なんて書きますかね、辞書に。

他にもちょっと魚貝類を調べてみたら、ほらここにも。

あこう鯛
  タイに似た深海魚。顔はいかついがうまい。[カサゴ科]
  かぞえ方:一尾、一匹、一枚

 

あわび
  海底の岩にくっついてすむ巻貝。貝殻は耳形で、
  二枚貝の片側のように見える。美味。

 

例文との組み合わせも絶妙。傑作はコレ。

おしい
  二.[まだあまり使ってなかったり他にもっと使い道があると思うので]
  そのままほうっておくに忍びない感じだ。
  「Aには-[=もったいない]くらいの細君だ」

Aさんの細君は[まだあまり使ってなかったり他にもっと使い道がある]のでしょうか。

 

くるう
  働きはするが、そのものの正常な機能が失われる。
  「競輪(女)に-[=おぼれて、生活のリズムがすっかり失われる]」

「くるう」の例文が競輪と女ですから。

 

飛び出す
  -出てはいけないはずの物がそとに出て来る。
  「Yシャツが飛び出している/書棚から本が一冊飛び出している/
   ぎっくり腰で軟骨が-」

なにも軟骨を...

 

焼く
  (灰になるまで)燃やす。
  「ごみを-/死体を-/民家二棟を-」

他になにか焼くものはないのでしょうか。

 

いちどに
  「-ビール一ダースを飲み干した/-酔いがさめた」

さすがに一ダースはちょっと飲みすぎでしょう。

 

こんな角度から細かい指摘をしているものもあります。あれは実はカッコウ?

鳩時計
  ..[時刻を知らせる時、巣から鳩(=実はカッコウ)が出てきて鳴く。
  今は電池式がほとんど]

何版であれ、お手元にあればぜひ覗いてみて下さい。

 

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2013年7月 3日 (水)

有声の声は百里に過ぎず

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有声の声は百里に過ぎず

- 無声の声は・・・ -

 

前回、宮城谷昌光さんの「古城の風景」から
「道は爾(ちか)きに在り」の話を紹介した。

この「古城の風景」は、そのあと掛川城再建のエピソードを通して、
もうひとつ、印象深い言葉を紹介してくれている。

以下、水色部分は宮城谷昌光さんの「古城の風景」
   (「オール讀物」1998年2月号)からの引用・要約だ。

宮城谷さんはこんなことがきっかけで掛川城に興味をもつ。

 永禄11年(1568年)から永禄12年(1569年)の事件を書いているうちに、
掛川へゆきたくなった。
つまり永禄11年に家康は三河をでて遠江(とおとうみ)に踏みこむのである。

他国を攻めたのは家康にとってこれがはじめてであり、
かれの天下取りはこの一歩からはじまったといってよい。

ところが東進する徳川軍の前途に掛川城があった。
しかもその城に今川義元の子の氏真(うじざね)が寵もっていたのである。

 いわゆる掛川城の戦いは、
永禄11年の12月27日にはじまり、翌年の5月17日におわった。
掛川城が日本歴史に顕然とした時間である。
落城ではなく、開城である。


 家康は城攻めはうまくないといわれるが、そのときの徳川軍には勢いがあり、
その勢いをともかくもしのぎきった掛川城とはどういう城であろう。

そう思った宮城谷さんは、矢も盾もたまらず掛川城を見に行った。
まだ再建前であった。

 その日は曇天であったが、城址を上へ上へとのぼってゆくうちに
光の量がふえる感じで、本丸跡に立つと、明るく視界がひらけた。

 ―― なるほど、この城は大きい。

 それを体感すれば充分なのである。
三河にある小城の規模を感覚のなかにおさめてあり、
その感覚をとりだしてこの城をはかれば雄大であるとさえいえる。

家康は三河にある小城を落とすのにてまどっている。
その目で、掛川城をみるべきなのである。

 ただし私が実感した掛川城の規模とは、天正18年(1590年)に、
山内一豊が長浜からこの地に移ってきてからのものかもしれない、とあとで気づいた。
が、自分が実感したものをあえて修正しないで、二十余年をすごしたといえる。

その間、名古屋-東京の往復の車窓から掛川城の再建を目にすることになるが、
「どういう天守ができるのか」という興味はもったものの、
「どうせ鉄筋コンクリート造りのあじきないものであろう」と思い
期待はしていなかった。

事実、完成後の天守も最初は貧弱に見えていた。
ところが、三度ほど見るうちに「優雅な天守だな」と思うようになった。

現代人の感覚とはべつなところにある優雅さといってよいであろう。

およそ一年後に、
「掛川城は木造ですよ」
と、人に教えられて、なるほどあの優雅さはそこからきていたのかと
腑に落ちると同時に、嬉しくなった。

いまの世に、木で城を建てたという事実は比類ないもので、
そこに大いなる勇気が感じられたからである。

私の胸中に、掛川城を近くでみたい、という声が生じ、日に日に大きくなった。

 ついに昨年、掛川城へ行った。

・・・

 天守閣のなかは木のかおりに満ちていた。
これは新鮮なおどろきであった。
いま国宝の天守閣をもつ城は、松本城、彦根城、姫路城、犬山城であるが、
そのどれをのぼっても木のかぐわしさはうせている。

ところがそれらの城も建てられたばかりのときは、
こういうかおりをもっていたのだ、と気づいた。

掛川城もあと数年たてば、木のかおりを失うかもしれない。
それから天守閣をのぞくのと、いまここにいるのとは、だいぶちがう。

天守閣のなかをみて歩く楽しみもさることながら、
木の豊潤なかおりにつつまれているこころよさは、名状しがたい。

この天守閣は呼吸をしていると全身で感ずることができる。
城を再建するとは復活させるということであり、
掛川市民はみごとにそれをやってのけたのである。

 掛川城の再建の経緯については、
『掛川城の挑戦』(静岡新聞社)という本にくわしく書かれている。

榛村純一掛川市長の記述によると、再建費は10億5千万円であった。
宮上茂隆博士の設計による山内一豊時代の天守閣の忠実な復元がなされたのである。
まがいものを造らなかったことだけでも掛川市民の誠実さがわかる。


これは地方文化のありかたに重要な提言をなしたのであり、
城そのものが無言で立っているだけに、
かえってその声なき声ははるばるとひろがるであろう。


   有声の声は百里に過ぎず
   無声の声は四海に廷及す


とは『淮南子(えなんじ)』にある語句であるが、
再建された掛川城は、まさに無声の声を放ちつづけている。

有声の声は、せいぜい百里にしか届かない。
一方、無声の声は四海におよぶ。

どの分野でも、無声の声を伴った仕事ができてこそ、ほんとうのプロだ。

 

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