大涌谷の黒玉子
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大涌谷の黒玉子
- 「こういうのは、楽しいねえ」 -
先日、ここで紹介した
歳をとることのある一面を描いた名エッセイ
「ある秋の一日……」を書いた久世光彦さんは、
古書店巡りをした十数年後、2006年3月2日に亡くなった。享年70。
新聞のスクラップを整理していたら、
朝日新聞の書評委員を久世さんと同時期に務めていた
作家の川上弘美さんが書いた久世さんへの追悼文がでてきた。
(2006年3月4日 朝日新聞夕刊:以下水色部 引用)
こんなふうに始まっている。
大涌谷の黒玉子(たまご)を、
久世さんと一緒に食べたことがある。
朝日新聞読書面の元書評委員と担当の記者たちとで、
箱根に一泊旅行に行った時のことである。
煙が大きくたっている大涌谷のてっペんまで、
つまらなさそうに久世さんは歩いていった。
頂上では、買った黒玉子を黙々とむいていた。
また下って、ケーブル駅のベンチにみんなで座った。
小さな声で、久世さんが突然言った。
「こういうのは、楽しいねえ」。
ものすごく、ぶっきらばうな調子だった。
数々の実績のある久世さんへの追悼文に、
このシーンを切り取ってくるか。
きっと久世さんは、
私がどんなふうに想像をめぐらせても追いつかないくらい
さまざまなことを見てきたんだろうな。その時思った。
久世さんの書く文章にはそういえば「果て」という感じがある。
何かが果てたあとの、哀(かな)しみと明るさ。
読んでいる最中は、哀しさがまさっているように感じられるが、
読後はむしろ明るい印象が強く残る。
ハッピーエンドではなくとも、
気持ちのいい風が吹き抜けたような心地になる。
さすが、書評委員。
久世さんの文章の味を短い言葉でみごとに表現している。
さまざまなものを見てきた、つよい男の人が、
ものすごくつまらなさそうに黒玉子を食べていたのがなんだか可笑(おか)しくて、
大涌谷のケーブル駅で、私は笑った。
それから、久世さん、よくぞ文章の世界に来て下さいました、と思った。
ケーブル駅の前で撮った集合写真の左端には、
片手をズボンのポケットにつっこみ、
もう片方の手に吸いかけの煙草(たばこ)をはさんで立つ久世さんがいる。
明るい光が差している。
少し風が吹いている。
やっばりちょっとぶっきらばうな感じで、
久世さんは、自身の文章の読後みたいなその風景の中に、今も立っている。
川上さんの文章の横には、
ドラマでの繋がりが深かったテレビプロデューサーの大山勝美さんの追悼文も並んでいて、
まさに、数々の作品名とともに
「今考えれば、現代のバラエティー時代の先触れのようで、テレビ界にとって画期的であった。」
と業績を称えた言葉が並んでいるが、読んだ印象としては、
小さな風景を、たった一言と共に切り取っている川上さんの文章の方が、
なぜか久世さんの生前をしのぶ思いがより深く伝わってくる。
つまらなそうに歩いていても、
黙々と玉子の殻をむいていても、
思わず
「こういうのは、楽しいねえ」
と、もらしてしまうような瞬間はある。
ここに書いた通り、中坊公平さんのお父さんは
家族が寄り添い歩くだけの情景をみて
「公平、幸せっていうのは、こんなもんかもしれんな」
とつぶやいている。
楽しいことも、幸せも、
そいういう「もの」があるわけではない。
生きていくこと、そのものにある。
そこから何を切り出し、何を感じるかだ。
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