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2013年6月30日 (日)

道は爾(ちか)きに在り

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道は爾(ちか)きに在り

- 事は易(やす)きに在り -

 

前回、何かを考えるときは「椅子に座って」かつ「明るいところで」、
という原貢さんの言葉を紹介した。

考えるときは、ではもうひとつ思い出す言葉がある。

作家の宮城谷昌光さんが書いていた「古城の風景」という文章。
   (「オール讀物」1998年2月号、以下水色部 引用)

宮城谷昌光さんが歴史小説家になる道を拓(ひら)いた言葉でもある。

 

 遠州路は光が衍(ゆた)かである。

 三十歳になったときから、私は三州路と遠州路とを歩きはじめた。
 ―― 歴史小説を書きたい。
 と、おもいはじめたからである。

まさかそれから五年後に中国の歴史小説を書きはじめる自分があるとは
おもわなかったので、まず近くにある史跡をみておこうとおもい立った。

歴史小説を書きたいと思って、
そのわずか5年後には中国の歴史小説を書き始めてしまうのだから、
その集中力たるや尋常ではないと思うが、
ポイントは、「まず近くにある史跡をみておこう」の部分だ。

『孟子』の「離婁(りろう)章句」に、

 ―― 道は爾(ちか)きに在り

という有名な一文がある。
ある意味でその一文が作家への道を拓(ひら)いてくれたので、忘れがたい。

  道在爾、而求諸遠。事在易、而求諸難。

  道は爾きに在り、而(しか)るに諸(これ)を遠きに求む。
  事は易(やす)きに在り、而るに諸を難(かた)きに求む。

 そう読む。諸は之於(しお)の合音字で、
「これを…に」と読むようであるが、
当時の私は、之がitで、諸はthemだとおもっていた。
まったく漢文に不慣れな私が、注と訳のついた『孟子』を読んで、
衝撃をうけ、豁然(かつぜん)とするものをおぼえた。

なすべき仕事はたやすいのに、それをわざわざむずかしさのなかに求めている。
そういわれれば、まったくそうだ、と納得した。

歴史小説を書きたければ、はるばる遠くへゆかなくとも、
近くを歩き、自分の目でみればよい。

そう気づいた私の手もとにあったのは、
頼山陽の『日本外史』と山路愛山の『徳川家康』だけであった。

いずれも岩波文庫である。そのふたつをもとに徳川家康の年表をつくりはじめた。

手もとにあったのはたった二冊の岩波文庫。
その二冊で家康の年表をつくることから、
歴史小説家宮城谷昌光さんが誕生することになる。

 道は爾きに在り、而(しか)るに諸(これ)を遠きに求む。
 事は易(やす)きに在り、而るに諸を難(かた)きに求む。

道は爾(ちか)きに在り、事は易(やす)きに在り、なのだ。
必要以上に、遠くに、あるいはむずかしいことの中に、解を求めていはいないか。
いつでも思い出したい言葉のひとつだ。

 

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