サッカーに専念できるということ
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サッカーに専念できるということ
- 代表を断ってくる選手 -
6月4日、日本が2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会への出場を決めた。
本田選手のPKのとき、
「どうしてこういうときは正座したくなるンだろう」と
ヘンなことを思いながらテレビの前で応援していたのだが、とにかく決まってよかった。
熱烈なるサッカーファンではないけれど、世界レベルの大会に自国が出られる、
出られる選手がいる、というのはやはりうれしい。
前の日本代表監督イビチャ・オシムさんも、
このニュースを世界のどこかで聞いているだろうか。
PKではなく、PK戦についてだが、木村元彦さんの著書
「オシムの言葉 - フィールドの向こうに人生が見える - 」(集英社文庫)
に忘れられない記述がある。(以下水色部、引用・要約)
今日はそれを紹介したい。
イビチャ・オシムさんは、旧ユーゴスラビア代表の監督のほか、
ジェフユナイテッド市原・千葉の監督としても
多くの輝かしい実績を残している。
2006年に日本代表監督に就任。
ところが、翌2007年に脳梗塞で倒れ、
一命は取り留めたものの、監督を続けることができなくなってしまった。
1941年生れなので最初から年齢のことは心配されていたが、残念な交代だ。
最初の単行本は、代表監督就任後に平積みされていたので、
単なる便乗商品か、などと勘違いしていたのだが、初版は代表監督就任の前。
代表監督になったから、と書かれたものではない。
題名に反して語録がメインではないので、
ウィットに富んだ言葉を連発するオシム監督の言葉<だけ>を期待して読むと
ものたりないかもしれないが、丁寧な取材は、それをはるかに上回る
オシム監督の圧倒的な人の大きさを描き出している。
ゴールした選手だけでなくアシストした選手もよく見ているとか、
よく走らせるとか、選手に考えさせるとか、
それまで新聞等で何度も報じられた話ももちろん出てくるが、
最も強く印象に残ったのは、ユーゴ回りの国勢とその中での監督という
およそ想像すらできない重圧に関する話だ。
まず簡単にユーゴスラビアの複雑さに触れておこう。
5つの民族、4つの言語、3つの宗教、ふたつの文字、を内包する
モザイク国家(実際はこの数え歌よりもっと複雑だ)ユーゴの中、
各共和国、各民族のナショナリストたちは自分たちの求心力を高めようと煽る。
彼の国の監督は圧力に屈しない意志が必要とされる。
そしてまたそれぞれに出自が異なる選手たちをすべて束ねなくてはならない。
その複雑さから、代表を断ってくる選手もいる。
オシムが代表に必要だと思った選手に招集をかける。
すると電話が入る。受話器の向こうの声は憔悴し切っている。
「監督、自分を呼ばないで下さい」
クロアチアやスロベニアに住む者にとって、
ユーゴ代表へノミネートされたことが知られると、
その去就が大きくクローズアップされる。
よもや同胞を裏切って代表に行くようなことはしないだろうな?
有形無形の圧力が選手には降りかかる。
オシムの下でサッカーはしたい。
しかし、自らの判断が、自分だけではなく、
家族や親戚にも影響を及ぼす危険すらある。
ならばその苦しい決断を迫られずに済む立場に身を置きたい。
それが選手の気持ちだった。
それでも、祖国崩壊が始まる直前の1990年、
ユーゴスラビアはワールドカップに出場する。
しかも、準々決勝まで勝ち進み、マラドーナを擁するアルゼンチン相手に、
1人欠きながらも120分間無失点で戦いぬく。
しかし、それでも決着がつかない。
そしてついにPK戦となる。
その時、アルゼンチン相手に120分間戦ってきた選手が、
ベスト8まで勝ち進んできた選手が、
監督に「蹴らせないでほしい」と言って、スパイクを脱いでしまう。
一人ではない。9人中7人までもが。
監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。
オシムの下で9人中7人がそう告げて来たのだ。
彼らはもうひとつの敵と戦わなくてはいけなかった。
「疲労だけではない。問題は当時の状況だ。
ほとんど戦争前のあのような状況においては
誰もが蹴りたがらないのは当然のことだ。
プロパガンダをしたくて仕方のないメディアに、
誰が蹴って、誰が外したかが問題にされるからだ。
そしてそれが争いの要因とされる。
そういう意味では選手たちの振る舞いは正しかったとも言える。
PK戦になった瞬間にふたりを除いて皆、スパイクを脱いでいた。
あのピクシーも蹴りたくなかったのだ」
....
いよいよベスト4をかけた蹴り合いが始まる。
しかし、オシムは5人を決定すると、
クルリと踵を返してベンチから消えていった。
....
ストイコピッチが外し、マラドーナが止められた
W杯史上に残ると謳われたあのPK戦をオシムは見ていない。
敗戦をロッカールームで知った。
国代表の監督・選手になるということが、国によっては、
まさに比喩ではなく命がけなのだ。
喜んで国の代表になれるということは、
民族間の紛争や家族・親戚の身の安全、それらを気にすることなく、
国の代表としてサッカーに専念できるということは、
その代表を無心に応援できるということは、
もうそれだけで、幸せすぎるほど平和なことなのかもしれない。
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