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2013年6月

2013年6月30日 (日)

道は爾(ちか)きに在り

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道は爾(ちか)きに在り

- 事は易(やす)きに在り -

 

前回、何かを考えるときは「椅子に座って」かつ「明るいところで」、
という原貢さんの言葉を紹介した。

考えるときは、ではもうひとつ思い出す言葉がある。

作家の宮城谷昌光さんが書いていた「古城の風景」という文章。
   (「オール讀物」1998年2月号、以下水色部 引用)

宮城谷昌光さんが歴史小説家になる道を拓(ひら)いた言葉でもある。

 

 遠州路は光が衍(ゆた)かである。

 三十歳になったときから、私は三州路と遠州路とを歩きはじめた。
 ―― 歴史小説を書きたい。
 と、おもいはじめたからである。

まさかそれから五年後に中国の歴史小説を書きはじめる自分があるとは
おもわなかったので、まず近くにある史跡をみておこうとおもい立った。

歴史小説を書きたいと思って、
そのわずか5年後には中国の歴史小説を書き始めてしまうのだから、
その集中力たるや尋常ではないと思うが、
ポイントは、「まず近くにある史跡をみておこう」の部分だ。

『孟子』の「離婁(りろう)章句」に、

 ―― 道は爾(ちか)きに在り

という有名な一文がある。
ある意味でその一文が作家への道を拓(ひら)いてくれたので、忘れがたい。

  道在爾、而求諸遠。事在易、而求諸難。

  道は爾きに在り、而(しか)るに諸(これ)を遠きに求む。
  事は易(やす)きに在り、而るに諸を難(かた)きに求む。

 そう読む。諸は之於(しお)の合音字で、
「これを…に」と読むようであるが、
当時の私は、之がitで、諸はthemだとおもっていた。
まったく漢文に不慣れな私が、注と訳のついた『孟子』を読んで、
衝撃をうけ、豁然(かつぜん)とするものをおぼえた。

なすべき仕事はたやすいのに、それをわざわざむずかしさのなかに求めている。
そういわれれば、まったくそうだ、と納得した。

歴史小説を書きたければ、はるばる遠くへゆかなくとも、
近くを歩き、自分の目でみればよい。

そう気づいた私の手もとにあったのは、
頼山陽の『日本外史』と山路愛山の『徳川家康』だけであった。

いずれも岩波文庫である。そのふたつをもとに徳川家康の年表をつくりはじめた。

手もとにあったのはたった二冊の岩波文庫。
その二冊で家康の年表をつくることから、
歴史小説家宮城谷昌光さんが誕生することになる。

 道は爾きに在り、而(しか)るに諸(これ)を遠きに求む。
 事は易(やす)きに在り、而るに諸を難(かた)きに求む。

道は爾(ちか)きに在り、事は易(やす)きに在り、なのだ。
必要以上に、遠くに、あるいはむずかしいことの中に、解を求めていはいないか。
いつでも思い出したい言葉のひとつだ。

 

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2013年6月26日 (水)

「椅子に座って」かつ「明るいところで」

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「椅子に座って」かつ「明るいところで」

- 原監督のお父さんの言葉 -

 

ここのところちょっと悩ましいことがあり頭が痛い。

悩みごとは、思考が狭い範囲で負のスパイラルを描いてしまうと、
必要以上にマイナス方向に増幅してしまうことがあるのでやっかいだ。

ちょっと頭を冷やして冷静に考えると、
「実はたいしたことではなかった」、
「何をそんなに深刻に考えていたのだろう」と急に思える場合もあるので、
とにかく、負の増幅に陥らないようにすることが肝要だ。

そのための方法として、非常に有効なアドバイスがあるので、今日はそれを紹介したい。

巨人の原辰徳監督のお父さん、原貢さんの言葉だ。
    (以下水色部 2009年2月28日朝日新聞の記事からの引用)

まさにスーパースターだった原辰徳さんの高校現役時代を知る私の世代では、
お父さんもまた、知る人ぞ知る、という名監督だ。

貢さんは福岡県立三池工業高の監督として65年夏の甲子園を制覇。
まだ無名だった東海大相模高も、全国屈指の強豪校に育て上げた。

原辰徳さん自身もお父さんのもとで高校、大学の計7年間を過ごしている。
そのお父さんの言葉。

同じ指導者になると、父は何も言わなくなった。
アドバイスをくれたのは一度だけ。

01年秋、巨人の監督に就任することが決まったときだ。

「これから、悩みごとや考えることがいろいろ増えるはずだ。
 だけど、床について枕に頭をつけたら、考えごとをしてはいけない。
 考えるなら、イスに座って電気をつけて考えなさい

「なぜ?」と聞き返すと、

「枕に頭をつけたときは寝るときだ」と言われた。

優しい声音だったという。

「椅子に座って」かつ「明るいところで」考える。
たったこれだけ。
これだけだが、バカにすることなかれ。

実践してみると効果があることはすぐに実感できるはずだ。
と言うか、「床についてから暗いところで考える」を
意識的に避けるだけでもゼンゼン違う。

悩みごとについてあれこれ考える時は、ぜひお試しあれ。
「椅子に座って」かつ「明るいところで」だ。

 

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2013年6月23日 (日)

大涌谷の黒玉子

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大涌谷の黒玉子

- 「こういうのは、楽しいねえ」 -

 

先日、ここで紹介した
歳をとることのある一面を描いた名エッセイ
「ある秋の一日……」を書いた久世光彦さんは、
古書店巡りをした十数年後、2006年3月2日に亡くなった。享年70。

新聞のスクラップを整理していたら、
朝日新聞の書評委員を久世さんと同時期に務めていた
作家の川上弘美さんが書いた久世さんへの追悼文がでてきた。
    (2006年3月4日 朝日新聞夕刊:以下水色部 引用)

こんなふうに始まっている。

 大涌谷の黒玉子(たまご)を、
久世さんと一緒に食べたことがある。
朝日新聞読書面の元書評委員と担当の記者たちとで、
箱根に一泊旅行に行った時のことである。

 煙が大きくたっている大涌谷のてっペんまで、
つまらなさそうに久世さんは歩いていった。

頂上では、買った黒玉子を黙々とむいていた。
また下って、ケーブル駅のベンチにみんなで座った。

 小さな声で、久世さんが突然言った。

「こういうのは、楽しいねえ」。

 ものすごく、ぶっきらばうな調子だった。

数々の実績のある久世さんへの追悼文に、
このシーンを切り取ってくるか。

 きっと久世さんは、
私がどんなふうに想像をめぐらせても追いつかないくらい
さまざまなことを見てきたんだろうな。その時思った。

 久世さんの書く文章にはそういえば「果て」という感じがある。
何かが果てたあとの、哀(かな)しみと明るさ。
 読んでいる最中は、哀しさがまさっているように感じられるが、
読後はむしろ明るい印象が強く残る。

ハッピーエンドではなくとも、
気持ちのいい風が吹き抜けたような心地になる。

さすが、書評委員。
久世さんの文章の味を短い言葉でみごとに表現している。

 さまざまなものを見てきた、つよい男の人が、
ものすごくつまらなさそうに黒玉子を食べていたのがなんだか可笑(おか)しくて、
大涌谷のケーブル駅で、私は笑った。
それから、久世さん、よくぞ文章の世界に来て下さいました、と思った。

ケーブル駅の前で撮った集合写真の左端には、
片手をズボンのポケットにつっこみ、
もう片方の手に吸いかけの煙草(たばこ)をはさんで立つ久世さんがいる。

明るい光が差している。
少し風が吹いている。

やっばりちょっとぶっきらばうな感じで、
久世さんは、自身の文章の読後みたいなその風景の中に、今も立っている。

川上さんの文章の横には、
ドラマでの繋がりが深かったテレビプロデューサーの大山勝美さんの追悼文も並んでいて、
まさに、数々の作品名とともに
「今考えれば、現代のバラエティー時代の先触れのようで、テレビ界にとって画期的であった。」
と業績を称えた言葉が並んでいるが、読んだ印象としては、
小さな風景を、たった一言と共に切り取っている川上さんの文章の方が、
なぜか久世さんの生前をしのぶ思いがより深く伝わってくる。

 

つまらなそうに歩いていても、
黙々と玉子の殻をむいていても、
思わず
「こういうのは、楽しいねえ」
と、もらしてしまうような瞬間はある。

ここに書いた通り、中坊公平さんのお父さんは
家族が寄り添い歩くだけの情景をみて
「公平、幸せっていうのは、こんなもんかもしれんな」
とつぶやいている。

楽しいことも、幸せも、
そいういう「もの」があるわけではない。
生きていくこと、そのものにある。
そこから何を切り出し、何を感じるかだ。

 

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2013年6月19日 (水)

ちょっとピントが外れている

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ちょっとピントが外れている

- 魅力はボケにあったりもする? -

 

前稿にて、建築家安藤忠雄さんが撮ったピンボケ写真の話を書いた。
ピントがボケている、で思い出した話があるのでもう少し書きたい。

清水義範著 「入試国語問題必勝法」 (講談社文庫)
                       (以下水色部 引用・要約)

 

受験生の一郎に、家庭教師の月坂が、現代文の問題の解き方を教えるという物語。
学生に戻った気分で一緒に「国語の問題」を解いてみよう。

現代文の選択肢で迷った経験のある方には、きっと何か響くものがあるはずだ。

●次の文を読んで、あとの問いに答えよ。

 英語の語源は日本語である。
 私がここで論証しようとしていることはこの短かい一文に要約できる。

 しかし、内容の大きさが文の短かさとは比例しないことは、言を侯(ま)たない。
思えば、従来どの比較言語学者も、
日本語が何か他の言語の語源であるというような発想を持ち得なかったのである。

 日本語の語源は何か。
彼らの固陋(ころう)な思考力では、その疑問しか思いつけなかったのだ。
日本語の語源は朝鮮語だ、アイヌ語だ、タミール語だ、モンゴル語だ、云々(うんぬん)。

自虐的ないわゆる日本文化人のワクの中からしか思考できない彼らは、当然のことのように、
日本はどこか他国から言葉さえも貸し与えられたとのみ発想するのである。

 日本の文化はすべて他国からの借りものである、というのが彼らの隠された本心なのだ。
 だからここに私が、日本語が他国の言語の語源になっているという説を展開することは
学界への挑戦以外の何ものでもないわけである。
                    (吉原源三郎『英語語源日本語説・序文』)

問1
  この文章の内容に最も近いものを次の中からひとつだけ選べ。

  (1) 短かい言葉でも、それが曇りのない目で見て語られたものであるなら、
    大きな内容を持つことがある。

  (2) 日本人文化人の思考法は自虐的である。

  (3) 日本人は卑屈にならないで、自信をもって自国の文化を見るべきである。

  (4) 私が立てた論は、学界に受け入れられないだろうが偉大なものである。

  (5) 日本語が外国語の語源になるなどと誰も考えつかなかったのは、
    日本人が外国人ではないからである。

そもそも問題文の内容にもびっくりするが、
とにかく今回は「問題を解く」に集中していこう。

さて、一郎の考え。

 じっくり考えて、まず(5)を除外した。
その文章だけは、何が言いたいのかよくわからなかったからである。

次に(4)を外した。
この文章だけは他と調子が違っていて、内容がみみっちいと思えたのだ。
(1)から(3)までならどれも正しいような気がしたが、考えて一郎は(3)を選んだ。

それが一番内容が立派で、文の作者が主張したかったことのように思えたからだ。
「答は(3)だと思います」

月坂先生は、一郎の答えを待って説明を始めた。

「どうしてそう思うんだね」
・・・
一通りきいてから、月坂は薄い笑いを顔に浮かべて言った。

「典型的な誤りのパターンだね。
 きみの考え方は、この問題の出題者の罠にまんまとはまっている」
「罠なんかがあるんですか」

「もちろんだよ。出題者の狙(ねら)いは、
 いかに多くの者をひっかけて誤った答をさせるか、
 というところにあるんだからね。
 まずそのことをよく認識しておかなきゃいけない。
 国語の問題というものは、間違えさせるために作られているんだ

「はあ」
 これまでの体験に照らして、ある意味では納得できる言葉だった。
「では、この種の問題を解くルールを説明しょう」
「お願いします」

まず、選択肢を「大、小、展、外、誤」で分類する。

「まず、このことを知っておくんだ。
 こういう問題でたとえば選択肢が四つある場合は、
 大、小、展、外、の四つになっていることが多い。
 選択肢が五つの場合は普通これに、誤、というのが加わる

・・・

「大、というのは、書かれていることよりも話の内容を大きくしたものだ。
 この問題だと(1)がそれだよ。
 問題文の内容を整理して、より大きな一般論に拡大しているだろう。
 だからこれは、一般論としては正しい、というものになっている」
 そう言われれば、そんな気もした。

「次に小。(2)がこれだよ。これは問題文の中の一部分だけを取り出したものだ。
 確かにその文章の中にそういうことは書いてあるんだが、
 書いてあることはそれだけじゃない、というパターンだね。
 初心者は普通この二つ、大か小にひっかかることが多い」

 おれは(3)を選んだから初心者じゃないのか、と一郎はいい気分になった。

大と小にはひっかからないように。
次はいよいよ「展」だ。

「次は展だ。(3)がそうだ。
 きみが選んだ答でもある。
 多少考えた人間がついひっかかってしまうのがこれだ」

 やはり間違っていたらしい。

「これは、問題文の論旨をもう一歩展開させたものなのだよ。
 よく読めばわかることだが、ここに書いてあるようなことは、
 問題文には書いてないだろう。

 問題文のほうには、
 日本人文化人は外国に対して卑屈だ、ということが書いてあるわけだ。
 だけど、そうじゃなく、自信を持つべきだ、とはどこにも書いてない。

 つまりこれは、この文章から予想される結論とか、
 想像できる作者の主張、という性質のものなんだよ。
 そこで、内容をある程度理解した者はついひっかかってしまう。

 だが、設問は、文章の内容に近いものを選べ、だからね。
 作者の頭の中の主張を選べ、ではないんだよ

「深読みしちゃいけないってことですか」

「その通りだ。言いかえれば、
 その文章の作者をことさら立派に見ようとする必要はないということでもある。
 書いてあることだけを見ろ、だよ。
 注意しなくちゃいけない。これが出題者のしかけた罠なんだからね」

「深読み」でひっかかっていたのは、このパターンだったのか。
これまでずいぶん罠にかかっていた気がする。

さて、軽く「誤」に触れた後は、問題の「外」だ。

「・・・
 さて、次を説明しよう。
 ひとつ飛ばして誤、についてだ。
 (5)がこれだね。
 これはひっかかる者が少ない単純な間違いだよ。
 その文章自体が矛盾していたりして、内容がおかしいものだ。
 数合わせのための出鱈目(でたらめ)文章だね。これはいい。

 そこで問題は、外、ということになる。
 (4)の文章がこれだ。この場合だと、
 『私が立てた論は、学界に受け入れられないだろうが偉大なものである』というやつだね。

 これこそ、外、つまり、なんだかちょっとピントが外れている、という感じの文章だよ。
 確かにそういうことが書いてあるんだが、少しズレてるだろう」

「あの、それもズレてるとすると、結局選ぶべき正解がなくなっちゃいますけど」

「なんだかちょっとピントが外れている、という感じの文章」、
いやぁーな記憶がぼんやりと蘇ってくる。
こういう気持ち悪い文章、確かに選択肢でよく見かけた気がする。

でも、こうなるといったいどれを選べばいいのだろう。

「・・・
 この種の問題の正解はこの、ちょっとピントが外れている、外、なんだ。
 つまりこの問題の正解は(4)

「え。ちょっとピントが外れているのが正解なんですか

「問題文をよく読みたまえ。
 内容に最も近いものをひとつ選べとなってるだろう。
 内容を正しく要約したものを選べ、ではない。

 考えてみれば当然のことじゃないか。
 そんなに正しく要約した文章がこの中にあれば、
 大多数の受験者が正解してしまう。
 それじゃあ試験にならないだろう」

 一郎にとってその言葉は、頭を殴(なぐ)りつけられたようなショックであった。
 ちょっとピントの外れているのが正解だなんて、これまで考えたこともなかった。
そうでなければ正解者が多くなるからって、そんなひどいトリックになっているとは。

「インチキみたいですね」

「それが国語の問題なんだよ。
・・・
 問題作成者の意図は、
 そうやってちょっとピントを外して受験者の頭を混乱させることにあるんだよ」

 一郎は考え込んでしまった。
これまで、この種の問題をやった時、間違えて、
しかも正解を見てもピンとこなかったのは当然のことだったのだ。

最初から問題が、どれを選んでもピンとこないように作られていたのだ。

なんということか。
「ちょっとピントが外れている」が正解!?

しかもこのあと月坂先生は、
「問題文を読まなくても解答できる秘技」
というスペシャルテクニックまで公開してくれている。

選択肢だけを読んで回答しても正解に辿り着ける確率は高いらしい。

「ただし、
 いかに秘技といってもさすがにこれは正解率百パーセントというわけにはいかない。
 国語問題の中には二流の教授が作った愚作もあるわけで、
 そういうのを含めて考えれば正解率八十パーセントというところかな。

 だからこの手は、どうしても時間が足りないというような場合に用いるのがいいんだよ」

 

第一の法則:長短除外の法則

「では教えよう。これは二つの法則からなっているんだ。
 その、第一の法則は、長短除外の法則」

「はあ。長短除外の法則……」

「つまり、いくつかの選択肢のうち、文章の一番長いものと、
 一番短かいものはまず読むまでもなく除外してよいということだ」

「へえ。その文章の長さでみるんですか」

「そうだ。つまり、受験者をひっかけようとして出している問題なのだから、
 文が異様に短かいとか、逆に長いとかいう、
 目立つところには正解を置きたくない、というのがむこうの心理なのだよ。

 たとえばこの問題ならば、選択肢のうち、(2)が一番短かい文章だ。
 そして、(1)と(5)が同じ長さで、最長だ。
 だから、(1)と(2)と(5)は読むまでもなく外してよいということになる」

「すると残るのは(3)と(4)ですね。これはほぼ同じ長さです。
 あ、そこまでは知っていてもぼく間違えるかも知れませんね。

 (3)は非常にいい意見が書いてあって、(4)は自分の自慢のような、
 みみっちい内容だからつい(3)のほうを選んでしまいそうです」

 

第二の法則:正論除外の法則

「そこで第二の法則が役に立つんだよ。それは、正論除外の法則だ」

「えっ、正論…」

「正論除外の法則。
 つまり、
 いかにも立派な正論めいたことの書いてあるほうを捨てよ、という法則だよ。

 その理由はもうわかるだろう。いかにも立派な内容のことを書いて、
 受験者をひっかけよう、というのがむこうの手なのだ」

「ぼく、今までずっとそれにひっかかっていました」

「それは初心者がよく陥る誤りだよ。しかし、もうその心配はない。
 この二つの法則を知っていれば、
 問題文を読まなくても正解の(4)が選べるんだから」

以上、キーワードだけ並べると、

(AA) 選択肢を「大、小、展、外、誤」で分類。 「外」が正解。

(BB) 選択肢に次の二つの法則を適用
     第一の法則:長短除外の法則
     第二の法則:正論除外の法則

の2つが解法のテクニックということになる。

しかし、この小説、どこまで真剣に読んでいいのだろう。

入試問題を解くテクニックを紹介しながらも、
現代文の問題に対する痛烈な風刺になっているところも読み逃せないが、
やはり主役はこれらのテクニックだ。

このような視点で国語の問題を分析したことはないので、
リアルでのお役立ち度はもちろんわからないが、笑いながらも
「そうそう」とか「そうだったかも」と十分思わせるところがある。

「ドンピシャではないが、かなりいいセン」
これがこれらのテクニックがどこか魅力的に見える秘密なのかもしれない。

 

現代文の問題の選択肢における「ちょっとピントが外れている」は、
正解かもしれないがつまらない。

しかし、入試問題といった狭い世界から、外の広い世界に目を遣ると、
「ちょっとピントが外れている」ということが、
それそのものの魅力になっていることはけっこう多い。

 

写真に詳しい友人が、すごい眼力を持つある先生の話をしていた。
その先生、生徒の作品を見て、
「撮影に使ったレンズをメーカと共に当てる」という。

次々とレンズを的中させて驚く生徒を前に先生は言ったそうだ。
ピントがピッタリ合っているところは、どのレンズで撮っても同じ。
 レンズの個性はボケているところに出る
」と。

 

ピントとボケから、話が逸れすぎてしまった。
まさにボケすぎてしまったかもしれない。
しかし、「合う」ということがいつも正解とは限らない。
魅力はボケにあったりもする。

 

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2013年6月16日 (日)

どうだっていい

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どうだっていい

- 安藤忠雄さんが撮った写真 -

 

AKB48の総選挙とやらが終わった。

総合プロデューサーの秋元康さんは、自分が仕掛けたこのお祭りを
どんな思いで見ているのであろうか?

その秋元さんが、建築家安藤忠雄さんとのエピソードを新聞の小さなコラムで
紹介していたことがある。 (2009年2月5日 朝日新聞夕刊:以下水色部 引用)

 

安藤さんの他にもU2のボノと、豪華な顔ぶれだ。

 U2のボノと安藤忠雄と会食した時のことだ。

ボノの英語を必死に理解しようとする僕に安藤忠雄が言った。
「言葉なんかどうだっていいよ」
記憶は曖昧だが、そんなような趣旨のことだった。

 世界的な建築家は、言語以上のもので会話をするんだと、僕は感動した。
英語も話せるのだろうが、彼は大阪弁を連発していた。
英語より、その大阪弁が通じていたような気がする。
大切なのは何を伝えたいか、だ。

 

世界中を忙しく飛び回っている安藤さんだが、安藤さんなら、
たしかに、あの大阪弁でどこでも自在にコミュニケーションがとれるのではないか、と思えてしまう。
いつ聞いても、まさに伝えたいものがあふれている熱い語り口だ。

 会食後、U2の熱烈なファンである僕のマネジャーが
ボノと写真を撮りたいと言った。

安藤忠雄がマネジャーのデジカメのシャッターを押してくれた。
光栄なことである。世界の安藤忠雄自ら撮ってくれたのだから。

 帰りの車に乗ってから写真を見ると、
手元が狂ったのかピンボケだった。
それでも、何やら、不思議なエネルギーを感じる写真だった。
ピントなんかどうだっていいのかもしれない。

ピントなんかどうだっていい。
ボノと一緒に過ごしたことの価値はピントにあるわけではないのだから。

今、直面していることは「どうだっていいこと」ではないのか、
そう自問することは「どうでもよくないこと」を考えるキッカケにはなる。

 

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2013年6月12日 (水)

女言葉に命令形はない!?

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女言葉に命令形はない!?

- he said、she saidがいらない言語 -

 

劇作家の永井愛さんが、
「『ら抜き』の夢から」という文章を文芸誌「すばる」(1998年3月号)に寄せていたが、
その中に興味深い記述があった。(以下水色部引用)

永井さんは、のちに、舞台作品としてさまざまな賞を受賞し、
その後NHKのドラマにもなる「こんにちは、母さん」を発表した劇作家だ。

このドラマ、笑いあり涙ありの会話劇だったが、単なる感傷的な物語ではなかった。

言葉そのものとしては、なにげないことを言っているのに、
セリフが往復すると、そこから、これまでのふたりの関係や
深い部分にある悪意や善意、迷いや決意、
そういったものがふわぁっと立ち上がってくる感じで、
まさに脚本の妙、セリフのプロを感じさせる作品だった。

そのセリフのプロが、日本語の女言葉のある面に驚いている。

 金田一春彦氏の著書『日本語』には
「男女の言葉のちがいがあるのは文明国の言語には例が少なく」
「主として未開民族国の言葉に見られる」とある。
へえと思った。
英語は勉強したはずなのに、男女が同じ言葉をしゃべっていると
気づかなかったのだから驚く。

 宇佐美まゆみ氏の編著『言葉は社会を変えられる』にはこうある。
「(日本の女は)だれかに何かを強く要求したいような時でさえ、
 『片づけてよ!』『やめて!』と、命令形でなく、柔らかい依頼形を使う

 そうか、日本の女言葉には命令形がないのだ。
命令形にすると、たちどころに男言葉になってしまうのだ。
女言葉をつかいながら、こんなことも知らなかった。

 

「日本の女言葉には、命令形がない」

念のため出典も参照してみよう。

宇佐美まゆみ編著『言葉は社会を変えられる』(明石書店)
 (以下薄茶部、引用・要約)

本では、れいのるず秋葉かつえ氏と対談しており女言葉について熱く語っている。

男言葉では「おい、ビール飲むか?」と普通体を使えるのに、
女言葉では「あなた、ビール飲みますか?」と丁寧体を使わなければならない。

言葉だけで性が明確にわかると、誰が言ったのかをいちいち記述する必要もなくなる。

よく例に挙げられるのは、英語の小説では、会話の描写にいちいち、
he said、she saidと付けないと話し手の性がわかりにくいのに対して、
日本語の場合、

  「君は早起きなんだね」
  「ゆうべ眠れなかったの」

だけで、話し手の性がわかると言われますね。

・・・
「早起きなんだね」「ゆうべ眠れなかったの」の話し手の性を入れ換えるためには、

  「早起きなのね」
  「ゆうべ眠れなかったんだ」

とすればいい。

つまり、男性の言葉と人々が判断する表現には、
いわゆる「断定の助動詞<だ>」がついており、
逆に、女性の言葉らしくするには、
断定の助動詞<だ>を取ればいいということなんです。

 

依頼形の話も、永井さんが引用した例のほか、次のような例も挙げている。

親しい間柄で多少イライラしながら「早く来い」ということが言いたいとき、
男性は「早く来いよ」と命令形を使うのに、
女性は「早く来てよ」と、依頼形を使う。

「女言葉」における命令形は依頼形になる、は
おもしろい指摘だと思うが、この「女言葉」について、
編著者宇佐美さんも対談相手も、通して妙にご立腹のご様子だ。

幾多とある女性にかかわる前近代的な価値観が埋め込まれた言葉を、
深く考えることなく、
あるいは単なる符号だと言い聞かせながら使っているのである。

とか、

実質的には命令したいようなときにも、女性はご依頼しないといけない、
というように言語形式はなっている。

ふつうは、そこまで考えて話すことはありませんから、
特に問題視もしないでしょうが、一度気づくと、いわゆる女言葉というものが、
社会がこれまで女性に期待してきたことを如実に反映しており、
それが知らず知らずのうちに女性に対する制約にさえなっていると
考えずにはいられなくなります。

とか。

 

そのうえ、依頼形のことだけでなく、こんな指摘までしている。

「悪妻」という言葉はあっても、「悪夫」という言葉はない。
「悪妻」という言葉は、謙虚な女が自らを「悪妻」であると反省する気持ちを
強化している。
それに対し自らが「悪夫」であると顧みたことのある男がどれほどいるだろうか。

まぁ、そうイライラせずに、新明解国語辞典で「悪妻」でも引いてみて下さい、
と声をかけたくなる。

 あくさい【悪妻】
            第三者から「わるいつま」と目される女性。
            [当の夫は案外気にしないことが多い]

 三省堂 新明解国語辞典 第5版

「当の夫は案外気にしないことが多い」ンですから。
それにしても・・・さすが新解さん、すばらしい国語辞典だ。

 

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2013年6月 9日 (日)

便は便りで、かつ・・・

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便は便りで、かつ・・・

- 食事中の方、スキップを -

 

青木皐『人体常在菌のはなし -美人は菌でつくられる-』(集英社新書) 
を読んでいたら、興味深い記述があった。(以下水色部、引用・要約)

腸内常在菌と皮膚常在菌に関して印象に残った2つのトピックスを紹介したい。

 

まずは腸内常在菌から。

健康な人の腸内には400種を越える、
総数で約100兆個もの腸内細菌がバランスよく住みついています。

とのこと。

その腸内常在菌がバランスよく育っているのかどうかは、
ウンチを見ればわかるのだが、そのウンチ、
主成分は「食べ物を消化したカス」だと思っていないだろうか。

ウンチというものは、
 * 食べ物が分解された残りのカスと
 * 腸内常在菌やその菌の死骸などと
 * 水分
で構成されている。

では、「食べ物が分解された残りのカス」は
どの程度の比率を占めるのだろうか。
数字を見て目を疑った。

水分以外の固形物のうち、食べ物のカスはほぼ三分の一、残りが菌である。

繊維の多いイモ類、玄米などをたくさん食べている人ならば
食べ物のカスは二分の一から三分の二程度になるかもしれないが、
現代日本の平均的食事からすると、
食ベカスはせいぜい三分の一程度に過ぎないと思われる。

平均的食事をしている人にとって、ウンチの主役は「食べ物のカス」ではないのだ。
「食ベカスはせいぜい三分の一程度に過ぎない」らしい。

その分、ウンチは腸内細菌の様子を伝えるすばらしい健康バロメータとも言える。
では、どんなウンチがいいのか。

詳しい説明は本に任せるが、一言で言えば、「黄色くて軽い」がキーワード
黒くて硬くてくさいのは×。
まさに内臓からの便り、便とはよく言ったものだ。

 

もうひとつは、皮膚常在菌の話。
こちらは、皮膚全体で一兆個。

 あなたの皮膚がしっとりつやつやしているのならば、
表皮ブドウ球菌という常在菌がとても元気に暮らしている証拠だ。

暮らしというのは、必要なものを取り入れ、不要なものを出すことで、
この場合は、皮脂や汗の成分を取り入れ、酸を出すのである。

腸内常在菌と同様、出したもののことを産生物質とよぶ。
平たくいえば、表皮ブドウ球菌は、皮脂や汗を「エサ」にし、
酸性の「オシッコやウンチ」をして皮膚上で暮らしているということである。

このオシッコやウンチが皮膚上にあり、それが、さらに汗や皮脂と混ざって、
皮膚はしっとりするのだ。

「しっとりつやつやの肌」は、皮膚上にある常在菌のおかげ。
しかも常在菌の「オシッコやウンチ」のおかげ。
あまり聞きたくない説明かもしれないが、
それが事実ということであれば、菌とは仲良くやっていくのが一番だ。

 菌だけでも気持ち悪いのに、そのオシッコとウンチなど耐えられないと、
やっきになって身体を洗い、抗菌パウダーか何かをふりかけたとしよう。

あなたの皮膚は、カサカサとなり、かゆみが出たりする。
あるいは、部分的に異常に脂っぼくなってきて、ブツブツができたり、
ジクジクしたりし始める。
その状態は、表皮ブドウ球菌とは違う種類の菌が増殖し始めた証拠である。

 先述したように、しっとりつやつや肌に多く棲む
表皮ブドウ球菌の産生物質は弱酸性であり、
皮脂の脂肪酸とともに、皮膚表面を弱酸性に保つ。
病原菌の多くはアルカリ性を好むから、弱酸性に保たれた皮膚に付着しても、
そこで増殖したり皮膚内部に侵入したりはできない。

つまり、皮脂と表皮ブドウ球菌の産生物質は、
皮膚のバリアの役目を果しているのだ。
「菌なんかいやだ!」と無菌をめざして身体中の皮膚を洗いまくったとすると、
表皮ブドウ球菌が少なくなり、皮膚はアルカリ性に傾き、
外からアルカリ性を好む病原菌が付着し、
増殖を始めてトラブルを起こすことになる。

人間と常在菌は共存共栄関係にあるのだ。
清潔志向が行き過ぎてもいいことはなにもない。

「ウンチのうち、食ベカスはせいぜい三分の一程度」

「しっとりつやつやの肌は、皮膚上にある常在菌のオシッコやウンチのおかげ」

菌との共存は、その便との共存でもある。

 

 

オマケ:
常在菌とは関係がないが、便に関する小ネタを二つ。

(A1) 以前、あるお医者さんがラジオで言っていた。
    「大便は一週間でなくても、命に関わるようなことはゼンゼンないが、
     小便は一週間でなければ死んでしまう。
     体にとっての重要性という意味では、むしろ小を大と呼んでもらいたいくらいだ」

(A2) オシッコやウンチと聞くと、いつも思うこと。
    誰が名付けたかは知らないが、液体と固体を見て、
    「小」と「大」で表現しようとした先人のセンスには感服してしまう。

 

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2013年6月 5日 (水)

サッカーに専念できるということ

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サッカーに専念できるということ

- 代表を断ってくる選手 -

 

6月4日、日本が2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会への出場を決めた。
本田選手のPKのとき、
「どうしてこういうときは正座したくなるンだろう」と
ヘンなことを思いながらテレビの前で応援していたのだが、とにかく決まってよかった。

熱烈なるサッカーファンではないけれど、世界レベルの大会に自国が出られる、
出られる選手がいる、というのはやはりうれしい。

前の日本代表監督イビチャ・オシムさんも、
このニュースを世界のどこかで聞いているだろうか。

PKではなく、PK戦についてだが、木村元彦さんの著書
「オシムの言葉  - フィールドの向こうに人生が見える - 」(集英社文庫)
に忘れられない記述がある。(以下水色部、引用・要約)

今日はそれを紹介したい。

イビチャ・オシムさんは、旧ユーゴスラビア代表の監督のほか、
ジェフユナイテッド市原・千葉の監督としても
多くの輝かしい実績を残している。

2006年に日本代表監督に就任。
ところが、翌2007年に脳梗塞で倒れ、
一命は取り留めたものの、監督を続けることができなくなってしまった。
1941年生れなので最初から年齢のことは心配されていたが、残念な交代だ。

 

最初の単行本は、代表監督就任後に平積みされていたので、
単なる便乗商品か、などと勘違いしていたのだが、初版は代表監督就任の前。
代表監督になったから、と書かれたものではない。

題名に反して語録がメインではないので、
ウィットに富んだ言葉を連発するオシム監督の言葉<だけ>を期待して読むと
ものたりないかもしれないが、丁寧な取材は、それをはるかに上回る
オシム監督の圧倒的な人の大きさを描き出している。

ゴールした選手だけでなくアシストした選手もよく見ているとか、
よく走らせるとか、選手に考えさせるとか、
それまで新聞等で何度も報じられた話ももちろん出てくるが、
最も強く印象に残ったのは、ユーゴ回りの国勢とその中での監督という
およそ想像すらできない重圧に関する話だ。

まず簡単にユーゴスラビアの複雑さに触れておこう。

 5つの民族、4つの言語、3つの宗教、ふたつの文字、を内包する
モザイク国家(実際はこの数え歌よりもっと複雑だ)ユーゴの中、
各共和国、各民族のナショナリストたちは自分たちの求心力を高めようと煽る。

彼の国の監督は圧力に屈しない意志が必要とされる。
そしてまたそれぞれに出自が異なる選手たちをすべて束ねなくてはならない。

その複雑さから、代表を断ってくる選手もいる。

 オシムが代表に必要だと思った選手に招集をかける。
すると電話が入る。受話器の向こうの声は憔悴し切っている。

「監督、自分を呼ばないで下さい」

 クロアチアやスロベニアに住む者にとって、
ユーゴ代表へノミネートされたことが知られると、
その去就が大きくクローズアップされる。

 よもや同胞を裏切って代表に行くようなことはしないだろうな?
有形無形の圧力が選手には降りかかる。

 オシムの下でサッカーはしたい。
しかし、自らの判断が、自分だけではなく、
家族や親戚にも影響を及ぼす危険すらある。
ならばその苦しい決断を迫られずに済む立場に身を置きたい。
それが選手の気持ちだった。

それでも、祖国崩壊が始まる直前の1990年、
ユーゴスラビアはワールドカップに出場する。
しかも、準々決勝まで勝ち進み、マラドーナを擁するアルゼンチン相手に、
1人欠きながらも120分間無失点で戦いぬく。

しかし、それでも決着がつかない。
そしてついにPK戦となる。

その時、アルゼンチン相手に120分間戦ってきた選手が、
ベスト8まで勝ち進んできた選手が、
監督に「蹴らせないでほしい」と言って、スパイクを脱いでしまう。
一人ではない。9人中7人までもが。

監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。
オシムの下で9人中7人がそう告げて来たのだ。

彼らはもうひとつの敵と戦わなくてはいけなかった。

「疲労だけではない。問題は当時の状況だ。
 ほとんど戦争前のあのような状況においては
 誰もが蹴りたがらないのは当然のことだ。

 プロパガンダをしたくて仕方のないメディアに、
 誰が蹴って、誰が外したかが問題にされるからだ。
 そしてそれが争いの要因とされる。

 そういう意味では選手たちの振る舞いは正しかったとも言える。

 PK戦になった瞬間にふたりを除いて皆、スパイクを脱いでいた。
 あのピクシーも蹴りたくなかったのだ」
....

 いよいよベスト4をかけた蹴り合いが始まる。
しかし、オシムは5人を決定すると、
クルリと踵を返してベンチから消えていった。
....

 ストイコピッチが外し、マラドーナが止められた
W杯史上に残ると謳われたあのPK戦をオシムは見ていない。

 敗戦をロッカールームで知った。

国代表の監督・選手になるということが、国によっては、
まさに比喩ではなく命がけなのだ。

喜んで国の代表になれるということは、
民族間の紛争や家族・親戚の身の安全、それらを気にすることなく、
国の代表としてサッカーに専念できるということは、
その代表を無心に応援できるということは、
もうそれだけで、幸せすぎるほど平和なことなのかもしれない。

 

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2013年6月 2日 (日)

「いま、どこ?」

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「いま、どこ?」

- 人間、本当のことは、一回しか言わない。 -

 

いただいたコメントにドラマに関する部分があったので、今日は関連するネタで。

NHKのドラマ「第二楽章」。
話はもう終盤だが、第一話から板谷由夏さんの演技がすばらしい。

思い返してみると、板谷さんを最初に意識して見たのは、
内田けんじ監督の「運命じゃない人」という映画だった。

この映画、公開当時は全く知らなかった。
ある日、ラジオを聞いていると内田けんじ監督がゲストで呼ばれ、
次のような話をしていた。

 

(1) 「いま、どこ?」
高校卒業後、アメリカに映画の勉強に行っていたが、
日本に帰ってきたら携帯電話の普及率が一気にあがっていた。

あるとき、歩きながら電話をしている若者が
「いま、どこ?」
と言っている声が耳に入ってきた。

「いま、どこ?」って固定電話しかなかったころにはありえない会話だ。
固定電話に電話しておいて「いま、どこ?」と聞くことはない。

携帯電話になって突然登場したこの会話はおもしろい。
電話をしているけれど、相手がどこにいるのかはわからない。
すぐそばにいるのかもしれない。
この「いま、どこ?」を活かした脚本を書けないものか、と。

 

(2) 「おもしろい映画は予算じゃない」
日本に帰ってきてから、日本の映画関係者と話をすると、
「予算がないから」と
おもしろい映画が作れないことを、制作費のせいにするような言葉を何度も聞いた。

おもしろい映画は予算で作るものではないはずだ。
「よし、それなら低予算でもこんなにおもしろい映画が作れるンだ、ということを
 見せてやろうじゃないか」

 

このふたつが強い動機となり「運命じゃない人」の脚本を書いたという。

ラジオを聞いた日の帰り、早速DVDを借りてきて観た。

なるほど。
「いま、どこ?」(実際のセリフは「おまえ、どこにいるんだよ」)も、
電話相手との位置関係も、
『そう来たか』という発想で作品に埋め込まれ、形になっている。

そして、もっとも重要な、かつもっともむつかしいであろう
「低予算でもおもしろい映画は作れる」もみごとに証明してみせている。

五人の登場人物の一晩の物語。
ちょっとした、なんでもないセリフも、実にうまく選んである。

アイデアとセリフ、構成の練り具合が絶妙で
肩肘張らずに楽しめるエンタテイメントとしてお薦め。

まさに創作。ゼロからこれを生み出せるなんて素晴らしい。
もちろん板谷さんも重要な役で大活躍だ。

 

なお、この映画、これからご覧になるという方は、
ストーリーや登場人物に関して一切の事前情報なしで観ることをお薦めする。

ネットでの検索はもちろん、
レンタル店でのパッケージの解説もすべてスキップしたほうがいい。

(というわけで、これまで通りamazonへのリンクは貼っておきますが、
amazonのカスタマーレビューも、もし読むなら見終わってからゆっくりどうぞ。)

 

なお、内田監督、高橋酒造株式会社の15秒のCMの演出も手がけている。
各編「人間、本当のことは、一回しか言わない」のコピーが活きている。
もし、ご興味があればこちらもどうぞ。
(右側で選んで、左側の三角マークで再生。全部で13本)

 

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