驚くべきマラリア療法
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驚くべきマラリア療法
- 自然治癒を待つか、薬投与か、はたまた... -
佐藤健太郎さんの著書「医薬品クライシス―78兆円市場の激震」(新潮新書)
を読みながらの、薬の話、4回目。(以下水色部 引用・要約)
今日は、「薬の効果の試験」でよく話題になるプラセボ(偽薬)の話から始めたい。
薬だと言って与えると小麦粉でも効く場合がある、というアレ。
【プラセボ(偽薬)による試験】
プラセボ(偽薬)とは、薬に似せて作った偽の薬剤のことだ。
人間の体とは不思議なもので、これは効く薬だと信じて飲むと、
たとえ中身が小麦粉でもなにがしかの効果を発揮することがある。
この可能性を除くため、試験の際には何人かにこのプラセボを飲ませ、
比較対象とすることになっている。
また数人ずつに投与量を変えて投与し、その効果を比較することも行われる。
もちろん候補化合物を飲む本人が「これはプラセボだ」と知っていたのでは
何にもならない。
このため被験者にはそれが本物なのかプラセボなのか、
どのくらいの投与量であるのかは一切知らされない。
また、投与してデータを取る医師(または試験施設の職員)の側も、
投与量の多少やプラセボが誰に投与されるのかを知っていると、
治療やデータの取り方に影響が出ることがありうる。
このため、医師の方にも用量は全くわからないようにして試験が行われる。
医師と試験参加者両方に情報を隠した試験であるため、
これは二重盲検法(ダブルブラインドテスト)と呼ばれる。
二重盲検法は、人間の意思の介入によるデータの狂いを防ぐため、
科学分野全般で行われる重要なテスト法だ。
これを、単にニセ薬との比較による試験、とだけ考えていると、
倫理的な大きな問題を見逃してしまう。
【プラセボ試験の倫理的問題点:試験台になる人は】
しかし臨床試験の場合、ここで倫理的な問題が生じる。
健康な人を対象とした第Ⅰ相試験はともかく、病気に苦しむ患者に、
効果がないとわかっているプラセボを飲ませて実験をすることが
許されるのだろうか?
候補化合物の厳密なデータが得られることによって
将来何十万という患者が治るとしても、
そのために目の前の一人を見殺しにしてよいはずはない。
このため現在は、確立された医薬がある病気に関しては、
その医薬を投与した患者を比較対照群として試験を行うよう
勧告が出されている(ヘルシンキ宣言)。
これに従えば、プラセボを用いるのは
確立した治療法のない疾患に限ることになる。
既存の薬がある病気に関しては、プラセボ相手ではなく
現在の標準的治療法に勝たないといけないわけだ。
しかしどこまでを確立した治療法とみなしてよいのか、
この方法で医薬候補化合物の効能を本当に正確に見極められるのか、
議論の尽きない部分でもある。
なるほど。確かに治したい病気があるのに、小麦粉だけを飲まされたのではたまらない。
言うまでもないことだが、
薬には作用だけがあるわけではなく、副作用もある。
したがって、薬を投与すれば必ず副作用のリスクを負うことになる。
このリスクを負ったとしても、自然治癒力だけに任せるよりはまだマシ、
そうなったとき初めて薬を使う意味がある。
病気によるリスク、自然治癒力、薬の作用、薬の副作用、
これらを総合的に判断して、最小のリスクを考えることが医療なのだ。
自然治癒を待つか、薬を使うか、が最初から決まっているわけではない。
したがって、この判断のもと、ある時期、
驚くべき療法が採用されていたことがある。
【総合的に見てリスクを下げる:驚くべきマラリア療法】
医薬とは、病気によるリスクをゼロにするものではない。
薬を投与せず、自然治癒カだけに任せるリスクよりも、
薬を投与した方が総合的に見てリスクが小さくなると
見込まれた時に使われるものだ。
...
例えば、かつて梅毒が不治の病とされていた時代には、
「マラリア療法」という非常に危険な治療法が行われていた。
これは末期の梅毒患者をわざとマラリアに感染させ、
その高熱によって体内の梅毒病原体を殺して治療するというものだ。
当然ながら少なからずマラリアによる犠牲者も出たが、
驚いたことにこの治療法を開発したJ・W・ヤウレッグは、
その功績で1927年のノーベル医学・生理学賞を受賞している。
当時の医学水準では、座して死を待つよりもマラリア療法に賭ける方が、
遥かに「合理的」な手段であったのだ。
もちろん現代では、こんなハイリスクな治療法は試験すら許されないだろう。
しかし、「総合的に見てリスクを下げる手段」という考え方自体は、
今も変わってはいない。
梅毒患者にマラリアを感染させる、という荒療治がノーベル賞!
「総合的に見てリスクは下がるから」が治療法として採用された理由とは。
「リスクが下がるなら他の病気に感染させてもいい」は、
ひとによって意見のあるところだろう。
つねにリスクとの駆け引きの中で選ばれる治療方法。
自然治癒を待つ、が最良の選択ということだってある。
薬の話、もう少し続けたい。
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