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2013年5月 8日 (水)

一億円と一兆円

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一億円と一兆円

- 「幸せってこんなもん」って、何や -

 

元弁護士の中坊公平さんが2013年5月3日亡くなった。83歳だったという。

薬の話の途中ではあるが一回お休みして、今日は中坊さんの話を書きたい。

社会派弁護士としての数々の輝かしい実績については、
追悼の記事とともに新聞その他マスコミがすでに要領よくまとめてくれている。

ここではそういった実績一覧には登場しないであろう
小さなエピソードをふたつ紹介したいと思う。

 

ひとつ目は、旧住宅金融専門会社(住専)の6兆円を超える不良債権問題に
取り組んでいたころの話。

「億だ兆だと言うけれど、たいそうな額という意味ではもう同じことで、
 6兆円と言われてもピンと来ないンです」

不良債権の話をすると市民の方からよくこう言われるらしい。
これについて、こんな説明をしていた。

「毎日100万円を使ったとします。休まずに毎日です。すると
 一億円は、100日、つまりたった3ヶ月で使い切ってしまいます。
 でも、一兆円使うには、その1万倍、つまり2700年以上もかかるのです」

「キリストが生まれたころから、一日も休まずに100万円を使い続けたとしても、
 まだ2000年程度、一兆円はぜんぜん使い切れません。
 それどころか、これから先700年くらいは使い続けられるのです。
 2000年使ってきたのに、まだ700年分も残っているンですよ」

毎日100万円を使ったとして、
一億円はたった3ヶ月で使い切ってしまうのに、
一兆円を使うには2700年もかかる。


一日も休まず100万円を使い続けて2700年って。

なんという例だろう。
億と兆に関して、これまで聞いた中で一番インパクトのある説明だった。
震災後、原発処理等で兆のつく額をよく見るようになったが、
見る度にこの話を思い出している。
一兆円とは、毎日100万円使っても2700年使い続けられる額なのだ。

 

ふたつ目は2000年に中坊さんが朝日新聞に連載していた
「金ではなく鉄として」というコラムから。
2000年10月9日に掲載された第9回。
こんなふうに話は始まっている。

山のあなた 「幸せってこんなもん」って、何や

       中坊公平 金ではなく鉄として 第9回

 私が父の実家で田畑を耕すうちに戦後も既に3年目。
世の中は復興の歩みを速め、学生たちも戦後大きく開かれた未来に向け、
青春を取り戻していった。

 だが、家が傾いた私は相変わらず家族の「食」を担い、
学業を放棄せざるを得ない生活が続いた。
展望が開けない自分の将来に暗たんとし、心身をはむ労働の疲労も重なって、
私はあきらめから自棄へと陥っていた。

そんなつらい日々、ある家族の情景を目にした父親がぽつりとつぶやく。

 そんな苦い日々の、秋の夕暮れのことだ。
一日の農作業を終えて、私は父と家路についた。その父が、ふと立ち止まった。

 私たちの前を、家族連れが去って行く。
一日の収穫と子どもらをリヤカーに乗せ、お父さんが引き、
後ろからお母さんが押し、クワを担いだおじいさんが付き添っている。
引き込まれるようにそれを見つめていた父が、突然

「公平、幸せっていうのは、こんなもんかもしれんな」

とつぶやいた。

 粗野一方とばかり思っていた父のその言葉も、
遠ざかるリヤカーを立ち尽くすように見送っていた姿も、
ひどく意外だった。

「『幸せはこんなもん』って、どういうことや」

父親の言葉の意味がすぐにはのみこめなかった中坊さんは、
その夜、あることに思い当たる。

 その晩になって、「そうだ、あれだ」と思いついた。

その時の打たれたような驚きと、安どは忘れられない。

私が幼いころから母がしばしば口ずさんでいた詩が胸に浮かび上がり、
私に目を開かせてくれたのだ。

 

   山のあなた

   山のあなたの空遠く
   「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
   噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
   涙さしぐみ、かへりきぬ。
   山のあなたになほ遠く
   「幸」住むと人のいふ。
      (カール・ブッセ作、上田敏訳)

 

 幸せは彼方(かなた)にあると聞き、求めて行ったが、
むなしく泣いて帰った。それでもなお遠くに幸せはある、と人は言う。

そういう嘆きだが、この詩が人の胸に呼び起こすものは、それだけなのか。
幼かった私が意味も分からないまま暗記してしまうほど、
母がしじゅう口にしていたのは、なぜなんや。
ずっと気にかかっていた詩だった。

 その謎(なぞ)と、父のつぶやきの不思議が、
両方合わさることで解けたのだ。

幸せは彼方にあるのではなく、人が気づこうが気づくまいが、
実は日々の暮らしに、何げなく添うておるのやないか。
母も自分にそう言い聞かせていたんではないか。

 母の胸の内を確かめたことはないが、
結婚生活は必ずしも幸せではなかった。
戦前の小学校で父らと校長排斥運動をやり、共に辞職し、
家の反対を押し切って結婚。

志を分かち合った者どうしが、愛情でも結ばれて船出したはずだったが。

 父は確かにある種の傑物だったが、一方でよう遊び、
妻としての母を苦しめた。母は、子どもといる時、
幸せをかみしめようとしていたのではないか。

母親が口ずさんでいた詩と、父親のつぶやきが合わさることで、
ひとつの啓示となって中坊さんの胸に広がっていく。

最後、こう結んでいる。

 幸せは身近なところに、それを感じられる人の胸の中に――
これは、本当の幸せをつかまなかった者の諦観(ていかん)なのだろうか。

 そうではないと私は思っている。
当時私は、自分が何のためにこの日々を生きているのか、途方に暮れていた。
その日その日生きていく力をどこから得たらよいのか。
そんな私にとって、これは啓示となった。

 何の具体的な道も見えてこないことに変わりはないけれど、
あたりの空気がうっすら明るさを帯びてきたようだった。

 

冷静な敏腕弁護士というイメージからは程遠い、
高い声で情熱的に、ときに涙まで浮かべて喋りまくる特徴のある話し方。

社会的に「大きな問題」に取り組みつつも、
青臭いほどの理想を口にしながら、徹底した現場主義で挑んでいったのは、
この「幸せっていうのは、こんなもん」が常に頭の中にあり、
ただそれだけを取り戻すべく尽力したからではなかったか、
そう思われてしかたがない。

ご冥福をお祈りいたします。

 

オマケ:
ひとつ目に紹介した

「毎日100万円を使ったとして、
 一億円はたった3ヶ月で使い切ってしまうのに、
 一兆円を使うには2700年もかかる」

の話、ある酒の席でしたら、
メンバのひとりだった銀行員がひと言、こうつぶやいた。

「でも、そういうヤツが2700人いると、
 たった一年でなくなっちゃうンだよな」

 

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コメント

1年以上も前の記事にコメント、すみません。
ちょうど友人と、「大変な状況、あるいはうんざりするほどありきたりの日常でも、
心の持ちようによって全く違って見える」という話をしたばかりだったので、
在りし日の中坊公平さんの面影と共に、とても心に響きました。

「山のあなたの空遠く」
まるでおまじないのように、唱えると沁み入りますね。
上田敏の名訳は翻訳を越えています。

mimosaさん、コメントをありがとうございます。

>上田敏の名訳は翻訳を越えています。
ほんとうにその通りだと思います。
まさに「おまじない」のように繰り返すと
不思議な世界が広がってくるンですよね。

幸福の捉え方は、自分でも驚くほど
歳を重ねるに従って変わってきました。
拙ブログ「はまめも」

M120.幸福な家庭はどれも似ている?

にも正直な気持ちを少し書きましたので、
もしよかったら覗いてみて下さい。

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