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2013年5月

2013年5月29日 (水)

古書店巡りの夢

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古書店巡りの夢

- 淋しさをひとに言うな。 -

 

「初老」とは何歳の人を言うかご存知だろうか。
辞書で引くと「四十歳の異称」とある。
初めて知った時は、かなりショックだった。

本人が老かどうかはともかく、
老いを意識できるようになるのには、
やはりある程度の年齢が必要な気がする。

老眼のような、だれにでも説明できるようなことではない部分で、
老いを感じた瞬間の、ちいさな戸惑いの体験が必要だと思うからだ。

 

久世光彦さんが、「ある秋の一日……」という文章を
雑誌「ノーサイド」(1992年11月号)に寄せたのは、
久世さんが57歳のとき。(以下水色部、引用・要約)

57歳なんてまだまだ先、という方も、
とっくに過ぎてしまったよ、という方も、
書いている久世さんの年齢を意識しながら読んでいただきたい。

 

ある秋の一日……
    久世光彦 (くぜてるひこ:テレビ・ディレクター エッセイスト)

 お金をたくさん持って、秋の一日神田の古書店を巡り歩き、
欲しいと思った本をみんな買えたらどんなに嬉しいだろうといつも考えていた。

ちょっと大げさに言えば、それは積年の夢だった。
私には古書蒐集趣味はまるでないから、
欲しい本と言ったって一冊何万円もする稀覯(きこう)本のことではない。

刊行当時お金がなくて買えなかったり、
迷った挙げ句買いそびれていまは絶版になっている本とか、
子供のころ親の目を盗んでこっそり読んだ本とか、
せいぜいそんなものなのだが、それでも夢は夢だった。

 だからある秋の一日、
一生その程度の望みも遂げられないで終わったとあってはあまりに残念なので、
だいぶ無理をした大金を懐中に神田へ出かけたことがある。
予(かね)てからイメージしていた通りの明るい九月の朝だった。

「余裕のあるお金を持って、神田の古書店巡り」
なんともいい夢だ。
その日のワクワク感が伝わってくる。

神保町の裏通りに車を置いて、
買った本がある分量になったらそこへ戻って夢の一部を積み込み、
それからまた次の店へ行くという段取りもちゃんと考え、
普段はあまり使わないことにしている老眼鏡をかけて
一軒目に入ったのが午前十時 - 私は変に昂揚していた。

思う存分買えるように、積み込む車まで用意しての出陣。
それはそれは「昂揚していた」ことだろう。

ところが、オチから先に言うと、それから三時間あまり経った昼すぎ、
私はたった二冊の本を持って表通りの喫茶店で溜息ついていた。
買いたいと思った本が二冊しかなかったのである。

一冊は二十年ほど前に金園社というところから出た
『大木惇天(あつお)詩全集』の第二巻で、
・・・
もう一冊は、店頭のワゴンにあった『日本のいろ、今昔』という、
縹(はなだ)色とか、半(はした)色とか、滅紫(けしむらさき)とか、
日本独特のいい色について書かれた本で、
・・・

しかし、いずれにしても古書として高価なものでもないし、
珍しいというほどのものでもない。

 欲しい本がないのである。
学生のころから古書店の黒ずんだ棚を見上げて
くやしい思いをしていた本が何もないのである。

変な気持ちだった。
小走りに一度車に戻って出直すどころか、一冊ずつポケットに入れたら
それでおしまいなのである。

昂揚して臨んだのに、3時間でたった2冊。
時間や冊数の問題ではなく、気持ちの問題。

「欲しい本がないのである」
この言葉は、欲しい本がない、という事実を語っているのではない。
表現されているのは、歳をとることのさみしさだ。

・・・
置き場所とか、引っ越しの際の手間を考えてのことではない。
どうしたことか、私の気持ちが欲しがらないのである。
あんなに厖大な本の中を三時間も歩いてたったの二冊
- 私は淋しくなった。

・・・
それにしてもどうしてこんなに欲しい本がないのだろう。

何かとても大きなものを取り落としたような失望と、三時間の、
その日の朝の意気込みからすれば徒労に近い歩行とで、
私はすっかり疲れてしまっていた。

・・・
 その日のことを考えると、いまも不思議である。
読みたい本は限りなくあるとずっと思っていた。
古書街を歩けば、目が廻るはずだった。

長い間、薄闇の中の宝石だと思っていた本たちは、
どうして輝きをなくしてしまったのだろう。

あのころとおなじように、いまも私の心は満たされていないはずなのに-。
たぶん-そこで私は思うのだが、たぶん変わったのは私の方なのだ。

秋のある日、お金をたくさん持って古書街をそぞろ歩くことを想うのは、
いまも素敵なロマンであることに変わりはないのだが、
いざ本たちを前にすると、気力が失せてしまうのだ。

あるいは、これから先に残された時間への不安が、
無意識のうちに欲しいという気持ちを押さえてしまうのかもしれない。
どっちにしても、輝きをなくしてしまったのは、
本たちではなく、私の方なのだ。

 

久世さんの文章を読んでいたら、ふとある曲の歌詞の一部が聞こえてきた。

中島みゆきさんの曲「ローリング」から。(以下薄茶部、歌詞の引用)

Rollin' Age 淋しさを
Rollin' Age 他人(ひと)に言うな
軽く軽く傷ついてゆけ

Rollin' Age 笑いながら
Rollin' Age 荒野にいる
僕は僕は荒野にいる

 

若いときには想像すらしたことのなかったような淋しさが、
ふっと降りてくることがある。

歌詞のほうは「言うな」「傷ついてゆけ」と命令調なのに、
なぜかやさしい。

「欲しい本がないのである」

そういう時もある。
ひとに言わず、軽く軽く傷ついてゆこう。

 

老いを歌った曲ではないが、もしご興味があれば全曲をどうぞ。

個人的には「中島みゆき」というアルバムに入っている歌の方が好きだが、
Youtubeに見つからなかったので、その五年後に発売された
「時代─Time goes around─」というアルバムのバージョンで。

この曲は曲で、まさにみゆきさんにしか歌えない淋しさが歌い込まれている。

 

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2013年5月26日 (日)

トルコ旅行記 番外篇

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トルコ旅行記 番外篇

- 見えているものはすでに心の中にあるものばかりである。 -

 

トルコ個人旅行の記録を書き上げて約半年。
今日はその番外篇です。(篇の字はこちらを使います)

ちょっとしたお遊びにお付き合い下さい。
会話調のほうが書きやすいので、今回は敬体でいきます。

 

下にある小さな写真は、
今回の旅行で利用したトルコ航空の機体の写真です。
意図があって小さめにしてありますが、クリックすると大きくなるので、
まずは大きくして5秒ほどご覧になってみて下さい。

Tair

はい、閉じましたか。

では、ここで質問です。
「飛行機の機体に何かが大きく描かれていたのですが、
 それがどんな絵だったか思い出せますか?」

 

「えっ?そもそもなにか描いてあったっけ?」という方、
ご心配なく。
旅行の土産話をしながら写真を見せた私の友人も
多くは同じ反応でした。

友人どころか私自身もそうでした。
出発前、成田空港で機体を見ているときは。

 

トルコ国内を旅行していると、
チューリップをモチーフにしたデザインをよく目にします。

陶器その他のみやげ物にもよく使われていますし、
宮殿やモスクのイズニックタイルで見かけることも多々あります。

よく見かけるだけでなく、
チューリップは、もともと「トルコ人の唇(Turk Lip)」が語源だ、
という説まであるように、トルコの国花にもなっています。

代表的なデザインはこんな感じ。

Tlip1t Tlip2t Tlip3t

日本人の子供がよく描くチューリップの絵とは形が違いますが、
花瓣三枚は共通ですし、細身ながら一度見ると忘れられない美しい形です。

カッパドキア、ギョレメの陶器店のお母さんは、このチューリップの図柄も含め、
トルコの伝統的なデザインを、ここに書いた通り
写真や実物の陶器を見せながら、いろいろ紹介してくれました。

その話を聞いた翌日、
カッパドキア(ネブシェヒル)の空港からイスタンブールに移動したわけですが、
ネブシェヒルの空港で、飛行機に向って歩いている途中、
機体を見上げて思わず立ち止まってしまいました。

その時撮った写真がこちら。

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「どうして、いままで気づかなかったンだろう」

 

ではここで最初の写真に戻ります。
トルコ航空の機体、同じ写真をもう一度ここに貼ります。
(クリックして)大きくしてご覧になってみて下さい。

Tair

はい、同じ質問をします。
「飛行機の機体に何かが大きく描かれていたのですが、
 それがどんな絵だったか思い出せますか?」

 

そうなンです。
こんなに大きく、チューリップの絵が描かれていたのです。
コントラスト的に目立ちはしませんが、
はっきりとしたチューリップの絵です。
最初、見えなかった方も、今はもう見えるようになっていることでしょう。

 

アカデミー賞主要五部門を独占した映画「羊たちの沈黙」の
原作者トマス・ハリス(Thomas Harris)の小説に
「レッド・ドラゴン」という作品があります。
その本の扉に次のような言葉がありました。

「人は観るものしか見えないし、
 観るのはすでに心の中にあるものばかりである」

   トマス・ハリス著「レッド・ドラゴン」  訳 小倉多加志

 One can only see what one observes,
 and one observes things which are already in the mind.

人は観ているようで、
見えているものはすでに心の中にあるものばかり、なのかもしれません。
つまり、心の中にないものは目には映っていても見えてはいない...

鋭いというよりもちょっと怖いような言葉で、
一度読んで以来忘れられません。

最初は気がつかなかったのに、
トルコのチューリップのデザインを見たあと
再度、トルコ航空の機体を見たら、チューリップがはっきりと見えた、という方。

そうです。
それはもう「トルコのチューリップ」が「すでに心の中にあるもの」になっている
ということなのです。

ハイ。これからは、何を見ても、
すぐにトルコのチューリップが見つけられることでしょう。

Enjoy!

 

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2013年5月22日 (水)

「ガンなんて治しちゃってほんとにいいんだろうか」

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「ガンなんて治しちゃってほんとにいいんだろうか」

- ガンを克服した人類は、人類にとってのガン細胞? -

 

佐藤健太郎さんの著書「医薬品クライシス―78兆円市場の激震」(新潮新書)
を読みながらの薬の話、6回目、最終回。(以下水色部 引用・要約)

この本の紹介を始めたのは、1回目に書いた通り「イレッサ」がきっかけではある。
が、読み返してみると、興味深い医薬と医薬業界の話が満載だったため、
すでに5回も書いてしまった。

最後はガンについての話。
実は、薬の話で最も書きたかったのは、このエピソードだ。

 

まず、ガンとはどんなものなのか、をおさらいしておこう。

【ガンとはどんなもの?】

ガンは今や日本人の死因の三割を占め、
多くの努力にもかかわらずいまだ決定的な治療薬はない。

ではガンとは一体何であろうか。

 細胞は一生の間に何度も分裂を繰り返し、新陳代謝を続ける。
いわば分裂増殖することこそが、細胞に与えられた使命であるといっていい。

 しかし細胞分裂は、厳重に管理されなければならない。
例えば細胞が増殖していき、
何か他のもの(他の臓器や、プラスチック板などでもよい)に接触すると、
途端に分裂は止まる。

またDNAの末端にはテロメアと呼ばれる細胞分裂のたびに短くなっていく領域があり、
これが一定以下の長さになってしまえばそれ以上の分裂はできなくなる

細胞は必要以上に増殖することのないよう、様々な歯止めがかかっているのだ。

 さらに重要なのは「アポトーシス」という仕組みだ。
細胞は、分裂の際にDNAが複製されるが、この時いくらかコピーミスが出る。
このミスが致命的なものであった場合、
細胞はそれを感じ取ると自ら「自爆装置」のスイッチを押す。
またウイルス感染、放射線などによって細胞に異常が発生した時にも、
やはりこの「プログラムされた自殺」が起こる。

 大事な細胞が何のために「自爆」するかといえば、全体を守るためだ。
異常を来した細胞が分裂増殖を続ければ、体は重大な危機を迎えることになる。
異常な細胞が自ら死を選ぶことにより、全体を健全に保つ
のがアポトーシスの役割なのだ。

アポトーシス機能が壊れてしまうと、細胞は一気にガン化へ突き進み始める。
ガン細胞は無制限に増殖し、他に行き渡るべき栄養を奪い、
様々な物質を放出して体を衰弱させ、やがて宿主と共倒れになる。

以上がガンの概略。逆に言うと

* 無制限に増殖しない。
* 細胞に異常があれば自ら死を選ぶことで、生命全体を守る。
* 他への栄養を奪わない。
* 有害物質を撒き散らかなさい。

細胞自らがそうすることで生命全体を維持している。

 

【治しちゃってほんとにいいんだろうか】

 筆者自身も一時期、抗ガン剤の研究に携わった。
その中で、プロジェクトリーダーが実験中、誰に言うともなくふと漏らした一言が、
今でも忘れられないで心に残っている。

彼は抗ガン剤候補化合物の入ったフラスコを見つめながら、
ぼそりとこう言ったのだった。

「しかし、ガンなんて治しちゃってほんとにいいんだろうか」

創薬の研究者が何ということを言うのかと言われそうだが、
筆者には彼の言いたいことが何となくわかる気がした。

「しかし、ガンなんて治しちゃってほんとにいいんだろうか」
この言葉が持つ意味。

最初に書いたガン自体の性質を思い出しながら、ちょっと考えてみたい。

 人々の集まる社会を一個の生命に譬(たと)えるなら、
人間一人一人は細胞のひとつひとつに相当するだろう。

社会が健全であるためには、
古くなった細胞はアポトーシスを起こして新たな細胞に席を譲らなければならない。

しかし人類はあらゆる手段を使って、死を遠ざけようと懸命になっている。

 いつまでも死なず、やたらに増え続け、資源を引っ張ってきて自分勝手に使い、
有害物質をまき散らす。

皮肉なことにそんな人類の姿は、我々が忌み嫌い、
なんとか退治しようと躍起になっているガン細胞に似てきてはいないだろうか? 

であれば我々を待つ運命は、宿主との共倒れなのだろうか?

ガンを克服した人類は、人類にとってのガン細胞になりはしないか。

 

 

もちろん自分がガンで死ぬのはまっぴらだし、親しい人、大切な人をガンで失いたくはない。
しかし種として見た場合、ガンを治してしまうのは本当に人類に幸福をもたらすのだろうか。

「答え」はなくとも、持ち続けなければならない「問い」はある。

 

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2013年5月19日 (日)

どっちが作用で、どっちが副作用?

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どっちが作用で、どっちが副作用?

- 医薬業界、5つのトピックス -

 

佐藤健太郎さんの著書「医薬品クライシス―78兆円市場の激震」(新潮新書)
を読みながらの、薬の話、5回目。(以下水色部 引用・要約)

「副作用のリスクを考えても、自然治癒を待つよりはいい」
そのときはじめて薬が投与される、というのが前回の話。

作用がプラスで、副作用はマイナス、そう簡単に考えてしまいがちだが
作用と副作用、それ自体かなりあやふやなものでもあるようだ。
今回は、この作用と副作用の話から。

 

【臨床試験:バイアグラの例】

バイアグラは、当初狭心症の薬として開発が進められていた。

狭心症は心臓の冠動脈が詰まって血流が止まる病気であるから、
血管を広げてやれば発作は治まるはずである。
しかし実際には、この薬の狭心症に対する効果は低いものだった。
...
 
 ところがこの臨床試験の過程で、
男性の服用者に勃起現象が起きることが判明した。
この薬は目的の冠動脈には作用しなかったが、
陰茎周辺の血管には作用して充血を促し、
結果として勃起が起きるということが明らかになった。

 開発を進めていたファイザー社はこの結果を見て
思い切ってED(勃起不全)治療薬へと方針を切り替え、
こちらの用途では臨床試験は見事成功を収めた。

偶然から生まれたこの薬は画期的新薬として世界の話題をさらい、
同社に年間3000億円もの売上をもたらす
ベストセラー薬となったのはご存知の通りだ。

試験中に現れた副作用を、メインの作用として認定し売り出したわけだ。

 

他にもこんな例がある。

【抗アレルギー剤か、睡眠改善剤か】

花粉症や風邪薬に用いる抗ヒスタミン薬の中には、
眠気を引き起こすものがある。
これは薬が脳に入り込み、中枢にあるヒスタミン受容体に作用して
鎮静作用を引き起こすためだ。

最近ではこの点を考慮し、脳に移行しないような分子設計を施した、
眠くならない「第二世代抗ヒスタミン薬」も登場している。

面白いことに、眠気を引き起こすという抗ヒスタミン薬の副作用を逆手に取り、
睡眠改善剤として用いているケースもある。

エスエス製薬から発売されているドリエルがそれで、この薬の有効成分は
抗アレルギー剤として用いられている塩酸ジフエンヒドラミンそのものだ。
この場合、主作用が入眠作用で、抗アレルギー作用が副作用ということになる。

このように、主作用と副作用の関係は絶対的なものでなく、用途によって変わる。

入眠か抗アレルギーか、ここでも当初の作用と副作用が入れ替わっている。

 

さて、最後の話題に行く前に、
医薬業界独自の話題を幾つかピックアップしてまとめておきたい。

【医薬業界のトピック1:価格の決定権】

医薬の価格も、メーカーには決定権がない。
自社製品の価格を自分で決められない製造業というのは、
医薬品業界くらいのものだろう。

 薬の価格すなわち薬価は、公定価格として国が取り決め、
税金や健康保険から支払いが行われる仕組みになっている。
つまり医薬品メーカーの収益は、基本的に公金から得ていることになる。

薬価は、原則的に二年に一度、市場で流通している価格に合わせて改訂される。

メーカーに価格の決定権がないとは。

 

【医薬業界のトピック2:わずか数種の薬に依存している大企業】

例えば日本最大手の武田薬品は、一時期タケプロン、アクトス、ブロプレスという
たった三品目で利益の8割を稼ぎ出していた。

塩野義製薬は、利益の74%をクレストール(高脂血症治療薬)一製品に依存している。

 欧米のメガファーマ(巨大製薬企業)はもう少し多数の製品を抱えてはいるが、
数本の柱だけで巨体を支えている構図は基本的に変わりない。

例えば世界最大手のファイザーは約4兆5000億円もの総売上を誇るが、
そのうちリピトール(高脂血症治療薬)の売上は
全体の三分の一近くを占めている(2007年)。

なので、

たった一つの製品が失われることが会社の運命を左右する。

こんな巨大企業がわずか数種の製品のみに依存している、というのもかなり特異な業界だ。
しかも、下で述べるように特許期限の問題があり、
いつまでも同じ薬で儲け続けるわけにもいかない。

 

【医薬業界のトピック3:とんでもない額の買収劇】

結局ファイザーはAHP社に20億ドルを支払い、
総額892億ドルでワーナー・ランパートを買収する。

 この買収金額だけで、世界二位である日本の医薬品市場総額を
上回ってしまう
のだから凄まじい。

日本の市場総額を上回る額での買収って、いったいどんな巨大企業なンだ。ファイザーは。

 

【医薬業界のトピック4:新薬が生れなくなっている】

合併によって巨大な研究資金、
世界を網羅する研究開発体制を作り上げたはずの製薬各社から、
ぱたりと新薬が生まれなくなったのだ。

しかもこれは特定の一社二社の話ではない。
全世界の研究所から、一斉に新薬の産声が上がらなくなってしまったのだ。
1998年、アメリカ食品医薬品局(FDA)は、一年間で53三品目の新薬を承認したが、
2000年以降は年間30品目を超えたことは一度もなく、
2007年には18品目にまで落ち込んだ。

この間、製薬業界全体の研究開発費総額はほぼ倍に伸びているから、
単純計算で生産性は六分の一に低下してしまったことになる。

なぜ新薬が生れなくなっているのか。その理由について見てみよう。

 

【新薬が生れなくなった理由:わかりやすい疾患の薬がでてしまった】

 二十年、三十年前とは比べものにならないほど創薬技術は進歩したのに、
なぜ新薬が生まれなくなったのか。
原因は単純ではなく、いくつもの要因が複合的に作用していると思われる。

 ひとつには、作用機序のはっきりした「わかりやすい」疾患
-高血圧、胃潰瘍、細菌感染症など - には
すでに完成度の高い薬がいくつも出てしまったためだ。

では、「わかりにくい疾患」の薬はなぜ作りにくいのか。
理由のほうはわかりやすい。

 

【動物試験が難しい:疾患モデル動物がいない、作れない】

もちろんいまだに有効な薬がない、未解決の疾患は残っている。

例えば巨大な市場があり、根治療法が存在しないアルツハイマー症の治療薬は、
まさに世界が欲するものだろう。
...
これはひとつには、動物試験の難しさが原因となっている。
すなわち、創薬の過程では適当な「疾患モデル動物」が必要となる。

例えば炎症の薬であれば、実験動物に結核菌の死骸を注射して炎症を起こさせ、
その症状を医薬候補化合物がどの程度抑えるかで評価が行われる。
人間でもマウスでも炎症の仕組みは基本的に同じだから、
このモデルはある程度信頼をおける。

しかし、アルツハイマー症のモデル動物とはいったい何だろうか?
一応各種薬物を投与して、記憶力を減退させたマウスなどが実験に用いられてはいる。
しかしそれが果たして人間のアルツハイマー症の症状を
きちんとシミュレートできるようなものか、素人考えでも疑問に思うところだろう。
特にこのような中枢系の疾患には、動物実験の難しさがつきまとう。

ひとつの理由は、疾患モデルの動物がいない、作れない、ために実験ができない、というわけだ。
もちろん、次に挙げることも理由のひとつ。

【製薬メーカの姿勢】

 会社の規模が大きくなれば、年間売上が200~300億円程度の
小粒な薬を創っても腹の足しにはならない。
特に臨床試験通過確率が低く、費用も大幅にかかるようになった現状では、
一つ一つの新薬が大きく稼いでくれないと会社はやっていけない。

自然、大企業は手堅いヒット狙いではなく、ホームランを狙った大振りになっていった。

 

そして新薬が生まれなくなっているがために、こんなことも起きている。
どのメーカーもわずか数種の薬に依存しているにもかかわらず、
それらの特許が次々と切れていくのだ。

【医薬業界のトピック5:特許が切れる】

 例えば武田薬品の主力商品のうち、
2007年に4007億円を売り上げたタケプロン(抗潰瘍薬)は2009年11月に、
同じく3962億円を稼ぎ出したアクトス(糖尿病治療薬)は2011年1月に、
2231億円のブロプレス(降圧剤)は2012年6月に米国での特許が失効となる。

同社からは99年以来大型新薬が登場しておらず、
この三剤合計一兆円の穴を埋め合わせる目途は立っていない。

 他のメーカーも事情は大同小異だ。

アステラス製薬でも、エーザイでも、
また日本ばかりでなく世界中で、あらゆるジャンルの薬が
2010年前後に枕を並べて特許切れを迎える。

このことは、ジェネリック医薬品登場のきっかけにはなるが、
同時に、その後の利益確保という点で、製薬各社の大きな課題となっている。

 

以上、特徴あるトピックスを抱える業界ではあるが、
一番肝心な病気の治療法自体は、医薬を含めて確実に進歩していっている。
その例をひとつ。

【今なら助けられる(!?)夏目雅子】

女優の夏目雅子は、急性骨髄性白血病のため1985年に亡くなったが、
よい治療法のある現在であれば彼女は助かっている可能性が高いといわれる。

渡辺謙は彼女と全く同じ病気にかかりながら、
カムバックを果たして大活躍しているのはご存知の通りだ。

 

薬の話、もう一回だけ続けたい。
実は次回が一番書きたかった薬に関するネタだ。

 

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2013年5月15日 (水)

驚くべきマラリア療法

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驚くべきマラリア療法

- 自然治癒を待つか、薬投与か、はたまた... -

 

佐藤健太郎さんの著書「医薬品クライシス―78兆円市場の激震」(新潮新書)
を読みながらの、薬の話、4回目。(以下水色部 引用・要約)

 

今日は、「薬の効果の試験」でよく話題になるプラセボ(偽薬)の話から始めたい。
薬だと言って与えると小麦粉でも効く場合がある、というアレ。

 

【プラセボ(偽薬)による試験】

 プラセボ(偽薬)とは、薬に似せて作った偽の薬剤のことだ。

人間の体とは不思議なもので、これは効く薬だと信じて飲むと、
たとえ中身が小麦粉でもなにがしかの効果を発揮することがある。

この可能性を除くため、試験の際には何人かにこのプラセボを飲ませ、
比較対象とすることになっている。
また数人ずつに投与量を変えて投与し、その効果を比較することも行われる。

 もちろん候補化合物を飲む本人が「これはプラセボだ」と知っていたのでは
何にもならない。
このため被験者にはそれが本物なのかプラセボなのか、
どのくらいの投与量であるのかは一切知らされない。

また、投与してデータを取る医師(または試験施設の職員)の側も、
投与量の多少やプラセボが誰に投与されるのかを知っていると、
治療やデータの取り方に影響が出ることがありうる。
このため、医師の方にも用量は全くわからないようにして試験が行われる。

 医師と試験参加者両方に情報を隠した試験であるため、
これは二重盲検法(ダブルブラインドテスト)と呼ばれる。
二重盲検法は、人間の意思の介入によるデータの狂いを防ぐため、
科学分野全般で行われる重要なテスト法だ。

これを、単にニセ薬との比較による試験、とだけ考えていると、
倫理的な大きな問題を見逃してしまう。

 

【プラセボ試験の倫理的問題点:試験台になる人は】

 しかし臨床試験の場合、ここで倫理的な問題が生じる。
健康な人を対象とした第Ⅰ相試験はともかく、病気に苦しむ患者に、
効果がないとわかっているプラセボを飲ませて実験をすることが
許されるのだろうか?
 

候補化合物の厳密なデータが得られることによって
将来何十万という患者が治るとしても、
そのために目の前の一人を見殺しにしてよいはずはない。

 このため現在は、確立された医薬がある病気に関しては、
その医薬を投与した患者を比較対照群として試験を行うよう
勧告が出されている(ヘルシンキ宣言)。

これに従えば、プラセボを用いるのは
確立した治療法のない疾患に限ることになる。

既存の薬がある病気に関しては、プラセボ相手ではなく
現在の標準的治療法に勝たないといけないわけだ。

しかしどこまでを確立した治療法とみなしてよいのか、
この方法で医薬候補化合物の効能を本当に正確に見極められるのか、
議論の尽きない部分でもある。

なるほど。確かに治したい病気があるのに、小麦粉だけを飲まされたのではたまらない。

 

言うまでもないことだが、
薬には作用だけがあるわけではなく、副作用もある。
したがって、薬を投与すれば必ず副作用のリスクを負うことになる。

このリスクを負ったとしても、自然治癒力だけに任せるよりはまだマシ、
そうなったとき初めて薬を使う意味がある。

病気によるリスク、自然治癒力、薬の作用、薬の副作用、
これらを総合的に判断して、最小のリスクを考えることが医療なのだ。

自然治癒を待つか、薬を使うか、が最初から決まっているわけではない。

したがって、この判断のもと、ある時期、
驚くべき療法が採用されていたことがある。

 

【総合的に見てリスクを下げる:驚くべきマラリア療法】

 医薬とは、病気によるリスクをゼロにするものではない。
薬を投与せず、自然治癒カだけに任せるリスクよりも、
薬を投与した方が総合的に見てリスクが小さくなると
見込まれた時に使われるものだ。
...

 例えば、かつて梅毒が不治の病とされていた時代には、
「マラリア療法」という非常に危険な治療法が行われていた。

これは末期の梅毒患者をわざとマラリアに感染させ、
その高熱によって体内の梅毒病原体を殺して治療するというものだ。

 当然ながら少なからずマラリアによる犠牲者も出たが、
驚いたことにこの治療法を開発したJ・W・ヤウレッグは、
その功績で1927年のノーベル医学・生理学賞を受賞している。

当時の医学水準では、座して死を待つよりもマラリア療法に賭ける方が、
遥かに「合理的」な手段であったのだ。
もちろん現代では、こんなハイリスクな治療法は試験すら許されないだろう。

しかし、「総合的に見てリスクを下げる手段」という考え方自体は、
今も変わってはいない。

梅毒患者にマラリアを感染させる、という荒療治がノーベル賞!

「総合的に見てリスクは下がるから」が治療法として採用された理由とは。

「リスクが下がるなら他の病気に感染させてもいい」は、
ひとによって意見のあるところだろう。

つねにリスクとの駆け引きの中で選ばれる治療方法。
自然治癒を待つ、が最良の選択ということだってある。

薬の話、もう少し続けたい。

 

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2013年5月12日 (日)

薬に立ちはだかる幾重もの壁

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薬に立ちはだかる幾重もの壁

- どんなにいい薬でも体にとっては異物だ。 -

 

中坊さんの話が一回割り込んでしまったが、薬の話に戻って続けたい。

佐藤健太郎さんの著書「医薬品クライシス―78兆円市場の激震」(新潮新書)
を読みながらの、薬の話、3回目。(以下水色部 引用・要約)

薬が、目標とするタンパク質に到達するまでに立ちはだかる壁とはどんなものなのか。
今日はその話から始めたい。

医薬の分子的な大きさは、通常のタンパク質に比べると圧倒的に小さい。
実はこれも壁を乗り越えるためのひとつの策なのだ。

 

【ターゲットにたどり着くまでの試練】

 実は、医薬となる化合物は、先ほど述べた
「特定のタンパク質と結合し、その働きを調整する」
という条件を満たしただけでは成立しない。

医薬は目的のタンパク質にたどり着くまでに、
生体が備えた何重もの防御システムを突破しなければならない。

この監視者たちの目を盗んで体内に侵入するため、
医薬はあれだけ小さなサイズである必要があるのだ。

 また小さければよいというものではなく、
医薬にはさらに厳しい追加条件も求められる。

我々が病院でもらう薬は、
たいてい口から飲み込む形で投与される(経口投与という)。

当たり前のことのようだが、
これは医薬を創り出す側にとって非常に厳しいハードルなのだ。
経口投与された医薬が患部に届くまでには、
それこそ波瀾万丈と言いたくなるほどいくつもの壁を乗り越えなければならない。

経口投与、つまり口から飲んだ薬がどうなるかを追っていこう。

 

【最初の関門 胃 : 酸、消化酵素】

 水と一緒に飲み込んだ医薬は、まず胃に到達する。
これが第一の関門だ。酸というものは、効率よく有機化合物を分解してしまう能力を持つ
...

 胃液はご存知の通り、pHおよそ1.5という強烈な酸だ。
ここにペプシンなどの消化酵素が混じり、
摂氏三十七度の温度でぐいぐいと撹拝されるのだから、
胃の中というものは医薬分子にとっては極めて過酷な環境だ。

医薬は、この過酷な条件に打ち勝てるよう、非常に丈夫な構造である必要がある。

まずは、酸や酵素で分解されないようにしなければならない。
薬自体が消化・分解されてしまっては効きようがない。

 

【第二の関門、腸 : アルカリ性、消化酵素】

 この地獄のような胃袋をどうにか耐え抜いて腸に送られると、
一転して環境はアルカリ性へ変化し、今度はタンパク質や糖類をバラバラに分解する、
高性能な消化酵素たちが待っている。
もちろん医薬はこの攻撃にも耐えなければならない。

酸の次はアルカリ性。 どちらの環境でも、分解されずに生き延びる必要がある。

 

【第三の関門、生体膜 : 一億分の一メートルという極めて薄いシートなのに】

 医薬は小腸の腸壁から吸収され、血管に入り込む。
この時、腸や血管を構成する生体膜を通過せねばならないが、
これもなかなか侮りがたい関門だ。

膜は厚さが一億分の一メートルという極めて薄いシートなのだが、
タンパク質などの大きな分子を極めて効率よくブロックする。
また膜はリン脂質やコレステロールといった「油っぼい」成分からできているから、
水溶性の高い分子とはなじみが悪く、これを通せんぼしてしまう。

 これは生体にとっては当然のことで、大切な細胞内に、
素性の知れない異物を易々ともぐり込ませるわけにはいかないのだ。

医薬は目的地にたどり着くまでに、
この生体膜というバリアを何度も突破する必要がある。 

酸、アルカリの環境を生き延びたあと、
生体膜を通り抜けて初めて体内に入ったことになる。

糖尿病患者にとっては命の綱とも言える「インスリン」は、経口投与できない。
理由は、タンパク質の一種であるインスリンは口から飲むと腸で分解されてしまうからだ。
仮に、消化酵素の攻撃を凌ぎきったとしても、
今度は分子が大きすぎて生体膜を透過できない。
よって、皮下に直接注射するという投与の方法しかないわけだ。

生体膜を通りぬけ、ようやく小腸から血管に入り込んでも、さらなるかつ最大の敵が待っている。

 

【第四の関門、肝臓 : 最大の敵、無慈悲な破壊マシーン】

 一般に水溶性が高い化合物は尿から排泄されるが、
脂溶性の高いものは脂肪などに溶け込み、体内に蓄積しやすい。
そこで肝臓は様々な代謝酵素を繰り出して体内に入り込んできた異物を代謝し、
水に溶けやすくして排泄を容易にする機能を持つ。

医薬もまた体にとっては異物に他ならないから、
この肝臓の代謝機構にとっては恰好の標的となる。

肝臓の代謝・解毒機構は人体を守る大切なシステムだが、
医薬及び医薬研究者の側からすれば、
肝臓は無慈悲な破壊マシーンでしかない。

どんなにいい薬であろうと、体にとって異物にほかならない。
体はまさに全力で分解・排泄しようとするわけだ。

 

【第五の関門、血清 : 吸着を振りきれ】

ようやく肝臓を脱出しても、血液中にも「敵」は潜んでいる。
血清の50-65%を占めるタンパク質、アルブミンだ。
アルブミンはその表面に脂溶性の高い分子を吸着してしまう性質を持つ。

このトラップを振りきって細胞に入り込み、
ようやく医薬分子は目的のタンパク質の元にたどり着くことができる。

 

以上、ざっくり分類しても5種類の全くタイプの異なる関門がある。

まとめると、医薬分子は、

* ターゲットタンパク質との結合という面では、大きい方が有利。
* 一方、生体膜の通過という点では、小さくなければならない。

* 小さくても、酸、アルカリ、そして消化酵素にも耐えうる丈夫な構造が必要。

* 生体膜を通過し患部に届くためにはある程度の脂溶性が必要。
* 一方、体の防御システムをかいくぐるためには脂溶性が低い方が有利。

ということになる。
このように、すべての関門を突破するための要求は、矛盾を含んだ厄介なものなのだ。

そのうえで、無数のタンパク質の中から、
標的だけを正確に捉える分子を設計すること、それこそがまさしく創薬ということになる。

薬の話、もう少し続けたい。

 

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2013年5月 8日 (水)

一億円と一兆円

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一億円と一兆円

- 「幸せってこんなもん」って、何や -

 

元弁護士の中坊公平さんが2013年5月3日亡くなった。83歳だったという。

薬の話の途中ではあるが一回お休みして、今日は中坊さんの話を書きたい。

社会派弁護士としての数々の輝かしい実績については、
追悼の記事とともに新聞その他マスコミがすでに要領よくまとめてくれている。

ここではそういった実績一覧には登場しないであろう
小さなエピソードをふたつ紹介したいと思う。

 

ひとつ目は、旧住宅金融専門会社(住専)の6兆円を超える不良債権問題に
取り組んでいたころの話。

「億だ兆だと言うけれど、たいそうな額という意味ではもう同じことで、
 6兆円と言われてもピンと来ないンです」

不良債権の話をすると市民の方からよくこう言われるらしい。
これについて、こんな説明をしていた。

「毎日100万円を使ったとします。休まずに毎日です。すると
 一億円は、100日、つまりたった3ヶ月で使い切ってしまいます。
 でも、一兆円使うには、その1万倍、つまり2700年以上もかかるのです」

「キリストが生まれたころから、一日も休まずに100万円を使い続けたとしても、
 まだ2000年程度、一兆円はぜんぜん使い切れません。
 それどころか、これから先700年くらいは使い続けられるのです。
 2000年使ってきたのに、まだ700年分も残っているンですよ」

毎日100万円を使ったとして、
一億円はたった3ヶ月で使い切ってしまうのに、
一兆円を使うには2700年もかかる。


一日も休まず100万円を使い続けて2700年って。

なんという例だろう。
億と兆に関して、これまで聞いた中で一番インパクトのある説明だった。
震災後、原発処理等で兆のつく額をよく見るようになったが、
見る度にこの話を思い出している。
一兆円とは、毎日100万円使っても2700年使い続けられる額なのだ。

 

ふたつ目は2000年に中坊さんが朝日新聞に連載していた
「金ではなく鉄として」というコラムから。
2000年10月9日に掲載された第9回。
こんなふうに話は始まっている。

山のあなた 「幸せってこんなもん」って、何や

       中坊公平 金ではなく鉄として 第9回

 私が父の実家で田畑を耕すうちに戦後も既に3年目。
世の中は復興の歩みを速め、学生たちも戦後大きく開かれた未来に向け、
青春を取り戻していった。

 だが、家が傾いた私は相変わらず家族の「食」を担い、
学業を放棄せざるを得ない生活が続いた。
展望が開けない自分の将来に暗たんとし、心身をはむ労働の疲労も重なって、
私はあきらめから自棄へと陥っていた。

そんなつらい日々、ある家族の情景を目にした父親がぽつりとつぶやく。

 そんな苦い日々の、秋の夕暮れのことだ。
一日の農作業を終えて、私は父と家路についた。その父が、ふと立ち止まった。

 私たちの前を、家族連れが去って行く。
一日の収穫と子どもらをリヤカーに乗せ、お父さんが引き、
後ろからお母さんが押し、クワを担いだおじいさんが付き添っている。
引き込まれるようにそれを見つめていた父が、突然

「公平、幸せっていうのは、こんなもんかもしれんな」

とつぶやいた。

 粗野一方とばかり思っていた父のその言葉も、
遠ざかるリヤカーを立ち尽くすように見送っていた姿も、
ひどく意外だった。

「『幸せはこんなもん』って、どういうことや」

父親の言葉の意味がすぐにはのみこめなかった中坊さんは、
その夜、あることに思い当たる。

 その晩になって、「そうだ、あれだ」と思いついた。

その時の打たれたような驚きと、安どは忘れられない。

私が幼いころから母がしばしば口ずさんでいた詩が胸に浮かび上がり、
私に目を開かせてくれたのだ。

 

   山のあなた

   山のあなたの空遠く
   「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
   噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
   涙さしぐみ、かへりきぬ。
   山のあなたになほ遠く
   「幸」住むと人のいふ。
      (カール・ブッセ作、上田敏訳)

 

 幸せは彼方(かなた)にあると聞き、求めて行ったが、
むなしく泣いて帰った。それでもなお遠くに幸せはある、と人は言う。

そういう嘆きだが、この詩が人の胸に呼び起こすものは、それだけなのか。
幼かった私が意味も分からないまま暗記してしまうほど、
母がしじゅう口にしていたのは、なぜなんや。
ずっと気にかかっていた詩だった。

 その謎(なぞ)と、父のつぶやきの不思議が、
両方合わさることで解けたのだ。

幸せは彼方にあるのではなく、人が気づこうが気づくまいが、
実は日々の暮らしに、何げなく添うておるのやないか。
母も自分にそう言い聞かせていたんではないか。

 母の胸の内を確かめたことはないが、
結婚生活は必ずしも幸せではなかった。
戦前の小学校で父らと校長排斥運動をやり、共に辞職し、
家の反対を押し切って結婚。

志を分かち合った者どうしが、愛情でも結ばれて船出したはずだったが。

 父は確かにある種の傑物だったが、一方でよう遊び、
妻としての母を苦しめた。母は、子どもといる時、
幸せをかみしめようとしていたのではないか。

母親が口ずさんでいた詩と、父親のつぶやきが合わさることで、
ひとつの啓示となって中坊さんの胸に広がっていく。

最後、こう結んでいる。

 幸せは身近なところに、それを感じられる人の胸の中に――
これは、本当の幸せをつかまなかった者の諦観(ていかん)なのだろうか。

 そうではないと私は思っている。
当時私は、自分が何のためにこの日々を生きているのか、途方に暮れていた。
その日その日生きていく力をどこから得たらよいのか。
そんな私にとって、これは啓示となった。

 何の具体的な道も見えてこないことに変わりはないけれど、
あたりの空気がうっすら明るさを帯びてきたようだった。

 

冷静な敏腕弁護士というイメージからは程遠い、
高い声で情熱的に、ときに涙まで浮かべて喋りまくる特徴のある話し方。

社会的に「大きな問題」に取り組みつつも、
青臭いほどの理想を口にしながら、徹底した現場主義で挑んでいったのは、
この「幸せっていうのは、こんなもん」が常に頭の中にあり、
ただそれだけを取り戻すべく尽力したからではなかったか、
そう思われてしかたがない。

ご冥福をお祈りいたします。

 

オマケ:
ひとつ目に紹介した

「毎日100万円を使ったとして、
 一億円はたった3ヶ月で使い切ってしまうのに、
 一兆円を使うには2700年もかかる」

の話、ある酒の席でしたら、
メンバのひとりだった銀行員がひと言、こうつぶやいた。

「でも、そういうヤツが2700人いると、
 たった一年でなくなっちゃうンだよな」

 

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2013年5月 5日 (日)

どうやって薬は効くのか?

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どうやって薬は効くのか?

- タンパク質の多様な働きと薬を作用させるための大きな課題 -

 

佐藤健太郎さんの著書「医薬品クライシス―78兆円市場の激震」(新潮新書)
を読みながらの、薬の話、2回目。(以下水色部 引用・要約)

今回は、どうやって薬は効くのか、と共に創薬の難しさを考えてみたい。

医薬品は、体内のタンパク質とゆるく結びついて作用することになるのだが、
まず始めに、その対象となるタンパク質の働きを整理しておこう。

 

【タンパク質の多様な働き】

 我々の体内には数万種類のタンパク質があり、きめ細かな分業体制の下、
生命を運営するあらゆる作業を行っている。

* 食べ物に含まれる炭水化物や脂質などを細かく分解消化
* DNA・RNA・ホルモンなどの分子を間違いなく合成
* 酸素を運ぶ(ヘモグロビンもタンパク質の一種)
 
* 筋肉を作る(アクチンやミオシン)
* 細胞同士を貼り合わせる(コラーゲン)
* 血糖値を下げろ、細胞分裂を始めろといったメッセージを出す
* 侵入してきた細菌やウイルスを撃退する

一つの仕事をいくつものタンパク質で分担していることもある。
例えばコレステロールの合成には、三十数種のタンパク質が関わっている。

なんと多くの重要な機能を担っているのだろう。
消化もするし、合成もするし、酸素も運ぶし、指示も出す。
そのうえ、悪者の撃退までしてくれている。

タンパク質は英語では「プロテイン」で、ギリシャ語の「最も大切なもの」という単語に由来するらしい。
その正体は最初はもちろんわからなかったはずなのに、
先人達はなんとふさわしい言葉を選んで名付けたのであろうか。
言葉選びのセンス自体に感服してしまう。

 

福岡伸一さんの傑作「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)には、

私たちが仮に断食を行った場合、外部からの「入り」がなくなるものの
内部からの「出」は継続される。
身体はできるだけその損失を食い止めようとするが「流れ」の掟に背くことはできない。

私たちの体タンパク質は徐々に失われていってしまう。
したがって飢餓による生命の危険は、エネルギー不足のファクターよりも
タンパク質欠乏によるファクターのほうが大きいのである。

エネルギーは体脂肪として蓄積でき、ある程度の飢餓に備えうるが、
タンパク質はためることができない。

という記述もある。
「出」や「流れの掟」といった言葉の説明なしでこの部分をだけを引用しても
わかりにくいとは思うが、とにかく、
飢餓のとき、危険はエネルギー不足にではなくタンパク質欠乏のほうにある、という
後半部分に着目あれ。
(「出」や「流れの掟」については、いつか改めて紹介します。この話もものすごくおもしろいので。)

タンパク質はまさに「最も大切なもの」なのである。

 

【タンパク質の驚くべき仕事の速さ】

 タンパク質の仕事ぶりはよく精密機械に例えられるが、
その働きぶりの速さと正確さは、人間の造り出した機械の比ではない。

一つの細胞内のATP合成酵素は、毎分5億個のATP分子を作り出す
酵素とは、化学反応を触媒するタンパク質のことをいう)。


DNAの二重らせんを合成するDNAポリメラーゼは、
毎秒2000個のヌクレオチドをつなぎ合わせ、配列に間違いがないかチェックし、
間違いがあれば正しいものに取り替える、という驚くべき作業をやってのける。

 直径50分の1ミリメートルほどの細胞には、
そのタンパク質が2万種、数億個も詰まっている。

そして一人の人間の体は、その細胞が60兆個ほども集まって成り立っている。

これらが猛烈な速度で狂いなく協働し、それぞれの職務を正確にこなすことで、
生命の営みは滞りなく行われているのだ。

タンパク質は多くの機能を担っているというだけでなく、仕事も速い。

間違い補正付のつなぎ合わせ作業を毎秒2000個!
ひとつの細胞に2万種のタンパク質、そしてそれらの正確な協働作業。
細胞の中ではすごいことが起こっているのだ。

多様な仕事を高速にこなすタンパク質。
そのタンパク質は、分解すればたった20種類のアミノ酸から成り立っている。

 

【たった20種のアミノ酸から、でノーベル賞】

 ではそのタンパク質は、いったいどんな姿をしているのだろうか。
...
 
基本的には、タンパク質たちは全て20種のアミノ酸の順列組み合わせだ。

生命を司る精密で多彩な働きが、
分解すればたった20種類のアミノ酸に行き着くという事実は、
学べば学ぶほど信じ難い。

 このことを最終的に確定させたイギリスのフレデリック・サンガーは、
1958年にノーベル化学賞を受賞している。
 
1953年にDNAの構造を解明したジェームス・ワトソンとフランシス・クリックが
9年も待たされたのに対し、
サンガーがわずか一年半で受賞に至ったのは、いかに彼の業績が衝撃的だったかを物語っている。

では、この「タンパク質に作用して薬が効く」とは、いったいどういうことなのだろうか。

 

【どうやって効く? キーワードは「酵素」と「受容体」】

 ...多くの薬は酵素に作用して特定の体内物質の生産を調整するか、
受容体に結びついてホルモンなどの伝達物質の作用を妨げる
(あるいはホルモンの代わりに情報伝達を行う)ことで効力を発揮する。

とりあえずここでは、無数にあるタンパク質のうち、
「酵素」と「受容体」という二種類が医薬のターゲットになりうる、とだけ
覚えておいていただきたい。

生産量の調整と情報伝達の妨害が、「効く」ということと深く関係しているようだ。
「酵素」と「受容体」を具体的な例で見てみよう。

 

【例:胃潰瘍の薬を考えてみる】

 胃潰瘍の薬を例にとって説明しよう。

胃の内部では胃酸や消化酵素が放出され、
食事で取り入れたタンパク質を消化分解しようとする。

胃壁もタンパク質でできているが、通常これを守る粘液が表面に分泌されており、
胃壁が消化されてしまうことはない。

しかし何らかの原因で胃酸と粘液のバランスが崩れると、
自分の胃液で自分の胃が消化され、ただれてしまうという状態が起きる。
これが胃潰瘍だ。
...
 
医薬にできるのは、胃酸の放出を調節して、胃がやられないように守ることだ。
...
 
 胃酸放出のスイッチを押すのは、ヒスタミンという小さな分子だ。
この分子が受容体タンパク質の窪みにはまり込むと、
その刺激をきっかけに胃酸分泌システムが動き出し、胃袋の中に胃酸が放出される。

 先ほどのたとえでいえば、ヒスタミンが鍵で、受容体は鍵穴に相当する。
 
つまりヒスタミンの鍵を差し込めないよう、
医薬分子で受容体の鍵穴をふさいでしまえば、
少なくとも胃潰瘍の悪化は食い止められることになる。

具体的には、本物の鍵であるヒスタミンに似ているが、
さらにしっかりと鍵穴に入り込んで抜けにくいような化合物を創り出せばよい。

スイッチを押すための鍵穴を薬で塞いでしまい、胃酸を放出するスイッチが入らないようにして、
胃潰瘍の悪化を食い止めるわけだ。

よくこんな仕組みが解明できたものだと、それだけでも感心してしまうが、
少なくとも胃酸放出のしくみ自体は明快ですっきりしている。

ところが、「鍵穴を塞ぐように」薬を作用させるためには、いくつもの課題を解決しなければならない。

一つ目の課題は、どうやってターゲットのみに「命中」させるか、ということ。
 
狙った鍵穴にどうやって医薬分子を差し込むか。
医薬は血流に乗って全身に運ばれるので、
目的としているターゲット以外の部分で作用してしまう可能性があるのだ。

 

【ターゲットのみに命中させる正確な攻撃能力】

具体的には、本物の鍵であるヒスタミンに似ているが、
さらにしっかりと鍵穴に入り込んで抜けにくいような化合物を創り出せばよい。

一時期よくテレビのコマーシャルで流れていた、「ヒスタミンブロック」というのは、
まさにこのことを言っていたわけだ。

しかし記憶力の良い方なら、
「そのコマーシャルは胃薬ではなく、花粉症の薬ではなかったか?」
と疑問に思われるかもしれない。

まさしくその通りだ。もちろん花粉症の薬を飲んでも胃潰瘍はよくならないし、
胃薬を飲んでもあの不快な花粉症の症状が治まるわけではない。

 実はこのあたりが、生命というシステムの一筋縄でいかないところだ。
...
 
ヒスタミン受容体には二種類ある...(後にもう二種類見つかっている)。
つまりヒスタミンという鍵は一つだが、それが差し込まれる鍵穴は二種類あったのだ。

鍵穴の一つ(H1受容体)はアレルギー反応に関わり、
もう一つ(H2受容体)が胃酸放出のスイッチとなる。
違う鍵穴なのだから、混乱しないように鍵も違うものを用意すればいいのにと思うが、
なぜかそうはなっていない。

...
 
同じヒスタミンを鍵として受け入れるH1・H2受容体は、
当然お互いに似たような構造を持つが、
何の工夫もなくこれらをふさぐ化合物を創ったのでは、
両方の受容体に作用してしまって余計な作用を引き起こすからだ。

 花粉症の薬であれば鼻だけ、
胃薬であれば胃だけに行って作用する薬を創れればいいのだが、
残念ながらこうした仕組み(ドラッグデリバリーシステム=DDS)は
いまだ実用化されていない。

医薬は血流に乗って全身の隅々にまで運ばれ、
基本的にどの部分にもまんべんなく作用してしまうのだ。

花粉症のくしやみを止めたいだけの人が、
胃酸放出までストップさせられたのでは消化不良を起こしてしまうし、
その逆もまた然りだ。

 が、医薬分子には自分のいる場所が胃か鼻かの見分けはつかなくとも、
同じ分子レベルの構造である受容体ならばどうにか見分けはつく。
というわけで胃潰瘍の薬を創るなら、胃酸放出に関わるH2受容体だけに作用し、
H1受容体には全く障らないものを創る必要があるのだ。

コマーシャルで流れていた「ヒスタミンブロック」は、
このH1受容体だけをふさぐ薬だ。

 他にもこうした例はたくさんある。
体内には数万種のタンパク質がひしめいており、似たようなものはたくさんあるから、
せっかくの医薬分子が目的以外の余計なタンパク質に作用してしまうこともありうる。

多くの場合、それは望まぬ副作用、毒性という形で現れてくる。
狙ったターゲットだけを間違いなく仕留める、
正確な攻撃能力こそが医薬分子の生命線なのだ。

的確なるターゲットを識別し、
そのターゲットのみに作用するような仕組みをもたせる。

ところがこの「何をターゲットにすべきか」の選択にも多くの制約がある。

これがふたつめの課題。
なぜ、ターゲットを自由に選べないのか。
薬が作用した時、できかけのヘンな化合物が
体内に溜まらないようにしないといけないからだ。

 

【ターゲットは自由に選べない】

 例えば、ある体内物質の生産を止める薬を創るとしよう。
多くの体内物質は、一回の反応でパッと作り出されるわけではない。
ベルトコンペアによる流れ作業のように、多くの酵素の間を手渡されながら、
いくつかの段階を経て合成される。

それらの酵素のどれを阻害しても、体内物質の生産は止められるはずだ。
しかし医薬として成立するためには、
ターゲットは自由にどれを選んでもいいというわけにはいかない。

 目的の体内物質の合成ルートを下手なところでストップすると、
できかけの化合物が大量に溜まって危険を引き起こすようなこともありうる。

一つの合成ルートをストップしても、
未知の別ルートがあったために生産が完全に止まらないケースも存在する。
道路の一ケ所を通行止めにしても、
バイパスがあれば車の流れは止まらないのと同じことだ。

 こうした障害はあらかじめ予測できることもあるが、
やってみて初めてわかることも少なくない。
人体には気の遠くなるほどのタンパク質がひしめき合っており、
それら全ての役割や分布がわかっているわけではないどころか、
細胞一つのふるまいでさえ不明な点が多く、どこをどう押せばどう反応するのか、
完璧な予測は現代の科学ではとうてい不可能なのだ。

 

以上を考慮し、適切なターゲットが選ばれ、
そのターゲットのみに適切に作用するようなものが用意できたとしても、
それで薬の完成というわけではない。

薬をどうやってターゲットにまで到達させるか、という問題が残っている。

生命は自分自身を守るために、異物が入ってくればそれを分解、排除しようとするからだ。
特に口から摂取する経口投与の薬にとって、その壁は幾重にもなった厳しいものだ。
この壁の克服が3つめの課題となる。

その話は次回に。薬の話、もう少し続けます。

 

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2013年5月 1日 (水)

外国人には効かない薬?

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外国人には効かない薬?

- たったひとつの製品の売上が年間1兆円以上の業界って! -

 

肺がん治療薬「イレッサ」の副作用をめぐる訴訟で、
2013年4月12日、遺族側の全面敗訴が確定した。
国と輸入販売元に賠償責任なし、となったわけだ。

訴訟や医薬品自体については、門外漢ゆえ全くコメントできないが、

「イレッサ」については、
佐藤健太郎さんの著書「医薬品クライシス―78兆円市場の激震」(新潮新書)に、
次のような記述があった。(以下水色部 引用・要約)

日本と外国で大きな薬効の差が見られた例として取り上げられている。

 日本と外国で大きな薬効の差が見られたケースとして、
副作用問題で騒がれた抗ガン剤イレッサのケースがある。

この薬は珍しく世界で最初に日本で承認が下りたが、
重い間質性肺炎という副作用が発生し、
数十件の死亡例が発生して大問題となった。

しかし多くの国では肺炎の副作用もほとんど見られなかった代わりに薬効の方も弱く、
医薬としての承認が得られていない。

こうした作用の差は何に由来するのか、残念ながら詳細はわかっていない。

「外国で承認されているのに、日本で承認が遅れている」
という薬の話はときどき聞くが、こういう逆の例もあるのだ。
しかも、単に承認手続きの早い遅いの問題ではなく、
「薬効が弱く、医薬として承認されない」国もあるとは。

この本には、この他にも医薬品に関する興味深い話が詰まっている。

 

ちょっと乱暴な要約見出しをつけながら一部その内容を紹介したい。

まず最初に、この本が対象としている「医療用医薬品」について。
「医療用医薬品」とは病院で処方される薬のこと。
この本が「医療用医薬品」だけを対象としているのはその規模が
ドラッグストアで売っている一般薬とはまさにケタ違いだからだ。

 

【医療用医薬品のケタ違いの規模】

 メーカーにとっての両者の差は、医療用医薬品が桁違いの売上をもたらす点だ。
一般薬は年間で10億円も売れればヒット商品と言われるが、
医療用医薬品には数百億円単位の商品がいくらでもある。
...
 
 現在最大の医薬は高脂血症治療薬リピトール(ファイザー)で、
そのピーク時売上は全世界で何と年間1兆6000億円にも達した。

2008年、日本で最も売れた車であるホンダフィットでも、
年間売上はせいぜい2000億円程度に過ぎないことを思えば、
これがいかに恐るべき数字であるかおわかりいただけるだろう。

人類史上最も巨大な付加価値を持つ商品は、このわずか原子76個から成る、
目に見えないほど小さな「物質」なのだ。

 これだけ書くと、なるほど「薬九層倍(くすりくそうばい)」と言われる通り、
医薬品メーカーは安い原価でしこたまポロ儲けをしている
おいしい商売なのだなと思われそうだが、実際はそう甘くはない。

ひとつの製品が、年間1兆円も売れるって、いったいどういう世界なンだ。
とはいえ、薬はとにかく創るのがむつかしいもののようだ。
世界規模で眺めてみても…

 

【創薬はむつかしい】

製薬会社は軒並み総売上の約20%という巨額を新薬開発に投じており、
世界最大手・ファイザーの研究開発費は年間9000億円近くにも上る。

他の多くの製造業の研究費が売上高のせいぜい2~6%前後でしかないことを思えば、
製薬業界の研究開発費がいかに突出して高いかおわかりいただけるだろう。
...
 
 ではこれだけの頭脳と資金を投入している製薬業界は、
どれくらいの新製品を世に送り出しているか-。

驚くなかれ、年間たったの15から20製品に過ぎない
(ここでの製品数とは、新規な構造を持った低分子医薬の点数を指す。
 既存の医薬の適応疾患拡大などは含めない)。
これは一社の製品数ではなく、全世界数百社の製品を合わせた数字だ。

世界中の巨大メーカーがよってたかって資本を投下し、
分子生物学・有機合成化学など各ジャンルの最先端の知識を結集して、
わずか15種類程度なのだ。

世界中の巨大メーカーがよってたかって資本を投下し、
分子生物学・有機合成化学など各ジャンルの最先端の知識を結集して、
年間でわずか15種類程度しか作れない。

製薬メーカーの研究者は、入社から数十年間毎日実験を繰り返し、
新薬をひとつも生み出すことなく研究の現場を去る者がほとんどなのだ。

日夜研究に励んでも、ひとつも新薬を作れないまま現場を去る、
それはそれで辛かろう。

この本からの薬の話、もう少し続けたい。

 

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