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2013年4月 3日 (水)

藤原の桜

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藤原の桜

- 本当はどんな色ですか? -

 

「日本では花が咲いたかどうかが、ニュースのトップになることがある」
と外国人記者に揶揄されたことがあるらしいが、
外国人にどう思われようとも桜の開花には心踊るものがある。

今年の東京の桜は早かった。3月22日に満開になってから、
一日も青空を背景にすることなく散り始めてしまったことは、ほんとうに残念だったが、
思い返してみると期待値が高いせいか、花見の季節の天候は恨めしいことが多い。

いやいや、見頃はこれからだよ、という方々、
どうぞよいお天気に恵まれますように。

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敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花 本居宣長

と詠われるように、ソメイヨシノだけが桜ではないが、
大きな曲線を描きながらゆっくり北上していく桜前線は、
まさに日本列島を春色に染め上げていく。

 

「なぜ桜の下で酒を飲むのか」については
西岡秀雄さんが書いている「サ神」伝説を中心にした話を知ると
いろいろ人に話したくなる。

桜とは「サ=サ神の:クラ=座る場所」。
「サ拝む」でしゃがむ、サとの境界線を境(サカイ)、サ下げるで捧げる、サが千で幸、
サケもサカナもサカエルもサクもみんな「サ神」に繋がっていき、
「サ」のつく言葉への興味は尽きない。

 

そしてもうひとつ、この時期に毎年必ず読み返してしまう文章がある。
人間国宝、染織家の志村ふくみさんが書いた「藤原の桜」
「語りかける花」(ちくま文庫)に入っている。

きょうはこれを紹介したい。(以下水色部は引用)

群馬県水上の藤原中学校の先生から志村さんが手紙をもらうところから
話は始まる。藤原中学は、冬は積雪数メートルにもなる山の中の中学校で
全校生徒36名という小さな学校だ。

中学で使っている二年生の国語の教科書に大岡信さんの「言葉と力」という
文章が載っており、そこに志村さんの

「さくらの花の咲く前に皮をはいで染めたら、上気したような美しい桜色に染まった。
 それは桜の花辯だけが桜色なのではなくて、花の咲く前の桜は
 幹も枝も全体で色を貯えているからだ」

という話が引用されている。
それを読んだ藤原中学の生徒がこの話に大変興味をもった。

藤原には山桜が沢山あるから自分達で是非染めてみたい、
染め方を教えて下さい、という手紙をよこしたのである。

 

中学生でなくても惹かれる文章だ。
花が咲くころ、その幹で染めるとほんとうに桜色になるのだろうか。
あの桜色は、花辯だけでなく、まさに全木に宿っているということなのだろうか。

志村さんは早速返事を書き、染め方と桜で染めた糸とを送った。
すると、二年生全員12名から手紙が来た。

「桜で色が染まるなんてふしぎでたまりません。
 みんなで山へ桜をきりに行き、
 男子は木を燃して灰をつくり、女子は皮をむいて染めてみました。

 藤原は湖や沢や谷や素晴らしい自然にとりかこまれていて、
 もうすぐ水芭蕉が咲き、わらびやぜんまいも出ます。
 是非一ど来て下さい。
 首を長くしてまっています」等々、

私はこんなうれしい手紙をもらったことがない。

 

その後、群馬県を訪問する機会を得た志村さんは、
仕事場の若い人達と一緒に三月、雪の中、藤原中学を訪問する。

村に一軒しかない温泉宿に前泊した志村さんらは、翌朝、
校長先生らと木を切りに行き、桜、みず楢、みずぶさ、もみじなど、
数種類の材料を集め、理科室を借りて炊き出し、
生徒達の授業が終るのを待った。

こんなに雪の深い山の中もすでに春は間近く、どの枝も芽吹きの態勢をとっている。
思えば何とよい時期に訪れたことか、あちこちで煮立ちはじめた材料から
春をさきがける新芽の匂いが理科教室にみちた。

こぶしは香油をとるといわれるだけに刺戟性のきつい匂いである。
槐(えんじゅ)からもさかんに匂いが発散される。
桜は果芯の香り、それらがいりまじって、樹々の胎内にさまよいこんだようである。

授業の終った生徒達が待ちかねたように次々理科教室に入ってくると、
一斉に匂いに驚いた様子。

恥じらいと、好奇心と嬉しさにあふれる瞳。
雪やけにひかる頬、顔中ほころばせて精一杯の挨拶、
私は久しくこんな子供達に出会ったことがない。

私は京都から持ってきた糸を生徒達にわたし、一緒に染めはじめた。
はじめおずおずと糸を染液に漬けていた生徒も、
パッと発色すると急にいきいきとした表情になる。

中学二年生といえば、植物の新芽がようやくふくらむこの頃の季節にたとえられようか、
これから人間として、さまざまの体験をする寸前の、
春浅い芽吹きの時期の子供達である。

 

爽やかな熱気が理科室にあふれる。

 

いよいよ桜を染めることになった。

山桜の皮はつやを帯びた木肌の裏に、赤と緑がにじみ出ていて、
炊き出してみると、透明な赤茶の液が出た。

その液に糸をつけ、灰汁で媒染すると、上気したような桜色が染まるはずである。が、
糸をつけた瞬間パッと発色したのは、濃い赤味を帯びた黄色だった。

目の前で桜色に染上ることを期待していた生徒達の間に、
失望に似た吐息がもれた。
私も信じられない思いだった。
生徒達に何と説明してよいか戸惑った。

その時、一人の女生徒が、
「本当の桜はどんな色ですか」
とたずねた。

私はとっさに答えた。
「これが本当の桜の色です。藤原の桜の色はこれです」
と、事実を言う以外なかった。

京都の小倉山の桜は、やわらかい桜色だった。
雪深い山中でじっと春を待つ藤原の桜は、濃い黄色だった。
風雪に耐えた枝は曲り、きけば花の色も濃いという。

 

新芽の匂いと、生徒達のあふれんばかりの期待で満たされた学校の理科室。
最高潮に盛り上がった瞬間に訪れる、吐息。
そこで交わされる生徒との小さな会話。

「本当の桜はどんな色ですか」
「これが本当の桜の色です。藤原の桜の色はこれです」

黄色の発色には、志村さん自身戸惑ったようだが、
この会話はほんとにいい。

 

「本当の、正しいことはどこかにあって、
 本当ではない、正しくないものが目の前に現れることもあるのだ」
そんな感覚が知らず知らずのうちにどこかで染み付いてしまっているのかもしれない。
思わず「本当の桜は」と聞いてしまった生徒の気持ちがよくわかる。

でも、今、目の前で起こっていること以上に「本当のこと」があるわけはない。
「本当はね、」などとつまらない説明をせず、

「これが本当の桜の色です。藤原の桜の色はこれです」

と言い切ったことは美しい。

 

京都にかえってすぐ、私はもう一ど嵯峨の桜を染めてみた。
かたい蕾をもった古木だったが、先年のような桜色は染まらなかった。

やり直しても精気ある色は、再び生れなかった。
何が原因なのかわからない。

千の桜には千の色がある。
自然のごく一部を垣間みただけの自分が、わかった風に話したり、
書いたりしたことを恥しく思った。

 

その後、先生と生徒から手紙が来た。

あの日私に質問した生徒は、
藤原の桜が黄色だったということは自然の証明で、
木が一生懸命自分を主張していたのだと思う、
何でもやってみれば本当のことがわかる、
勉強すれば本当のことにぶつかると思うとうれしい、と書いてよこした。

 

修学旅行で生徒達が京都に来ると、わざわざ会いに行った。
そこで皆から、みずね桜の枝をみやげにもらう。

志村さんは、みずね桜の色に出会う。

一昨夜、修学旅行に京都を訪れた生徒達に会いにいった。
その時一人一人が私にみずね桜の枝をおみやげに手渡してくれた。

私は早速、十本の小枝の皮を丁寧にはぎ、染めてみた。
それは桜の精そのものだった。
淡いけれど内に深く色をたたえ、底の方からかがやき出すようである。

雪の藤原を訪れて二ヵ月、新緑の季節に入ろうとしている頃、
私はようやく本当の桜色に出会った気がしている。

 

 

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