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2013年4月28日 (日)

問題は教科書ではない。

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問題は教科書ではない。

- サンパウロでの歴史の授業 -

 

言うまでもないことだが、国境の島々や靖国参拝やTPPの件だけが外交問題ではない。
外交問題こそ、マスコミの取材力の発揮のしどころだと期待しているのだが、
なかなか期待に添うような報道にはお目にかかれない。

 

戦争は、武器を使ってやる外交であり、
外交は、武器を使わないでやる戦争である。

   塩野七生 「ローマ人の物語<20> 悪名高き皇帝たち [四]」 (新潮文庫)

は塩野さんの名言のひとつだし、
最近の本では、落合さんがたった2行で今の日本の状況を言い切っている。

結局、日本では左派が「ケンカはよくない」と繰り返し、
右派は「必要なケンカはアメリカがやってくれる」と他人任せにする。

   落合信彦 「ケンカ国家論」 (小学館)

 

外交問題は歴史を抜きに語れない。
一方、その歴史は、教育によって伝えられる部分が大きい。

歴史教育に関しては、なぜか教科書検定ばかりが話題になるが、
教科書がすべてというわけではないのだから、
もっと教え方について広く議論されてもいいのに、
と常々思っている。

教科書と歴史教育、と聞くと、ずいぶん古い文章だが、
ひとつ思い出すものがある。

猪口邦子さんが「パール・ハーバーの授業」という題で
文藝春秋に書いていたもの。今日はそれを紹介したい。

  (以下水色部、「文藝春秋」1985年八月号からの引用)

 

ブラジルのサンパウロにあるアメリカン・スク-ルに通っていた猪口さんは、
小学校最後の学年を迎えていた。

その年の社会科の科目は世界史だったが、そのことで幼い私の心は憂鬱であった。
憂鬱という気分の状態を本当に知るようになったのは、
おそらくこの頃ではなかったかと思う。

授業で古代ギリシャやローマのことをやっているころから、
猪口さんは、教科書の最後のほうにある
「パール・ハーバー」という見出しのついたページが気になり、
何度も読み返しては、ほとんど暗記するまでになっていた。

その教科書には日本についてのこんな記述もあった。

 そもそも、日本について、野蛮な人力車や戦闘的なサムライの国といった説明は
奇妙に思えたし、床に寝て、部屋を紙で仕切って暮らす、
といった書き方もショックであった。
とはいえ、この程度のことには、そのころの私はすでに慣れっこになっていた。

 しかし、パール・ハーバーの授業は別である。
それは、私にとってはじめてのパール・ハーバーの授業であり、
しかも私は、クラスでただひとりの日本の子として、
その授業に臨まなければならなかった。

そして、あの戦争について、次のように書いてあった。

教科書は、日本がいかに悪魔的な世界征服の野心と狂気で、
平和なアメリカを驚愕させたかを、いじわるいタッチで記述している。

野蛮で遅れた国民が、
自由と正義を体現した偉大なアメリカに対して滑稽な挑戦をしかけたこと、
そしてその野望は原爆によってついにくじかれたことなどが、
物語のように綴られている。

それは、まさに善と悪の対決であり、
世界の救世主対悪魔の落とし子の対峙する構図であった。

クラスでただひとりの日本の子として、この授業を受けなければならないその日、

なんとか仮病で母をだまして、その日、学校を休むという作戦

にでる。

 ぜんそくの発作と腹痛を、前の晩から自分でも驚くほどの大胆さで演じてのけた。
両親に教科書を見せ、親の世代に対する怒りをぶつけて、
堂々と学校を休むということを、なぜか私はしようとは思わなかった。
思えば、私は幼いなりに、異郷で精一杯、親をかばっていたのかもしれない。

 そのせいか、仮病を演じたことの罪悪感はほとんど感じないでいた。
ただひとつ最後まで気になって、なかなか寝付くことができなかったのは、
世界史の先生のことだった。
その先生は見えない魔法の杖を持っていて、授業がはじまると、
いつの間にか教室全体に昔の世界が広がっていった。

私はその先生が大好きだった。
パール・ハーバーの授業を休んだら、
先生はどう思うだろう……その答えはついに見つからなかった。

朝になっても演技を続けるが、最終的には学校に向かう決心をする。

 世界史の教室に入る。
足早に自分の席に向かう私に、「ハーイ、クニコ!」と先生は声をかけてくれた。
その声の明るさに、かえって私の心は緊張した。

いよいよ授業が始まる。

 授業がどうはじまったのか、覚えていない。
私はまるで石のように微動だにせず、教科書のそのページを開いたまま、
下を向いていた。
緊張のあまり、周囲から音が消えてしまったかのようだった。

 先生が黒板になにかを書いている……
日本の石油の輸入の割合だ……
おやっ……教科書にそんなこと書いてあったっけ……。
先生の声が耳にもどってくる。先生はどんどんしゃべっていく。

日本は資源が乏しいこと、
発展するために外国から資源を輸入しなければならないこと、
 
どんなに資源の乏しい国でも、貿易によって発展する権利があること、
しかし、欧米諸国は、アジアの国が発展しすぎることは許せないと思っていたこと、
そこで、日本の資源輸入を困難にしていったこと……
 
しかもなんとアメリカは、実は、
欧州戦に参戦する契機をつかもうとしていたこと……

違う! 
教科書と全く違うことを先生は授業でしゃべっている!

 先生はたったひとりの生徒のために、その授業をやってくれたのだった。
クラスのだれもが、授業の内容が教科書と全く違うことに気が付いていた。
しかし、いつもは活発な生徒達のひとりとして、そのことを問う子はいなかった。

授業はこう閉じられる。

 戦争には、沢山の原因がある、と先生は言った。

戦争だけでなく、国と国との間の事件には必ず複雑な背景がある -
それを単一原因論に短絡させてしまうのは、歴史に対する暴力だ - 
と先生は授業を閉じた。

 部屋を出るとき、先生に心からなにかを言いたかった。
けれど、ひとことでもしゃべったら、涙が一気にあふれそうだった。
かつてないほど、私はパール・ハーバーを恥じていた。

それでも、日本非難の矢面に立たないですんだことに、
私のなかの子供の部分は本当に救われたのだった。

 

猪口さんは、国際関係の複雑な絡み合いを解明していく仕事を夢見るようになる。

問題は教科書ではないのだ。

 

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